第三話「殺されかけた少年」
聴取から何日か後、病院から退院許可が出て、僕はタクシーに乗り、川村さんと共に彼女のマンションへと向かう。
行き先を運転手に告げたきり、帰り道で彼女は一言も口をきかなかった。おそらくは僕に─少なくともこの少年に─気を遣っているのだろう。川村さんはただ、額を車窓に押し付けて外を流れ去っていく風景を眺めるともなく眺めているだけだった。
僕はというと、混乱する頭をどうにかして整理し、冷静させる必要があったので、誰かと言葉を交わす余裕はなかったのだ。
実際僕らは二人の刑事が帰った後、しばらくしてすっかり口をきかなくなったのだ。最初のうちは彼女は僕に話しかけようとし、励まそうともした。しかし僕は混乱のあまりに口から出た言葉はすべて実体も重みも持たない、意味のない空気の振動しかなかったので、彼女もそのうちに口をきかなくなかった。
彼女はただじっと病院の窓の外を眺め─時間をともに過ごすようになってから川村さんは実によく窓の外を眺めることがわかった─思考に耽り、時折僕の手に手を重ねて優しくさすったり、力を入れて自分の生気を与え分けようとするかのように強く握ったりするだけだった。
たまに思い出したようにに皿からリンゴを手に取り、その姉を思い出させる手つきで剥き僕に差し出す。僕はそれを受け取り口に入れて細断機のようにかみ砕き、やはりこの女性からは酒の匂いが染みついてるなと思いながらそれを飲み込む。味はしない。リンゴの匂いもしない。彼女から放たれた酒の匂いしか臭覚が頑なに捉えようとしない。特に聴取からはそれはさらに妙に強烈なものとなった気がする。
身体は真夜中の海のように凪いでありながら頭はひどく混乱し、奔流のように強烈な嫌悪感がザーザーと激しく流れ、血管を伝って指先に流れ込み、つま先に流れ込み、腹の中に流れ込んで体の末端に激しい嫌悪感で満ちていくのが耳に聞こえる。
「殺人未遂」と聞かされたときは、まあ、別段驚くことはなかった。
薄々そうではないかと気がしていたからだ。そのこと自体は驚かない。鏡に映してみたところ、だいたいの予想はついたし、殺されようともしなければここまでとことんと叩き潰されて痛めつけられないだろう。逆にそうではないほうが不思議なくらいだ。
人を殺すのに様々な理由がある。あるいは何一つ理由もなく手当たり次第で殺していくこともある。僕はこの少年が殺されかけたそれらの理由を聞かされることになる。知りたいか知りたくないかといえばよくわからない。しかし知らなければならない気がする。僕は心を決して耳を澄ませす。古代に失われた鳥のさえずりを耳で探すかのように。
「まずは謝罪をさせていただきたい!」と、二人は額を床にこすりつけんばかりに深く頭を下げる。
「この度、我々の不届きで君たちが傷つけられたことになってしまい、お詫びのしようもない!」
部屋に入ってきたときの間延びしてのんびりした声は嘘であるかような切実な声だった。
「やめてください。顔を上げてください。お願いしますから!」突然謝られてもそもそもこの体は僕のではないのでどうしようもないのだ。誰かの頑張って作った作品を奪い取った気分になって慌ててベッドから起き上がろうとすると激痛に襲われ、痛みに引っ張られてベッドに無理やり戻された。
「とりあえず顔を上げてください。お願いします」痛みを耐えながら僕は言う。
しかしさっき彼らは確かに「君たち」と言っていた。
中年男性は顔を上げ、目頭にうっすらと浮かんだ水滴を手の甲で拭う。
丸椅子を引っ張り出して腰をおろした。そして、深刻さの漂う部屋の中、少年に起きたことが僕に明かされる。




