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3話 この異世界転生、わりと詰んでいる

 突きつけられた現実に、転生者の我は一気にやる気を失った。

 華々しいチート能力も、勇者の称号も、隠された血筋もない。


 ただの町娘――しかも、履歴書仕様のステータスである。


「これでは、転生した意味がどこにあるというのだ……」


 ベッドに大の字に寝転んだまま、目の前に映し出された半透明の画面を、ぼうっと眺める。


「名前……住所……学歴……資格……」


 何度見ても履歴書だ。

 実に堅実で、実に現実的な項目ばかりが並んでいる。


「……ん?」

 

 指先で空中をなぞるようにしてスクロールしていくと、まだ下に続きがあることに気づいた。


「魔法……の項目がある? 炎……だと」


 寝転んでいた身体が、ぴくりと跳ねた。

 

 全身が、期待にそわりと粟立った。

 先ほどまで鉛のようだった四肢に、じわりと熱が戻ってくる。


 そこには確かに、「炎適性」の文字と、炎魔法の項目が記されていた。


 ――見間違いではあるまいな。


 はやる気持ちを抑え、さらに下をスクロールすると、水や土、雷などの適性項目もある。

 見間違いではない。幻覚でもない。


 一気に喜びが胸を満たす。

 

「……使えるではないか! この娘、魔法使いではないか!」


 勢いよく上半身を起こしかけ――また意識が遠のきそうになり、今度はゆっくりと身体を起こした。

 そして、そのまま腕を前へと突き出す。


 ぱっと手を広げ、指先に意識を集中させた。


「ここは異世界! ならば強大な魔法が使えるかもしれぬ! いわゆるチート魔法! 魔法無双の可能性だ!」


 静まり返った部屋の中に、我の声だけが虚しく――しかしどこか誇らしげに響き渡る。


 少女の姿をした我の背後で、「ゴゴゴゴゴ……」という効果音が脳内再生されていた。

 風もないのに髪が逆立ち、背景が暗転し、瞳だけが妖しく輝く――そんな演出まで完璧にイメージされている。


「いでよ! ファイア!」


 ――辺りは静寂に包まれた。


 空気は、ぴくりとも動かない。


「……ファイア? ファイアボール?」


 もう一度、今度は少し声量を上げて唱える。


 だが、手先からは何も出ない。


 振ってみても、指を閉じたり開いたりしてみても、何ひとつ起こらなかった。

 部屋の空気は、どこまでも穏やかなままだった。


「……ふぅ」


 一息つき、どうにか冷静さを保とうとする。

 

 焦りは禁物だ。

 魔法とは精神集中の産物である――と、どこかの物語に書いてあった気がする。


「仕方がない。これはまだ封印しておきたかったが……」


 手のひらを額に寄せ、目を閉じる。

 ゆっくりと息を吸い、静かに吐く。


「……我が血に刻まれし古の契約よ、

 闇に伏せられし焔の王よ、今こそ目覚めよ。


 虚空を裂き、因果を焼き、

 罪深き世界に裁きの光を落とせ。


 ――来たれ、紅蓮。

 ――吠えろ、業火。


 インフェルノ・ブラスト・ゼロ!!」


 決めポーズまで完璧である。

 だが――


 ――辺りは静寂に包まれた。


「…………」


 …………沈黙が、やけに長い。


「この究極呪文でも駄目だというのか!」


 ショックを隠しきれず、両手をだらりと下ろし、おもむろに肩を落とす。


「いつか異世界転生したときのためにと、密かにしたためていた我の究極魔法の呪文だったのだが……。なにか契約形態などが違うのだろうか……」


 手のひらをまじまじと見つめながら、しょぼくれた顔で愚痴る。

 そこにあるのは、何も刻まれていない、ただの少女の手だった。

 

「ファイアでは出なかった。長年考えた呪文もさっぱりだった。あとはなんだ? フレイム! フレア! ヒート! バーニング! ええい、火! 炎! 火球出ろ!」


 半ばやけくそになって叫んだ、その瞬間――。


 手のひらから、一瞬だけ――ボッ、と小さな赤い火が生まれた。


 指先ほどの大きさ。

 頼りないが、確かに炎だ。


「……今、使えたな? 確かに火の魔法だった! 呪文が火球なのが気になるが!」


 再びテンションが最高潮に達し、部屋の中で盛大に喜びの舞を踊ろうと拳を突き上げる。

 だが、それだけで体力を消耗し、そのまま力尽きたようにベッドへ突っ伏した。


 ――嬉しくなると、つい病人であることを忘れてしまうな……。


「だが……町娘スタートではあったが、やっと異世界転生っぽくなってきたぞ。くふふ」


 しかし、純粋に喜んでもいられない。


 呼吸が荒い。

 胸が上下に激しく動き、上半身を起こしているだけでもだるくなる。

 手足もわずかに震えていた。


 ――この町娘、いくら病人とはいえ体力がなさすぎではないか。


 これは……まず、体力作りから始めねばならぬのか。


 理想の異世界転生とは、どんどんかけ離れていく。

 剣も振るえず、魔法も未だ大技は出せず、体力すら乏しい。

 あまりにも残念仕様すぎて、めまいがしてくる。


 ――いや、本当にめまいがするのだが。


 視界がわずかに揺れ、額に手を当てると、じんわりと熱がこもっているのが分かる。


 この世界、町娘ジョブは最弱なのでは……?

 いや、もしかして成り上がり系か? あるいは復讐系なのか!?

 弱いなら弱いで、そこには物語がある。

 さあ、どれだ。


 そんなラノベ知識を総動員した考察を頭の中で繰り広げながら、我は荒くなった呼吸をどうにか整える。

 だが、呪文に関してだけは、どの作品の知識を引っ張り出してきても答えが見つからなかった。

 

「異世界転生ファンタジーのはずなのに、なぜ呪文が我の母国語でなければ発動しないのだ?」


 息を整えながら、疑問が浮かぶ。


 この世界の標準がそういう規則なのか。

 それとも、魔法を使っているのはこの娘の身体ではなく、中に入っている我の意識だから、秘められし母国語でしか反応しないのか。


 考え始めると止まらない。

 だが、この辺りは一人で推測していても答えは出まい。


「それにしても、魔法使いにしては威力がないではないか。チート能力はいつ解禁するのだ」


 深いため息をつく。


 吐き出した息が、熱を帯びている。

 実際、頬は火照り、自分の息も熱い。


 インフルエンザのような症状にも思える。

 だが、咳は出ない。

 それどころか、内臓や筋肉の奥に鈍い痛みが走り、身体の芯がじくじくと疼いている。

 

 残っていた体力ではしゃぎすぎたせいか、次第に瞼が重くなっていく。


「魔法を使ったせいなのか、さっきよりも身体がダルいな。もう起き上がるのもつらい」


 そう呟いた声は、思っていたよりも弱々しかった。

 自分の口から出たとは思えぬほど頼りなく、かすれている。


 そのまま、ゆっくりと目を閉じる。


 意識がゆるやかに沈み、まどろみへと引きずり込まれそうになる。

 その瞬間――。


 ――いや。


 内側から、強引に意識を引き起こす。


 この、目覚めたときから感じていた、この異質なだるさ。

 それは、我の知っている病とは違う気がした。

 

 ただ重いのではない。

 ただ熱があるのでもない。


 それは――胸の奥をざらりと撫でられるような、言葉にしがたい不快感だった。


 これはなんだ?


 この娘の身体は、いったいどうしたというのだ?


 目を閉じたまま、これまでに読んできた数多の転生譚を思い返す。

 病弱設定、魔力暴走、聖女の代償――ありとあらゆる展開を脳内で並べてみるが、どれも決定打にはならない。


 ラノベのように、都合よく答えが転がっているとは限らない。

 伏線が分かりやすく張られ、綺麗に回収される――そんな保証など、どこにもない。


 眉間にしわを寄せ、無意識に口をとがらせる。


 なんだか――我の異世界転生、まったく面白くないのだが……?


 華々しさもなければ、豪華な設定もない。

 その上この身体には、安心感のかけらもない。


 ただ得体の知れぬ不調だけが、じわじわと身体を侵食していく。


 この娘の身体のことを知りたい。原因を突き止めたい。

 

 だが――体力がなさすぎて、思考すらまとまらない。


 身体の怠さに抗えず、我はひとまずベッドへ身を預けた。

 ――そのとき。

 

 コン、コン、と扉をノックする規則正しい音が、部屋にこだました。


 我は反射的に肩を強張らせ、警戒するように扉へ視線を向けた。


 胸は重く、呼吸も浅い。身体のだるさも、相変わらず抜けない。

 それどころか、先ほどより悪化しているようにすら感じる。


 この状態で、外の者が泥棒や強盗だった場合――町娘である我には、抵抗する力も手段もない。


 どうする?

 ここは先制攻撃を仕掛けるか――。

 

 だが、魔法もしょぼい。

 先ほどの小さな火が、どれほどの威力になるというのか。


 どうする、我。

 

 わずかに逡巡した、そのとき。


 扉の向こうから声がかかった。


「フィオレ様? 入ってもよろしいでしょうか?」

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