紗也加
「美人で格好いいお母さんね。キャリアウーマンって感じ! 羨ましい」
ため息をつくように紗也加は言った。
「うちの母なんて、専業主婦だからなのか、やることなすことのんびりしてて。紗也加ちゃん、紗也加ちゃんって、ちょっとイライラするくらいよ」
塔子は笑った。
校舎へ続く林道を歩いている途中だった。一学年の校舎は講堂の裏手にある。本来であれば、まっすぐ講堂裏から進むのが早道だが、講堂と校舎の間には高さ二メートル程の大きな溝が掘られ、そこはアカマツの植樹林になっていた。
建物と建物を、このような林で区切るのが、この学校の特徴の一つだった。それぞれの校舎からは別の建物を眺めることが出来ない上、行き来することも容易ではない。
だから生徒達が目的の場所まで行くためには、いちいち迂回路をたどらなければならなかった。移動に時間がかかるので、自然と生徒達は早足にならざるをえない。今の塔子と紗也加もそうだった。
舗装されたアスファルトの林道に、木漏れ日が射している。道の先の方では、光に照らされて、砂粒がキラキラと反射していた。林道脇には小さなスミレの花が郡生して咲き乱れ、薄紫色の花弁が風に揺れている。
「塔子って、お母さん似なのね。目元の辺りがそっくり」
紗也加が少し息を弾ませながら、塔子を見上げる。ポニーテールにした色素の薄い髪が、柔らかそうに左右に揺れた。
「そう? あまり言われたことがないんだけど」
塔子は自分の目にそっと手をやる。つり目がちの目は、冷淡そうな印象で、正直に言えばあまり気に入っているとはいえない部分だ。
「ううん、似てるわ。雰囲気は違うけど。美人親子ね」
「そんなことないわよ」
塔子は肩をすくめる。美人というなら、それは紗也加の方だと思った。
隣にいる紗也加は、日に灼けた肌に、スラリと引き締まった体つきをしている。中学でテニスをしていたというから、そのためだろう。顔も小さいが、目鼻立ちははっきりとしており、なかでも黒目がちの大きな瞳が、くるくるとよく動いて愛らしい。ポニーテールにした色素の薄い髪は、彼女の明るさをよく映していて、黒髪の塔子にとってみればうらやましい限りだ。
全体として、紗也加は若鹿のようなしなやかさを持つ美少女だった。
中学も帰宅部でろくに運動をしておらず、青白く痩せっぽちの自分とは対照的だ、と塔子はひそかに思う。
「わたしはよっぽど、紗也加の方が美人だと思うわ……」
改めて口にして落ち込み、伏し目がちになる塔子に、紗也加は眉を吊り上げる。
「あたし、お世辞は言わない方なんだけどな。ま、いいわ。それより、入学式の総代、見た?」
「ええと、鷹宮君だっけ?」
話題を変えられ、塔子はホッとして調子を合わせる。
「そうそう! すごくカッコ良かったよねぇ!」
「そうだったかな」
「そうなのよ! 何で覚えてないかなぁ。新入生首席であの容姿なのに。周りの女子だって騒いでいたわよ」
熱に浮かされたように言い募る紗也加の剣幕に、塔子はたじろぐ。いい男のチェックも抜かりないとは、意外にミーハーなようだった。
思い返せば、たしかに壇上に上がる彼を見るなり、女子生徒が色めき立ったような気はする。しかし遠目から彼を見るのは、視力が低い塔子には難しく、分かったのは姿勢の良い背と、式辞を読む低く落ち着いた声だった。
「じゃあ、会長の榊葉先輩は? 背が高くて、やっぱり凄くカッコ良かったけど。それに、上級生だからでしょうけど、何だかとても風格のある人だったわよ」
「ちゃんと見てないです……」
やはり声と輪郭しか、思い出せない塔子だった。紗也加は大きなため息をついた。
「ほんとに興味ないのね。まあ、今に見てなさい。あの二人、女子の噂に上がらない日はないでしょうから。塔子もすぐに分かるわよ」
「わかった。今度探してみるから」
苦笑して、塔子は約束する。
ようやく一学年の校舎が前方に見えてきた。木造二階建ての校舎である。講堂と同じく歴史のある建物だが、最近塗り直しを行ったようで、外壁は眩しいくらいに真っ白だった。
玄関の真上はバルコニーのようになっており、その窓を中心として、左右に同じ大きさの縦長の窓が続いている。一階にも同じ間隔で窓が配され、そこから廊下を行き来する新入生達の姿が見えた。
塔子は上がった息を整える為、大きく深呼吸をする。紗也加はけろりとしたもので、体力の差は歴然のようだった。
「ホームルーム開始ギリギリってとこね」
「ごめんね。母と話し込んじゃって」
「いいのよ、そんなこと。それより、クラスメイトの男子もチェックしなきゃね。早く行きましょ」
息巻く紗也加の背中を、塔子は笑って追った。