俺の、選んだ道
翌朝、俺は、国王・エドヴィンと、騎士団長・ガレスを、書庫に、呼んだ。
二人に、術式のことを、告げた。元の世界に、帰れること。元の身体に、戻れること。
二人の顔が、こわばった。エドヴィンは、青ざめ、ガレスは、拳を、握りしめた。
「……行って、しまうのか」エドヴィンが、掠れた声で言った。「リョウ。そなたが、いなくなれば、この国は」
「大丈夫です」俺は、遮った。「この半年で、仕組みは、作りました。監査の制度も、徴税の仕組みも、もう、わたし一人に、依存していません。人も、育ちました。……国は、人ではなく、仕組みで、回すべきです。わたしがいなくても、この国は、もう、大丈夫だ」
俺は、二人を、まっすぐに、見た。
「そして、お二人に、言っておかなければ、ならないことが、あります」
俺は、息を、吸った。この話を、するのは、俺の、四十八年の人生で、最も、不慣れな種類の、話だった。
「わたしは、お二人の、想いに、気づいていました。遅ればせ、ながら。……そして、その想いに、応えることは、できません。理由は、言えません。ただ――わたしは、お二人が、思っているような『女』では、ないのです。それだけは、確かです」
二人は、俺の言葉の、本当の意味を、理解は、できなかっただろう。だが、俺の、真剣な声色から、これが、拒絶ではなく、誠実な、告白であることは、伝わったようだった。
「……そして、お二人に、頼みが、あります」俺は、続けた。「わたしを巡って、対立しないでください。お二人は、この国の、王と、剣です。お二人が、いがみ合えば、国が、揺らぐ。……わたしが、去った後は。どうか、二人で、この国を、支えてやってください。それが、わたしの、最後の、願いです」
エドヴィンと、ガレスは、顔を、見合わせた。ずっと、互いを、恋敵として、意識してきた二人が。初めて、俺という「共通の想い人」を、失うという、同じ痛みを、分かち合った。
「……わかった」エドヴィンが、静かに言った。「そなたの、願いだ。守ろう」
「ああ」ガレスも、頷いた。「あんたが、遺したこの国を。俺たちで、守る」
*
術式が、発動する、その日。
俺は、あの、召喚された広間に、立っていた。半年前、絶望とともに、呼び出された、あの場所に。
術者が、詠唱を、始める。魔法陣が、光り出す。
俺は、最後に、集まった人々を、見渡した。エドヴィン。ガレス。侍女のマレナ。俺が、この半年で、共に戦った、仲間たち。彼らの顔を、目に、焼き付けた。
――と、その時。俺は、自分の心が、静かに、決まっていることに、気づいた。
「……術者殿。止めてください」
俺は、言った。
広間が、どよめいた。
「わたしは――帰りません」
俺は、光る魔法陣から、一歩、外へ、踏み出した。
「元の世界に、帰れば。元の身体に、戻れば。わたしは、また、あの、味気ない日常に、戻る。それも、悪くは、ない。だが……わたしのやった仕事が、まっすぐに、人の暮らしを、変える。この手応えを、知ってしまった今。あの日常には、もう、戻れない」
俺は、エドヴィンを、ガレスを、見た。
「それに――わたしを、必要としてくれる人が、ここには、いる。男だった頃、わたしは、誰にも、必要とされなかった。女になった今、わたしは、初めて、それを、知った。……皮肉な話だが。この身体で、得たものは、思っていたより、ずっと、多かった」
俺は、笑った。慣れない、女の顔で。だが、心からの、笑みだった。
「わたしは、この国に、残ります。財前亮として。いや――リョウとして。この、女の身体と、おっさんの中身。その両方を、抱えて。まだ、やり残した仕事が、山ほど、ある。徴税制度は、まだ、粗い。教育の制度も、作りたい。福祉も。……この国を、本当に、立て直すまで。わたしは、ここで、生きる」
術式の光が、消えていった。俺を、元の世界へ運ぶはずだった、魔法陣が。静かに、その光を、失った。
俺は、選んだ。帰る道ではなく、残る道を。男に戻る道ではなく、この身体のまま、生きる道を。
どちらも、俺だ。二十六年を役所で生きた、財前亮も。この半年、異世界で国を立て直した、リョウも。その両方を、抱えて、生きていく。
エドヴィンが、ガレスが、そして、集まった人々が、俺を見て、笑った。泣きながら、笑う者も、いた。
「……さて」俺は、袖を、まくった。慣れた仕草で。「感傷は、ここまでだ。仕事に、戻りましょう。来期の、予算編成が、待っている。……この国の、帳簿は、まだまだ、直すところだらけだ」
異世界の、朝の光が、書庫の窓から、差し込んでいた。
その光の中で、俺は――中身はおっさん、姿は女勇者の、風変わりな官僚は。今日も、帳簿を、めくり始めた。
立て直すべき国が、目の前に、ある。それで、十分だった。




