第三楽章 『門』
「何をやっているんだ……」
ブリジットがホテルの一室に入ったとき、昨日までラフな格好だったリカルドとレラィエは旅装束に着替えていた。
「何って、ステラを追っかけるに決まってんだろ」
しれっというリカルド。
レラィエは外套を肩で留め、振り返った。
「約束は約束です。離れている間に、あの女に寝返られでもしたら厄介ですからね」
全く…
「類は友を呼ぶ、か」
抜け駆けは出来ないな、とブリジットは苦笑して、レラィエに紙切れを差し出した。
「さっき、ギルバートから連絡があった」
「南米…ですか…」
「位置は把握できてないがな。航空チケットも取ってある」
その用意周到さに、二人は唖然とする。そしてまた、二人も苦笑するのだ。考えることは同じだな、と。
「あんたにゃ勝てないな…」
「まったくですわ…」
「当然だ」
ブリジットは二人に不敵な笑みを向ける。
そして三人はホテルをチェックアウトし、空港に向かうのだった。
♪
紅い光が満ちる、薄暗い石造りの建造物内部。
外界の光は一寸も届かず、ただ痛い程の紅が満ちているだけだった。
「終わったのか?」
アサシンの問掛けに、フィリスは小さく頷いた。
ここ一ヶ月で三カ所の古代遺跡を回った。そして此処が最後。
地上に出ると、例のマッドサイエンティストが待っていた。
「マチュピチュの探索は済んだのか?」
そう、ここは空中都市マチュピチュ。インカ帝国の最後の砦にして、高山のためその存在をピサロに暴かれなかった、奇跡の都市。
「えぇ、お陰さまで。と、貴方にお仕事ですよ」
「あ?」
マッドサイエンティストのニタニタ笑いを見ているだけで、嫌悪感がこみ上げてくる。これはもはや吐き気と言ってもいいものだった。アサシンは、こいつを消せるのなら今すぐに殺してやるのに、と本気で思っていた。
「彼女の邪魔者は排除するのでしょう? なら、此処に行ってください」
教授は紙切れをアサシンに渡した。
アサシンがそれを実行しないのは、ただフィリスが彼を必要としているからだ。いや、語弊がある。彼の利用価値を認めているからだ。
「ボリビアのウユニ塩湖?」
破綻した小夜曲は
また一つに繋がり
奏でる
終焉は近い
また一つ楽器が舞台から消えていく
♪
ステラたちはアヴァロンを出たあと、南米のペルーへと渡った。
聖剣で何をするのか、と聞けばいきなり渡米だ。
結局、黒の予言書を読んでいないステラには、詳しいことは教えられないとかで、内容は解らなかったが、ここ一ヶ月で南米北米の霊地を飛び回った。
ナスカの地上絵、グランドキャニオンの深部、ナイアガラ…―――――
オセリアが示すままに着いて来たが、どれもハズレだったらしい。ステラとしては世界遺産を見て回れてある種の観光気分を味わえたが、オセリアの顔色が徐々に悪くなっていくのを見ると、相当焦っているようだった。
そして、何の進展もないまま一ヶ月が過ぎたのであった。
「まだアテはあるの?」
ペルーの拠点にて。首都はふつうに都市圏なので、ホテルなど拠点には困らない。
「実は…もう…ごめんなさい」
まさかとは思っていたが、本当に当てがなくなっているとは、ステラは溜め息を吐いた。
「そろそろ何を探してるのか教えてくんない? 情報がないと協力もできない」
しかし、オセリアはステラの申し出に渋っていた。
本当に言っていいものか。
この一言が今ある歴史を変えてしまうことも、運命の行方を明確にしてしまうこともある。
だが…このままでもジリ貧なのか変わりない…
「わかりました…ですが、モノ、と言うより力になりますが…」
「力…?」
ステラは先を促す。
「実は、ウィル… 即ち悪意たるマリスの対極をなす善意の収束地を探しているのです」
ステラは唖然とした後、軽く怒りが湧いてきた。
「あのなぁ! そういうことは早く言ってよ、南米でウィルって言ったらあそこじゃん!」
「はい?」
オセリアは清浄な大地を回っただけで、なにもわかっていなかったらしい。確かに清浄な地にはウィルが集まりやすいが、収束地というよりは漂っているというほうが正しい。
つまり、オセリアが探していたのはウィルの生まれる場所、或いは帰る場所。
根拠はある。確信がある。そこは間違いなく、世界の善意が生まれ帰る場所だ。
「浄化ッつうか善意って言ったら塩でしょう、代表的なのは。聖水にだって塩入れて清めの力をつよめるっていうのにさ!」
「塩って…――――――まさか、ウユニ!?」
「そうだよ。ウユニ塩湖。ボリビアだ」
この世界で唯一、白に覆われた大地。時には大空を、宇宙を映す鏡となる。
大自然の猛威とは無縁の、大自然の神秘そのもの。清浄な者の集合体。それがウユニ塩湖だ。
オセリアは急いで国際空港に問合せ、ボリビア行きの便を調べあげた。
キャンセルは既に出ている。
離陸は一時間後だった。
「急げば間に合います!!」
またオセリアに引かれるままに拠点を出て、通りに出た。
そこでタクシーを捕まえ、チップを弾んで空港までぶっ飛ばさせたのだった。
明日でもよかったのにと、飛行機に乗ってから言ったら、しきりに謝ってきた。実際、ウユニは逃げはしない。
そそっかしい、天然学士であった。
約四時間かけてペルーからボリビアに到着。
その頃には夕方になっており、電車とバスを乗り継ぎウユニまで辿りついたころには、トップリ陽が暮れていた。
もう夕飯の時間だ。
そしてこうなれば…
「ジャンクですか…。ジャンクなフードなんですか…―――――」
最近は、ホテルの料理かジャンクフードかといったとこだった。
ああ、たまには自分で料理をして食べたい。
二人はファストフードをむさぼりつつ、明かりのないウユニ塩湖に着いたわけなのだが…
「まさか、ビンゴとはね……」
ステラに渦巻くマリスと、目の前にそびえる巨塔が反発共鳴をしていた。
ウユニ塩湖の中心。塩の塔『トゥヌパ』。
こんなものがあったら確実に観光地になっているだろうが、そうならないのは巧妙な目くらましと結界が張られているからだろう。
常人には見ることはかなわない。
確実にあたり、ウィルの収束地だ。
最初はただのオブジェかと思ったが、ちゃんと扉があり中へ入れる構造となっていた。
入ろうと扉に触れる。と、同時にがりがりという岩塩が削れる音とともに扉がゆっくりと開いた。
「なんだか用意が良いですね……」
招き入れようというのか…
ステラは躊躇わず塔に足を踏み入れた。いや、入れようとした瞬間だった。
ドン、という水の中で太鼓の音を聞いたような、くぐもっていて、それでいて心臓まで響く音がした次の瞬間、爆風とも思える空気の波がステラ達に襲いかかった。
まるで津波のようなそれに吹き飛ばされそうになるのを辛うじて踏みとどまり、やがて波は通りすぎていった。
だが…――― 西の空が―――――――――――――…
「紅い…」
夕焼けの赤ではない。
まさに血の色。いや、それ以上に濃く、深く、澄みきった紅。
ドクン、とステラの中で何かが跳ねた。
呼ばれてる…
あの空の向こうにある、アラタナルセカイニ…
『ステラ、それは気のせいです』
「あ…紅胡蝶…―――」
紅胡蝶の一言で、引かれる感覚はなくなった。
「そんな…。早すぎる…」
そんな言葉が聞こえた。
オセリアは目を見開き、その場にへたり込んでしまっていた。その視線は西の空へと向けられていた。
「オセリア…」
「私のミス? 書の読み間違え? 一体なにがおきたと…」
「オセリア」
ステラの呼び掛けに反応を示さず、ただ頭を抱え、自問自答を繰り返す。
痛ましい程に哀れで滑稽…
天才と謳われ、失敗も結果も想定しながら全てをなしてきた。
机上ならばそれで良かった。
失敗すればやり直せばいい。
想定外なら根本から正せばいい。
たが、既に出来ている道を辿るとき、それを間違えば……
彼らはそれを認められずに、目を逸らすか、自ら崩壊していく。
それはとてもいたましかった。
「オセリア!!!」
「ステラ…」
ステラが肩を掴んで、オセリアはやっと顔を上げた。
「考えるのは後だ。まだ間に合うかもしれないだろ。当初の目的を果たそう」
ステラはオセリアに有無を言わせずに、塔の中に引っ張り込んだ。
そんな余裕がないことくらい、ステラも肌で感じていた。
どんなに気付かないふりをしても、誰に気のせいだと言われても…
引かれようと引かれまいと、分かってしまう。
知らないはずの情報が頭に流れ込んで来ている。
それを無視して、塔を駆け登ろうとも…
(『門』が現れたっ……!)
時が満ちれば、『門』は開く。そうなれば……
『大丈夫、安心していいわ。まだ一日は開かない、といってもそれだけの猶予しかないけれど』
(上等! それだけあれば十分だ)
ルナの言葉に力をもらい、ステラはオセリアを引きずるようにしてとにかく上を目指す。
フロアに出て、扉の仕掛けがあったようだが、既に開いていたのに感謝しつつ塩の廊下を走った。
構造は単純で、迷うようなことはなかった。ただ上を目指せばいい。ウィルの気配が一番濃いところを目指して走った。
そして…目的の部屋、ウィルの蒼い光が満ちる祭壇へと辿りついた。
だがそこには……
「よぉ。邪魔者たぁ、おまえの事だったか」
長身痩躯の赤い暗殺者が不敵に笑っていた…
「アサシン……なんであんた…」
此処に居るんだ、と言いかけて止めた。
聞くまでもないことを、口にするのは意味がない。
ギルバート…――――――
「くっそたれ… あのマッドサイエンティストが。コイツだってわかってたら絶対に引き受けなかったのによ…―――」
何故か文句を垂れるアサシン。
ボリボリと頭を掻きむしり、軽く溜め息を吐いた。
「なぁ、わりぃんだけどさ。このまま帰ってくれねぇか。俺は仕事は完遂しなきゃならんのだが、お前は殺したくないんだわ」
そんなことを言われても……引き下がるわけにはいかない。
楽しければ何でも良いとはいえ、『門』は果てしなくヤバすぎる。
それに、成されることが既に問題だった。
「お断りします。私はアレを認めるつもりなどありません。歴史で生き残るの一つの可能性だけです」
オセリアの言葉をステラは黙って言わせた。
だが、アサシンはオセリアを一瞥すると同時に氷のような殺気を放つ。
「お前には聞いてない。次にさえずったら殺す」
それは見たこともないアサシンの眼光だった。
オセリアはそれで身動きがとれなくなってしまう。夜魔の頂点たるヴァンパイアすら竦ませる眼光。
一度しか会っていないが、その時の彼はただ恋人を心配する怠そうな青年だった。確か暗殺者としての技能はあるのだろうが、脅威を感じることはなかった。
しかし、いまの彼は仕事人だった。それはまさに殺す者の眼だ。一瞬にして場を制圧する殺気。オセリアはもとより、ステラもその出で立ちに脅威を感じた。
ところが、ステラに向き直ったときにはダル青年に戻っていた。
「なぁ、頼む。俺はお前のこと嫌いじゃねぇ。いつか酒が飲めるとおもっていたんだ。だからよ…」
「俺、は……」
確かにアサシンには何の恨みも戦う理由もない。ステラも彼のことは嫌いではなかった。それは、姉がからんでいることが多分にあった。
いくら人格が侵食されているとはいえ、姉の恋人、パートナーだ。
そう、姉ならば…
「フィリスは、元気か」
「は?」
唐突にそんなことに聞かれて、アサシンは意味が解らなかった。
「変わったことはないのか」
「んぁー ……さぁな。最近、以前にもまして喋んねぇしよ。上の空っつぅか…」
『かなり侵食が進んでるわよ。私達の邂逅のために無理したからだわ』
ルナの言葉に、ステラはギリと奥歯を咬み絞める。
(もう、時間がないのか…)
『門』の開放の為にフィリスが動いているなら、ディアナはそれを必死で止めているはずだ。
そのぶん、存在出来る時間は削られる…
だが、ウィルを解き放てば…時間を延ばせるかもしれない。
「ごめん。俺は、どうしてもソレを解放しなきゃならない。それからフィリスにも、姉さんにも会わなきゃいけない… だから…」
(もう、これが最後かもしれないから)
こんなにやりにくい相手は初めてだった。戦いたくない相手と戦う日が来るなど、夢にも思わなかった。
敵対者は敵対者でしかないと思っていた。でも、例外が目の前に現れた。
これがきっと、しがらみというものだ。
「おいおい、そんな顔すんなよ。ったく、しょうがねぇな…俺もアイツの思惑に乗せられるなんざごめんだしな。ここは譲ってやるよ。そのかわり、アリバイ作りくらい手伝え」
そんなことを言って、アサシンは愛刀を構えた。ステラも条件反射で紅胡蝶を構えてしまう。
「それでいい。流石に見逃した、じゃ言い訳にもなんねぇ。戦え、ボウズ。なに、殺しゃしねぇよ。だから、おまえも勢い余って殺してくれるなよ」
不敵に笑うアサシン。だが、眼は本気だった。
「オセリア…必要に応じて物語を綴って。目立たないように……」
ステラは小声で伝え、軽く頷いたのを気配で感じると、魔力を静かに鎮めていった。
そして、紅い光がステラを覆う……
『わかってると思うけど、多用すると決壊するわよ』
(わかってる。だから、ぎりぎりを見極める!)
そして、跳ねる。
刀とナイフが触れ合う。間髪いれずに蹴りが来る。ステラはそれをあっさりかわし、横薙の一閃。しかし当たらない。眼前に迫るナイフを躱すと、そこに拳が待ち構えている。その腕を軸に回転蹴りをはなつが、バックステップでかわされる。
フェイクを織り交ぜた、連動する攻撃。どれも本当で、すべてが嘘になる技。武器だけに頼らず、全身を武器にした戦い。それがアサシンの強さだ。
常に動き、疾走する。
もはや常人には見える速度ではなかった。
この二人には床など関係ないのだ。部屋の全てが地面であり、端など何処にも存在しない。
触れ合う金属音と両者のブーツの音が、何かの音楽のように鳴り響く。
斬り結ぶ残像が、同時に何ヶ所にも現れては消えていく。
消えた先から現れる。
二人とも、未だ直接的なダメージは負っていない。
コートは破れたりしているが、まだ疲労も少ない。
一瞬のうちに幾度も斬り合い、どちらかが退いて、疾走しつつ斬り合う。
そしてまた、隙あらばそこでまた斬り結ぶ。
結局のところ拉致があかなかった。
生身のステラと、アサシンはほぼ互角だったのだ。
マリスは肉体強化には使っていない。いや、使えない。ここではウィルに競り負け、マリスは中和されてしまう。
だが、いつまでも戦っていては……
魔力を使っていれば、決着はすぐについたはずだった。
なのにマリスを使ったのは、使いこなすためのものあったのだが……
≪一ノ刻 五道転輪≫
紅蝶流剣技を多用するためだった。
紅蝶流の基本剣技。紅い蝶、即ち血飛沫を美しく舞わすには、正確無比な鋭さと断面を崩さない速さが求められる。
その体現は、未来予知の紛い物だ。自らの身体を完全に制御化におき、自然環境、物理、確率を処理しきる。あらゆる可能性を排斥し、ただ一刀、相手の首に向けて剣の軌跡を幻視する。
死を予知するモノ。死を予知させるもの。即ち五道転輪。
「初っ端から殺す気か!」
驚きつつもしっかり躱す。油断など微塵もない。
アサシンもまた、常軌を逸した存在。それは不確定要素と何ら変わりはない。
あっさりと、しかし常人には不可能な反応速度で、アサシンは斬撃を捌いた。
「逃がさない」
≪五ノ刻 縛旋狩≫
螺旋状に取り巻く網状の紅い閃光が無数の斬撃となってアサシンに迫る。この空間に刻まれた斬撃の記憶を再現する。その斬撃はすべてアサシンに向けて放たれたもの。
そのすべては焦がれるように、捉えんとするように。
たが速さがあるアサシンはものともしない。天井も壁もすべては足場、網の目を潜り抜ける様に、飛来する斬撃を次々に躱し、一気に距離を取った。が…
「あっ…」
何かにつまずき、一瞬バランスを崩してしまう。
そして、終劇。
≪ニノ刻 幻影夢郷≫
残像を実体として固定する、剣技というよりは体術にちかい分身技。
バランスを立て直しにかかっていたアサシンを何人ものステラが腕を、足を、首を抑え込んだ。
その幻影が消えたとき、アサシンの喉元に紅胡蝶の刃が当てられていた。
そして……
≪ステラは容赦なく水月に蹴りを叩き込む≫
「え?」
何が起きたのか両者とも理解が出来ていなかった。
この時点で蹴る必要性など皆無なはずなのに。
そして、ステラははたと思いだす。オセリアの存在を…
そして、悪魔が飛来した。
「あぐっ!!?」
腹部、しかも肝臓の真上にぶすりとナイフが突き刺さる。
ステラの幻影が上に飛ばしたアサシンの愛刀…だが、幸い傷はそう深くはなかった。
アサシンの鍛えられた筋肉のお陰で内臓まではギリギリ到達しなかったらしい。
運の悪さは悪運によって救われた。
「あー、痛てぇ…」
などと冷静にボヤきながらアサシンは体を起こした。
ステラは混乱して全く動けない。
ぶちゅりと嫌な音が響いた。
アサシンは自分のコートを使って、素早く止血したが、流れだす血液はいっこうに止まらない。
筋肉で止まっているのなら、出血はそう多くならないはずだ。なのに、まるで太い血管が切れたかのように瞬く間にコートを血に染めていく。
そのことを確認すると、アサシンは何も言わずに躯を引きずるように部屋を出ていった。
「あ…―――――」
その背中が見えなくなって暫くしてから、ステラの思考は復活を果たした。
「オセリア…」
「ち、違います!! 確かに物語は使いましたが、転んだところに蹴りを入れるまでです!!」
ステラの静かな追求に、オセリアは必死に弁明した。
別にステラも確信を持って聞いたわけでもないし、本人が否定しているのでそれ以上は何も言わなかった。
そして再度、アサシンが去ったほうを見やる。もはや彼の姿はないが、ステラは動揺を隠せなかった。
あの出血量は間違いなく致命傷だった。もう、彼の命の灯火は消えかかっている…
「ステラ?」
「…いや、なんでもない」
「では、エクスカリバーを…」
既に祭壇にはオセリアが借り受けた二本の聖剣が突き立てられていた。
そしてエクスカリバーをステラが執る。
祭壇と聖剣は関連性があるわけではない。聖なる力の触媒として、これ以上ないほどの高貴なる幻想だ。
右にはローランのデュランダル。
左にはジークフリードのバルムンク。
そして、真ん中に最強の聖剣を納めた。
♪
「あ……」
フィリスが小さく鳴いた。
『門』の内部。性格には『門』を内包する空中城塞の内部に彼女はいた。
彼女の目の前にある、暗黒の巨大な鉄城門こそが、『門』の本体。
向こう側への扉だった。
だが、まだ開かない。力が満たされていないのだ。
その鉄城門を囲うように、ゆっくりと回転する円環。紅いヒエログリフが描かれ、点滅しながら先程まで回転していたのだが……
たったいま、回転が止まり、文字の輝きも失せてしまった……
「なんてことだ……あの男っ!! 失敗したのかっ」
そんな誰かの声を無視してか、単に聞こえてないだけか、フィリスは『門』を叩いたり、首を傾げたりしている。
そして、フィリスの眼が紅く輝いた。
ポッ…ポッ……
紅い光、マリスの小さなカタマりが、少しずつだが円環に吸い込まれていく…
「…――――なんと… 素晴らしいっ! まさかここまでとは思ってませんでしたが、これならば……」
「うっせぇ… マッド…サイエン、ティストがっ」
突然現れたアサシンは、それだけ言うとその場にどさりと倒れ込んでしまった。
流石にこれには気付いたのか、フィリスが振り返る。
「そんな躯で無茶をしましたねぇ、空間移動なんて。って、もう意識ありませんか」
ギルバートはアサシンを見下しながら、愉快そうに笑っていた。
それを押し退け、フィリスはアサシンの隣に膝をつく。
彼はまだ生きていた。体温は引け、呼吸も浅く、昏睡はしていたが…
フィリスがふれると、アサシンの躯がゆっくりと紅い光を帯びていく。それは拍動し、それに呼応するように呼吸は深くなり、体温が戻っっていった。
♯
「ブリジット…」
「あぁ、わかっている」
「マジで行くのかよ……」
三人は夜空を飛んでいた。
リカルドは上手く飛べないのでレラィエとブリジットに両脇を抱えられていた。
ついさっき、ペルーのクスコにいたブリジット達は、西に突如浮いた城塞に向かって、ジェット機なみのマッハで飛行していた。
あそこに絶対ステラもくる…
その確信をもって向かっていた。
♭
「どうするの、アレ」
ステラは西の紅を指して問掛けた。
取り敢えず用は済んだので塔を出たのだが、アレにどう行くか決めてなかった。
「明日の始発の飛行機にする?」
もう夜中だ。発展途上にあるこの国で、24時間の飛行機は期待できない。
だが……
「いいえ、そんな時間はありません。アレは何としても止めなくてはならない。今すぐ行きます」
オセリアは強く断言した。もう迷いも惑いもなかった。
世界は理屈だけじゃない。
やれるだけのコトをやれば良い。
「どうやってさ…」
「飛びます」
バサッ…
風を切る音と共に、漆黒の翼がオセリアの背に生えた。
「あぁ、別に羽ばたいて飛ぶわけではなく、これはモチベーションの問題というか。翼があると音速超で飛べるんです」
ポカンとしているステラに、親切にも説明を付け加えた。
実際、翼が有ると無いとではかなり違う。
個人によって優劣はあるものの、オセリアの場合、翼があると軍用戦闘機の約6倍の速度で飛行が可能だ。
「あと…ごめん。俺はそんな速く飛べない…」
「そんなことは承知の上です。寧ろ飛べる方が怖いですから。最初から抱えて行くつもりです」
「はい」
と言ってる間に正面から抱きかかえられる格好となるステラ。オセリアは既に少しだけ浮いているので、ちょうど顔が胸に埋まる形となっている。
もちろんわざとだ。互いに密着して飛ばないと、上昇しただけでステラが吹き飛ぶ。まあ、悪戯心もないといえばうそになるが。
「そっちも抱きついてください。落ちますよ」
この際、恥ずかしいとか言ってられない。死活問題なのだ。
ステラはオセリアの腰辺りに手を回し、かなりきつめに抱きつく。
それを確認して、
「…――――――いきます」
ドォオオオオンっ!!!
徐行も助走もなしにいきなりマッハ超えで飛翔した。
速すぎて息が出来ない……
風の轟音は、最早かんだかい奇音だった。
耳がおかしくなりそうだ。
身体中の血液が滞る…魔力で無理矢理流さなければ、最初の飛翔で気絶していたに違いない。
目を開けることなど敵わず、あれよあれよと言う間に、着陸していた。
「これはまた……意外だったなぁ…」
ナスカ高原。
地上絵の真上に城塞は浮遊していた。
紅い輪郭は物々しく、禍々しい。
その巨大さ…既にひとつの街だった。
その街の中心にある真っ黒な神殿…所々に紅いラインが入り、何かの回路の様にもみえる。
「行きましょう」
「あぁ……」
姉さん…
二人は神殿に足をふみ入れる。
その瞬間。外観の騒音は一瞬にして消えてしまった……
耳が痛い程の静寂……息遣いの音すらしない。歩いても、靴音すら響かない……
オセリアの方を見ると、彼女も少し動揺していた。
このぶんだと、声も届くまい。
ステラは、行こう、と合図して歩き出した。
何も聴こえない。まるで聴神経が根刮ぎなくなったみたいだ。
暫く歩くと、扉があった。
二人が近付くと、まるで誘っているかのように開いた…
躊躇っても仕方がない。もう、後戻りはできないのだから。
二人が踏み入った瞬間、扉は閉まり、また最悪の状況に陥った。
聴覚に続いて視覚も…
魔力で明かりを灯してみても、全くの無意味。何も見えない…
ただ、暗黒を見つめるしかない。
いや、それすら分からない。自分が眼を開いているのかいないのか…
それすら瑣末事のように思える。
ステラはオセリアを手探りでみつけだし、しっかりと手を握った。
触覚はまだ奪われてない。
オセリアも握り返してきた。
いつまでもこんな所に居たら、気が狂う。
幸い、ステラはアポロに鍛えられ、暗がりでも歩く統べを持っていた。
基本的には音を頼りに広さや幅、距離を確かめるのだが、いまは無理だ。
ステラは集中して、魔力を高め、研ぎ澄ます……
幾本もの魔力の触角を伸ばし、辺りにを探る。
ステラの脳裏にオセリアの輪郭が映る。
道はカーブはあるものの、一本道だった。
ステラは手探りで自分の手を辿り、オセリアの掌に、着いてきて、と書いた。
オセリアは答えの変わりに腕にすがりついてきた。
触覚しか残ってないので、鋭敏になっているのか、柔らかさから温もりから、いつも以上に感じてしまった。
見えなくて助かった…絶対赤くなってる。
どれくらい歩いただろうか…何も見えなく、聴こえなければ、時間の感覚なんて判らなくなってしまう。
10分くらいだった気もするし、一生分歩いた気もする。
しかし、その歩みも此処で終わった。
扉を開ければ其処は………
「おや、随分と早かったですねぇ。もう少し戸惑うと思っていましたが」
ネットリとした不快な声。突然に聴覚と視覚が戻り、一瞬だけフラつく。
だが、最初から教授など見えていなかった。
彼には、戦友にして姉の恋人が倒れているのと、そこ傍らに膝を付き放心している姉しか見えてなかった。
彼女には、自らの敵『咎世の巫女』しか見てなかった。
「『咎世の巫女』貴女を止めます。新世界など、創らせはしません、断じて」
オセリアのこれほどまでの敵意は、初めて逢ったとき以来だった。
しかしフィリスは反応しない。
まるで抜け殻のようだった…
「今日の連れはレディではないんですね」
「ブリジットとは別行動をとってる。此処には来ない」
「それはどうでしょうねぇ?」
ガタン…
音に反応して、ステラは後ろを振り返った。
ステラ達が来たのとは別の扉が開いていて、そこには…
「ステラ…」
「え… なんで…」
その答えを聞かないうちに、彼女の後ろの二つの影がステラの脇をすり抜けた。
「あ、おい!!」
レラィエ、コーネリア。
二人ともフィリスに突進していく。止める間もなく。
だが……
バキィイイインっ
何かに弾かれ、ステラの脇に落ちた。
「いったい……何に阻まれたんですの…」
『わかんないけど…壁みたいな何かが…』
レラィエは既に息切れしていた。
全身が痛む……ただ弾かれただけなのに…
コーネリアはいたって無事だった。人形だし。
「二人とも。いや寧ろ皆なんで此処に」
ステラのとぼけた問に、レラィエはキッと睨んだ。
「あなたを放っておいたら、今みたいに抜け駆けされからですわ!!」
「ホントだぜ、おい。他人の仇討ちとるなよな」
リカルドがいつものキザな笑顔を向けてきた。
「眼ぇ覚ましてみたら、ギャーギャーうるせぇなぁ…ちったぁ、気ぃ使えや」
「は?」
「は? じゃねぇっての。ったく」
今まで倒れていたアサシンが、ムクリと起き上がった。
よっこらしょ、なんて良いながら立ち上がる。
「こっちは死にそうだっつうのに。何だってこんな」
ボリボリ頭を掻いて、深く溜め息を吐いた。
「何ですっ…」
レラィエが食って掛ろうとしたが、ステラに制され、言葉を飲み込んだ。
ステラは紅胡蝶を右に持つ。
「フィリスの邪魔すんな。つうか、今すぐ消えないなら、俺が殺す」
それは、さっき塔であったアサシンとは、まるで別人だった。
外見は人間を装っているが、その声には感情も、温かみもなかった。時折感じていた、フィリスへの慈しみさえも。
「その前にあんたを屠りますわ」
「左に同じく。俺らの復讐の邪魔すんな、国際指名手配犯、キラー・ヘルキンス」
「わりぃな。今はアサシンで通ってんだ。んで、帰る意志は無い、と」
「無論ですわ」
売り言葉に買い言葉なのか…
皆、殺る気だ。
少し話をしたかったが、もう意味はないか…
アサシンは不敵に笑い、そして消滅した。
弾けて中から膨れ上がったのは、巨大な虫。
せわしなく羽ばたくその姿、尾の針のようなもの。
「育ちすぎたキラー・ビーかよ」
ステラのボヤきの如く、それは蜂だった。
「■■■■■■■■――――!!!」
わけの分からない咆吼。
それと同時にコーネリアとレラィエは、マリスアサシンを襲撃した。
「何なんですか彼女らは!?」
オセリアが呆然から息を吹き替えしたようだ。
「まぁ、友達かな? オセリア、物語でのバックアップ、よろしく頼む」
オセリアは頷き、ステラもマリスアサシンに向かって跳んだ。
その時は目の前の事で、誰もが失念していた。
オセ……?
何でステラと一緒にいるんだ…
何故、オセリアと呼ばせている……?
何でステラは私ではなく、オセを呼んだ
私から離れたのは、オセと一緒になるため…?
思考がぐるぐる、まとまらない…
なんだ……
舞い上がっていたのは私だけか…
そして、彼女は見てしまった。
ステラとオセリアが頷きあうのを…
あれは信頼しきっている眼だ。
誰にもあんな表情をしなかったオセが、ステラに…
「ッ!?」
そして、彼女は逃げ出した。
戦況は圧倒的に不利だった。
クレアのときと違って相手には、有り余る程の機動力がある。
それに……
「かって……」
刄が通らない…
何処を斬り付けても、傷ひとつ付かない…
「うぁぅっ!!」
レラィエが殺られた。
攻撃に無頓着だから、攻撃されようが関係なく攻撃できる。
攻撃する瞬間が一番隙ができるのだ。相手に攻撃が効くのなら、それは防御硬度により相殺され、隙にはならないが、今や…
ぐったりしているが、取り敢えずは死んでいないようだ。
っと、ステラの鼻先を鋭い脚がかすめる。
レラィエで学習するに、まともに食らったら即アウトだ。
コーネリアは人形なので未だ健在だが、機動力は落ち始めていた。
いくら人形でも、攻撃されればガタがくる。
『コーネリアが糸を絡ませ、マリスアサシンを絞め上げ、一瞬動きを止めることに成功した。固いと言えども虫。生き物である以上繋ぎ目があるばすだ。ステラは腹部の繋ぎ目に刄を付き立てた』
オセリアは必死で物語を綴る。
彼女の心象具現化、≪へれんの物語≫
その本体はオセリアの手の中にある白紙の本だ。
それに書き込むことで、彼女の展開したセカイを自由に操ることができる……はずだったのだが。
「…―――っどうして」
戦いを操作するだけならセカイを変質させる必要はない。
だから彼らを結界に閉じ込めた。
だが、物語は綴り始めからすぐに瓦解する。
オセリアの予測、知識を遙かに超える動きな能力で、全然上手く運ばない。
加筆修正は間に合わない。崩壊するままに物語を書き続けるしかない。
だが…パリンっ。
オセリアの手のからへれんの物語が消えた。
それと同時に
「――――しまっ!」
ステラがうっかり尾に近付いてしまい、石柱のような針が襲いかかってきた。
刀で防いで当たらなかったが、勢いで吹き飛ばされた。
コーネリアも一旦距離を取った。
「■■■■■――――!!!」
マリスアサシンがまた咆吼を上げる。
勝てない…強すぎる。
攻撃が効かないだけで、これほどまでとは…
いくつか紅い蝶をやったものの、マリスどうしだからか、効力が及ぶ前に掻き消されてしまった。
『ここまでのようね。貴方じゃかてないわ。私に代わりなさいな』
ルナが楽しそうに言った。
それは闘争本能なのか、自分が楽しみたいだけなのか、それでも勝算はあるはずだ。
「リカルド。仕掛けは?」
「あぁ、コーネリアにやらせた」
『バッチリ。抜かりないけど、あたしもだいぶ限界。次にやられたら壊れちゃうよ…』
コーネリアを見やると、確かにあちこちにヒビが入っていた。
魔力のガードもあるはずだが、それほどまでに圧倒的ということだ。
「よし、じゃあルナ、頼む」
『任せなさい!』
その声に呼応するようにステラは強力な紅き輝きに呑まれた。
爆発し、紅焔のごとく噴出したそれは高く上り、一つの柱のようにも見えた。
眩しくて目がくらむほどに光輝く。
誰もが直視できない光が消えたとき、そこにステラはいなかった。
「さて、害虫駆除と行きましょうか」
背に紅き蝶の刺繍をもった、着物の女性だった。
皆、何も返せない。誰なのかとか、ステラは、とかの問題は、目の前の化け物を倒してからだ。
「人形遣い。仕掛けを発動させなさい」
たおやかで深く響く声には緊張感の欠片もなかった。
だが、リカルドは指示に従った。
≪Dance in the Cage≫
籠の中で踊り明かせ。
コーネリアの飛翔と同時に数千本の魔力の糸がマリスアサシンに絡み付いく。
上空でコーネリアがその糸をを束ね、一気に絞め上げる。
マリスアサシンの羽の動きが、糸にからめとられ停止する。
動きを封じれば、すでに終わったも同然だ。
「一撃よ」
ルナは紅胡蝶で平突きの構えをとる。
刃はマリスによって紅く濡れ、ルナから溢れるマリスをすべて吸収し収束していく。
蜘蛛の巣にかかった虫に死を告げる。
≪――――――天の呼び声を聞かんと欲すれば 地獄の囁きを耳にせしわむる也や≫
祝詞を捧げ、その細い指が刀身をゆっくりと舐めていく。
≪――――――――祝いは呪いに 焔りは宵に 曙は夕暮れへ かわたれはたそがれへ 魂は魄へ≫
響く祝詞と詔かのように、その場のすべてを縛り付け、凍結させ、停止させる。
≪―――――――祈り事をば切り裂くなかれ されど蒼は空へと還ること叶わず≫
≪――――――堕ちて絶し 望むべくもなく 紅より出でて 艶やかに ひとたび奪われれば もはや還ることなし≫
張りつめ、ひきつった時が、爆ぜる。
≪終ノ刻 紅艶之奪魂≫
ルナのたった一歩の踏み込みは、烈風を巻き起こした。
もがくマリスアサシンの腹へと、紅く輝く刀身が吸い込まれる。
誰も傷つけられなかったその魔物に… 紅胡蝶は音もなく突き刺さった…
そして、マリスキラーの背中から蒼白く、真っ赤な爪の女性の腕が貫通し、白百合のように生えていた。
紅胡蝶の刀身は1メートルもない。マリスアサシンの胴の厚みだけで2メートル近くあるというのに、いったい何が貫通したのか。
果たしてその手には、淡く輝くヒカリがあった。
そして、女性の掌がそれを握りしめ… ぱりんっと乾いた音を立てて砕けた。
暴れていた体躯からは力が抜けち、マリスアサシンの躯は分解され、マリスへと回帰する。
その膨大な量が、鉄城門に吸い込まれていった。
「終幕ってところね」
アサシンはいつの間にかフィリスの腕の中に、女性はいつの間にかステラに戻っていた。
「このような男でも、最期には役にたってくれましたねぇ。もうすぐ、新世界への『門』が開きますよ!!」
ギルバートは一人興奮していた。
「アサ、シン…?」
フィリスの問掛けに、ソレはもう答えることはない……
彼女は、静かに涙を流す……
大好きだった彼のために、自分を愛してくれか彼のために……
オセリアの処置で起きたレラィエも、リカルドも、だれも彼女を襲うことはなかった…
そこにいるのは、ただ一人の女の子で…
復讐の対称ではなかった。
彼女の悲しみがマリスを呼ぶ。呼応するかのように、緩やかに、そして徐々に流れを早める様に、ついには濁流のようにマリスが鉄城門に流れ込んでいった。
ゴゴゴゴゴ……
急激に集約したマリスは、ついに『門』を開く。
円環の回転は速度を急激に上げ、それに呼応するようにして巨大な鉄城門が轟音を立てて開いていく。
紅い虹色の光……
ジャン=クリストフのとき、ギルバートのとき、劇場のときにあらわれた『窓』の中と同じ色…
溢れだす魔物たち。
同じころ、浮上した街の頭上でも、大きく空間が切り裂かれ、拡張された『門』が大きく口を開けていた。
その光景に呆然とするステラ達と、光の中に消えていくアサシンを抱いたフィリスとギルバート。
彼らが完全に消えた後、ステラはレラィエを見た。
苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「私はここまでのようですわ」
『断罪の末裔』は、正義に縛られる。フィリスの大切なものを奪った時点で、正義の執行は終了してしまった。復讐心が消えたわけではない。だが、今挑んだところで従前の力は発揮できず、返り討ちにあるだろう。
「俺らもパス。コーネリアがヤバいからな」
リカルドも座り込んでしまった。
「でも… 俺は…」
ステラは迷っていた。行くべきなのだろうか。恐らくもう姉は消えてしまった。最期に話す機会をと望み、それが果たされたなら、皆とともに彼女を葬るつもりだった。しかし、誰一人として腰をあげない。
「行ってください。待ってますから」
オセリアがステラの肩に手を置く。
「押し付けるようで申し訳ありませんが、我々の中で咎世の巫女に挑めるのはあなた以外にいません。ステラ、この世界を歴史に残すべきか否か、あなたに託します」
ステラはその手を振り返る。オセリアはいつもの凛とした表情で、それでもどこか吹っ切れたような顔をしていた。
「いって来いよ。出てくる魔物どもはこっちでどうにかするからよ」
リカルドが大の字になりながら、いつものように気障にいう。
そして、
「わかった、いってくる」
♭
中のセカイは、以前のフィリスの心象具現化と酷似していた。
紅く、荒廃し、
だが、もう関係ない。あらゆるものが曖昧なまま固定されてしまったような世界。
泥のようで、肉のようで、吐き気を催すほど、眩暈を起こすほど、揺らめき絶えず形を変えていく形象物。
だが道は一本で、それはフィリスが通った足跡そのものだ。ここは彼女の世界。彼女が属する世界であり、彼女が支配する世界。
それが通るべき道を作り、こちらは追いかける様に軌跡をなぞる。
まるで招かれているようだ。いや、まさにといったところだろう。
いくばくは歩いたが、景色は変わらず、変化も認識できないほど不定形な世界は、時間も距離も消失させてしまう。
だから、奴に出会ったのが足を踏み入れてからどれほど後なのか、わからなかった。
「貴方ひとりですか。また意外な…」
そのせむし男はニタニタと嗤った。いつも通りの、脂ぎった顔に張り付けたような笑み。
「ギルバート…」
「我々も来るところまで来てしまったものですねぇ。どうですこのセカイ。素晴らしいと思いませんか。物理法則からして違う新たなセカイが、今ある世界を侵食し、塗りつぶし、入れ替わるのです。それに立ち会えるのは、なんて幸運なことなんでしょうねぇ」
彼はくつくつと嗤う。
「ハッ! とんだ茶番だな。ここで足止めでも狙ってんだろうけど、お前ごときで俺を止められるのか、科学者風情が」
「まさかまさか。彼女に足止めなんて必要ありませんよ。ただ、そうですねぇ。本当はレディに釈明するためにここに残ったのかもしれません。仮にも協力していたわけですから」
「そんで、こっちに乗り移ったわけだが?」
「こちらのほうが見ごたえがあるじゃないですか。原始へ回帰したところで人は生き残る。歴史は繰り返されるとよく言います。でも、こちらの世界は今までの常識も! 科学も! 一切が通用しない! こんな学者冥利に尽きる世界がありますか!」
彼は彼で、骨の髄まで科学者だった。ただそれだけのことだ。その科学的好奇心が猫どころk人類をも滅ぼし世界を侵食させようとも、それは彼にとってリスクでもデメリットでもない。それだけのことだった。
「そこをどけ、ギルバート。俺はあの女を止める。俺は俺の守りたいものを守る」
「ええ、そうでしょうとも。あなたにはこちらを選ぶ理由がない。でも、すんなりと通れるとおおもいですかねぇ」
ギルバートにマリスのオーラが立ち昇る。彼は魔法使いでも蘇生者でもない、ただの人間のはずだ。そのただの人間が、マリスなど扱えるはずもないはずなのに…
驚きに目を見開くステラに、ギルバートいつも以上に凶悪な笑みで応えた。
「言ったでしょう。ここは物理法則、世の理すら異にするセカイだと… そして、意志弱き者、自ら望む者は皆…」
グチャっ…という不快な音と同時に、ギルバートの肉が増えて増えて増えて増えて増える。
醜い肉の塊は、かつてジャンが変化した肉の魔物そのものだった。
ただ違うところは、ギルバートだとわかる、彼の顔を拡大したような顔がついているということ。そして…
「この姿になれるのですよ!! 力強く、高次の生物に!!」
彼の意識があることくらいだ。
「的がでかくなっただけだな」
「試してみますかねぇ!」
ブンッと振り下ろされる腕。その巨体の割に動きは素早い。だが、なんの気負いもなく、ステラは躱した。
そして、ギルバートの絶叫が響く。
「ぎゃぁあああああーーーーーーーー! 腕がぁあああーーーーー!」
あっさりと、あまりのあっさりとその腕を切り落とした。綺麗な断面から血液ではない透明な液体をまき散らし、のたうち回るギルバート。
「なぁんてね」
その断面から幾重もの触手が生え、ステラに襲い掛かる。
「この体に痛覚というものは存在しないのですよ! そして周囲のマリスを吸収し、いくらでも再生、再構成できる! 私に敗北などないのです!」
「へぇ。じゃあ、なんでいままでのクレアやアサシンが死んだんだろうね」
不死の生き物など、どんな世界にも存在しない。不死であるということは死んでいるのと同義である。死者は殺せない。生きているならどんなものでも死を内包しているのだ。
そして、紅蝶流はその死を露呈させる剣技。生き物の弱点を正確につく殺戮の技術。だからこそ、ルナはマリスアサシンを屠る事が出来た。
そして、ギルバートの弱点は、人間と同じ脳髄。
迫りくる触手を、ステラはゆったりといなす。先端を少しずらすだけで無力化できる。
躱しながら、いなしながら、道を作り、ゆったりと、しかし流れる様にギルバートに迫る。
「ぐぉおおおおおお!」
触手が一塊になり、ねじれ、槍のようにステラを貫かんとする。しかしステラはその先端を紅胡蝶でとらえ、力の向きを反転させた。
ばらばらになった触手の先端は勢いを殺せぬまあ、雨のようにギルバートに降り注ぐ。
「なぜだ! なぜ殺せない!」
「ポテンシャルの違いだろうよ。クレアもアサシンも、もともとのポテンシャルが高かった。だから特異的な能力を発揮したんだよ。でもあんたは違う。どこまで行ってもただの人間だったってことさ。ただの人間が怪物かしたところで、その能力はたかが知れている。詰まるところ雑魚ってわけだろ」
「そんなバカな! ここは彼女の世界なんだぞ! そんなことがあってたまるかぁああああ!」
捨て身の突進。本来ならあの巨体に迫られれば轢殺されるだろうが、それは只人ならばという話だ。
「うるさいっての」
斬、と一撃。ギルバートの額を綺麗に掻っ捌いた。
ぼろぼろと、土が零れていくように体が崩れて、風化するようにそれは消えていった。
そして、フィリスに追い付いた。
鬱蒼とした森の中を進んでいくと、フィリスと台座にはアサシンが永眠っていた…
フィリスはこちらに気付いて、ゆっくりと振り向いた。
「ぁ、あ、ああああああっ!!!」
雄叫びを上げて襲いかかってくるフィリス。その瞳は憎悪に翳っていた。フィリスにとっては恋人を殺した仇だ。
そう、もはや話は成立しなかった。彼女は完全に咎世の巫女であり、姉では、なかった。
マリスの刄がステラを襲う。それを紅胡蝶で受け止めいなし、躱し、弾いた。
幾度もの応酬のなか、フィリスの斬撃に技術と呼べるものはなく、ただ力任せに感情的に打ち付けるのみだった。
そんなものに同行されるステラではない。全く無駄なく、一歩さがって避け、フィリスを肩から袈裟にバッサリと斬った。
綺麗に、まさに美と言わんばかりに、紅き蝶は舞踊った…
だが、いくら何でも簡単すぎやしないか…
「姉、さん…」
台座に寄りかかって、息も絶え絶えのディアナが辛そうに、だが綺麗に笑っていた…
「ステラ…ありが、とう。止め、て、くれて…」
「姉さん…姉さん、姉さん!! どうして!! どうして行ってくれなかったんだ!」
ステラはディアナに駆け寄り、血に濡れるのも構わず抱き起こした。
「そんな、泣かない、でよ。貴方に、殺される…一瞬を作、る、ために、頑張ってた、んだから…」
「姉さんっ……もっと、話したかった… もっと一緒にいたかった…」
「莫迦ね…それは、離れた分、だけ、魔法よ… 貴方には…もう、大切な人、いるでしょう? さぁ、もう、行って… 私が…死んだら、このセカイは、消えちゃう、から…」
「姉さん…」
「さようなら、ステラ…」
姉の笑顔は美しくて、そしてそのまま時が凍り付いた。
世界が地響きを上げ始め、崩壊が始まったことを知った。道がなくなれば元の世界に帰れなくなる。
ステラは涙を流しながら、台座に永眠るアサシンの横にディアナを横たえた。そして二人の手をつなぎ合わせ、別れを告げる。
「さようなら、二人とも。せめてあちら側ではお幸せに」
小夜曲はついに終わりに近付く
いくつもの楽器が抜け
最後は一つになろうとも
最後まで奏で続ける…




