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第1話 少女の涙は雨と消ゆ


 その日は夜明け前からしとしとと雨が降り続いていた。

 石畳の細い路地の入口に、人だかりが出来ている。後ろの人は背伸びをしたり、屈んだりして様子をうかがっていた。差している傘が花束のようだ。


「お姉ちゃん! お姉ちゃぁん!!」


 路地の中から少女の悲痛な叫びが、雨を切り裂く。


「うあぁぁぁっ!!」


 厚い雲に日光が遮られ、日が昇っているのに建物に挟まれた路地は薄暗い。


 十代半ばの金髪の少女がすがりついているのは、横たわっている細身の女性だった。雨でぐっしょりと濡れた少女は、女性にしがみつく。

 その女性の身体は、すでに体温を失っていた。


 水色のワンピースから覗く細い手足には痣《あざ》が無数についている。

 顔は見るに堪えないくらい、腫れ上がっていた。片目がつぶれて見えない。美しかっただろう顔の面影はなかった。


 蹴られ、殴られ、痛めつけられたことは明白だ。

 齢二十に届くかどうかの命は儚く散った。


 黒い制服を着た憲兵は泣きじゃくる少女を遺体から引きはがす。


「ほら、どいてどいて」


 なるべく優しく、憲兵は少女の身体を起こした。力任せに動かしたら折れてしまうのではないかと思うくらい、少女の身体は華奢だった。

 金髪の少女は抵抗しようとしたが、軽い身体は簡単に持ち上げられてしまった。


 少女は青い瞳で憲兵を見上げる。


「お姉ちゃんを殺した奴、捕まえてくれるよね? ねぇ!?」

「あー、わかったわかった。探すから」


 一緒にいたもう一人の憲兵が布を広げながら気のない返事をした。

 二人の憲兵は声をかけ合いながら女性の遺体を布にくるむ。


 少女はただ、見ているしかなかった。茶色のスカートを握りしめ、ぐっと歯を食いしばる。


 彼女にはわかっていた。姉を殺した人物が捕まることはない。

 この平民街で殺しは日常茶飯事。憲兵たちは犯人の捜査などまともにしない。


 どれだけ気の毒に思っても、大人たちとて見て見ぬふりをするしかないのだ。


 少女の身体を雨が伝い落ちる。どれだけ濡れても、内にある悲しみと憎しみは流れ落ちることはなかった。


 だから少女は、他のものにすがることにした。子供の自分に出来ることはないとちゃんと理解している。

 部屋の中をひっくり返し、ありったけの金をかき集めた。


 それでも千二百ケイズにしかならなかった。レストランで食事をしたら、一食でほぼなくなってしまう金額だ。


 金髪の少女はかき集めた金を握りしめて町の外に出た。


 町の外には、ひとつだけ教会がある。通う人などいない、古ぼけた教会だった。


 そこに行けば、願いを叶えてくれる女神像がある。大人たちの噂話を聞いた。


 迷信でもいい、嘘でもいい。


 何かにすがりたかった。


 緊張した面持ちで、少女は軋むドアを開けて中を覗き込む。誰もいない。

 ステンドグラスから差し込む光が、床をカラフルに照らしている。

 礼拝用の長椅子が所々斜めになって並んでいた。壊れて半分になっている物もある。


 正面の奥には白い女神像が佇んでいた。布で身を包み、訪れた者たちに微笑みを向けるよう、俯き加減になっている。


 金髪の少女は吸い込まれるように中へ踏み入った。靴の音が大きく反響する。


 少女は女神像の前まで来ると、その姿を見上げた。ステンドグラスの光で神々しく感じる。

 女神像は優しい微笑みを浮かべていた。


 少女はハッとして、手にしていたお金を全て台座に置いた。チャリンッと硬貨の甲高い音が教会に響く。

 それから女神像の前で膝をつき、スカートをきつく握りしめる。


「……お願いです」


 少女の声は震えていた。


「お姉ちゃんを殺した奴を、同じ目に遭わせてください。これしかお金はありません。どうか、お願いします」


 青い瞳から涙がこぼれ落ちる。少女は何度も「お願いします」と小さく繰り返した。


《その願い、承った》


 女性の声が降って来た。


 金髪の少女は驚いて女神像を見上げる。女神像は微笑みを浮かべたままだ。少女の顔が緩む。


 フラフラと立ち上がり、少女は教会を出ていった。


  ☆


 ここは喫茶店キャットテイル。猫好きの店主ジリアンが付けた名前だ。店内には猫のインテリアが様々置いてある。


 ちなみに看板猫はいない。


 代わりに、看板息子はいる。


「いらっしゃいませ!」


 爽やかな容姿で女性客の心を掴んで離さない青年クリフだ。藍色のストレートヘアを短く整え、客を出迎える金色の眼差しは穏やかな光を湛えている。


 おかげであまり広くない店内が満席になることもままある。


 腕まくりをした白いワイシャツに黒いエプロンで働く彼を一目見ようと、わざと店の前を通る女性までいるほどだ。


 昔からの常連客は、少年の頃から働いているクリフを知っているため、その成長に感慨深さを感じている客もいる。


 店主のジリアンとは血縁関係ではないが、親しい間柄で働かせてもらっていた。

 ジリアン自身、クリフを息子のように思っている部分もある。


 今の時間帯は客が少なく、カウンター席に座る年配の男性が一人いるだけだ。

 男性のために入れたコーヒーの香りが店内に漂う。


「やれやれ、最近は若いお嬢さんが多くて入りづらいよ」


 白くなった髪を撫でつけながら、年配の男性がため息をついた。この店のコーヒーを愛飲する常連客の一人だ。


 クリフは苦笑いを浮かべるしかない。


「この子が愛想を振りまき過ぎなんだよ。悪いね」


 ジリアンがガシガシとクリフの頭を撫でまわす。抵抗しないクリフは代わりに口で対抗した。


「愛想よくって言ったのはマスターでしょ?」


 クリフの頭から手を放し、ジリアンは赤い瞳でジトッと睨む。赤茶色のショートボブもわずかに揺れた。


「加減ってもんがあるだろうが。この女たらし」

「やだな、人聞きの悪い」


 ジリアンの指摘に、クリフは肩をすくめる。勝手に絆されたのはあっちだ、と言ったら敵を作りそうなので言わないでおく。


「それより、お使い頼むよ」


 ジリアンはサンドイッチの入ったバスケットに布をかける。


「はいはい」


 クリフはそれを受け取って店の外に出た。

 明るい日差しが町を照らしている。先日の雨が嘘のようだ。


 クリフは一瞬、目を細めて歩き出す。届け先はいつもの教会だ。彼の足なら十五分も歩けば着く。


 石畳の街並みはいつも通りだった。

 表通りは綺麗に整えられており、一歩裏通りに入れば無法者たちが闊歩している。


 妙な薬を吸って動けない男に手を貸す者はいない。

 男女が絡み合っていても気に留める者はいない。

 憲兵が金を貰っていたとしても、咎める者はいない。


 これが平民街の、この国の日常だ。法はあり、法はない。


 ただ貴族街はここまで酷くないと聞く。平民街とは壁で隔たれているため、中の様子を知る平民はいない。

 知っているのは貴族と取引のある商人くらいだろう。


 大事なお届け物を奪われないために、クリフは大通りを通って教会に向かった。


 町の中に佇む教会は歴史を感じさせる趣があった。

 オレンジ色の屋根に、真っ白だった壁の教会。


(そろそろ外壁掃除、手伝わされるかな)


 汚れてきている外壁を見て、クリフはぼんやりとそんなことを思った。付き合いがある分、力仕事となると呼び出される。


 彼が足を向けたのは正面の入り口ではなかった。左手にある、裏口だ。

 ノックをして、返事を待たずにガチャリと開ける。


「どーも、喫茶キャットテイルでーす」

「ノックしたなら返事を待ちな。マナーのなってない小僧だね。養父《おやじ》そっくりだ」


 陽気なクリフの声に対し、中にいた人物の声は不機嫌だった。

 椅子に腰掛けていたのは老齢のシスターだ。修道服に身を包み、しわの刻まれた手でティーカップを持っている。お茶を飲んでいる最中だったらしい。


 クリフは言われ慣れている様子で気に留めていない。持ってきたバスケットをテーブルの上に置いた。


「はい。マスターから」

「ありがとうね」


 老齢のシスター・アイリスはしわがれた声で礼を言って頷いた。それからゆっくりとポケットに手を入れ、中から小銭を取り出す。バスケットの隣にそれをジャラッと置いた。


 それを見たクリフは目を細めた。


「今回は随分と細かいな」

「これが有り金全部だとよ」


 シスター・アイリスは両手でカップを包み込んだ。

 クリフは小銭の弾くようにしながら数えた。全部で千二百ケイズある。


「依頼人は十四歳の女の子。金をだまし取られて取り返しに行った姉が"酷い目"にあわされて殺されたそうだ」


 シスター・アイリスは静かにカップを口に運ぶ。


「標的は?」


 クリフの金色の視線がシスター・アイリスに向けられる。


「西区にいるウロボロスを名乗る連中だ」

「ただのチンピラじゃねーか。全滅でいい?」


 呆れ顔になるクリフにシスター・アイリスは頷いた。


「構わんよ。勢力図が傾くわけでもない」


 クリフは百ケイズ硬貨を右手で一つ摘まみ上げる。指先を器用に動かし、表面と裏面を交互に見た。何の変哲もない硬貨だ。

 たった一枚のこの硬貨にどれだけの思いが詰まっているのか。


「よくある話だな」

「ああ、よくある話だ」


 素っ気ないクリフの言葉に、シスター・アイリスも同様に返した。


 この町では、珍しい話ではない。いつでも泣き寝入りするのは弱者だ。


 クリフは指先で弄んでいた百ケイズ硬貨を手の中に収めて立ち上がる。

 そのまま出ていくクリフの背中にシスター・アイリスが声をかけた。


「残りは?」


 千百ケイズがまだテーブルの上に残っている。

 クリフは振り向かないまま、右手の人差し指と中指で百ケイズ硬貨を挟んで振る。


「これで十分。今日中に終わるよ」


 パタンと裏口が閉ざされた。


 彼を見送ったシスター・アイリスはやれやれ、と息をつく。


「そういう所も、養父《おやじ》に似たねぇ」


 彼女は呆れつつも、どこか嬉しそうな顔だった。


お読みいただきありがとうございます。

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