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3-1

   3 覚醒


 ベッドに横になって天井をボーッと眺める。

 矢塚の屋敷を訪ねた日から2週間が過ぎようとしている。

 あの日以来、瑠樺はGWを含め毎日のように矢塚の屋敷を訪れるようになっていた。雅緋が矢塚に瑠樺の稽古を頼んでしまったためだ。

 矢塚冬陽の稽古というものは変わったものだった。

 1時間の間、一本の線香を見つめることもあった。もちろんそれはただの線香ではない。煙のなかに微かな妖気があり、それを感じ続けることが義務付けられた。

 最近になって変わったことがある。

 一つは妖夢の動きがなくなったことだ。

 雅緋に撃退された夜以来、妖夢が現れたという話を聞かなくなった。

 理由はまったくわからない。

 あの時の雅緋の攻撃で妖夢を退治したのではないかという根拠のない想像は雅緋によってキッパリと打ち消された。

――いいえ、そんなことはあり得ないわ。あれはただのシッポでしかないの。妖夢本体には傷一つついていないはずよ。

 それならばなぜ妖夢は動きを止めたのだろう。いったいどういうことなのだろう。

 考えてみても答えは見つからなかった。とにかく今の自分にはわからないことが多すぎる。

 知らぬ間に静かに眠気が全身を包んでくる。

 目を閉じると途端にうつらうつら意識がボヤケてくる。

 ふと、誰かの声が聞こえてくる。

――あなたの名前は?

 この声はなんだろう? 夢?

 それでも思わずその声に答える。

(私? ……二宮瑠樺)

――あなたの父親の名前は?

(……二宮辰巳)

――自分の存在を知っている?

(存在?)

――妖かしとしての存在

(妖かし? 私が?)

――自らのなかを流れる血を知らないの?

(私の中……)

 問いかけが続いていく。

 その一つ一つの言葉が自分の中に流れ込んでくる。そして、それに応えるように体のなかの何かが反応し熱くなっていく。

 ドクンドクンと自らの心臓音が強く聞こえ、血が体内を駆け巡る。

(何が起きてるの?)

 その時――

 突然、衝撃音が耳に届き、ハッとして飛び起きた。

 そして、自分に何が起きたのかを、なぜか本能的に一瞬で感じ取った。

(誰かが戦っている)

 瑠樺は窓を開け思わず飛び出した。

 驚くほどに体が軽い。重力の存在すら忘れてしまうほどだ。

 一瞬で隣家の屋根の上に飛び上がっていた。

 だが、今は自分の体に起きている異変よりもさっきの気配のほうが気になっていた。

 その気を辿って視線を向ける。

 小さなシルエットだが、はるか遠くのマンションの屋上に2つの影が見える。こんなふうにハッキリと妖気を感じることが出来るなど初めてのことだ。

 考えるより先に、瑠樺はその方向に向かって飛び出した。

 その跳躍もまた初めての経験だった。

 自らの体から今まで知らなかった力が湧いてくるのが感じられる。

 気づいた時には、瑠樺はその二人がいるマンションの屋上に飛び上がっていた。

 目の前にに二人の仮面の人物がいる。

 そのうちの一人には憶えがあった。

 黒い忍び装束、白い仮面、『常世鴉』と呼ばれている一条家に仕える術者の集団で斑目に管理されている。他の術者たちと違い、その素性は八神家の中の者たちにも明かされていない。

 だが、もう一人は?

(猫?)

 猫の着ぐるみの頭部だけをつけているのかと思ったが、その猫の目が大きく動き、さらに口元がニヤリと笑う。奇妙にもタキシードを着こみ、風船のようにパンパンに膨らんだ腹から伸びた短い手足で、屋上に張られた金網の上をポンポンと飛び跳ねている。

「二宮さま、大丈夫ですか?」

 常世鴉はチラリと瑠樺に視線を向け問いかけた。その柔らかい女性の声が瑠樺を気遣っていることを素直に感じさせる。

「は、はい。いったいこれは?」

「この者は、あなたに術をかけていたのです」

「術?」

 さっき夢の中で聞こえた声を思い出す。

「なるほどぉ、二宮の犬かにゃ」

 猫仮面の人物がクククと笑う。「ちゃんとご主人様を護っていたわけね。偉いにゃ」

「貴様は何者か?」

 常世鴉が問いかける。

「さあ、誰かにゃ? ただの通りすがりの野良猫にゃ。気にしなくても大丈夫にゃ」

 とぼけたような口調で答える。

「ふざけるな。戯言を言ってるとそのデカい腹に穴をあけるぞ」

 常世鴉がその右手にクナイを握る。

「乱暴だにゃぁ。人に名前を聞く時は自分から名乗るべきにゃ。学校で教えられなかったのかにゃ?」

 相変わらずポンポンと大きくゴム毬のように弾みながら猫頭は笑う。気のせいか少しずつ体の膨らみが大きくなっているように見える。

「私は一条の常世鴉」

「ありゃ、意外と素直にゃ。でも、名乗るべきはその中身にゃ。ちゃあんとご主人様にもわかるように名乗るにゃ」

 その声は男とも女とも判断つかないような中性的な声だ。

(ご主人様?)

 その口調から、それが瑠樺のことを指しているように思える。だが、その意味がわからなかった。

「黙れ!」

 常世鴉の手からクナイが放たれ、猫仮面の胸元にブスリと突き刺さった。

 だが――

「痛いにゃぁ~」

 それはとても苦痛を伴った声ではなかった。「まったく気が短いにゃぁ」

 体にはクナイが刺さったままだ。しかも、その体は相変わらずどんどんと膨らみ続けている。

「おまえは……」

「お話続けたいけど、ちょっと無理みたいにゃ。そろそろお開きにするかにゃ」

「逃げるつもりか」

「二宮の犬、ちゃんとご主人様の様子を見ることにゃ」

「何?」

「バイバイ、ちゃんとご主人様を送っていくにゃ」

「待て!」

 背を向けようとする猫仮面に向かって常世鴉が詰め寄ろうとする。

 その瞬間、猫仮面の体がさらに一回り一気に膨らむ。

(危ない!)

 そう思うより先に体が動いた。

 猫仮面の膨れ上がった体がまるで風船が破裂するかのように一気に爆発した。爆風が二人を襲う。だが、瑠樺はその一瞬早く常世鴉に抱きつくようにして、そのまま常世鴉の身をかばうようにして爆風に身を任せて転がった。

 猫仮面の妖気がプッツリと消える。

(消えた)

 急いで妖気を探る。だが、既にどこにもその妖気は感じられない。

「な、何をするんですか」

 慌てたように常世鴉が瑠樺から離れる。「あなたに何かあったらどうするつもりですか!」

「ごめんなさい。つい――」

「い、いえ……それよりあの者は?」

 常世鴉も同じように猫仮面の行方がわからないようで、その場で周囲に気を配っているようだ。

「逃げられたみたいですね。でも、あれはいったい――」

 そう言いかけて、瑠樺は突然、自分の体がグラリと崩れるのを感じた。

 疲労感が一瞬で全身を襲う。

 立っていることが出来ず、瑠樺は思わず膝をついた。頭がクラクラと揺れている。

「二宮さま?」

 瑠樺の様子に気づき、常世鴉が駆け寄ってくる。「大丈夫ですか?」

「あなたは……」

 それ以上、何も話すことは出来ず、瑠樺の意識は暗闇へと落ちていった。



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