なんで隠して
石垣島にミーニシ(新北風)が吹きはじめ、サシバが南へ向う経由地として沢山やって来て。
そして再び旅立ち南へ渡っていく。
石垣島に短い秋が訪れ日中もだいぶ涼しくなり朝夕は……
「パパ! 海に行こう!」
「はぁ? もう10月だぞ」
「ええ、まだ10月だよ。それにこんなに暖かいじゃん」
「いや、水はもう冷たいからな」
「ああ、嫌なだけでしょ。美緒と出掛けるのが面倒になったんでしょ」
美緒が俺の顔を恨めしそうに見上げている。
面倒な訳じゃなく10月になったら泳ぎに行かないだけなのだが、美緒には今の気候で泳ぎに行かないのが納得できないらしい。
石垣島に来た当時は10月だろうが正月だろうが晴れて気温が上がれば泳ぎに行っていた。
しかし、数年経つと体が石垣島の気候に馴染んできて水が冷たく感じる様になるのだ。
それに、言いたくはないが40も当に過ぎてるしな。
「美緒と出掛けるのが嫌な訳ないだろうが、長らく住んでいると体が島人になるんだよ」
「嘘だぁ、そんな話は信じられないもん」
「強い日差しから肌を守る為に毛が濃くなってきてだな」
「パパのどこが毛深いのさぁ、20年も住んでるくせに」
「この辺かな、これでも濃くなったんだ」
「嘘つき、ツルツルのクセに美緒のほうが毛、毛深いって、パパの馬鹿! 何を女の子に言わせるのよ!」
手の甲を抓んで美緒に見せるが、独りノリツッコミをして真っ赤になりながら疑いの眼で俺を睨んでいる。
仕方なく代替案を考えてるが殆どとは言えないが島の中で遊べる所には連れて行った筈だった。
「なぁ、海じゃなく他に行きたい所か行って見たい所は無いのか?」
「う~ん、海以外なんて石垣じゃ遊ぶトコなんて無いじゃん、あっ!」
眉間にしわを寄せ、目を見開き、そして目を細めて笑って俺の顔を見ている。
それは、真帆が何か好からぬ事を思いついた時の顔そのものだった。
「それじゃ、美味い……」
「ママが働いていた所を見てみたい!」
先手必勝と食い物で釣ろうとしたが美緒が満面の笑顔で放った言葉に見事に打ち砕かれた。
そんな訳で美緒を連れてマンションから車で15分も掛からない名蔵湾沿いにあるヴィラフサキリゾートに来ていた。街の西側を抜けて海岸線沿いに車を走らせていると珊瑚の石積みの上に白壁と沖縄独特の赤瓦を使った塀が見えてくる。
塀に沿って竜舌蘭が綺麗に植栽されていて少し大きな赤瓦の建物が見えてきた。
ホテルの前にある駐車場に車を停めてとりあえず少し大きな赤瓦の建物の中に入りロビーに向う。
近頃は宿泊客以外に対する不審者対策がどこのホテルでも強化されている、それは昔もあったが今ほど煩くなかったのが実情だ。
無駄なトラブルを避けるためにフロントに向かい知り合いを呼び出してもらう事にした。
「こんにちは。私、岡谷と申しますが。料飲課の渡部 良さんはいらっしゃいますか?」
「こんにちは、渡部ですね。しばらくお待ちください」
笑顔でフロントスタッフに聞くと快く確認の電話を入れてくれていた。
「大変申し訳御座いません、渡部は本日14時からの出勤になっていますが」
「そうですか、ホテル内で待たせてもらって良いですか? 渡部が出勤しましたらココに連絡をもらえると有り難いのですが」
腕時計で時間を確認するとお昼前で渡部の出勤時間までには時間がある。
フロントのスタッフに『ニライ・カナイ』の名刺を渡した、個人的な名刺も持ってはいたが職場の名刺の方が身元がはっきりすると思い職場の名刺を選んだのだ。
スタッフは名刺を受け取り一度こちらを伺ってから笑顔で了承してくれた。
これで一先ず館内をブラブラしていても安心な筈だ。
フロントの奥にレストランがありそのレストランが当時のメインダイニングだった。
「このレストランがそうなの?」
「そうだよ、昔はセリーナと言う名前のレストランだったけどな」
「なぁ、パパ。ワタベマコトって男の人なのか?」
「あのな、渡部は正真正銘の男だ。俺の周りは女ばかりだと思っているだろう」
「うん、だってその通りじゃん」
流石に言い返せなかった、『ニライ・カナイ』のテルが男扱いされていないのが不憫に思ったが今はどうでも良い事だと思いビーチに向かう為に歩き出した。
ロビーを抜けて左右にある自動ドアの左側の方から外に出るとコンビニや屋台居酒屋が見える。
海の方向に歩き始めると海に向う遊歩道があった。
右手に見えるバーベキュー会場へとは向わず、ビーチに向うと目の前が開けて海に突き出ている桟橋が見えてくると美緒が駆け出した。
「うわぁ、綺麗だね」
「昔はこの桟橋の上がバーベキュー会場だったんだぞ」
「凄い! 凄い!」
美緒がはしゃぎ回る度にアイスブルーのチュニックワンピがヒラヒラと風に揺れていた。
「転ぶなよ」
「そんな子どもじゃないもん!」
桟橋の先端にある一本傘の日除けの下まで走り手すりから身を乗り出して海を見ている。
嬉しそうに目を細めて俺に微笑み返してくれるその姿は、あの頃の真帆を見ているようだった。
「似過ぎなくらい似ているな……」
「何が似ているの?」
「なんでもないよ」
「綺麗な海だね」
「でも、名蔵湾だからな」
「もう、何で素直に綺麗だなって言えないかな」
「それじゃ、東京に居て高層ビルを高い凄いと思うか? それと同じだよ」
「そっか、いつも側にあるとそれが普通に思えちゃうんだ」
「人も景色もな」
「今日のパパは少し変なんだ」
美緒の言うとおりと言うよりも美緒とフサキに居るからだとは言えなかった。
それは口から出してしまったら夢から覚めてしまいそうで、もう少しだけ夢を見て居たいという自分の願望だった。
ビーチを少しだけ歩いて、屋外プールとBBQテラス夏至南風の間にあるプールサイドバーに向った。
バーは上から見るとカウンターが八角形になっていて真ん中に柱があり横から見ると傘を差したような形になっている
「パパ、早く早く。喉が渇いたよ」
「そんなに急がなくても逃げやしないよ」
美緒が木で作られたベンチに腰を掛けて足をブラブラさせながら、カウンターに肘を付いてバーやその向こうに見えるBBQテラスを眺めていた。
美緒は未成年で俺は運転があるのでアルコールは飲めないのだが、2人ともジュースを飲めば良ものをノンアルコールカクテルを頼んで飲んでいた。
「雰囲気なの雰囲気、せっかく生まれて初めてバーに来たんだから」
「そうなのか?」
「そう言うもんでしょ」
バーのスタッフの女の子と他愛の無い会話をしているとバーの電話が鳴りスタッフの女の子が対応している。
そして俺と美緒の方を伺うように見て声を掛けてきた。
「あの失礼ですが、岡谷様ですか?」
「ええ、そうですけど」
「渡部係長が出勤したとの事ですが」
「そうですか、それじゃ『ゆんたく』の前でと伝えてもらえますか?」
「はい、畏まりました」
恐らくホテル内で時間を潰せる場所と言えばプールサイドバーくらいだと思いここに電話してきたのだろう。
会計を済ませてBBQテラスを通り抜けて『ゆんたく』に向った。
「パパ、凄くオシャレで可愛らしいバーだったね。あんなバーを誰が考えるんだろうね」
「美緒の隣を歩いてるだろ」
「ええ! パパが考えたの?」
「考えて、大まかな設計図を書いて作ってもらって立ち上げたのは俺だぞ」
「なんで隠してたの?」
「別に言うほどのもんじゃないだろ。それにあそこでそんな話をしたら自慢しているみたいで嫌だろ」
「ええ? 自慢できる事じゃない」
「いいや、木っ端恥ずかしい」
『ゆんたく』に近づくと入り口の前で黒っぽいアロハに黒いスラックスに革靴姿のヒョロっとしているが精悍そうな男性スタッフが笑顔で立っていた。
「久しぶり、渡部。なんだか呼び出して悪いな」
「いいえ、こちらこそ。珍しいですね、岡谷さんがフサキに来るなんてって?」
「どうした渡部? 鳩が豆鉄砲食らってるぞ」
渡部が美緒の顔を見て思わず息を呑んで美緒の顔に釘付けになっている、美緒はそんな渡部に驚いて俺の背に隠れるようにしてシャツの裾を掴んでいる。
「お、岡谷さん、その子って……まさか……」
「ああ、あいつの娘だよ。ちょっと事情があって俺が預かってるんだ」
「大羽の娘さん? 滅茶苦茶似てますね」
「瓜二つだろ。美緒、挨拶ぐらい自分でしろよ」
「うん。はじめまして大羽美緒です、パパ、この人が渡部さん?」
「パパぁ? お、岡谷さん預かってるって」
渡部が久しぶりに会ったのに二度目の鳩豆になっている。
「事情があってって言っただろう、深くは聞かないでくれ長くなるから」
「相変わらず、無茶苦茶ですね岡谷さんは」
「マコちゃんには言われたくないよ」
「マコちゃんは勘弁してくださいよ」
お互い笑いあって少しだけ渡部に案内を頼んだ、案内と言っても昔のセリーナの店内を見せてもらうだけなのだが。
店内は完全にリニューアルされて昔の面影は殆ど残っていなかった。
昔は入り口の直ぐ横にキャッシャーがありその後ろにドリンクカウンターがあって、そこで真帆にドリンク出しの仕事を教えていた事を美緒に教えてると美緒は始終キョロキョロとしてフンフンと納得顔をしていた。
「岡谷さん、これからどうするんですか?」
「そうだな、たまにはフサキで飯でも食うか、美緒何が食べたい? BBQかそれとも寿司にするか?」
「お寿司!」
お寿司の言葉を聞いて美緒が大喜びで飛び上がった。
そう言えば俺自身がナマモノが駄目なので居酒屋に行った時くらいしか美緒に刺身や寿司を食べさせてやれなかった事に気づいた。
まぁ、それに対して美緒は何も言わなかったが居酒屋に行くと必ずオーダーしていたので好物の1つなんだろう。
「ゆんたくのカウンターを2人で予約頼めるかな。久しぶりにカニさんにも会いたいしな」
「当然会って行かないと怒られますよ、岡谷さん。カウンター予約しておきますね18時で良いですか?」
「そうだな、頼むよ。後からな」
「はい」
仕事のある渡部をあまり連れまわす訳に行かず予約だけを頼んで、ホテルの中を美緒とブラブラする。
「赤瓦のコテージタイプの部屋なんだね」
「そうだな、ここが人気なのはそんな所にあるのかもな」
「可愛らしいし、石垣島で泊るならこんなホテルが良いな」
「さぁて、未だ時間が有るけどどうするかな」
美緒の顔を見ながら言うとキラキラと輝く瞳で俺を見上げている。
こんな時、真帆ならもっと色んな楽しい事をしたい・知りたいっていう瞳だった。
「真帆が住んでいた所でも見に行くか?」
「本当に? 行く! 早く行こう!」
「そんなに急かすなよ、逃げやしないよ」
「パパ、早く! 早く!」
美緒が俺の腕を掴んで走り出す。
その顔は……胸の中で何かが動いた。
ホテルから市内に戻る。
緑の芝生が広がる児童公園と真喜良小学校の間を抜けて、真喜良団地と新川団地の前を通り過ぎると右手に小さな商店だが大抵の島の人が知っている唐真商店の脇の路地に車を進めると右手に水色のアパートが見えた。
「あそこがフサキの寮だったんだよ、今はどうか知らないけどな」
「パパも最初はあそこに居たの?」
「そうだ、8ヶ月くらいかな」
「それじゃ、ママも?」
「真帆は寮が嫌だと言って友達とルームシェアーをしてアパートに居たんだよ」
「そのアパートはどこにあるの?」
「この近くだよ」
車を突き当たりの防波堤の横に停めて、車から降りて防波堤の上に飛び乗った。
「待ってよ、美緒も」
「ほら」
「うん」
手を差し出し美緒の手を掴んで一気に防波堤の上まで引き上げて、防波堤の上を街の方向に歩き出した。
「パパ、どこに行くの?」
「真帆が住んでいたアパートを見たいんだろ」
「う、うん」
少しだけ歩いて平屋建てのコンクリート家の上から見える、奥の一軒のアパートの2階の窓を指差した。
今も誰かが暮らしているのだろう窓は閉められていたがカーテンが掛けられているのが見て取れた。
「あそこの2階の窓が見える部屋がそうだよ」
「うわぁ、窓から海が見えるアパートにママは住んでいたんだ」
「そう、友達とね」
「ふうん」
美緒は感心しきりだった。
「なぁ、パパ。ママとこの辺で遊んだりしたの?」
「さぁ、どうだっかな。海に行く時に迎えには行ったけどな。この辺のビーチでは寮の奴等と良く遊んだぞ。花火をしたりお喋りしたり」
「ゆんたくしてたんだ」
「相談を持ち掛けられたりもしたかな」
思わぬところで思い出の蓋を開けてしまった。
カシャカシャとスライド映写機の画像が変るように思い出が次から次へと止め処なく溢れ出した。
時間を潰す為に近くのココで飲み物を買い、新川漁港に向かい防波堤から美緒と2人で海を眺めている。
新川漁港も埋め立てられて綺麗に整備されている。
フサキもリニューアルして外観以外は殆ど変ってしまった。
島が変っていくように俺自身も歳を重ねて娘かも知れない美緒と2人で海を見ている。
もう、あの頃には戻れない事は判りきっている。
それでもどこかに変らないでいて欲しいと思う願いと変らない想いが俺の中にあり心を締め付けた。
「パパ、そろそろ行こう」
「そうだな、そんな時間かな」
美緒は何かを感じたのか少し早いが俺の顔を見ながら声を掛けてきた。
フサキに戻るとホテルの中の雰囲気と言うか空気が変っていた。
ロビーに入るなり視線を感じ、フロントバックから見知った顔が覗いている。
軽く会釈をして挨拶をすると笑いながら指を差されてしまった。
『ゆんたく』ではカニさんが今か今かと首を長くして待っていたらしい……
「お久しぶりです、カニさん」
「あいあい、来たさー。デージ チュラサン! ハッシェ 大羽そっくりねぇ」
「カニさん、美緒が怖がってますから」
少し小太りで板前姿のカニさんが昔から変らない優しい瞳で目を細めながら笑っている。
「パパ、この人がカニさんなの?」
「苗字は宮城さんだよ。力と言う漢字に漢数字の二と書いて『かつじ』と読むんだ。だから」
「カニさんだ!」
「美緒ちゃんは食べ物は何が好きなのかな?」
「お寿司!」
「まだまだ、美緒は子どもだな」
「ぶぅ~パパ酷いよ……そ、そうだよねここホテルだもんね。ちょっとはしたないかな」
カニさんに聞かれた美緒が子どもの様に片手を高々と上げて顔をクシャクシャにして答え。
自分で気付いて赤くなって小さくなっていた。
「ふふふ、気にするな。まだ他のお客さんは居ないから」
「恥ずかしいよ」
「岡谷、今日は良い鮪が入ってるぞ」
「こいつが食べたい物を食べたいだけ食わせてやってください」
「相変わらずだな、岡谷は」
「石垣にいる間は俺の娘ですからね、当然でしょ」
「さぁ、美緒ちゃん。何から食べる?」
「鮪も食べたいし、石垣牛のおすしも食べたなぁ」
「よーし、じゃんじゃん握るからね」
「うん!」
カニさんが場の空気を変えてくれて美緒は直ぐにご機嫌になって色々と注文し始めた。
鮪や近海魚の刺身、鮪の握り&石垣牛の握り、シャコガイや島の海や山の食材のオンパレードだ。
カニさんが美緒の前に料理を置くと片っ端から平らげていく、このちっこい体の何処に入っていくのだろう。
そんな事を考えながらノンアルコールビールを飲みながら特注のチャンプルーを摘んでいると渡部が声を掛けながらチケットを2枚差し出してきた。
「岡谷さん。美緒ちゃんと是非これに来て下さいよ」
「なぁ、渡部。お前、目が笑っているぞ。何を企んでいるんだ?」
「玉ちゃん達も会いたいと思うんですよね」
「あのな、それはどっちにだ?」
「もちろん2人ですよ、2人」
そのチケットはこの時期に毎年行われている八重山で行われる泡盛カクテルのコンペティションのチケットだった。
美緒がチケットを覗き込んで嬉しそうに声を上げた。
「行きたい! じゃない行く!」
「決まりですね、お待ちしています」
「はぁ~仕方が無いか……」