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月下奇譚  作者: 土斑猫
三夜の話
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18/59

三夜の話・捌

 ガシャアァアアンッ



 鈍い衝撃と共に、けたたましい音が弾けた。



 パッ



 途端に自由になる頭。鷲掴みにされていた髪が放されたのだ。あたしはそのまま、前につんのめる様に倒れる。

 


 「はっ!!はぁっ!!」



 咳き込む様に、息をつく。何が起こったのか、分からない。目を向けると、あいつが地面に倒れていた。その傍らに転がっているのは、栄養ドリンクの空き瓶。これが飛んできて、あいつに当たったらしい。

 一体誰が?半ば混乱した思考で、そう考えた時、



 「(けい)!!」



 聞き慣れた声が、あたしの耳を討つ。思わず目を向けると、こっちへ走ってくる龍樹(たつき)の姿が見えた。



 「たつ……き……?」

 「惠!!大丈夫か!?」



 駆け寄ってきた彼があたしの両肩を掴みながら、そう言った。



 「龍樹……」



 呆然とするあたし。言葉も出ない。そんなあたしを見て、彼が青くなる。



 「お、おい!!どうした!?何処かやられ……!?」



 最後まで聞く余裕なんてなかった。彼の言葉が終わらないうちに、あたしは彼に抱きついていた。



 「け、惠!?」



 慌てる彼の身体を、力いっぱい抱きしめる。どれほど必死に走ってきたのだろうか。荒い息と汗の匂い。そして、熱い体温。それが、あたしの身体に染みてくる。霧と刃。それに冷やされきった身体が温もりに満ちてくる。もっともっとと言う様に、あたしは彼の身体を求め続けた。



 「お、おい!!待て!!それどころじゃないだろ!!」



 半ば焦る様な、半ば照れる様な調子で彼が言う。それでも、あたしは離れない。



 「だーっ!!だから、離れろって!!」



 とうとう辛抱たまらなくなったのか、龍樹は無理矢理あたしを押し戻した。



 「ご……ごめん……」



 我に返って、謝るあたし。途端、



 「痛っ!!」



 手の平に焼ける痛みが走って、思わず声を上げた。驚いた龍樹の目が、あたしの手を捉える。そこにあるのは、あいつに刻まれた紅い傷。それを見た龍樹の顔色が、紅から青に変わる。


 あたしの手をバッと取って、傷を凝視する。


 ポタポタと血が垂れる、真っ赤な手。筋や大事な血管が切れる程じゃないけど、そう浅い傷でもない。手を取る彼の手に、力がこもる。



 「い……痛いよ……。たつ……」



 言おうとした口が、固まった。あたしの傷を凝視する龍樹。その顔が、怒っていた。本当に、怒っていた。見た事が、ないくらいに。



 「野郎……!!」



 龍樹の視線が、あいつに向く。


 その先には、地面に横たわるあいつの姿。それが、ビクリビクリと痙攣する様に動いている。



 「惠……、立てるか?」

 「うん……」



 彼の腕に支えられて、立ち上がる。それと同時に、あいつの身体がビクンと跳ねた。思わず、龍樹の腕にすがりつく。



 「龍樹!!駄目だよ!!逃げよう!!あいつは……」

 「分かってる」



 あたしが言葉を紡ぎ終える前に、彼が言った。



 「全部、分かってる……」

 「龍樹……?」



 彼の目が、燃えていた。その額には汗が浮いて、顔色は真っ青。身体も細かく震えている。だから、分かった。龍樹は知っている。あいつが。ジャックがなんなのかを。そして、彼もまた、恐怖している。その存在の、異質さを。でも、それ以上に熱いものが、今の龍樹を突き動かしていた。



 「惠、下がってろ……」

 「龍樹……」

 「大丈夫。言ったろ?」

 「?」

 「お前は、絶対守ってやるって」



 ボッ



 一気に顔に血が上る。こんな時に、臆面もなく何て事を言うんだろう。これだから、こいつは。

 変な意味で戦慄くあたし。けれど、龍樹の表情は至って真剣だ。



 「龍樹……まさか、あいつと……」

 「ああ。ガチンコだ」



 その言葉に、今度は頭から血が下がる。



 「な……」



 何を馬鹿なと言いかけた瞬間、



 カキャンッ



 横たわっていたあいつが、跳ね上がった。そのまま、錐揉みする様にあたし達に向かって落ちてくる。



 「惠!!」



 龍樹が、あたしを庇う様に覆い被さってくる。



 ギャギャギャンッ



 あいつが、地面に抉り込む様に落ちてきた。物凄い衝撃と風。あたし達は、成す術もなく吹き飛ばされる。



 「クッ!!」

 「きゃあっ!!」



 地べたを転がるあたし達。道路脇のガードレールに当たって、ようやく止まる。



 「いつ……つ……」



 クラクラする頭を抑えながら起き上がると、傍らで膝をつく龍樹の姿が目に入った。


 ……ズタズタだった。


 身体中が切り裂かれて、服がじっとりと血に染まっている。あたしを庇ったせいで、攻撃のほとんどをその身で受けたのだ。



 「てて……」



 額から流れる血を拭いながら、呻く龍樹。



 「龍樹!!」



 思わずすがりつくと、ジットリと湿った感触が手に伝わった。



 「大丈夫!?ねえ!!大丈夫!?」

 「いてて!!大丈夫だって!!大した傷じゃねーよ!!」



 嘘だ。傷の幾つかはとても深い。溢れる血の量が、それを物語る。その事を、彼も悟っているのだろう。ヨロヨロと立ち上がりながら言う。



 「こりゃ、早めにケリつけねーとな……」



 そんな彼に、あたしは血に濡れた服の裾を掴みながら言う。



 「いいよ!!もう、いいよ!!ねえ、逃げよう!!一緒に、逃げようよ!!」



 でも、彼の答えは変わらない。



 「わりぃ……。そう言う訳には、いかねーんだ……」

 「何で!?何で駄目なの!?何を、そんなにこだわってるの!?」



 すると、龍樹は苦笑いしてこう言った。



 「逃げたって、追いかけてくるぜ。あいつ……」

 「でも……」

 「霧、あるだろ?」

 「?」



 怪訝そうな顔をするあたし。確かに、周りはずっと霧の海だ。もう、あたし達が何処にいるかも分からない。



 「この霧の中だと、逃げられないんだってよ」

 「え……?」

 「だから、あいつを何とかするしかないんだ」



 額からの血が止まらない。龍樹は何度も拭う。



 「あんた、どうしてそんな事……」

 「南方(みなかた)に、教えられた」

 「!?」



 思いもしない言葉に、あたしは固まる。そんなあたしを見下ろして、ニヘラと笑う龍樹。



 「頼まれたんだ。お前を、助けろって」



 訳が分からなかったけれど、不思議と疑う気にはなれなかった。嘘じゃないと、彼の目が語っていたから。



 「二人分の約束だからな。守らないと」



 そう言って、龍樹がもう一度額を拭ったその時、



 キリキリキリキリ……



 聞こえてくる、軋る音。そして、



 ……London Bridge is falling down……



 響き始める、あの歌声。



 キシキシキシ……



 悪夢の音を立てながら、あいつが立ち上がる。



 ……Falling down, falling down……



 ゴクリ……



 龍樹の喉が鳴る音が聞こえた。あたしも、息が詰まる思いでそれを見つめる。



 キシリキシリキシリ



 緩慢な動きで、あいつの頭が上がっていく。


 またあいつが動き始めるまで、どれほどの間があるだろう。あたしは、必死で考えていた。あたしと龍樹が、ここから生きて帰る方法を。龍樹はああ言ったけれど、今の事態を招いたのはあたしの愚行。せめて、龍樹だけでも。あたしは、ただひたすらに考えていた。



 ……London Bridge is falling down……



 その間にも、あいつは動き続ける。



 キシキシキシ……



 とうとう、あいつの頭が上がった。



 「!?」



 真っ先に目に入ってきたのは、仮面の白ではなく、真っ赤な血の色だった。



 さっき、龍樹が当てた空き瓶のせいだろう。あいつの仮面には大きなヒビが入って、そこから真っ赤な鮮血が流れていた。



 「へ、何だ。結構、効いてるみたいじゃねぇか。化け物だと思ってたけど、結構いけんじゃねぇの?」

 湧き上がる恐怖を抑える様に、軽口を叩く龍樹。その彼の傍らで、あたしは妙な違和感に囚われていた。

 おかしい。何かが、おかしい。



 My fair lady……



 結ばれる歌。

 あいつの身体が、ピクリと動く。



 「惠!!離れろ!!」



 ドンッ



 「キャッ!!」



 叫びと共に、突き飛ばされる。次の瞬間、



 グワッ



 気味の悪い突風が、あたしの傍らを通り過ぎる。



 ズザザザザザザザザッ



 「うわぁっ!!」



 地面を擦る音と、龍樹の悲鳴が聞こえた。



 「龍樹!!」



 目をやると、仰向けに倒れた龍樹に覆い被さるあいつの姿が見えた。あいつの手には、ナイフが握られていて、それを龍樹の左目に振り下ろそうとしていた。



 「こんの……やろ……!!」



 迫る刃を両手で阻む龍樹。けれど、力の差は歴然。ナイフはギリギリと押し込まれていく。

 このままじゃ、いけない。何とか、しないと。焦るあたしの視界に、光るものが映る。



 「!!」



 それは、地面に転がる果物包丁だった。

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