Scene29 想いの熾天使と世界を滅ぼした現人神
「何……だと?」
レイシアから告げられた事実に、ミカエルは口を空けて唖然とする。
それは、静子も同様であった。
だが、その口を結び、静子は叫ぶ。
「……だから、どうだと言うのっ!? 私に諦めろと言うつもり!?」
「そうじゃない。だけど、一つだけ言わせて」
その静子の圧倒される様な威圧を含んだ氣にも動じず、レイシアは言う。
「私には、あなたを止める権利がある」
その一言をレイシアが告げた一寸の後、静子はレイシアに手に持つ扇を切り付ける様に振るう。
それをレイシアは右手の錫杖で受ける。
「残念ね。私の固有能力はあなたと相反する『命』。ありとあらゆるアストラルを修復する力がある。あなたの『死』も、私の精神力とこの力を持ってさえすれば、抗う事が出来るの」
軋み合う、両者の武器。ギリギリと拮抗する音を立て、双方は相手の眼を見つめる。
「では、『死になさい』っ!」
静子から告げられたのは『死』を告げる言葉だった。
禍々しい氣がレイシアに収束する。
「その言葉は、樹に『接続』しているミカエル同様に、私にも効かないわよ?」
だが、レイシアを包む『死』の氣は、その内から出た神聖と言っても良い眩い光の氣によって霧散する。
「とんだ天敵がいたものね……!」
錫杖から逸れた静子の扇は旋回し、さらに鋭い一撃をレイシアに振るう。
その一撃をレイシアは両手で錫杖を持って受ける。
「『他の世界』へ迷い、また戻ってきたアストラルを駆逐するのは、私にも気が引けるのよ。ここは、一度落ち着いて退いて下さらない?」
「それで、私が退けるとでも思っているの!?」
さらに静子は扇を振るい、レイシアの死角を狙って連撃を浴びせる。
しかし、その連撃は悉くレイシアの錫杖によって受け止められる。
「やるわね。アマテラスを葬った私の力にここまで対抗出来るなんて」
しばらく続いた連撃を止め、静子は呟く。
「やはりね。あなたが高天原を『樹』とした世界を滅ぼしたのね」
その静子の呟きに、レイシアは微笑して言う。
「そうよ。私が連れ去られたあの世界には、リチャードさんはいなかった。だから、そこから脱出する為に滅ぼした」
「酷いわね。自身が管理者として君臨していた世界を……」
「だから、そうして壊すしか脱出する術がなかった!」
「全ては、あの人に会う為?」
「そうよ」
「そこまで、あの人が愛おしい?」
「そうよっ!」
「そう……やはり、あなたは可哀想なアストラルね……」
目を瞑り、そしてレイシアは静子に背を向ける。
「どういうつもり……? あなたには、私を止める権利があるのではなくて?」
「止め、よ。私は、全ての子に平等の愛を注ぐ存在。あなたの、そこまでの彼への想いを止めるのは私の姿勢に反する」
そう告げ、レイシアは静子から去ってゆく。
「レイシア! 君が、兄さんにあの腕輪を送ったというのは本当なのかいっ!?」
去ってゆくレイシアに、ミカエルは叫んで問う。
そのミカエルに、にっこりと微笑んでレイシアは告げる。
「ええ。そうよ。私が今の様な『転生』の意識が無かった頃……ルシファー、いえ、ソロモンに恋していた頃にラファエルと共に彼に贈った大切な『トバルカインの遺産』よ」
そう告げて、レイシアは眩い光と共に消え去った。
それを、ミカエルと静子は唖然と見つめるだけであった。
「ガブリエル……一体何が何だか分からないんだけど」
一連のやり取りを見ていた京馬は傍らにいる天使に問う。
「まあ、いずれ分かることよ」
その京馬の戸惑いの表情を面白可笑しそうに見て、ガブリエルは告げる。
「な、何と言う事だ……!」
その二人に、酷く狼狽した声が響き渡る。
「何故だっ! レイシア! 何故、君までも兄さんを慕う! 何故、この聖戦から離脱したんだっ!?」
その声はミカエルの泣き叫ぶような悲鳴。
悔しそうに唇を噛み、ミカエルは上空へとその顔を向けていた。
「静子」
ガブリエルは、その数歩先に茫然としている静子を呼ぶ。
「何?」
静子は振り返り、ガブリエルへと顔を向ける。
「覚えてる? 私の事?」
首を傾げ、静子は全く分からないといった疑問の表情をする。
「……どこかで会ったかしら?」
「この声、聞き覚えない?」
そのガブリエルの言葉に一寸の沈黙をし、はっとした表情で静子は叫ぶ。
「あなたは……『天の声』っ!」
「そう。あなたを『この世界』に導いたのは私よ。思い出した?」
「ええ、ええっ! 思い出したわ! 私をリチャードさんへと導いてくれた、天の声さんっ!」
先程とは打って変わった明朗な表情と声で静子は言う。
「ふふ、やっぱりその素なあなたが一番魅力的だわ」
その静子の反応に、ガブリエルはとても嬉しそうに微笑む。
「……成程。だから、あの時もこの子の下に行くよう指示したのね」
静子はそう言って、京馬へと視線を向ける。
「そう言う事。彼は、私の恩人にして、私そのものでもあるの。だから、あの時にあなたの助けを呼んだ」
「納得したわ。だけど、意外ね。そんな何も変哲もない子がだったなんて……」
「まあ、彼は巡り合わせよ。選りすぐりというわけじゃない」
そう言って、ガブリエルも振り返り、京馬を見つめる。
会話する両者をしばらく見つめていた京馬は、眉間にしわを寄せ、首を傾けていた。
「静子さんと知り合いなのか?」
静子とガブリエルを見て、京馬は問う。
「いいえ。彼女は、そうね……私と京馬君の救世主と言った所かしら」
「う、ん? まあ、何であの時ガブリエルが静子さんが来る事が分かったのか何となくだけど理解出来た」
釈然としないといった、顰め面の表情で京馬は答える。
「さて、後は彼をどうにかしないとね」
そう言って、ガブリエルは地に力無く座りこむミカエルを見つめる。
「ふ、はは、ははははは……! 僕の愛したものは失ってゆく。だが、兄さんには失ってもまた戻ってゆく……所詮は、僕は兄さんよりも劣っている生物なのか?」
最早、対峙する気力もないミカエルの蒼い瞳の見つめる対象はどこにもいなかった。
ただただ、ミカエルは美しい白の回廊の地面に顔を向ける。
「あいつを、殺せばいいんでしょ?」
手に持つ扇を構え、静子は言う。
「いいえ。彼はこの世界を造り出した『神の木』……いえ、アビスを中心とした全世界の創造主の一部である『枝』の『セフィロト』と自身のアストラルを結びつけたアストラルなの。だから、死ぬ事はない」
だが、今にもミカエルに斬りかかろうとする静子を制して、ガブリエルは告げる。
「死ぬ事はない!? じゃあ、どうすれば奴を倒せるの!?」
そのガブリエルの言葉に、静子は叫ぶ。
「京馬君は、アダムでミカエルには強靭な再生能力がある事を教えられているでしょうけど、それは天使の超回復のせいじゃないの。少し前に戦ったオーディンを覚えてる?」
「ああ」
「あのオーディンは、君達のいる世界とは異なった、でも全く同じ様な世界の管理者だったのよ。彼は普通では殺せない。いわゆる不死身だった。それは、『神の木』に自身のアストラルを融合させたからだった」
「……ごめん。よく分からない」
「そういえば、君は世界の成り立ちについて知らなかったわね? そうね。この世界──京馬君達のいる世界は、アビスの住民によって管理されている事は分かるわよね?」
「そうだな。俺達のいる世界は、天使によって管理されている世界って教えてもらった」
「だけど、それは『この世界』に限ったことなの。アビスを中心とした数々の京馬君達の様な世界は他にも幾つか存在してね? それをアビスの各地方の各住民のテリトリーが牛耳っていると言えば良いのかしら? その中で京馬君達の世界を牛耳っているのが天使と呼ばれるアビスの住民の一団。そして、その様なアビスの住民が管理している世界が幾つも存在しているの」
「うん? つまりは、俺達人間の住む他の世界が他にも存在していて、そのオーディンが管理していた世界も似たような世界だったって事か?」
「そう。そして、その世界は『神の木』と呼ばれるアビスの最奥にある全てのエネルギー、つまりは生命や法則の根源となる途轍もない大きな存在がいるの。それこそが、天使が『我が父』と呼び、人が『神』と崇めるものの正体」
「『木』が、俺達や、全てを生み出した根源……?」
「そう。その『神の木』は、『木』と呼ばれているけど、実際はそうじゃない。それは、無から全てを生み出した、全ての存在の出発にして、全ての存在の帰結する全ての根源。世界はその大いなる存在によって生み出された何世代も前の子供みたいなものよ?」
「何か、スケールがでか過ぎて想像出来ないなぁ……」
「だけど、それが真実。世界は『神の木』によって生み出されたものの一欠片でしかない」
「それは分かった。だけど、それと不死身に何の関係が?」
「さっきも言ったでしょうけど、この世界を生み出した『神の木』の一端、『神の枝』と呼ばれる『樹』は、その神の木に続いているの。だからこそ、エネルギーは絶える事はない。だからこそ、その『樹』とアストラルを『接続』している者はその存在を『接続』している限り、決して消滅する事はないの」
「そうなのか……細かい事はよく分からないけど、大体は理解出来た」
ガブリエルの説明に、首をこくりと頷かせ、京馬は納得する。
「だったら、簡単な事。私の概念の『死』でその『接続』を絶ち切れば、良いんでしょ?」
京馬への説明を終え、一息ついたガブリエルに静子は問う。
「ええ。でも、この天使が管理する世界は少し他とは違う構造なのよ」
「少し違う?」
「そう、この世界の管理者は『二つ』、存在する」
「嘘? そんな事ってあるの!?」
「あるわ。静子は分かっているでしょ? 人という枠組みの法則で世界を識る事は出来ない」
「あ……そ、そうね。でも、管理者が二つとなっていると『接続』を絶ち切っても意味がないのはどういう理由?」
「正式には、その『接続』を絶ち切る事は出来ないという事なの。ミカエルから『接続』を絶ち切っても、もう一つの管理者、『メタトロン』がまた『接続』をし直す」
「つまり、そのもう一つの管理者の一人、『メタトロン』も『接続』を絶ち切らなきゃいけないって事か?」
「いえ、それはもっと無理ね」
「何で?」
静子と京馬の疑問の声に、ため息を吐いてガブリエルは口を開く。
「メタトロンは、言わば『神の木』、セフィロトそのものと言っても良いくらいそのアストラルを同調させているからよ」
「……成程、そのメタトロンを無理矢理引き剥がそうとすれば、私がした様に、世界が消滅してしまうのね?」
「そう言う事。だから、静子。あなたに『二つ』、命じます」
「はい」
突如、穏和な声から鋭い声に変わって発するガブリエルの言葉に、静子は二文字で答える。
「このミカエルから、『樹』への『接続』を絶ち切って。そして、急いでルシファーの下へ行き、ルシファーと『桐人』の繋がりを絶ち切るの。今の『暴走』しているだろう彼の状態なら、きっと成功する筈」
「……どういう事?」
一寸、静子はガブリエルの命令について意図を思慮するが、その真意を理解出来なかった。
「まず一つ目は、このミカエルから一瞬でも『樹』からの接続を絶てば、そのアストラルへの攻撃は甚大なダメージを与えるわ。それで、彼をしばらく眠りにつかせる事が出来る」
「二つ目の理由は?」
「静子には、申し訳ないけど、一端、桐人からアストラルを二分にさせるのよ」
「何故、そんな事を!? 場合によっては、幾ら恩のある天の声さんのお願いでも断るわっ!」
叫ぶ静子を、宥める様な口調で、ガブリエルは静かに、ゆっくりと口を開く。
「いい? 冷静に聞いてね? ルシファーである『桐人』は、ミカエルの逃れられない『堕天』のいわば呪いにかかっている。それは、その方法でしか解呪する事は出来ないの」
「『堕天』の呪い?」
「そう。かつて、ルシファーは第二の失楽園の時、セフィロトの樹の力を最大限に引き出したミカエルの『堕天』によって、その存在を低位にさせられただけでなく、理性までも『堕』とした。だから、『本来』の彼は半狂乱状態であるの」
そのガブリエルの答えに、静子より先に京馬が言う。
「あれ? でも、桐人さんはそのルシファーの力をコントロールしてるって……」
「それは、ある特殊な方法でその力を封じているからこそ出来ていた芸当なの。でも、それも長続きしない。いずれは、それでも歯止めが利かなくなり、桐人はルシファーでも、桐人でもなく、只の世界を破滅に導く化け物となるでしょう」
首を下げ、ガブリエルは少し悲しそうに答える。
「成程ね。だけど、そうなったら……」
そのガブリエルの答えに、静子も納得したが、その後の思慮で苦虫を噛み潰した様な表情で、言葉を閉ざす。
「そうね。その二分されたアストラルが再び一つになるには、甚大な精神力を必要とする。人を超えたアビスの住民を超越する様な精神力が必要なの。だから、下手したら二度とルシファーと桐人……いえ、『人』の部分は交わる事は無くなるでしょう」
「……そんなの、嫌」
子供の様にはっきりとした曇りの表情で静子は呟く。
「そうでしょうね。あなたにとってのルシファー……いえ、『リチャード』の人格が完全に失ってしまうわけだから」
だが、そのガブリエルの言葉にまるで不安をかき消す様に首を左右に振り、静子は告げる。
「でも、私はリチャードさんを信じてる。あの人なら、乗り越えられると」
その静子の漆黒の様に黒い瞳が見せる決意の眼差しを見つめ、ガブリエルは微笑する。
「そう。では、引き受けてくれる?」
そう問うガブリエルの表情は、既に相手が答える言葉が確定している様な、微笑みであった。
「ええ」
静子の単純な二言の答えに、満足気にガブリエルは頷く。
しかし、横槍の様に、暗く、歪んだような声色が周囲に響き渡る。
「ふふ、そんな事を目の前で聞いて、僕が簡単に応じるとでも思っているのかい?」
その声色は先程からうめき声の様に呟き続いていたミカエルのものだった。
「さ、そういうわけだから、行くわよ? 京馬君!」
「あ、ああ!」
ミカエルが立ち上がり、京馬達を睨みつける。
その視線を合図に、一同は臨戦態勢に入る。
「また失った僕は、むしろ決意が固まったよ! この悪魔の子が織り成す世界を、浄化し尽くそうってね!」
世界を包み込む様に、大きく両腕を拡げ、ミカエルは告げる。
「だから言ったでしょう? 私は世界を滅ぼした『元管理者』! そして、アビスの世界を行き来した時に得たアビスの住民そのものに匹敵する精神力! 『管理』する世界にへばり付いたあなたに負ける気は全くないわ!」
そのミカエルへ、静子は『死』の扇を向けて告げる。
「別に、僕は君を相手にしようってわけではない。サンダルフォンっ!」
そうミカエルが告げた途端、黄金色の雲が敷き詰められた世界は歪み、異様な多角の世界が加速する様に、一同を駆け抜けてゆく。
「ははっ! このサンダルフォンはねえ。『世界』でありながら、『アビスの住民』なんだよ! その『世界の体』は、空間を自由に行き来出来る! この意味が分かるかなぁ? はは、はははははははっ!」
「……っ! まさか、あの子!」
「どうしたって言うんだ、ガブリエル!?」
突如、ガブリエルははっとした表情で叫ぶ。
「静子、京馬君!」
「何っ!?」
「何だっ!?」
そのガブリエルの表情と声色の変化に、京馬と静子は表情を戦慄させる。
「急いで、ルシファーの下に向かうわ! ……私とした事が、油断した! まさか、あの子がそんな暴挙に出るなんてっ!」
「暴挙!?」
「そう、あの子、ミカエルは、静子みたいにこの世界自体を消滅させる気なんだわっ!」
「何だってっ!?」
「……許せないっ! 何度も、何度も『死』を与えて、恐怖と絶望に叩きこんでやるわっ!」
驚愕の京馬と、激しい憎悪を撒き散らす静子を導く様に、ガブリエルは多角世界を駆けあがる。