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獅子の系譜【旧版】  作者: 谷下 希
第2章 獅子の娘
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詩織

「入寮式のこと?」


 寮に戻るとすぐ、塔子は同室の二年生、古谷詩織ふるや しおりに、良司の話の子細をたずねてみた。

 松風館高校では、一、二年生がペアとなり各寮部屋に振り分けられる。上級生が、学校に慣れない一年生を教え導くようにと、配慮された振り分けだった。また上級生の側としても、年配者としての自覚を求められるので、互いに研鑽を積むような制度になっている。

 ちなみに三年生は、受験に備え、一人部屋を与えられることになっていた。寮棟も分けて配置されている。


 寮に入った当初は、先輩だからと気を遣いすぎ、共同生活に疲れていた塔子だった。しかし、今ではそれが嘘のように、互いに打ち解けた間柄になっている。面倒見は良いが、なにごとも干渉しすぎず、割り切った性格の詩織のおかげだった。


「入寮式って、とても恐いって聞きました。どういう内容なのか、ちょっとでも教えてもらえないかと思って」

 詩織さんに、と塔子は言い添える。

 同室のルームメイトは、互いに名前で呼び合うことが、松風館の慣習になっていた。

 詩織は勉強していた手をとめ、うーん、と呟いた。机にゆったりと座り、長い足を優雅に組んでいる。詩織は背が高く、ほっそりとしたモデルのような体型をしていた。

 考え込む詩織の背後には、擦りガラスの小窓がある。寮部屋にある唯一の窓だ。そこに今は、夕方の茜色の光が射しこみ、詩織の色白な頬と、縁どるような産毛を照らしていた。

 小さな埃が舞うのも見えるほど、鮮明な夕日の時間である。塔子はまぶしさに、少し目を細めた。


「……たしかに、恐いといえば、恐いわね。でも式の内容については、残念だけど教えられないの」

 あなたといえどね、と詩織は苦笑する。そのまま目を伏せ、細長い指で眼鏡を押し上げた。詩織の動きに合わせて、銀縁の眼鏡が夕日に反射しチラチラと光る。

「そうですか……」

 きっぱりとしたもの言いに、塔子はしゅんとした。こういう言い方をするときには、どんなに聞いても、明かしてくれないのが詩織だった。

 塔子がうつむいてしまったので、詩織はまた苦笑する。回転式の椅子を、隣の勉強机に座る塔子へと向け、あらためて正面に座り直した。長い足を組みかえ、屈んで膝に肘をつき、下から塔子をのぞき込む。

 詩織は、髪を後ろで一括りにしており、グリーンの長袖シャツとジーパンの、きわめてラフな格好だった。しかしゆったりとした物腰のためか、やけに品があるように見える。塔子には、それがいつも不思議だった。


「不安なんでしょう? 教えられなくて、ごめんね。そういう約束事になっているの」

 柔らかな目で、詩織は続ける。

「そうね……。でも、終わってみると、きっと拍子抜けするような行事だと思うわ。こんなものか、ってね。そんなに、構えるようなことじゃないの」

「え、そうなんですか」

 少しほっとした塔子を見て、詩織は大きく頷き、安心させるように笑う。こうしたさりげない気遣いはあたたかく、嬉しいものだった。いつも優しく気遣う詩織は、ひとりっ子の塔子にとっては、初めて出来た姉のような存在だ。


「そうよ、だから恐がらないでいいの。それにね……入寮式が終わらないと、あなたは松高の生徒に、なれないのよ」

「もう入学しているのに?」

 びっくりして、塔子は声を上げる。詩織はおかしそうに笑い、悪戯っぽい目で続けた。


「たしかに、公には入学しているけれどね。でも私たちから見れば……あなたたちはまだ、本物の松高生じゃないの。教えていないことも、沢山あるのよ」


 意味深な言葉に塔子は目を見張る。ふと、以前の良司の言葉を思い出した。喉の奥に小骨がつかえたように、ずっと気にかかっていた言葉があった。

「それは……“緑の王国”という呼び名と、何か関係があるんですか」

「……どこでそれを?」

 詩織はすっと顔を上げ、屈んでいた背を正した。

 日が少し傾いたことで、窓から射し込む夕日は、ちょうど逆光になっていた。正面の詩織の表情は影になり、読み取りづらいものがある。ただ息を飲む雰囲気だけは、たしかに感じられた。

 やはり関係があるのだ、と塔子は確信する。逆光に目を細めて続けた。


「クラスメイトから聞いたんです。お兄さんが、ここの出身だったみたいで」

「そう……他には、何か言っていた?」

「いえ、なにも。その呼び名だけです」

 塔子の言葉に、納得したように頷く。二人の間にすとんと沈黙が降りた。

 詩織は顎に手をやり、しばらく逡巡した様子を見せていた。言葉を続けようと息を吸うが、結局吐き出し、首を振る。

「……ごめんなさい。今は何も言えない。まずは入寮式だわ。あれが終わらないと、あなたに話せないの。気になっているでしょうけど……もう少し辛抱してちょうだい」

「詩織さん……」

 きっぱりと、言い切られる。塔子はそれでも言い募ろうとしたが、話はそこで立ち消えとなった。隣の部屋の二年生、林明日香が入ってきたからだ。


「詩織ぃ、お願い! 宿題、教えて欲しいところがあるの」

 ノックもせずに入ってきた林明日香は、紗也加と同室の上級生だった。大人っぽく理知的な詩織と対照的に、明日香はざっくばらんで、甘え上手な性格の持ち主である。紗也加いわく“ぜーんぜん年上に見えない”先輩だった。頭の良い詩織が隣部屋にいるのをいいことに、しょっちゅう宿題を教わりに来ている。

「まったく……。またなの、よくこの学校に入れたわね」

 詩織はため息をついて明日香を見やり、立ち上がると背後の窓のカーテンを閉めた。無駄のない動作で部屋の電気を付け、明日香のもとへと向かう。

 先程の濃密な空気が霧散し、現実に戻ったように、塔子には感じられた。明日香の元気な声が響き、一気に室内が賑やかになる。

「ここがわからないの。明日までに仕上げないと、怒られるのよ!」


(入寮式が終わるまで、か……) 


 塔子は小さくため息をつく。

 詩織の言うとおり、きっともう少しの辛抱なのだろう。気を取り直して、鞄を引っぱり出す。明日香にならい、自分も宿題に取り掛かることにした。


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