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月下奇譚  作者: 土斑猫
三夜の話
17/59

三夜の話・漆

 彼女は、静かに浮いていた。

 首も、下半身も。何もかも失って。

 

 悲しく。寂しく。痛々しく。


 自分が吐き出した紅い溜りに、プカリプカリと揺れていた。

 白を通り越し、青白く染まったむき出しの肩。

 何もない、白蝋の肩。


 そう。


 先刻まで、確かに刻まれていた蝶のタトゥー。


 それすらも、消えていて。


 何もかもを失って。

 彼女は、プカリプカリと浮いていた。





 夜の街は、霧に覆われていた。


 ネットリと濃く、深々と深い霧。


 右も、左も分からない。あらゆる音は静まりかえり、月の光でさえも千々に霞む白い闇。


 その中を、二人の男が歩いていた。その格好から、巡回中の警官である事が知れる。

 彼らの、片割れが言う。



 「酷い霧だな……。こんな夜は、ヤバイぞ……」



 もう片方も、頷く。



 「ああ。前の被害者達が殺られたのも、こんな夜だ。しっかり、監視しないとな」

 「そう言えば、お前娘さんがいるんだろ?大丈夫か?」

 「心配ない。女房と一緒に、家に鍵をかけて引きこもる様に言ってある」

 「今の所、家の中まで押し込んでこないのがせめてもの救いだからな」

 「まったくだ」



 そんな会話をしながら、歩いていく警官達。彼らが通り過ぎた少し後、



 チラリ……



 霧の中から、小さな光がまろび出た。



 チラ……チラ……



 ユラユラと瞬くそれは、淡く輝く蝶だった。蝶は小さな羽を閃かせながら、霧の中を飛んでいく。ヒラヒラと羽ばたく度に、青く光る鱗粉がチラチラと散る。


 やがて霧の中を抜け出た蝶は、そのまま近くのビルを登っていく。



 フワリ……



 ビルの外壁を登り切り、屋上に舞い降りる。と――



 ス……



 伸びてくるのは、白く細い腕。その先の、白魚の様な指に蝶が止まった。


 指の主は、一人の少女だった。艶やかな、長い金の髪。白いベレー帽に、真っ白なロングのワンピース。


 見る者が見たら、すぐに察しただろう。


 その少女は、先刻街中で行われていた演舞パフォーマンスの担い手。その片割れ。歌を奏でていた少女だった。


 彼女は蝶の止まった指を口元に寄せると、花弁の様に揺れる蝶にそっと口づけをした。途端、



 サラリ



 泡玉が弾ける様に崩れる、蝶の姿。サラサラと夜風に散る、蒼い燐。それを惜しむ様に見つめる少女。すると、



 「見当は付いたぁ?唱未(となみ)ぃ」



 白の少女の背後から、そんな声がかかる。振り返る少女。そこにいたのは、転落防止用のフェンスに腰掛ける、もう一人の少女。


 唱未と呼ばれた少女とは対照的に、黒一色で纏めた服装。大きく裾の広がったチェスターコート。膝よりずっと高いレザーのミニスカート。そして、サイドで纏めた長い黒髪。


 こちらも、先のパフォーマンスを見ていた者ならすぐに分かるだろう。

 踊り手を勤めていた少女である。



 「魅鴉(みあ)、いい加減飽きちゃったぁ。早くぅ、見つけてほしぃんだけどぉ」



 黒の少女――魅鴉は両足をパタパタさせながら、そんな事を言う。


 狭いフェンスの上。バランスを崩しそうなものだが、その様子は全くない。踊り手を務めるだけあって、なかなかの運動神経・バランス感覚らしい。


 そんな彼女に向かって、唱未がパタパタと手を動かす。



 「んん?なぁにぃ?」



 一定の法則を持って動く唱未の両手。どうやら、手話を行っているらしい。彼女の手の動きを見た魅鴉がヒュウと口笛を鳴らす。



 「あらぁ。そんないい催し物があったのぉ?残念ねぇ。観劇してみたかったわぁ」



 パタタ



 唱未が手を動かす。遊びじゃないぞとでも、言っているらしい。

 それを見て、魅鴉はククッと嗤う。



 「分かってるわよぉ。でもぉ、居場所の見当はついたんでしょお。なら、もう焦る事もないわねぇ」



 そう言うと、フェンスの上でゴロリと横になってしまう。



 「もうちょっとしたらぁ、事は終わるわぁ。そうしたらぁ、いきましょう」



 パタ パタパタ パタタ



 唱未が、眉根を釣り上げて手を動かす。しかし、魅鴉はあくまで涼しい顔。



 「いいじゃないぃ。どうせ、今の犠牲者さん達に義理がある訳じゃなしぃ。それにぃ……」



 酷薄に笑む、魅鴉の顔。



 「もう少し喰わせた方がぁ、モノの質が上がるぅ。値も、上がるわぁ。あと二人(・・)くらいならぁ、ちょうどいぃ」

 「………」



 唱未が、怖い顔で魅鴉を睨む。それを見た魅鴉が、楽しそうに言った。



 「ウフフ。あんたのそう言う顔ぉ、たまんないぃ」



 そんな相方の調子に辟易したのか、唱未は溜息を一つついて屋上の縁に近寄る。フェンス越しに見下ろせば、そこにあるのは昏くたゆたう霧の海。その奥にある存在を見通し、唱未は目を細めた。





 ケタタタ ケタ ケタタタタタタタタ



 けたたましい笑い声を上げながら、そいつの身体がキクリキクリと動く。

 あたしはもう、悲鳴を上げる事も出来ない。カラカラに乾いた口を金魚の様にパクパクと喘がせながら、ズリズリと這いずる様に後ずさる。



 キシャンッ



 乾いた音を立てて、そいつが跳ね上がる。


 糸が緩んだ操り人形の様に、一瞬地面の上で崩れ落ち、そしてまた跳ね上がる。全く、人間離れしたその動き。その様はまるで……。


 いや、あたしにはもう分かっていた。ただ、それを認めたくなかっただけ。そう。こいつは、ジャックは、人間じゃない。悪夢の中から這い出した、化け物なのだ。



 キシリキシリ キシリキシ


 揺れる関節を軋らせながら、そいつがゆっくりと立ち上がる。その腹には、あたしが突き立てた果物包丁が刺さったまま。けれど、苦痛を感じてる様子は全然ない。ただ、それがブラブラと動くのが鬱陶しいのか、揺れる包丁の柄にキリキリと手を伸ばす。掴む。引き抜く。無造作に。ダラリと下がった手に握られた、果物包丁。その刃は、キラキラと綺麗なまま。血の一滴も、ついてはいなかった。


 息を呑むあたしの前で、そいつが包丁を投げ捨てる。



 カシャン



 重い音を立てて、包丁が遠くに転がる。もう、あたしに武器はない。



 「ひ……ひ……」



 誤魔化し様もない焦燥と恐怖。ともすれば、ひきつけを起こしそうになる呼吸。それを必死に抑えながら、あたしはただ後ずさる。



 カシャリ



 乾いた足音。そいつが、歩き始める。あたしに向かって。



 カシャリ



 ゆっくりと。



 カシャリ



 ゆっくりと。



 ガクガクと、笑う足。腰が、立たない。這いずる様に、後ずさる。どうする事もなく、後ずさる。



 ……London Bridge is falling down……



 流れ始める、歌。



 Falling down……



 カシャリ



 falling down……



 自分の歌に合わせて、カシャリカシャリと音が踊る。まるで、ステップを踏む様に。



 London Bridge is falling down……



 カシャリ……



 あたしに手が届く、数歩前。その歩みが止まった。



 「………?」



 一拍の間。



 My fair lady……



 歌の音が、結ばれる。そして……



 キシャンッ



 鶏ガラの様に細い身体。それが突然ひねり上がり、跳ね上がった。



 「!?」



 血色のマントが、あたしの頭上を飛び越える。



 ガシャンッ



 背後に落ちる、氷の塊の様な気配。振り返ろうとした瞬間、



 ガシッ



 「ひっ!?」



 髪が鷲掴みにされた。そのまま、物凄い力で引き上げられる。



 「――――っ!!」



 首が脊髄ごと引き抜かれる様な激痛。声が詰まる。涙に霞んだ視界の隅に映る、鈍い閃き。咄嗟に首の前に手をかざす。一瞬感じる、冷たい感触。それが、あっという間に熱い痛みに変わる。



 「痛――――っ!!」



 かざした手に、逆手に持たれたナイフの刃が食い込んでいた。もう一瞬、手で遮るのが遅れていたら、ナイフはあたしの喉笛を切り裂いていたに違いない。けれど、危機が終わった訳じゃない。ナイフはそのまま、ギリギリと押し込まれてくる。



 「や……やめ……」



 片手じゃ抗いきれない。もう片方の手も、刃を掴む。

 必死に押し返すけれど、ビクともしない。むしろ、少しずつねじ込まれていく。手の平に食い込んでくる刃。焼ける痛み。手を濡らし始める、熱い血の感触。あまりの痛みに、手を離したくなる。けれど、それをしてしまったら終わり。その瞬間、ナイフはあたしの喉笛を切り裂くに違いない。



 「や……やだ……!!やだよぅ……!!」



 堪らず漏れる、懇願の声。けれど、そんなものが通用する筈もない。

 鷲掴みにされた髪が、ギリギリと引かれる。

 まるで、頭皮ごと引き剥がそうとするかの様に。


 強引に上向きにされる視界。そこに、そいつの顔が映った。覗き込んでくる、真っ白い仮面。笑っていた。元から笑みを型どった仮面。本当の表情なんて、分かる筈もない。


 それでも、何故か察せた。こいつは今、笑っている。


 それを見て、あたしは気づく。何故、今自分が生きているかを。こいつの力は、尋常じゃない。あたしの抵抗をねじ伏せるなんて、子猫の首をねじ切るくらい容易に出来る筈。それをやらないのは、楽しんでいるから。


 獲物の抵抗に愉悦して。

 恐怖に恍惚を感じて。

 絶望に歓喜しているのだ。


 きっと、こいつはこうしてきた。


 今までも。


 ゆうちゃんを殺す時も。他の(ひと)達を殺める時も。


 こうして、いたぶって。嬲って。弄んで。


 その血と涙で、盃を満たしてきたのだ。



 「あんた……」



 恐怖に萎えていた心に、炎が灯る。



 「よくも……よくも!!」



 きっと、その憤りさえもこいつの餌。でも、止まらない。止められない。



 「あんたなんか……あんたになんか……!!」



 せめてもの抵抗。刃を掴む両手に、力を込める。



 「殺されてなんか……やるもんか……!!」



 キクリ



 あたしを覗き込む白面が、カクンと傾いだ。


 ――もう、飽いた――


 まるで、そう言う様に。



 ギリィッ



 握っていた刃に、さらに力がこもった。



 「あっ!!くぅっ!!」



 押し込まれてくる、刃。あたしも、痛みに痺れる両手に力を込める。でも、力の差は歴然。きっとこのまま、あたしの首は切り裂かれる。ゆうちゃんが。今までの(ひと)がそうされた様に。


 だけど、屈しない。

 せめて、心だけは。


 そして――



 ゴツンッ



 鈍い衝撃が、あたしの身体を揺らした。

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