第二楽章 聖剣と騎士王
約束の18時…
ウェールズのロンダ。その少し外れのペンブロークシャーの駅で待ち合わせなのだが…
「ステラさん…遅いですね…」
まだ約束の時刻になったばかりとは言え、ステラらしき姿は何処にも見当たらない。
それにさっきから…
「ねぇねぇ、暇してんの? 俺らと遊びいかない?」
何だかいやに男に話しかけられる…
それも皆下心見えみえの軽い笑いだ。
ともあれ邪険に返すのも悪いので、さっきからあう人皆に丁寧にお断り申しているのだ。
疲れる…―――――
「人と待ち合わせているので。お気持ちだけ受け取っておきます」
「いいじゃん、さっきから見てるけどだいぶ此処にいるよね。もう来ないって。俺と遊ぼうよ?」
ああ、なんで毎回…――――
「お断りします。彼はそんなひとじゃありませんので」
内心かなりイラついている。小さいメガネをクイッと押し上げ、眼を少し細め、それを暗に知らせるのだが…
「今日はそういう日なんだって!ね? いいじゃん!」
相手は全然察してくれないのである。
あまつ、手まで握ってきやがった。
殴り飛ばそうかと考え始めたころ……
ブロロロンン………キュっ!
黒光りする車体、排気量は750程とみてとれる大型のバイクが目の前に止まった。
いつもは開いているコートの前をピッチリしめた、見知った彼。
フルフェイスのヘルメットを外したとたん、長い髪がサラリと揺れ落ちる。
やっと来てくれた。10分遅刻…
「ごめんね、オセリア。道が分かんなくなっちゃって。って、えと…彼は?」
「いままさに誘拐現場です」
「えっ!? 君ちょっと!」
「えっと、取り敢えず殺しとけばいいの?」
そういった途端、男は一目散に逃げていった。
オセリアは、ステラに頭から寄りかかり深く溜め息を吐いた。
「助かりました…しつこくで困ってたんです…というか、遅いですよ」
「あ、うん。反省してる。ていうか、あれはオセリアも悪いし」
「何がですか!?」
自らが悪いと言われては、黙ってられない。バッと顔をあげ、抗議にでる。
しかし論争にはならなかった。
「いや、何ていうか。不可抗力ではあるんだけどね…」
「はっきりしなさい」
ズイッと体を寄せるオセリアから、ステラは僅かに身を引く。
「だからね。オセリアが綺麗だから皆声をかけてくるわけで…―――」
「なっ!? ななわわわ、わた、私が、ききき?」
ボンっという音が聞こえそうなほど、一気に真っ赤になるオセリア。
深い緑髪で腰以上の長さがある綺麗なストレート。それをゴムを使わずポニーに結って、肩から前に降ろす。
落ち着いた雰囲気とメガネ、さらにややつり眼が完璧にインテリ系を満たしている。
タイトスカートとスーツを着せたら、超がつく美人秘書の完成だ。
「相当な美人だよ。だから、一人でいればナンパも仕方ないじゃん」
「あ、えと、その。美人なんて、初めて言われました…」
あたふたとしているオセリア。実際、言われたことはなかったが幾度か求婚された覚えはあった。
ブリジットと並んでしまえば、その美貌は霞んでしまうし、側近たる彼女のことを主の前で美しいといえるつわものは誰一人としていなかったのだ。
「ん、そう。まぁ、そういうことだから。乗って」
ステラは既にバイクに跨って、エンジンをかけていた。
「あ、はい」
オセリアもちゃんと跨り、ステラにしがみ付く。どうやらオセリアはノーヘル走行する気らしい。
「オセリア。その教会跡ってどこ?」
「郊外の海の側です、って先ほどからなぜオセリアと呼ぶのですか?」
「いや、前会った時から呼んでたけど。嫌かい?」
「それもそうですね。もう関係ありませんし。オセリアで構いません」
「んじゃ、行こうか」
爆音を立てて、バイクは快調に走り出した
こうしがみ付かれると、相手の体のラインは嫌でもわかってしまう。
オセリアもなかなか…
控え目だが、弾力は…うん。
ちなみにステラも現在はノーヘル。だいぶ暗くなってきたので視界確保のためだ。
バイザーを上げればいいという問題でもなく、へんに汗をかくので、中のパットが気持ちわるかったりする。
「ステラさん」
オセリアが遠慮がちに話しかけてきた。といっても風鳴りがあるので、殆んど大声だ。
「何かあったんですか?」
「っ!!?」
「きゃっ」
ドキリとして、思わず操作を誤ってガードレールに突っ込みそうになる。
ギリギリのところで曲がりきり、一安心したのも束の間、オセリアの追及がまっていた。
「危ないじゃないですか!! そこ右です」
「え、こっち住宅街…――――」
と訝しいながらもそれに従うステラ。そして程なくして、
「ここで止めて下さい」
一つの変哲のない一軒家の前に止まり、オセリアはヒラリと飛び下りた。
「あぁ、バイクは敷地に入れて下さい」
ステラはエンジンを切り、何もないガレージにバイクを止めた。
「こっちですよ。早く」
「うわっ」
スタンドを下ろした途端に首根っ子を引っ張られ、ぐいぐい引きずられる。
オセリアの手には、何やら可愛げでダルそうにした、でも何か癒されそうなクマのキーホルダーがついた鍵があった。
となると、ここはオセリアの隠れ家なのだろうか。それにしては、堂々たる建て方だ…
オセリアは玄関に来るとその鍵でロックを外し、室内に入った。
ステラも遠慮がちに中に入る。異常なほど真っ暗で、一寸先も見えない漆黒…
「いま灯りをつけますから、動かないで下さいね。それと、扉は閉めて下さい」
闇にオセリアの声だけが響いて、何だか不思議な感覚だ。
ステラは言われた通りに扉を閉め、それと同時に照明が灯された。
突然の光に一瞬眩いを起こすが、それが治まり周りを見ると、そこは何とも小洒落た空間だった。
やや弱めの白熱灯がオレンジ色に室内を照らし、アンティークめいた家具が置かれて、小さな鉄製のテラステーブルの側には二つのソファがあった。
テレビはないが、そこはくつろげる空間に間違いない。
「何か、いい部屋だね」
ステラは素直に感想を述べた。
「そうですか? 本当はシャンデリアも欲しかったんですけど、さすがにこの狭さでは無理でした。あ、適当に座ってて下さい。いま、お茶を出しますから」
なにげに凄いことを言ってキッチンへと消えていくオセリア…
シャンデリアって…ウチでもそんなことしなかったよ…しかも狭いってねぇ…一人で暮らすには決して狭くないこの家を…
ステラはソファに座り、一息吐いた。こうして何もしないで時間を使うのは久しぶりかもしれない。
いつもなら、起きている時は何かしら目的をもって行動していて、そうでない時は眠っていた。
暇な時間、何もすることがなく、ただ時間だけが流れていく空間。
それはきっと、大切なモノだ。
そういえば…あの本、読みかけだったけ…
ふと、出会いの日に読んでいて、それっきりの本のことが思い出される。
あれから1年と少し…―――
本当に刺激的な日々で、退屈なんてしない非日常。
だからか、最近は妙にこういう緩やかさが心に留まる。
『離れていた分だけ魔法』は、こんな日常にも適応されるのだ。
「お待たせしました。ロイヤルミルクティーにしてみましたが…」
二つのカップが乗った皿を置き、オセリアは空いている向かいのソファに腰を下ろした。
ステラはカップを取り上げ、ゆっくり静かに口を付ける…
「ん…―――おいしい。何かホッとするなぁ」
「それはよかった。おかわりはありませんから、味わって飲んでください」
そう言って、オセリアは柔らかく微笑んだ。
意外だった。いつも厳しそうなオーラを纏っているのに、こんな笑いかたも出来るのか、とステラは思ってしまった。
二人は言葉を交すでもなく、静かに紅茶を飲む。それは本当に暖かな空間だった。
「さてと… 一体何があったんですか?」
「っ!?」
危うく吹き出すところだったが、もうカップには残っていなかったので、大事にはならなかった。
しかし、不意打ちは卑怯だ…
「何って…何が?」
「それを聞いているのですが…――― 昔から勘は良いんですよね。バイクと言い、妙な落ち着きといい、ちぐはぐなんですよ」
「や、えっと… 特に考えてバイクとか買った訳じゃないんだけど…」
そう、単に乗りたくなっただけ。一通り教習は受けて大型の免許も持っているので、今まで持っていなかった事が不自然といえる。
「考えてないから、わかるんですよ…無意識の行動ほど心境が出るものありません」
そうかなるほど。言われて見ればというやつだ。確かに、鈍くはなさそうだ。
しかし、話して良いものか…これはステラ自身の問題であり、他を介入させたくない。
自分でカタをつけないといけないものだ。
「話さないと…いけないか?」
ステラは静かに言った。
「それは… そういうわけではありませんが… あなたとはこれから背中を預け合うのです。相棒とは互いのことを支え合うもの。だから、あなたのお役に立ちたいのです」
オセリアは申し訳なさそうに言ったが、眼差しは本当に心配しているそれだった。
ステラは軽く溜め息を吐く。こういう真心を無気にするようには育てられていない。
「良いよ。心配かけちゃ悪いから、話すよ。ただし、条件付き」
「はい?」
オセリアが首を軽く傾げた。何かギャップで可愛い…
「敬語、何とかならないの? それと、さん付けも。他人行儀でしょう、それは」
「あ、の…それはちょっと……敬語は癖みたいなものですし、呼び捨てなんてそんな…」
何故かとんでもなく狼狽するオセリア。
「これがのめないなら、話はしないし、手伝わない」
ステラは無情にも言い放った。最大の武器をチラつかせる…
しかし、オセリアの返事は意外なものだった。
「え? 手伝ってくれるんですか?」
「は?」
何を言ってるんだコイツは…
「だって、手伝うかはまだ分からないって…」
そう言われて、あぁ、と思った。そう言えばそんな事いったな、と。
ステラの中では、姉の事があってから手伝う事が確定していたのだ。
「で、条件は呑めるの?」
「いや、その…」
「無理なの?」
「そんなことは…」
「はい、じゃあ、呼び捨ててみようか」
良い笑みのステラ。完全に楽しんでいる。オセリアもそれはわかっているのに、何故か反論ができない…
「あ、の…」
「ス、テ、ラ」
「す、て……ら…」
「はっきりと」
「意地が悪いです…」
思わず本音が口を突いて出た。
頬を朱に染め睨んでくるオセリアは、またまた意外な一面で可愛い。
だが、そんなアホな事を考えているステラは気付かなかった。
世の中には…やってはいけない事がある、と。
オセリアは静かに立ち上がり、ステラの後方ヘと周り込んだ。
そしてしっとりと、首に巻き付くように腕を絡ませてきた。
途端にステラの心臓は早鐘を打つ。何かが不味い…
「ステラ…」
オセリアが自然に呼び捨てをした。しかしそれは危険な香りを放ちまくっている。
「私の一族は、名前に大きな意味をもたせているのですよ。その名を呼び合うのは、婚約に等しい。それは、お互いが呼びあった時点で成立します」
「………ぁ、ぅ」
「大切に、してくださいね。貴方が言ったことなのですから…」
「あ……そ、れは……」
ステラが慌てはじめたので、オセリアはステラを解放した。
「嘘ですよ。仕返しです」
「あ、ぅ?」
ポカンと口を開くステラの間抜け面に、思わず吹き出しそうになる。
「今のは作り話ですよ。ただ、人には無理矢理踏み込んではいけない領域というのもあるんです。よく覚えておいてください、ステラ」
「あ、ぅ。ごめん…」
やはりステラには、他人にいじることは出来ない。逆に手玉にとられるだけだ、と思い知った。
オセリアはソファに座りなおし、残っている紅茶を飲み干し、カップを置く。
「さぁ、話してくれますね」
これも半ば無理矢理だが、ステラのように楽しんでいるわけではない。
少しの沈黙のあと、ステラは口を開いた。
「家族が。一番大切な家族が、ヴァンパイアに殺された。それだけだ」
淡々と、まったく抑揚なく無機質に喋る。うつ向き加減で表情は見えず、性格に心境を測れない。
「それだけって……そんなものなんですか?」
オセリアは軽く怒りを込めて言った。だが、凛とした冷たさも、ステラを動かすには及ばない。
「感情的には、そうとうキテるよ。でも、事実はそれだけ。何もしらないまま、知らない場所で死んだ。本当に死んだかもわからないだろう。でも、間違いなく死んだんだ」
「確かにそうかもしれません。ですが、いまの言葉では、感情すら動じていないように見えます」
淡々とした言葉。普通は有り得ない平静。オセリアには理解出来なかった。
だが、そこから間違いなのだ。
「そう。ならこう言おうか。ヴァンパイアの血族全てを狩り尽したい、と」
刹那のどす黒い殺気…髪の毛の隙間から見える紅い左眼の憎悪の渦…
ステラは平静なんかじゃない…ただ、抑えていないといけなかっただけなのだ…
すぐに殺気は消えた。だが、オセリアはそれ以上は喋れなくなってしまった。
「俺も莫迦じゃない。アポロを殺したヤツだけを殺すさ。だが、それに立ちはだかる者は例外なく殺す。邪魔は一切許さない」
それは誰にでもなく、しかしオセリアも含めて放たれた言葉だった。
だから、オセリアも邪魔はしないと表明した。
「残念かどうかはわかりませんが、貴方が復讐で殺すことになるのは多くて二人ですよ。我々は組織でした。全てのヴァンパイアが属しているものではありません。そして先日、貴方の家族と思われる方が本拠地を壊滅しました。その方を殺した、将軍ディアス以外に生存者は居ません」
「なんだ、って…」
ギルバートよりも詳細な事の起こり…
「邪魔をするのは、『彼女』くらいでしょう。まぁ、それが流れにない事柄ならば、ですが」
訳の分からない言葉の羅列。理解が及ばない。思考が乱れる考える事が出来ない頭がいたい意味不明理解不能思考カットカットカットカット―――――――――――
考えてはいけない…理解出来るところから、一つずつ処理していけばいい…
「……んっ。何で、そんなに詳細が…」
「あの建物のセキリュティーは私の手が入っているからです。それはもう、あらゆる方面の」
オセリアは嘘は言っていなかった。
「『彼女』って…?」
「よくは知りませんが、『クロニカ』と呼ばれる者です。直接姿を見たのは一度きり。顔は分かりませんでした」
アポロに関する、欠けたピースは繋がった。アポロの死の理由が解り、目的もより明確になった。
将軍ディアスが対象だ。
ステラは一度深呼吸をし、言った。
「ありがとう。助かったよ」
「話して良かったでしょう」
ステラは素直に頷いた。話したら、少しだけ毒気が抜けた気がする。
きっと彼女とは良い関係が築ける。
暫く、時間が空いてからオセリアは切り出した。
「では、落ち着いたなら行きましょうか。ロジャーが待ってます」
立ち上がり、玄関に向かう。
数歩進んで未だ立ち上がらないステラを振り返り、ただ柔らかい微笑を浮かべ、何も言わずに待っている。
ステラもやっと立ち上がり、オセリアの横に行く。そしてそのまま二人は外に出た。
夜道を漆黒のバイクが走り抜ける。
赤いテールランプが軌跡を描き、まるで紅い蝶が飛んでいるかに見えた。
それが止まった先は、廃墟とも見える修道院だった。
「此処が…」
「はい。ペンブロークシャー修道院跡地。ロジャー・ベーコンの住まいです」
背面は断崖絶壁の海、すぐ近くには大亀裂。
立地場所からして異常な建物…
その廃墟は、夜中という状況の助けもあってか、随分とホラーめいていた。
これで雷でも鳴ったら完璧だな…夜だから鴉はいないみたいだけど…
しかも何か結界っぽいのが…
「大丈夫ですよ。見た目はアレですが、内装は普通ですから」
「あ、うん。」
ステラは敷地に足を踏み入れ、そして驚いた。
結界はどうしても空気の流れを遮ってしまう。結果、空気は淀み、常に結界を張っている所などは、あまり気分の良いものではないのだが…
「凄い……こんな清らかな空気…」
「……えぇ。そうですね…」
淀みなど一切なく、少し冷たい清らかな空気。結界の外よりも、もしかしたら空気は良いかもしれない。
まさに、清浄だった。
オセリアに案内され、建物のホールから三階に登り、数ある部屋の中の一室の前で止まった。
元は恐らく院長の部屋だったなか、そこだけ扉が一際大きかった。
やはりボスは例に漏れず、一番デカい扉の中らしい。
オセリアがノックして、声をかける。
「ロジャー、ステラベステートを連れてきました」
すると、くぐもった声で、どうぞ、と返ってくる。
またなんともダンディな声の持ち主だ。
オセリアに促され扉を開けると、そこは……ほとんど何もない質素な部屋だった。
重そうな机と、筆記用具に書類、本棚。
無駄か全くない。
そして、そこの窓辺にステラと殆んど変わらない背丈の長身痩躯の老人がいた。
白髪は短めに刈り込まれ、ダークスーツを着込んでいて、清潔感がある。
なかなか悪くない…
「君が、『星空』か。いや、ふむ…」
何事か呟き、ステラをジロジロ見てくる…
ステラは何だか面持ちが悪くなってしまう。いきなりガン見は居心地悪い…
そんなステラの態度に気付いたのか、ロジャーは軽く笑って謝罪した。
「いや、すなまい。てっきり優男かと思っていたのでね。君は何とも……そう、深い、な」
「はぁ…」
「ロジャー。私達には時間がありません。手短にお願いします」
拉致があかなさそうだったので、オセリアが流れを立てる。
確かに時間は余りないかもしれない。
ここに入ってから、オセリアの顔色が急速に悪化していっている。
「あぁ、そうだな。特に君は。早速で悪いがステラ君にはこれを読んでもらおう」
そう言って、ロジャーは一冊の本を差し出した。
真っ黒な表紙に印刷はなく、タイトルもない。
それどころか、これは印刷物ですらないようだった。
背表紙を見ると、下の方に金字で[21]と書かれていた。
「それの、842ページからの記述を読んで欲しい。」
言われた通り、ステラは本を開いた…
読みはじめた瞬間、最初の一行から、これが何なのか理解出来た。
最初の一行…
[夜魔の頂点たる種族により、回帰のための組織が設立。しかし、血族の姫君が失踪。その後追跡を開始するものの、生還者はなし。音楽の都にて『星空』が介入。以後、行動を共にする…]
あとは、流し読みだった。
『協力者』
『咎世の巫女』
『銃使い』
『人形師』
『断罪の末裔』
『創作者』
見知った言葉が多々見受けられた。
笑いが込み上げてくる…記述は未来にまで及んでいて、これからどうなっていくか、明確に書かれていた。
おかしい…笑えるのが当たり前だ。
今までのステラ達の旅路や、ブリジットの話と面白いほどにかさなる。
まるで予言書じゃないか…出来すぎな物語だ。
このタイミングでこの本が出てくるのも、都合がよすぎる。
まるで、選べ、と言っているようではないか。
夜魔の一族の組織の目的には、理屈にあわないところがあり、容易に裏があるとわかるように記されている。
姫君の目的にも、本管とは別のものが有ることは明白だった。
咎世の巫女に至っては記述そのものが曖昧だが、『新世界への扉』の召喚という大掛かりなことを行うと書かれていた。
星空の動きも、ただ姫君から離れたわけではないことは明白だった。
本当に……出来すぎている…
そして記述は未来にまで及んでしたがステラは、未来の記述は二行だけ読んで本を閉じた。
この先は、ただ面白いでは済まない…
「其処にある『星空』と言うのは…」
「言わなくていい。聞く気もない。俺は俺のやりたいようにやる。」
ロジャーの言葉を遮って、傍若無人な発言を放った。
ロジャーは苦笑したが、怒りはしなかった。それどころか、どこか楽しそうな笑みを称えていた。
「それも良いだろう。だが、聞いておくだけ聞きなさい。『星空』は運命の影響を常人より強く受ける。運命とはすなわち歴史の奔流。数多いる人は運命の影響を強くは受けない。だが、『星空』は違う。覚醒すれば力を持ち、力は力を引き寄せる。衝突は避けられない。いや、もう既に引き寄せているか…
君は何故、ブリジット嬢に付き従う?」
「そんなの面白そうだからにきまってるでしょうが」
何を当たり前な、とそんな馬鹿にしたように答えるステラ。
ロジャーとは相性がよくない。ギルバートとは別種の嫌悪を抱いていた。
「ヴァンパイアの組織の方が面白いなら、そっちに付いたかもしれないし、もっと面白いことがあればそっちに流れるかもしれない。別にね、地球がどうとか世界がどうとか使命感なんてないんだよ」
場を圧倒し、異論を許さない。口をついて出てくる言葉は全くの本心だった。
「単に混沌回帰なんてされたら、俺も故郷の人達もみんな死んじゃうから嫌なだけ。別に地球の裏っ側で災害が起きて何万人って死んだってなんとも思わないっての。実際みんなそうだろう。スマトラ島の地震があったときもヤーパンで原発事故があったときも、自分にはかかわりのないことだって思ったはずだ。募金だってただの気まぐれみたいなものだろう。あれはその地の人のために行たわけじゃない。自分の自尊心や自己肯定のために行ったに過ぎない。」
いつになくステラは饒舌だった。何かは知らんが、鬱憤をはらすかの如く、洪水さながら口から言葉が滝の様に溢れてくる。
「……ふむ。本当に君は面白いな。またこれは…面白いから、か。ただそれだけの理由」
ロジャーは本当に楽しそうだった。子供のように眼をキラキラ輝かせ、次には何を言うのか、と待ち焦がれているようだった。
しかし、もうこれで終わりだ。期待に応えるなど気分が悪い。
「『星空』なんて知らないし、こんな予言書紛いなんて興味ない。全く幻滅したよ。稀代の魔術師がこんな訳の分からん本を鵜呑みにするなんて。本当かどうかそれが証明されているとでもいうのか。長生きしたかったら外界にも出なよ。諸国漫遊すれば良いよ。ミトコウモンみたいにさ」
何だか訳の分からない捨て台詞みたいなのを吐き、ステラはオセリアの手を引っ張って部屋を出て、勢い良く扉を閉めた。
オセリアの手を引いて出口まで歩く間、ステラはまだ何事はブツブツ言っていた。
幻滅だとか、アホかとか…
どうやらロジャーに相当な憧れがあったようだった。それが一気に崩れてしまったのだろう…
文句を垂れつつも残念そうなのはその所為だ。
と、オセリアの躯が突然フワリと浮いた。と思ったらステラの腕に収まっていた。
いわゆるお姫様だっこ……
「なっ、ステラ!いきなり何を……」
「何言ってんの…滅茶苦茶顔色悪い癖に。歩くのも随分辛そうに見えたからだけど」
「ですが…」
「何、嫌なの? おんぶにする?」
からかいなのか天然なのか……本気とも冗談ともつかない発言をするステラ。
そういう問題ではない、とツッコミたかったが、既にそんな気力はなかった。
ステラの言う通り、かなり体調は悪い…立っているのも実は辛かったのだ。
だがしかし、だからと言ってお姫様だっこは……
恥ずかしい…
別に誰も見ていないが恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「すみません…」
オセリアは素直に甘えることにした。
「ああ」
ステラは何故だか嬉しそうに頷いた。
修道院の外に出ると、大分気分が良くなった。
二人はバイクに寄りかかり、少しだけくつろいでいた。
「もう大丈夫なの?」
「えぇ、私も魔ですから。霊的に清浄な空気はあまり良くないんです。跡地とはいえ修道院ですから。だから外に出てしまえば治るのも道理でして」
「そっか。うん、良かった。病院連れてかなきゃいけないかなって、少し困ってたからね…」
ヴァンパイアが人の医者にかかっても大丈夫なのかと、心配していた。
それを察してオセリアは苦笑いをする。
「基本的に身体構造は同じですから…問題はありませんよ」
まだ寒い星空に、笑い声が響いた。
本当に明かりは星明かりだけで、街灯もなにもない。
漆黒の闇になるかと思ったが、星の光は意外に明るい。
蒼い光を浴びて、陰を落とす。
柔らかい風が吹き、二人の頬を撫でていった…
サワサワと、草の音が耳に心地よく潮の香りが鼻をつく…
満天の星空…今宵は新月。星屑は一層輝き、本当に宝石箱をひっくり反したようだった。
手を伸ばせば届きそうで……開いた手はただ空を虚しく掴むだけ…
いや、彼女が受け止めてくれた。
暖かい体温が手を包み込む。驚いて彼女を顔を見ると、そこには綺麗な微笑みがあった…
オセリアはそっとステラの手を握った。
「気持ち良いですね…」
「そだね……」
また風が頬を撫でていく。
オセリアの揺れる髪がどことなく艶やかなのは何故だろうか…
「ブリジット様が貴方を気に入る理由が分かった気がします…」
そんなことを呟くオセリアの表情は、髪で隠れてわからなかった。
「貴方は、自由で、子供みたいに無邪気で、そして……」
とても強くて、輝きを持っている…
そう言いたくて、言えなかった。
言ってしまえば…
「それって莫迦にしてる?」
そんなステラの言葉で現実に引き戻された。
とても悲愴感漂わせてこっちを見ていた。
確かにあれでは莫迦にしている。
オセリアはおかしくなって、ついクックッと笑ってしまった。
「うわヒドッ!? 莫迦にした挙げ句笑うのかよ!」
「いえ、そんなつもりは…ククッ! あはっ。ちょっと…おかしくてっ」
堪えきれず笑い声が夜空ひ響きわたった。
「あ~、久しぶりに大笑いしました」
「そりゃ良かったですね…」
ステラはもうどうでも良いと言うか、呆れが入っていた。
「さて、と」
といってバイクにヒラリと飛び乗り、エンジンをかけた。
「家に戻ろうか。ちょっと寒い」
「家には戻りません。このまま街に出て、夜行に乗ります。まだ時間はありますし」
「夜行って、どこにいくつもりだい?」
「あぁ、まだ言ってませんでしたね。コーンウォール地方に行きます。内容は車内で話しますから」
あぁ…晩御飯はジャンクフードか…
と内心嘆きつつ、オセリアを後ろにのせたステラはバイクを軽やかに発進させた。
ロジャーは二人が去って行くのを窓辺で見ていた。
楽しそうに、この上なく愉快そうに、笑って…
「黒の予言書は改竄を許さない、か。クロニカ…貴女が本腰を入れないなら、分からなくなりますよ。それとも、改竄を望んでいるのか…―――――」
オセリアの話はまた随分と突拍子もないものだった。
夜行列車の個室で食べていたジャンクフードをおもいっきり吐き飛ばしてしまったほどだ…
幸いオセリアにはかからなかったものの、窓が汚れて処理に手間取った。
しかし、あんなものを見せられたら信じざるを得ない。
三大聖剣の集蒐…基本的には借り受けらしいが、既に二本は確保していてそれを見せられた…
ローランの歌の聖剣、デュランダル
ニーベルンゲンの歌、ジークフリードの聖剣、バルムンク
そしてこれだ。
「アーサー王の聖剣エクスカリバーを借りに行きます」
これが吐き出さずにいられるだろうか……
他の二つを見せられなかったら、多分笑い飛ばしていたはずだ。
そんなこんなで、半信半偽のままコーンウォールのエクセターまで来てしまった。
そこから乗換えで、ブリテンの最西端、ランズエンド岬に到着したのは、昼過ぎだった。
そこは、世界の果てだった。
昼間だと言うのに人も少なく、吹き荒れる海風が眼に痛い。
殺風景という言葉が、これほど似合う場所をステラは他に知らなかった。
今日に限ってなのか、そうじゃないのか…海は荒れ、灰色の空が広がり、およそ観光スポットらしくなかった。
「此処の何処にアーサー王がいる…?」
「此処のは入口です。王が居るところは、この世の何処にもない所、ですから」
そう…何処にもない。何処にでもあって、何処にもないトコロ…
「目を瞑って下さい」
オセリアの真意はわからなかったが、ステラは素直にしたがった。
視界が暗転し、何も見えなくなる。と、突然オセリアがステラの手を取った。
「私を信じて、付いてきてください。目を閉じたまま、絶対に足下の感覚を確認しようとしないで」
「あ、うん。わかった」
ステラはオセリアに引かれるままに歩いた。何処までも真っ直ぐに…
曲がった感覚もなく、ただ、岬から真っ直ぐ歩いている…
―――――――――…え?
「はい。もう良いですよ」
ステラはゆっくりと眼を開く…
そこは…理想郷だった…
霞が漂い、花の甘く芳しい香りが満ち、整えられた庭園には四季を無視した花が咲き誇る。
そして白く輝く大理石で出来たお城…
そこへ伸びる小道。
いうなれば…此処にはメルヘンが具現化していた。
「此処こそが、かの有名なアヴァロン。アーサー王が求めた最後の地。そして、あの城が…」
「キャメロット城…」
アーサー王の物語の栄華全てがここにある…
だが…
「からっぽだ…」
中身がない…
外面だけが美しいだけで、その根底には何も感じられない…。そう例えるならば、張りぼて。
確かにきれいだが、すべては偽物。生命の躍動など感じられなかった。
「当然でしょう。此処はいわば異界。我々に理解出来る中身を期待するほうが異常です」
なるほど。それもそうか。と一人で納得するステラ。
実際、外観のことなどどうでもいいし、用があるのはアーサー王だけだ。
ギィイイイッ…
もの凄く重い扉は、盛大な音を立てて軋み開く。
城に踏み入った二人を出迎えたのは、外とはうってかわった陰気さだった。
薄暗く、内装も為されていない建てっぱなし。
本来の古城建築などは、このようなものなのだろうが、漆喰や壁紙になれている現代人としては、石壁がむき出しというだけで陰気さを感じてしまう。
そしてまた城の入口が境界なのか、空気が全く違う…
淀み、というほどのものではないのだろうが、空気は停滞し理想郷とは程遠い、冷たい、乾いた空気がそこにはあった。
そんな中、中央階段に座りうつ向いている金髪の青年がいた。
白銀のチェストメイル。全身を覆うプレートメイル。銀の小手…蒼銀の騎士がそこにいた。
「何者だ…」
全く覇気のない声。
「アーサー王に用があって来た。エクスカリバーを借り受けたい。王に謁見願いたい」
その時、騎士は初めて顔を上げた。その眼を驚きに見開いて…
「貴様…―――『星空』か。『星空』には我が聖剣を貸与する訳にはいかなう。疾く去るがいい」
また…星空の単語。
「煩いな、『星空』って。俺はそんなんじゃない。いいから王に会わせろよ。話は直接つけるから…――――って、あれ? あんた、さっき我が聖剣って…」
青年騎士はゆらりと立ち上がる。
「貴公が求める王は私だ。アルトゥール・ペンドラゴン。アーサー王とは私の事だ」
唖然とするステラ。オセリアも同じだ。全く予想だに出来なかった。
アーサー王がこんな若い男なのか。
「持て成したいところだが、生憎何もない。それに貴公の願いは叶えられない。遠路遥々申し訳ないが、疾く去るがいい」
丁寧な物言いだが、そこには王たる威厳が確かにあった。
だが、王だろうが何だろうが引き下がる訳にはいかない。
「我々は王の聖剣が必要なのです。今、世界は歴史の流れを強めています。それを遅らす、あわよくば止めるために」
交渉ごとはオセリアの分野だ。
彼女に任せるのが一番だろうが…しかし…
「どういった理由であれ、『星空』に聖剣を渡す訳にはいかない。」
王は一筋縄ではいかない。というよりも、初めから渡す気がないのなら交渉の余地などないのだ。
恐らく、何を言っても駄目だろう。駄目なら…
「駄目なら、それなりの理由はあるはずだろう。遠路遥々の土産に、それくらいは聞かせてくれても良いんじゃないの?」
王と分かってもタメ口なステラ。蛮勇なのかただの馬鹿なのか、恐れ知らずなのか。果たしてそのどれでもなかった。ステラは肩書にひれ伏すことなどないのだ。王という装置に対して、それがたとえ教皇や大統領だといしても、かしずくことは決してあり得ない。尊敬とは肩書にするものではないからだ。
しかし、アーサー王は特に気にした風もなく、寧ろ新鮮で心地良さそうだった。
フッと溜め息のような笑いを漏らす。
「良いだろう。私にも語る義務がありそう」
王はゆっくりと口を開く。
「『星空の煌めき』…通称『星空』は、英雄の隠語。歴史に現れし数多の英雄…ヒトに望まれ、ヒトのために働く彼らは…神代には各国に同時に存在したこともあった。歴史の流れに選ばれ、英雄は生まれる… しかし、その末路は悲惨なモノでしかなかった」
「救世主にしろ英雄にしろ、必要な時が過ぎれば、力を持ちすぎた邪魔者にすぎない。邪魔者は排除される…歴史にヒトに、な。オルレアンの聖女も、異端審問で火刑にされた。アイルランドの光の神子も、自害を強いられた。フランク王国の英雄も、陰謀の内に叔父に殺された。古代ウルクの王も、友に裏切られ…」
それは悲痛の叫びだった。
「そして私も…治世が築けた途端に、仲間に裏切られ、側近と刄を交え、息子と敵対し、民に棄てられ… あのカムランの丘で…私は……っ!!」
青年の…若き王の悲痛は、痛いほど伝わってきた。
理想を持ち、国と民のために奔走し、名君で在ろうと、国の繁栄のためと、小さきを切り捨て多くを守った…
何かを犠牲にせねば守れない。
彼はそれを体現した…
しかし、それ故に彼は国に滅ぼされた…
「貴公はまだ『星空』として確定していない。今ならまだ引き返せる…。私の手で…私が『星空』になってしまった原因たる、選定の剣を元に作ったエクスカリバーを渡すことで、貴方が『星空』になってしまっては、私は耐えられない…っ」
アルトゥールは言葉を詰まらせ、うなだれた…
どれほどの後悔があっただろう…
しかし、ステラの視線は極めて冷たいものだった。
「要は何、お前が不幸に陥って、歴代の『星空』も不幸だったから、俺を『星空』にしたくないって?そんなんだから、『アーサー王には人の心が分からない』なんて言われるんだよ」
オセリアは驚いてステラを見た。共感し同情しこそすれ、批判などいったい何故できようか…
オセリアは理解出来なかった…いや、出来るはずもなかったのだ。
一度、死ンダ者ニシカ分カラナイ…
「なん…だと…」
王は冷たい怒りを宿してステラを睨みやる。しかし、そんなものに怯むような戦いはくぐってない。
「あんたはただ自分に酔ってるだけだろう。つうか、それの何処が不幸だっていうんだよ。甘えんな、それでも王か。あんたも、歴代の英雄達も、殺されたのは自分に原因が帰結するんだよ。それを何かになすり付けて不幸ぶってんじゃねえ! そんな理不尽な死なんて、この世の何処にでも転がってる。掃いて捨てるほどにな!」
理不尽な死など災害が起きるより簡単に訪れるのだ。納得できる出来ないなど死には関係のないことだ。
「ジャンヌ・ダルクの処刑は敵国派だった貴族によって行われた。当たり前のことだろう。当時の王がそれを止めなかったのも英雄が祭り上げられたら治世を揺るがすからだよ」
それは、彼女にとって理不尽だっただろう。だが、王にとっては真っ当なことだった。英雄は神聖視される。それは力弱き王の権威さえも揺るがす。
「クーフーリンは強すぎて、味方にまで恐怖されたから自害させられたんだよ。味方にまで恐怖与える強さっていったいなんだ。何故その強さで逃げ切らなかった」
クーフーリンはその誇りに殉じた。騎士としての誇りに生を捧げたのだ。それの何をもって不幸というのか。
「ローランも考えなしに危険な地に叔父を送るから復讐にあった。ギルガメッシュも圧政を敷いたから反乱が起こった。全部自分のせいだろうが!」
誰も言い返すことは出来なかった…
「あんたもだアーサー王。治世の崩れは何処からだったと思う。最初からだ。お前は国を守ることしか考えず、国民に対して心を尽くさなかった。臣下に対して、妻に対してあんたは心を向けなかった。ただ国を救い守る装置に誰が心を預けると思う。あんたの所為でランスロットは裏切りの騎士にされたんだ。
姫に求められ、あんたを知ってるランスロットは姫の気持ちを反逆とすることが出来なかった。
だから匿うために逃げた…
裏切りの騎士の汚名を被り、忠誠を誓った王に殺されようとも、彼は騎士道を守り抜いたんだ。
だけど、名君であるあんたには彼らを処断せざるを得ない。治世が乱れるからな。だが、そこから更に乱世に入っていく」
「よせ……」
「母を殺された息子、モードレットが反逆した」
「やめろ……」
「あんたが遠征にでている間に、反旗を翻した。凱旋するはずだったあんたは、反軍となり息子と殺し合った」
「やめ、ろ……」
「かつての仲間をその手にかけ、仲間を死なせ、最期まで付き合ってくれたベティヴィエールのことも省みず……自らの過ちを悔いることなく、己の不幸を憐れんだ。自らの過ちで死なせた仲間を想うことなく、彼らを恨んだんだ!!」
「違う!! 私は……わたしは……っ」
伽藍洞に響きわたるステラの怒声とアルトゥールの叫び。
「私はただ…。ただ、この国を守ろうと、救おうとしただけなのに… なぜみんなそれを分かってくれない… 私はただ、この手の届く範囲だけでも、平和に、豊かにしたかっただけなのに…」
一粒の雫が、彼の頬を伝って落ちた。
「わたしのせいで…っ」
響きわたる慟哭。数百年遅れの、同胞への懺悔だった。
平和のためと泣いた彼は、かつて国を守るために一つの村を犠牲にした。当時の戦とは村々を襲っていきそこで補給をして進軍するものだ。
ならば先に補給元を断ち、敵を迎え撃とうという作戦だった。それは至極合理的で、しかし決してとってはいけない手段でもあったのだ。
結果として、ブリテン軍は被害を最小限に抑え、侵略者を退けた。村を守っていれば、其れこそ甚大な被害が出ただろう。村一つの命では足りないほどの血が流れただろう。
彼は正しかった。それは誰もが認めていた。だが一方で、正しければ冷酷無比な決断を下す彼に対する不信感は募っていった。
そして、かの丘で・・・。
「剣を執れアーサー王。その剣が貸せないというのなら、力づくで持っていく」
うなだれるアルトゥールに対して、ステラは容赦なく闘志をむき出しにする。
「ちょ、ステラ! 何を考えているのですが! かつての英雄に敵うとでも…」
「あんな府抜けた奴に負けるかよ。姉さんのほうがよっぽど怖い」
そう言い放ち、ステラは紅胡蝶を構える。
「さあ、立て。そして構えろアーサー王。それともそのまま首を落とされたければ、望みどおりにしてやるよ」
「…――――府抜けといったか」
ゆらりと立ち上がる王。それはまさに、厳然たる王の姿だった。
「思い上がるな、只人よ。霊格からして異にする英雄に敵うとでも思うのか」
「思うね。お前の英雄譚はお前だけの者じゃない。お前の仲間があってこそのお前の強さだ」
それは挑発か、あるいは指摘なのか。しかし、アルトゥールはフッと笑ってその聖剣を抜いた。
さやから抜かれる音さえも、しゃらん、とまるで音楽のように響く。彼の剣はまさに妖精が鍛え、湖の乙女によって打ち直された聖なる剣だった。
「そこまで大口をたたくのなら、お相手いたそう。いざ、尋常に勝負―――――!」
その声と同時に、二人は爆ぜる。
伽藍道に響き渡る、剣戟。剣の軌道が奇跡となって何合も打ち合う。
剣が合わさるたびに爆風が起こり、城内は一瞬にして嵐のただなかへと変貌した。
打ち合う音が途切れる前に次の剣戟が合わさる。途切れぬ一本の戦いという音楽が剣戟によって奏でられる。
アーサー王の剣はまさに西洋の騎士のだった。その重さで相手を圧倒し、その技術で相手を屈服させる。
カシャンカシャンと甲冑がこすれる音と、タンッタンとブーツが跳ねる。
ステラとアーサー王の剣戟の速さは互角だった。だが、それはステラが刀であるからこそだ。西洋の剣はそれだけ重い。それをステラと同じ速さで振るうということは、膂力は彼のほうが上ということだった。
事実その剣戟は重く、靴底が熱を帯びるほど踏みしめていなければ吹き飛ばされてしまいそうだ。
「はぁあああ!」
「いゃあああああ!」
気迫と気迫がぶつかり合う。ガン、というひときわ大きな鉄火音が響く。まさに火花を散らして鍔迫り合う。
「軽いぞ貴公!」
「グッ…―――――」
さらに、ガンッと一閃。ついにステラは力負けし、弾き飛ばされた。
その分距離も開くが、この戦いにおいてこの程度の間合いなどないに等しい。
王は一足でその距離を埋め、まだ着地もままならないステラに横薙ぎの一閃を見舞おうと剣を振るう。しかし…
「当たるかよ」
横薙ぎにされた剣の腹を台にして手を軸に回転する。まるで曲芸のように宙を舞い、躱す。
「日本刀は軽い。西洋の剣は重い。日本刀は切り裂く。西洋の剣は叩き割る。全く性質が違うんだよ。どっちが強いってわけでもないけど、でも、俺のほうが強い!」
「何を戯けたことを!」
アーサーの剣がとて返して左上段。それをバックステップでかわすステラに、一歩踏み込み距離を詰めるアーサー。振り上げられた剣は左袈裟掛けに打ち下ろされる。左肩を狙われればその重さによって防ぎきることは難しい。
だが―――――
≪紅蝶流剣技 四ノ刻 檻花≫
ステラから紅いオーラが立ち昇る。アポロから教わった邪法の剣技。剣技と魔法を組み合わせた、およそ道に属さない技。
ステラが一刀を振るう。瞬間、それは幾重にも広がり、同時に幾多の方向から何刀もの斬撃が檻のようにアーサー王に降り注いだ。
連撃なら撃ち落とせた。だが、同時であれば、もはや避けることも能わず。
「ぐあっ…」
王が片膝をつき、勝敗は決した。
「あぁ、試合とはこうも心躍るものだったとは…」
どさりと、王は仰向けに転がった。思いも願いも、遺志も全てを込めて打ち合った。そして負けた。
その表情はとても清々しいものだった。
ステラも膝から崩れるように倒れた。
「あんた強すぎ。達人って本当にいたんだねぇ」
正直勝利は紙一重だった。何かが間違っていれば、或いは何かが合致していればステラは負けていたかもしれない。それほどの薄氷の勝利だった。
檻花もある種の反則技だ。アルトゥールは決して人ならざる技を使うことはなかった。英雄である彼がヒトの枠で収まるはずがない。ステラは人ならざる技によって勝利を収めたが、彼が本気を出していたらどうなっていたことか。
事実、鎧をしていたアルトゥールはともかく、ステラはアルトゥールの斬撃をまともに受けていたので、躱しきれなかった剣があちこちに傷を作っていた。
「貴公には負けた。持っていくがよい、我が聖剣を。ただ、一つだけ約束してほしい」
「なにさ…」
「何があっても、理想のためなら諦めるな。我が聖剣は常勝を約束する。歩みを止めてはならん。その道を信じ続ける限り、理想は消えてはなくならん」
蒼い柄の黄金の輝きを放つ究極の聖剣を彼は差し出した。
ステラはのろのろと起き上がり、それを受取り、かしづいて言った。
「王の御心の儘に」




