表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月下奇譚  作者: 土斑猫
六夜の話
50/59

六夜の話・拾肆

 そこは、酷く奇妙な空間だった。


 一切の光が無く。

 一切の音が無く。


 有るのは、薄靄の様に漂う闇と、冷水の様に揺らめく静寂。普通の感覚であれば、忌避してしまいそうな要素の渦巻く空間。けれど、そこでその異様さを最も演出せしめているものは、また別のもの。


 それは、「棚」。


 一つ一つが馬鹿馬鹿しい程に大きな、黒塗りの棚の群れ。それが幾重もの列を成し、見渡す限り延々と続いている。


 全てが書架らしく、中には微塵の隙間も無くギッシリと詰め込まれた数多の書。まるで、図書館の様にも思えるが、それにしては漂う雰囲気が奇妙に過ぎる。


 そんな、場所だった。





 その空間の中心に、ポカリと空いた場所がある。


 そこにあるのは、丸い円卓。もっとも、普通の円卓とは違う。それには、ちょうどドーナツの様に穴が空いていた。そして、その中には二つの人影。


 一人は少年。恐らく、歳の頃は十代前半。目深に被った、ハンチング帽。そして、首に巻いた一織りのマフラーが目立つ。


 もう一人は、少女。見た歳は、マフラーの少年と同じ頃。小柄な身を、黒と白が混沌と絡み合った奇妙な模様の和服が包んでいる。床につくほどに伸ばされた黒髪。その間から、ぞっとするほどに綺麗な顔が覗いている。眠っているのだろうか。その瞳は薄く閉じられ、寝椅子に委ねられたその細い身体は身動ぎ一つしない。



 「……どうしました?君から仕事の話とは、珍しい事ですね」


 少年が、面白そうな口調で話す。円卓を挟み、対面にいる相手に向かって。

 そこにいるのは、長い後ろ髪を揺らす少年。煌夜だった。

 溜息つきつき、煌夜は言う。



 「僕も本意じゃないんだけどね。のっぴきならない事情が出来たんだ」

 「でしょうね。私財稼ぎなんて、基本僕達には関係のない事ですから」



 言いながら、帽子の少年は椅子に深く身を沈める。長いマフラーが不自然な弧を描いて、宙を泳いだ。



 「とは言っても、あの地域で問題になっていたのは『ハールシンギ』くらいですからね。他にあるとすれば……」



 ピシ……ピシピシ……



 軽く目を閉じる少年。宙を舞うマフラーに、光の線が幾つも走る。しばしの間。やがて、少年の目が開く。



 「ありましたね」

 「そうかい?助かるよ」

 「今、”送り”ます」



 言葉と共に、マフラーがスルスルと煌夜に伸びる。



 ピシ……ピシシ……



 マフラーの表面に走る光を見つめる煌夜。やがて、ゆっくりと頷く。



 「同国同時代、○○地方の△△村。ものは、『ナックラヴィー』か……」

 「だいぶ、厄を振り撒いている様ですね。かなり、境界が歪んでいます」

 「どれくらいの、対価になるかな?」

 「『ナックラヴィー』は面倒ですからね。相応は」

 「それは、重畳」



 それだけを聞くと、煌夜はクルリと踵を返す。

 その背に向かって、帽子の少年が声がける。



 「どうぞ、お気をつけて」

 「気遣われる程じゃない」

 「分かってます」

 「それよりも、頼んだよ”例の話”」

 「無問題ですね。”人手”は、いつでも不足していますから」

 「ありがとう」



 そう言い残し、煌夜は去っていく。夜色のその姿が闇の中に溶け消えるのを見届けると、帽子の少年は笑って言った。



 「やれやれ。何だかんだ言っても、情が深いですね。ねぇ、天姫(あき)



 そして、少年は傍らで眠る少女の髪をさらりと撫でた。





 「ふむ。経過は順調……と言うか、ほぼ治癒したと見ていいだろう。おめでとう」



 あたしから抜き取った血を、何やら変な道具で弄っていたサヤ。彼女が、こっちも見ずにそう言った。その声音が、微妙につまらなそうだったのは気付かなかった事にしておこう。


 あの日から一週間。数回の検査の後に、あたしは件の言葉を聞くに至っていた。

 もっとも、自覚症状がなかったから感慨なんて湧く筈もないのだけれど。



 「この病の1期はそんなものだよ。3期以降でも治せるが、その綺麗な身体に跡など残したくはないだろう?」



 その言葉に、あたしはピクリと反応する。



 「……もっと進んでても、治せるんだね?」

 「臓器の壊死や、神経・脳障害を併発していなければ余裕だよ」



 ボソッと「まあ、その方が楽しいがね」と言う台詞が聞こえたけれど、やっぱり気づかないふりをした。


 そもそも、そんな事大した問題じゃない。重要なのは、その前の台詞だ。彼女は言った。確かに。治せると。あたしより、病状が進行していても治せると。


 あたしは、言う。



 「ねえ、サヤ」

 「何かな?」

 「この間の話なんだけど……」



 カチャリ



 サヤが、手にしていた器具を置いた。



 「まあ、易い話ではないな」

 「どうして!?治せるんでしょう!!あなたなら!!」

 「治せるさ」



 噛み付くあたしに、サヤはあっさりと答える。



 「先にも言ったが、こんな病、如何程のものでもない。その気になれば、百人だろうが千人だろうが治せるさ」

 「だったら!!」

 「今ひとつ、分かっていないようだね」



 ツカツカと近づいてきたサヤ。その指で、ツンツンとあたしの頭を突く。



 「言った筈だ。私は君の死を喰らうと。それは、君から死を永遠に奪うに等しい」

 「あたしから……死を……?」

 「そう。あの契約を成した時から、君はもう私のものなのさ。私が在る限り、君は永劫死する事は出来ない」



 白い指が、額から頬に滑る。彼女の肌は、とても冷たい。頬をなぞるその感触に、震える背筋。そんなあたしを愛でながら、サヤは言う。



 「分かるだろう?私は、君を連れて行くつもりだ。常に、私の手元に置いておくためにね。煌夜が支払う額が、多いと思わないかい?あれは、君自身の対価でもあるのさ」



 話すサヤは、物凄く楽しそうだった。それを見て、あたしは理解する。


 そう。彼女にとって、病を治す事は、命を救う行為は、慈愛でもなければ使命でもない。愉悦であり、享楽なのだ。


 何という不遜。何という傲慢。神を無能と表する彼女の根源を、そこに見た様な気がした。


 でも、それはあたしにとっての僥倖だ。


 頬を撫でるサヤの手を取って、自ら頬を擦り付ける。


 囁く声に、いっぱいの艶を込めて。



 「ねえ……。それなら、あたしの願いはあなたにもいい話じゃないの?」



 あたしの誘いに、サヤは笑みで答える。



 「確かに、悪い話ではなかったかな?」

 「だよね。もっと沢山の死が、手に入るんだから」

 「だがね」



 けれど、彼女は言う。



 「それは、より多くの生を背負う事と同義だよ。対価が、なかなかに大変だ」

 「あるだけの”死”じゃ、足りないの?」

 「私が得る対価には十分さ。問題なのは、こちらが払う”対価”だ」

 「あ……」

 「分かったかい?」



 思わず声を上げたあたしを見て、サヤはクスクスと笑う。



 「まさか、煌夜(こうや)が払ってる金貨が無限に湧いてくるものとでも思っていたのかい?」

 「えっと……その、魔法でどうにかしてたんじゃないの……?」

 「魔法は、そうそう都合のいいものじゃない。そんなのは、素人の妄想だ。あの金貨は、正当な手段で稼いだものだよ。その証拠に、煌夜は毎晩仕事に出ていただろう?」



 そうは言われても、にわかには信じられない。それくらい、彼が持ってくる金貨の量はあたしの常識を逸していた。



 「でも、あんな大金が一晩で稼げる仕事なんて……」

 「あるのさ。そして、それがあの子の生業だ」

 「それって、何?あの子、一体何をしてるの?」



 あたしの問いに、サヤは窓の外を見る。



 「聞かなくなったと思わないかい?」

 「何を?」

 「『ハールシンギ』の噂さ」

 「!!」



 あたしがハッとした、その時――



 どよっ



 突然、遠くでどよめきが起こる気配がした。思わず、振り返る。バーの方で、何かがあったらしい。とまどっていると、サヤが言った。



 「煌夜が、帰ってきた様だね」

 「え?」

 「行っておいでな。いいものが、見れるだろうよ」



 楽しそうにニヤニヤするサヤ。この娘がこんな顔をするのは、何か腹積もりがある時だ。何か嫌な予感がする。あたしは部屋を飛び出すと、バーへと向かう。視界の端で、サヤがピラピラと手を振るのが見えた。





 どよどよどよ……



 バーに近づくにつれて、どよめきは大きくなってくる。絶える気配はない。間違いなく、何かがあったのだ。皆の。シェミーの顔が脳裏を過ぎる。


 胸が押しつぶされそうな不安に慄きながら、ドアを開ける。



 「皆!!どうしたの!?」



 そんな叫びと一緒にバーに飛び込んだあたしは、その場で固まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ