詩織
「入寮式のこと?」
寮に戻るとすぐ、塔子は同室の二年生、古谷詩織に、良司の話の子細をたずねてみた。
松風館高校では、一、二年生がペアとなり各寮部屋に振り分けられる。上級生が、学校に慣れない一年生を教え導くようにと、配慮された振り分けだった。また上級生の側としても、年配者としての自覚を求められるので、互いに研鑽を積むような制度になっている。
ちなみに三年生は、受験に備え、一人部屋を与えられることになっていた。寮棟も分けて配置されている。
寮に入った当初は、先輩だからと気を遣いすぎ、共同生活に疲れていた塔子だった。しかし、今ではそれが嘘のように、互いに打ち解けた間柄になっている。面倒見は良いが、なにごとも干渉しすぎず、割り切った性格の詩織のおかげだった。
「入寮式って、とても恐いって聞きました。どういう内容なのか、ちょっとでも教えてもらえないかと思って」
詩織さんに、と塔子は言い添える。
同室のルームメイトは、互いに名前で呼び合うことが、松風館の慣習になっていた。
詩織は勉強していた手をとめ、うーん、と呟いた。机にゆったりと座り、長い足を優雅に組んでいる。詩織は背が高く、ほっそりとしたモデルのような体型をしていた。
考え込む詩織の背後には、擦りガラスの小窓がある。寮部屋にある唯一の窓だ。そこに今は、夕方の茜色の光が射しこみ、詩織の色白な頬と、縁どるような産毛を照らしていた。
小さな埃が舞うのも見えるほど、鮮明な夕日の時間である。塔子はまぶしさに、少し目を細めた。
「……たしかに、恐いといえば、恐いわね。でも式の内容については、残念だけど教えられないの」
あなたといえどね、と詩織は苦笑する。そのまま目を伏せ、細長い指で眼鏡を押し上げた。詩織の動きに合わせて、銀縁の眼鏡が夕日に反射しチラチラと光る。
「そうですか……」
きっぱりとしたもの言いに、塔子はしゅんとした。こういう言い方をするときには、どんなに聞いても、明かしてくれないのが詩織だった。
塔子がうつむいてしまったので、詩織はまた苦笑する。回転式の椅子を、隣の勉強机に座る塔子へと向け、あらためて正面に座り直した。長い足を組みかえ、屈んで膝に肘をつき、下から塔子をのぞき込む。
詩織は、髪を後ろで一括りにしており、グリーンの長袖シャツとジーパンの、きわめてラフな格好だった。しかしゆったりとした物腰のためか、やけに品があるように見える。塔子には、それがいつも不思議だった。
「不安なんでしょう? 教えられなくて、ごめんね。そういう約束事になっているの」
柔らかな目で、詩織は続ける。
「そうね……。でも、終わってみると、きっと拍子抜けするような行事だと思うわ。こんなものか、ってね。そんなに、構えるようなことじゃないの」
「え、そうなんですか」
少しほっとした塔子を見て、詩織は大きく頷き、安心させるように笑う。こうしたさりげない気遣いはあたたかく、嬉しいものだった。いつも優しく気遣う詩織は、ひとりっ子の塔子にとっては、初めて出来た姉のような存在だ。
「そうよ、だから恐がらないでいいの。それにね……入寮式が終わらないと、あなたは松高の生徒に、なれないのよ」
「もう入学しているのに?」
びっくりして、塔子は声を上げる。詩織はおかしそうに笑い、悪戯っぽい目で続けた。
「たしかに、公には入学しているけれどね。でも私たちから見れば……あなたたちはまだ、本物の松高生じゃないの。教えていないことも、沢山あるのよ」
意味深な言葉に塔子は目を見張る。ふと、以前の良司の言葉を思い出した。喉の奥に小骨がつかえたように、ずっと気にかかっていた言葉があった。
「それは……“緑の王国”という呼び名と、何か関係があるんですか」
「……どこでそれを?」
詩織はすっと顔を上げ、屈んでいた背を正した。
日が少し傾いたことで、窓から射し込む夕日は、ちょうど逆光になっていた。正面の詩織の表情は影になり、読み取りづらいものがある。ただ息を飲む雰囲気だけは、たしかに感じられた。
やはり関係があるのだ、と塔子は確信する。逆光に目を細めて続けた。
「クラスメイトから聞いたんです。お兄さんが、ここの出身だったみたいで」
「そう……他には、何か言っていた?」
「いえ、なにも。その呼び名だけです」
塔子の言葉に、納得したように頷く。二人の間にすとんと沈黙が降りた。
詩織は顎に手をやり、しばらく逡巡した様子を見せていた。言葉を続けようと息を吸うが、結局吐き出し、首を振る。
「……ごめんなさい。今は何も言えない。まずは入寮式だわ。あれが終わらないと、あなたに話せないの。気になっているでしょうけど……もう少し辛抱してちょうだい」
「詩織さん……」
きっぱりと、言い切られる。塔子はそれでも言い募ろうとしたが、話はそこで立ち消えとなった。隣の部屋の二年生、林明日香が入ってきたからだ。
「詩織ぃ、お願い! 宿題、教えて欲しいところがあるの」
ノックもせずに入ってきた林明日香は、紗也加と同室の上級生だった。大人っぽく理知的な詩織と対照的に、明日香はざっくばらんで、甘え上手な性格の持ち主である。紗也加いわく“ぜーんぜん年上に見えない”先輩だった。頭の良い詩織が隣部屋にいるのをいいことに、しょっちゅう宿題を教わりに来ている。
「まったく……。またなの、よくこの学校に入れたわね」
詩織はため息をついて明日香を見やり、立ち上がると背後の窓のカーテンを閉めた。無駄のない動作で部屋の電気を付け、明日香のもとへと向かう。
先程の濃密な空気が霧散し、現実に戻ったように、塔子には感じられた。明日香の元気な声が響き、一気に室内が賑やかになる。
「ここがわからないの。明日までに仕上げないと、怒られるのよ!」
(入寮式が終わるまで、か……)
塔子は小さくため息をつく。
詩織の言うとおり、きっともう少しの辛抱なのだろう。気を取り直して、鞄を引っぱり出す。明日香にならい、自分も宿題に取り掛かることにした。




