伊勢新九郎異聞~続・老龍、老獅子~
(上杉家にも戦巧者がいるものよ)実田城に兵を籠められ、出動を牽制させられた。勝者のはずの河越城が陥落するのをむざむざ見せつけられている早雲庵宗瑞は、嘆息しただろう。
扇谷上杉家は、朝良の甥、朝興が当主となった。もっとも、重臣団が抵抗したため、依然扇谷上杉家当主の職務は朝良が執る形になった。
さて、朝良の降服により、山内上杉家が勝利した。
にもかかわらず、早雲庵宗瑞は、扇谷上杉家の協力要請を大義名分にして、相模の各地を蚕食していく。
永正二年(一五〇五)といえば、細川政元の恋人・薬師寺元一が反乱を起こし、かつて元一を擁護してやったことのある義澄との仲が険悪になっている。
(もはや中央なぞ知らぬ)
早雲が欲していたのは、大義名分だけだった。さんざん相模を押領すると、永正三年(一五〇六)には相模で初めてとなる検地を行い、自分が支配者だと誇示した。
もう、扇谷上杉家と山内上杉家の抗争を棚上げして、扇谷上杉家の領地をぶんどっている状況である。
さらに、永正四年(一五〇七)
永正の錯乱が起こり、細川殿の変で、政元が討ち取られる。九条家出身の澄之が当主となり、逃れた阿波家の澄元とそれに協力する野州家髙国が、澄之を自害へ追い込む。
下剋上である。
越後上杉家でも、変が起こった。政元と結んでいた当主・上杉房能が、守護代の長尾為景に殺され、彼が傀儡政権を樹立した。
長尾能景─長尾為景である。
(錐が、嚢を突き破る世になったわい)
先年能景にしてやられた宗瑞は、苦笑しただろう。
さらに将軍・義稙の帰還。
中央など知らぬとうそぶきつつも、中央情勢は地方にまで波及する。
能ある鷹が爪を隠さぬようになった。ーー新九郎は、むしろ、長尾父子に親近感を抱いていたのではないか。
政元─義澄政権の崩壊によって、室町幕府の圧力は消滅した。新九郎は、長尾為景と同盟を結び、山内上杉家を牽制する。
上杉謙信はしばしば関東を侵していた印象があるが、その父や祖父の代には、後北条氏と同盟し、上杉氏を押領していたのだ。




