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『魂を導く紋章師、死者の誓いを継いで世界を救う』  作者: nukoto


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第10話 灰眼の鎮魂者と沈黙の牙

 白の光が消える頃――灰の霧が、別の地を覆っていた。


 南西の丘陵地帯。

 風は音を失い、空気は重く沈む。

 朽ちた村の残骸が、地に縫い付けられたように沈黙していた。


 腐り落ちた井戸。焼け崩れた納屋。散らばる白骨。

 ここでは時間が止まり、“死”だけが息をしている。

 風の流れさえも、過去の呻きのように淀んでいた。


 その中心に、黒衣の男が立っていた。

 灰の瞳を持つ導き手――イオ・クローヴ。

 彼は静かに目を細め、霧の奥を見つめていた。


 「……ここは、言葉を持たない魂が多い」


 崩れた石碑に手を置く。

 冷たい感触とともに、途切れ途切れの声が胸へと流れ込んだ。


 《たすけて……たすけて……》

 《こわい……おかあさん……》


 飢えと恐怖。孤独と絶望。

 生きることすら赦されなかった者たちの、微かな残響。


 イオは静かに目を閉じる。

 その背に、足音がひとつ。


 「西に三体。姿は犬型。……村の護獣だった痕跡がある」


 〈沈黙の牙〉アレッサ・ヴォルク。

 片目に巻いた眼帯、手には双剣。

 その声には冷静さの奥に、優しさが潜んでいた。


 「ありがとう。……未練だけが残っているようだ」


 イオは立ち上がり、ゆっくりと息を整える。

 次の瞬間、背中に刻まれた紋章が光を帯びた。


 《寂光の鎖環》。

 鎖と円環の意匠が浮かび上がり、地を這うように伸びていく。

 金属とも霊音ともつかぬ低い響きが、空気を震わせた。


 鎖が鳴る――それは、“鎮魂”の合図。


 「いま、導こう。……鎮まれ」


 呻きが、地の底からあふれ出す。

 瘴気が渦を巻き、腐敗した毛皮と砕けた牙を持つ影が這い出た。

 人と共に暮らしていた獣たちが、飢餓と恐怖の果てに変わり果てた姿。


 《……まもる……こども……》

 《……おなか……すいた……》

 《……ちかよるな……!》


 「イオ、来るぞ!」


 アレッサが動いた。

 足音を残さず滑り込むように、一体の脚を断ち切る。

 双剣の刃が閃き、淡い残光が地を這った。


 《幻影の月輪》――。

 月光を思わせる幻影が残り、魔獣たちの視界を狂わせる。

 その間に、彼女は二体目の喉元へ刃を突き立てた。


 「視界、乱した。今のうちに!」


 イオは頷き、ゆっくりと歩を進める。

 最後の魔獣が、怨嗟と悲鳴を混じらせて牙を剥く。

 その声は――泣き声に似ていた。


 《……ごめ……ん……おなか……すいた……》


 イオの灰眼が揺れる。

 「……怖かったんだな」


 掌が淡く光る。

 灰色の鎖が、静かに地を這っていく。

 《寂光の鎖環》が反応し、魔獣の脚を縫いとめた。


 「もう……戦わなくていい」


 鎖が絡み、包み込む。

 その動きはまるで、母の腕のように穏やかだった。

 やがて、異形の身体が崩れ落ち――魂が露わになる。


 イオはそっと手を差し伸べる。

 「――導きの鎖」


 鎖が宙を舞い、魂を引き上げる。

 光は震えながら、彼の胸元へ吸い込まれていく。

 それは、彼の中で“祈り”へと変わる。


 「……この痛みは、もう君のものじゃない。還るんだ」


 囁く声に応じるように、光がほどけ、霧散する。

 地を覆っていた瘴気がゆるやかに薄れ、灰の風が吹いた。


 ――静寂。


 アレッサが双剣を収める。

 「……終わったの?」


 イオは短く息を吐き、頷いた。

 「ああ。……ようやく、眠れた」


 彼は崩れた石碑の前に戻り、膝をついて手を合わせる。

 「……どうか、この地に、二度と飢えと絶望が訪れぬように」


 その背を見つめながら、アレッサがぽつりと呟く。

 「イオ……また、泣いてる」


 イオは小さく笑った。

 「……俺は、まだ過去を赦せていない。だけど――」


 「なら、私が傍にいる」


 アレッサは静かに隣に立ち、灰色の空を見上げた。

 「この目で、あの地獄を見た。今も、見てる。

 だから私は、あなたの剣でいる」


 イオは静かに頷く。

 「ありがとう、アレッサ。……君がいるから、俺はまだここにいられる」


 灰の空に、淡い光が差し込む。

 二人の影が重なり、鎖の輪が柔らかく光を返した。


 それは、痛みを抱いたまま他者を救おうとする魂の輝き。

 導き手と守り手――その絆が、静かに寂光の中へと溶けていった。


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