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『魂を導く紋章師、死者の誓いを継いで世界を救う』  作者: nukoto


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第19話 立ち続ける者

旧市街の外れは、昼でも薄暗かった。

 崩れかけた石造りの家々は、誰に見られることもなく崩れ続け、

 蔦が壁を覆い、窓を塞ぎ、ゆっくりと街を“森”へと還していた。


 風は冷たく、湿っている。

 地面に差す陽光は細く、どこか色を失っていた。

 その静けさの中で――ただひとつ、白い光だけが揺れていた。


 廃墟の奥。崩れた石垣の向こう一面に、

 白花が群生していた。

 無数の花弁が、瘴気を透かすように淡く光り、

 空気の中にほのかな香りを漂わせている。


 だが――その美しさとは裏腹に、

 地の底から立ち上る黒い靄が、花々の間を這っていた。

 風は重く、声の届かない世界のように音を吸い込んでいく。


 リアンは足を止め、息を整える。

 「……ここだ」


 サラが少し眉をひそめ、視線を巡らせた。

 「花はきれいだけど……空気が悪い。瘴気が下から滲んでる」

 リアンは頷く。

 「この下に何かある。“呼んでる”感じがする」


 ふたりの足元で、白花が小さく震えた。

 まるで、何かを訴えるように。


 やがて――リアンは崩れた石壁の一角に目を留めた。

 他と違う。そこだけ、蔦の裏に古い刻印が隠されている。


 手をかざすと、淡い光が指先に反応した。

 鈍い音とともに、石がゆっくりとずれ、

 奥から冷たい風が吹き出してくる。


 「……やっぱりね」

 サラが剣の柄に軽く手を添える。

 「入る?」


 リアンは短く息を吐き、うなずいた。

 「この瘴気、放っておけない。きっと、誰かの“誓い”が残ってる」


 ふたりは灯りをともして、通路へと足を踏み入れた。


 階段を降りるたびに、空気が変わる。

 地上の温もりが消え、息をするたびに冷たさが肺を刺した。

 滴る水音が遠くで響き、壁に反響して不気味な残響を残す。


サラが足を止め、周囲を見渡す。

 「……何のために、こんな通路を?」

 リアンは少し考え、壁に手を当てた。

 「戦時の抜け道……かもしれない。けど、使われた形跡が少ない」

 サラが小さく眉をひそめる。

 「じゃあ、ここで“何かが起きた”ってことね」

 リアンは静かに頷く。

 「そうだな。……時間だけが、証人だ」


 やがて、階段は終わりを告げた。


 目の前に広がっていたのは――

 冷えた空気に満たされた、石造りの広い通路。

 天井は高く、アーチを描くように湾曲している。

 古代王国の意匠が、風化した線でかろうじて形を留めていた。


 壁には擦れた紋章。

 床には砕けた甲冑、折れた剣、崩れた盾。

 金属の匂いと、遠い昔の血の残り香。


 空気は沈黙を孕み、

 その沈黙そのものが、まるで“記憶”のように漂っていた。


  サラが足を止めた。

 「……戦場跡、ね」


 その声は、石の壁に静かに反響して消えた。


 リアンは膝をつき、散らばる鉄靴のひとつに手を伸ばす。

 指先が触れると、古びた金属が脆く崩れた。

 鎧の中身はとうに失われ、乾いた骨が粉のように散っていく。


 けれど――胸当ての表面には、まだ刻印が残っていた。

 ひび割れの隙間に、微かな光が宿る。


 そこに浮かび上がったのは――ヴァルメリア帝国の紋章。


 「……帝国兵。ここまで侵入してたのか」

 リアンの声が低く落ちる。

 サラは周囲を見渡し、唇をかすかに動かした。

 「でも、全員倒れてる。……誰に?」


 その答えは、すぐに見えた。


 通路の奥――薄い靄の向こう。

 わずかな光に浮かび上がったのは、ひとりの騎士だった。


 灰色の鎧。錆びも崩れもせず、まるで時間を拒んだかのように立ち尽くしている。

 剣を地に突き立て、頭を垂れる姿は、祈りにも似ていた。


 背には――グランゼルド王国の国家紋章《聖剣と光輪の盾》。


 リアンが息を呑む。

 「……王国の騎士……ここを守って……」

 サラがわずかに頷いた。

 「侵入してきた帝国兵を、一人で止めた……そんな感じね」


 リアンは慎重に歩み寄り、騎士の額に刻まれた紋章を見上げた。

 薄闇の中、その線は淡く呼吸しているように光っている。


 「……これは、“守護型”の構成だな」

 リアンの掌に刻まれた風紋が、わずかに反応する。

 感じたのは、敵意ではなかった。

 “警戒”――そして“忠誠”。


 まるでまだ生きているかのような、確かな意志の残滓だった。


「……まだ、守ってるのか」

 リアンの声は、どこか震えていた。

 「誰も見ていないのに……」

 サラが少しだけ目を伏せ、静かに言う。

 「見てなくても、守るのが“騎士”ってやつでしょ。……あんたみたいにね」


 ――その瞬間。


 空気が歪んだ。


 「――下がって!」

 サラが叫び、リアンの腕を引く。

 直後、通路の奥から瘴気を纏った影が飛び出した。

 獣のような咆哮。

 闇を裂いて突進してくる。


 リアンが障壁を展開しようとした、その刹那――


 一閃。


 音が、消えた。

 光だけが走った。


 次の瞬間、魔物の身体が真っ二つに裂かれ、

 瘴気ごと崩れ落ちる。

 空気が、わずかに澄んだ。


 「……動いた……?」

 サラの声が震える。


 灰の鎧が、ゆっくりと動いた。

 無音のまま、剣を元の位置に戻す。

 その動きは、機械のような反射ではない。

 ――明確な“意思”があった。


 リアンは目を見開いたまま、かすかに呟いた。

 「……“守った”んだ」


 騎士の額の紋章が、淡く輝いている。

 その光は敵意を持つ存在だけを識別し、確実に討ち滅ぼす。


 リアンたちは攻撃されなかった。

 むしろ――“通すべき者”として認められたように、

 光の内側で、ただ見守られている気がした。



だが、瘴気は止まらなかった。

 通路の奥で、闇がうねる。

 壁の紋様が震え、空気が鈍く鳴る。


 ――その闇の中から、再び“影”が生まれた。


 獣の形をした黒塊が、咆哮とともに這い出す。

 ひとつ、またひとつ。

 無数の目が光り、石壁に赤黒い反射を落とす。

 通路の空気が、唸りと圧に揺れた。


「……まだ来る」

 リアンが顔を上げた。

 サラは剣を構えながら苦笑する。

 「まったく、忙しい亡霊たちね」


 灰の騎士は、一歩も退かない。

 剣を地に突き立て、静かに俯く。


 刹那――床を走る光。


 石畳の継ぎ目から淡い紋が広がり、

 通路一面を包む光輪へと変わる。

 震える空気の中、背後の闇がざわめいた。


 そこから現れたのは、十二の影。


 ――白灰の鎧を纏った、名も無き騎士たち。


 騎士の記憶と誓いに呼応して、

 彼らは静かに姿を取った。

 名も、声もない。

 ただ主の意志に応えるように、剣を構える。

 リアンは息を呑んだ。

 「……英霊……!」

 サラが目を細める。

 「まるで……“呼ばれた”みたい」

 リアンが頷く。

 「彼の記憶と誓いが――仲間を呼んでる」


 瘴気の群れが吠える。

 床石を砕きながら突進してくる。


 ――しかし、音がない。


 英霊たちは一歩も乱れず前進した。

 剣が風を裂き、鋼のきらめきが闇を貫く。

 衝撃音すら、どこか遠くに押しやられたように鈍い。


 倒れた魔物は瘴気ごと霧散し、光の粒に変わる。

 それは炎ではなく、祈りのような光だった。


 誰も叫ばず、誰も退かず。

 ただ、“守る”という意志だけが、そこに在った。


 サラは息を詰めたまま、微動だにしない。

 「……誰に知られず。ずっと1人でか……」


  リアンは頷く。

 「“立ち続ける”という誓いなんだ。最後の門を守るために」

 サラが目を細める。

 「……見てるだけでも、胸が痛くなるね」



 戦いの光景は、まるで幻だった。

 やがて瘴気の波が途絶え、

 風が止み、世界が静けさを取り戻す。


 通路には、灰の鎧と、沈黙だけが残っていた。

 英霊たちは光の粒となり、主のもとへと還っていく。

 その背中は、満足でも悲哀でもなく――ただ穏やかだった。


 リアンはゆっくりと歩み寄り、

 剣を地に突き立てたままの騎士の前に立った。


 「……ありがとう。あなたの誓いが、この地を守ってくれた」


 灰の騎士は動かない。

 ただ、その額に刻まれた紋章が、かすかに、微光を放った。


 サラが静かに言う。

 「導くの?」


 リアンは黙ってその姿を見つめた。

 「……わからない。どちらが正しいのかも」

 サラが目を伏せ、静かに微笑む。

 「なら、今はそのままでいい。迷うことも、導きの一部でしょ?」


 リアンは小さく息を吐いた。

 「……あなたの“在り方”を、覚えておく」


 そう言って、深く頭を垂れる。

 その額の紋章が、一瞬だけ光を返した。


 まるで――沈黙の中の、微笑のように。




 通路を出たとき、白花の花弁がひとひら、風に乗って舞った。

 リアンがそれを目で追い、ぽつりとつぶやく。

 「……まるで、誰かが“見送っている”みたいだ」

 サラが小さく笑う。

 「そうかもね。……きっと、“立ち続けた人”が」


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