第二話「川村美由紀」
登場人物の名前は日本の名前にさせてもらいます。文化もあって名前や呼び方などで人間関係や対人関係を表すのが日本語特有で僕は好きです。母国語にもそうした種の表現がないわけではありませんが、英語や日本語のように奥深いものではなく、なかなか的確に言い表わせません。
物語の背景は様々な文化が混ざり合って完全架空の世界として成り立っています。土地を表すときは「A町」「A市」「A区」のようにさせていただきます。
どうかよろしくお願いいたします。
僕は川村さん─川村美由紀。僕を助けてくれた女性の名前。最初はなぜかお姉ちゃんと呼んでと要求されたが、知らない女性を馴れ馴れしくお姉ちゃん呼びをするなんて気恥ずかしくてできないし、それにお姉ちゃんと呼ぶこと自体に対しても僕には別の抵抗があったので、なんとか川村さんと呼ばせてもらうことに成功した─のところに泊めてもらうことになった。
身分証もなければお金もない。携帯も財布もない。身元を示してくれる代物は一切にしてない。
自分は誰なのかを知るすべはない。警察に任せるしかない。
僕が目を覚まして、その旨のことを説明されたときに川村さんは言った。
「じゃあ、私のところに来る?」と。「私があなたを見つけたから、なんというか、宝を発見した海賊の責任っていうやつ」
彼女の吐息から微かな酒の匂いがする。
「なんですかそれ」
「名言っぽいでしょ?何を隠そう!私の言葉でした!」
なんという調子のいい女性だ。それにつられて体を走る激痛を耐えながら僕も笑う。
「ちょっと、笑わせないでください。あばらがいたいじゃないですか」
「ごめんごめん。で、どう?来る?来ない?」
「で、どうって言われましても。大丈夫ですか?身元不明の男を家に置いておくって。僕だって自分が誰なのか自分でもわからないんですよ。何かをやらかしてきたのかも。何かをやらかすのかも。」半分は事実で半分は嘘だ。
僕は自分が誰なのか─つまり、前世の僕─を知っている。そして前世の僕は何をやらかしてきたかというと、後悔と自殺だ。
しかし今、僕の魂とでもいうなのか、宿っているこの体は誰のものなのかは知らない。
鏡に映してみたが、絆創膏に隠された頬の傷と包帯に巻かれた頭の傷と体中の青紫色の痣を除けばかなり美少年であることだけはわかった。
歳はおそらく前世の僕と同じく十五か十六といったところだろう。
迂闊に触れると折れそうな華奢な細い脚と腕。片方の腕は首からサポーターで吊るされて骨折用キャストの中に、脚はおぼつかなく、あまり力を入れることができない。
肋骨が何本が折れており、何かが胴体に巻かれている。
動いてはならないと、看護婦に念に念を押すように何度も言われたが、どうも気になって仕方がなかった。それにもう夜中だったし、僕を叱る誰もいなっかた。
前世の僕に「美」の字の欠片もないが、醜くはなかった。すれ違っても、誰も振り返らない。目を引かない。一瞬でも目を離せば記憶からぽつりと抜け落ちる。認識されないいわゆる影の薄い存在というやつだ。
一人称もとりあえず前世の「俺」を「僕」に変えた。その方がこの美少年に幾分か似合いそうだからだ。
「大丈夫って何が?まさか君が私に何かをするつもり?」彼女は僕をからかうように言った。
「いや、そうじゃなくてです。ただほら。僕、その、わからないですよ?身元とか」
「大丈夫大丈夫。悪い人でもなさそうだし、それに君、お金も行くところもないでしょ?それとも私が嫌?」
「いやではないですげど」手を前に振りながら慌てて言う。首もついでに振ろうとしたが、激痛に襲われてやめた。しかし誰なんだこの美少年をこんな風にまでしたのは。
「じゃあ問題ないでしょ?警察の人たちもずっと病院に置くわけにもいかないと言ってるし」
窓の外を眺める彼女の横顔に一瞬ではあったが、どことなくやるせない微笑みのようなものが口に浮かべ、「それにね・・・」と、何かを言おうとして、見えない誰かに牽制されたかのように、ぐっと飲み込んで口をつぐんでしまった。
「それにね?」僕の気のせいではないか、聞いて確かめてみる。
「ううん。なんでもない」弱々しく首を振る彼女からはやはり酒の匂いがする。初めて会ってからずっと彼女の周りを漂う匂いだ。
「はああ・・・」聞かれたくないことは聞かないでおこう。
「そういえば、病院代は誰が払ってくれるのですか?僕、お金ないよ?」
「もちのろん。私が払うよ」
「え?そんな」言葉に詰まってしまう。
なぜこの川村美由紀という女性はこんな身元不明の男の子にこんなに親切にしてくれるのだ。
「いいのいいの。気にしないっ気にしない。好きでやってるから。それにほら、海賊の責任」
「でもそういうわけには」
「いけるいける。私がいけるって言ってるからいけないわけがないってば」頬を膨らませ、口を尖らせて少し不満げだ。
僕はそれ以上追及することをやめた。理由はどうであれ、差し伸ばされた救いの手を取ることにした。
話題を変える。
「そういえば警察は?聞き取りとかいろいろあるじゃないですか?」
「聴取ね」皿からリンゴを取り出し、剥きはじめながら川村さんは言う。細長い綺麗な五本の指、艶のある爪、手慣れた果物ナイフの手つき。
一瞬、その姿が姉のことを思い出させた。
今頃、姉も誰かの体宿って、生活を営んでいるだろうか。それを知るすべは僕にはない。だがそうであってほしい。
身勝手な思いであることは重々承知している。だがそうであれば少し、僕の救いになれるかもしれない。そうだといいなと思いながら、僕はぐっと涙をこらえ、声を裏返らないように、どうにか答えた。
「はい」
「私のが終わったよ。君のはまだだけどね。容態が安定してからお願いしますとお医者さんが言っていた。で、君はもう大丈夫だと思う?」
この体が誰のものなのか、なぜ僕はこの体に宿ることになっているのかを除けばかなり大丈夫、とは言えない。
「かなり平気です。痛いは痛いですが、なんとか」ややこしいところを伏せて答えた。
「じゃあ、今日か明日来るかもね。おっかいないよ、おっちゃん達は」くすくすと笑う。
「おっかなくてすまないなぁ」気だるく間延びした声が川村さんの背後から響いた。
ひっ、と小さく悲鳴めいたものを川村さんは上げる。
「ごめんなさい」
「いいよいいよ。別に初めて言われたことじゃないし」刑事らしき中年男性はひらひらと手を振る。背後に控えた若い男性はすまなさそうに微笑を浮かべた。
「で、体の具合はどうだ?」刑事らしき男性が言う。
「はああ、おかげさまでなんとか」
「じゃあ、聴取はいいかね?」
「はい」




