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月下奇譚  作者: 土斑猫
三夜の話
19/59

三夜の話・玖

 中上龍樹(なかがみたつき)は、死線の上にいた。


 楠ノ木惠(くすのきけい)を突き飛ばした後、突進してきた暴風に押し倒された。一瞬、真っ白になった視界。それが戻った時、見えたのは自分の目に振り下ろされてくるナイフの切っ先だった。咄嗟に両手で抑えたが、相手の力は強かった。加えて、覆い被さった態勢で体重もかけてくる。瞬く間に押し込まれた。左目の上、数センチでの攻防。



 スゥ……



 必死に耐える彼の首に、相手の左手が伸びてくる。締め上げるつもりだと言う事は分かったが、両手ははナイフを抑えるので精一杯。防ぐ手がない。咄嗟に、相手の腹を蹴り上げる。けれど、ビクともしない。



 「……の、野郎……!!」



 喉にかかる、冷たい手の感触。見下ろす、血染めの仮面。笑みを型どったそれが、さらに笑んだ様に見えた。



 「ちく……しょう……」



 中上龍樹が歯噛みした瞬間、その目にあるものが映った。

 いつの間に、近寄ったのだろう。

 相手の向こうに、楠ノ木惠が幽鬼の様に立っていた。





 あいつは、龍樹との格闘に気を取られている。後ろに立ったあたしには、気づいていない。あいつの手が、龍樹の首を締め上げる。のんびりしてる暇はない。あたしは、両手を振り上げる。手の中には、さっき拾い上げた果物包丁。それを、あいつの背中に力いっぱい振り下ろした。



 ガツンッ



 手に伝わる、鈍い衝撃。

 あいつの身体が、弓形に跳ね上がった。構わない。力一杯、ギリギリと刃を押し込む。



 ギィッ!!



 「きゃっ!!」



 あいつが、耐えかねた様に身を捻った。その勢いで、吹っ飛ばされる。



 ズザザッ



 地面を剃りながら転がる身体。でも、それ(・・)は放さない。

 しばらく地面を剃って、ようやく身体が止まる。



 「あつ……つ……」

 「馬鹿!!何やってんだよ!?」



 そんな声と共に、龍樹が駆け寄ってくる。


 今のやり取りの隙に、あいつの下から逃げられたらしい。突きつけられていたナイフのせいだろう。彼の頬には一筋の傷が刻まれていた。


 咳き込みながらも、倒れているあたしを抱き起こす。彼の腕の中で、あたしは自分の右手を凝視する。そこにあるのは、しっかりと握ったままの果物包丁。


 それを見て、あたしは思わず口にした。



 「……おかしい」



 その言葉に、龍樹が怪訝な顔をする。



 「おかしいって、何がだよ?」

 「これ見て」



 そう言って晒すのは、手にした果物包丁。霧の中で光る、冷たい刃。多少の刃欠けはあるけど、その表面は綺麗なまま。あたしは、言う。



 「血、ついてない!!あんなに深く刺したのに!!」

 「え?」

 「さっきもそうだったの!!お腹のど真ん中を刺したのに、一滴の血もつかなかった!!」



 そう。あたしは二度、確かにこの刃をあいつの中に埋めた。それでも、あいつが血を流す気配はなかった。なのに、



 「あいつ、仮面からだけ血を出してる……」

 「!!」



 龍樹が、ハッとした顔で向こうを向く。そこには、キリキリと軋る音を立てながら立ち上がる、あいつの姿。その仮面に入った大きなヒビ。そこからは止まる事なく血が流れ、白磁の仮面を染めて地面に滴っている。



 「……確かに血、出てるな……」

 「うん……」

 「って事は……」

 「仮面……だね……」



 無言で頷き合う、あたしと龍樹。彼は、言う。



 「って事は、狙い目はあるって訳だ……」



 ジャリ……



 龍樹の手が、地面に転がっていた石を拾う。



 「もう一発、かましてやるか……」

 「龍樹……」

 「オレの影にいろ。その方が、安全だから」



 あたしは頷いて、彼より一歩下がる。



 キリキリキリ……



 あいつが、こっちに顔を向ける。鮮血に塗れた仮面。壮絶な笑みが、あたし達を睨む。



 ……London Bridge is falling down……



 歌が、始まる。

 死を伝える、宣告の様に。



 ……Falling down……



 キリキリキリ……



 軋る音。ゆっくりとナイフを持つ手が上がる。



 …… falling down……



 多分、次はない。これで決められなければ、あたし達は殺される。



 ポン ポン ポン



 あいつの歌を遮る様に、軽い音が響く。龍樹が、爪先で石をリフティングする音だ。


 サッカーの要領で、あいつの顔面に蹴りつけるつもりだ。あいつの動きに合わせてカウンターで当てれば、ヒビの入った仮面はきっと砕ける。そうなれば、あたし達の勝ち。


 で、なければ……。



 ……London Bridge is falling down……



 歌が終わる。あたし達が、その姿を凝視した瞬間、



 フッ



 「!?」



 姿が、消えた。

 一瞬の間。先に気づいたのは、龍樹だった。



 「上か!?」



 言葉に釣られて、空を見る。

 霧に霞む月。そこに舞う、あいつの姿が見えた。



 ザザザザザザッ



 ナイフを振りかざして、真っ直ぐにあたし達に向かって落ちてくる。



 「上等だよ!!」



 カッ



 龍樹が、石を跳ね上げる。そして――



 「くらえ!!」



 あいつに向かって、蹴り上げた。


 一直線に飛んでいく石。目測はバッチリだ。当たる!!あたしがそう確信した瞬間、



 キパァッ



 あいつの仮面の口が、まるで絡繰仕掛けの様にパクリと開いた。



 「!?」



 石が、開いた口に咥え取られる。あいつの目が、狂喜に揺れた気がした。

 もう、成す術はない。立ち尽くす龍樹。あたしは、彼の名を叫ぶ。



 ……My fair lady……



 勝ち誇った歌が、響いた。



 その時起こった事を、あたしは一生忘れない。


 振りかざされたナイフが、龍樹に突き刺さろうとしたその時、



 ガクンッ



 あいつの身体が、空中で止まった。まるで、首を吊る様に。頭と身体がくの字に曲がる。


 あたしは見た。


 白磁の仮面の下。首に巻きつく、長い三つ編み(・・・・)を。



 ポロリ



 あいつの口から、石が落ちる。落ちてくる。ゆっくりと。ゆっくりと。あたし(・・・)に向かって。

 

 『惠……』



 声が、聞こえた。それに押される様に、自然に身体が動いた。落ちてくる石に向かって、足を蹴り上げる。

 渾身の、一生に一度の、ダイレクトシュートだ。足先に当たる石。一気に振り抜いた。



 「いっけぇえええええ!!」



 真っ直ぐに飛んでいく石。それが、あいつの額に当たって――



 パッキィイイイイインッ



 断末魔の様に響き渡る、甲高い音。砕けた仮面の中から溢れ出す、大量の鮮血。降り注ぐ血の雨。そして、



 ボシュウゥウウウウウ



 あたし達の目の前で、切り裂きジャックの身体が塵となって弾け散った。

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