三話
蓮が地下牢から出されて半月が過ぎた。その間に伸び放題だった髪を切り揃えてもらい、栄養のある食事をとる。暗闇の中で慣れていた目を日の光に慣らしたり、歩行の練習も行っていた。
侍女たちに両手を支えてもらいながらよたよたと歩く。他には寝台の上で足を曲げ伸ばししたり侍女に揉んでもらったりする。また、腹部を鍛えるために異国にあるという腹筋やヨガなるものを毎日続けたりもした。
「姫様。今日も庭を散歩したりできるように頑張りましょう」
そう声をかけてくれたのは抱き抱えて後宮まで運んできた侍女だった。名を銀苓といった。銀苓は背が高く体格も女性ながらにがっちりとしている。
「銀苓。ええ、頑張りましょう。いつもありがとうね」
「いいえ。お礼を言われる程ではありません。むしろ、姫様はもっと元気に動かれても良いくらいです。ですからまずは歩けるようになりましょう」
銀苓はえくぼのある笑顔を浮かべた。蓮もつられて笑う。
和やかに時は進んでいたのだった。
「陛下。大変な事になりましたぞ」
裟浬が翠蘭にそんな知らせを持ってきたのは蓮が後宮にて銀苓と語らっている時だった。翠蘭は書類から顔を上げると片方の眉をひょいと上げた。
「どうした。裟浬?」
「…それが。弥生が送ってきた書状によるとスオウ国の西側にある白來国の王太子が妙な動きを見せているとか。武器を大量に買い占めたり人身売買にも手を染めているとあります」
「なるほど。白來の王太子がね。あやつは人をいたぶるのが好きなとんでもない趣味を持っているな」
「どうなさいますか?」
裟浬が尋ねると翠蘭はさてと考えこんだ。しばし沈黙した後、答えた。
「…そうだな。引き続き探るように言ったらいい。後、王太子がどこから奴隷を見つけてくるのかも調べるように書状に書いといてくれ」
暗に売られる人々の情報を洗い出せと言われた裟浬は頷いた。すぐに硯に墨をすり筆をそれに浸して急いで返事を書いた。
裟浬は指笛で鷹を呼び出す。その鷹の足に返事用に書いた書状を結びつけた。
「いいか。弥生のところまでこれを届けるんだ。頼んだぞ」
ぴいと高く鳴いて鷹は裟浬の手から飛び立つ。それを眺めていた翠蘭は再び書類に目を戻した。裟浬も片付けをしてから通常の執務に戻ったのだった。
蓮が後宮にて歩行の練習をしてからさらに十日は経った。何とか、庭を少しは歩き回れるほどまで筋力がついている。銀苓はそれを人一倍喜んでいた。
今日も庭を散歩して疲れたので東屋で休んだ。銀苓ともう一人の侍女、名を五十鈴というのだがこの二人が付き添いで側にいる。
「蓮様。今日もたくさん歩きましたね。初日から比べると大変な進歩です」
銀苓がにこやかに言うと五十鈴も頷いた。
「あたしもそう思います。蓮様はいつも頑張っておいでです」
「…ありがとう。私、少しでも元気になって兄上や皆を安心させたいの。そのためにも頑張らないと」
「その意気です。では、もうお部屋に戻って休憩をしましょう。今日からお勉強も頑張っていただかないといけないと陛下はおっしゃっていました」
五十鈴の言葉に蓮は驚いて彼女をまじまじと見つめた。
「それは本当なの?」
「はい。陛下はそのように仰せで。蓮様はいずれ、他国か国内の貴族に嫁がれる身。無学のままではやりにくいだろうとの事です」
蓮は黙ると顔をうつむけた。どうしたのだろうと二人が心配していると彼女は静かに泣いている。はらはらと涙を流していたのでぎょっとなった。
「…蓮様。いかがなさいましたか?」
おそるおそる銀苓が問うと蓮は何でもないと首を横に振る。
「あの。嬉しくて。そうしたら涙が出てきた感じね」
「そうでしたか。蓮様はご存知でしょうが。それを嬉し涙と言うのです」
「嬉し涙…」
「ええ。蓮様、龍神様をお呼びするためにも元気になっていただかないと」
そうねと蓮は言いながら泣き笑いの表情をする。銀苓と五十鈴と部屋に戻ったのだった。
蓮の元に翠蘭が訪れたのはその日の夕方だった。
「いきなりで悪いな。蓮、ちょっと知らせたい事がある」
「はい。何でしょうか?」
「…白來国で妙な動きがあってな。あちらの王太子が一枚噛んでいるらしい。蓮、そなたにも白來国の件で協力してもらいたいんだ」
「協力ですか。どのようにすればいいのでしょう」
蓮が首を傾げて問うと翠蘭は眉をしかめた。
「…そなたには千里眼があったはずだ。今は封印されているが。それを解いた後で白來国の内情を探ってもらいたくてな」
「内情を探る…」
「すまないな。そなたを関わらせたくはなかったんだが。実は蓮の婚約者も決める予定でいる。心してくれ」
「はあ。わかりました」
蓮が了承すると翠蘭は彼女の頭を撫でて立ち上がった。そのまま、部屋を出ていく。婚約者と内情を探る事に気を取られながらも兄を見送る蓮だった。