米津玄師「Lemon」
今でもあなたはわたしの光。
音楽の世界観というのは一般に抽象的で曖昧なので、それをどう解釈して何を見出すかというのは極めて主観的な事柄になります。ですから、別に私の理解が絶対だ、などということを言いたいわけではないのですが、私の目線からはこれは聖書の世界観だなーということを感じることがたまにあります。そういう作品をつらつらと紹介していこうかなーと。
まずは、米津玄師さんの「Lemon」。なんらかの事情で大事な人と別れたあとの悲しみと、それでも残る希望について歌った歌ですね。これはMVからして教会で女性が踊ったり、みんなで儀式のようなことをしていて、これだけでも宗教的な雰囲気です。普通に考えたら恋人と別れたあとの悲しみについての歌なんですが、それだけだとするとちょっと重すぎるというか。普通に生きててそんなに切実な気持ちになる場面ある?って私なんかは思ってしまうところがあるんですよね。まあ音楽とかドラマというのはそういうものですけど。
では、そういう私がどうしてこの曲に感動するのかと言いますと、これはマグダラのマリアがキリストについて歌っているんだ、と解釈するとしっくりくるからです。マグダラのマリアというのは、キリストの処刑にも復活にも立ち会っている、キリストの周囲の人間の中でもキリストと最も距離の近かった女性です。キリストが昇天する際にはすがりつこうとして、私はこれから天の父のもとにいくんだからそういうのやめなさい、とたしなめられるほどにキリストへの敬慕が深かった人なんですね。
リンゴでもブドウでもなくてレモンっていうところがまさにキリストのメタファーだなーって私は思うんですよね。福音書を読むとわかることなんですが、キリストって単に優しい愛の人、って感じでは全然ないんですよ。義憤に駆られて暴れることもありますし、厳しいこともたくさんいいますし、話す内容も決してわかりやすくはない。よく考えないと、よく考えても、そう簡単に理解できないような話ばかりです。単に甘い果実のように優しいというわけではなく、レモンの酸味のような厳しさがあり、レモンの黄色のような輝きがある。
私個人の経験ベースでいえば、この曲で歌われているような聖なる気持ちを体験したことはまだありませんし、おそらく誰の人生にもそうそうあるような話ではないと思うんですけど。しかし、これをマグダラのマリアがキリストを想う気持ちとして理解すると、ああ、それは激しくつらいわ、っていうのがよくわかるんですよね。なにしろ神の子である救世主との出会いと別れですから、その動揺の大きさは想像を絶するものがあります。
そういうわけで、これは私から見ると立派な聖歌であり、賛美歌なんですね。まあ、音楽というのは突き詰めれば全て、なんらかの祈りであり聖歌であるというのが私の理解なんですが、その中でも極めて優れた聖歌である、ということですね。
動画。
https://youtu.be/SX_ViT4Ra7k?si=Sd4OjsqoOUtko5q5
歌詞。
https://www.uta-net.com/song/244127/




