3話
今回は前回と比べて分量多めとなっております。
「おかえりー」
「ただいま」
母さんに素っ気無い返事を返し、軽く手洗いを済ませると、俺はすぐに自室へ向かうために早足に階段を駆け上がっていった。
――と、普段ならこうなるはずだった。
しかし、帰ってきた俺に掛けられた声はどう考えても母さんよりも若い声、そして気の抜けた声。一瞬幻聴なのではと感じてしまうほどに違和感にまみれていた。
「母さんは?」
「もう行ったよ」
なぜかリビングから芋虫のように這って、玄関先までやってきた幻覚(そろそろ限界を感じる)に俺はとりあえず言っておく。
「俺は夢の中にいるのか?」
「いやいや、現実ですよ」
「じゃあ、芋虫スタイルを今すぐに止めろ」
俺の言葉に無言で芋虫は手を伸ばしてくる。要するに起こせよ、とそういうことだろう。
しばらく手を差し出し続ける芋虫を観察していると、痺れを切らしたのか、一声だけ上げた。
「ん」
「ん、じゃねぇよ」
俺の言葉を聞いた芋虫はほぼ地面に伏せていた顔を上げ、顎を支えに死ながらぼそぼそと呟く。
「手、貸して」
人を哀れむとき、人はこんな感情になるというのか。
若干の悲しさと虚しさ、そして冷め切った心。僅かに手を差し伸べたくなってしまう。
「あ、駄洒落じゃないからね?」
俺の無言を、「『て』、かし『て』」くだらない駄洒落に背筋を凍らせていると感じたのか、少し慌てた感じで指摘してくる。
別にそうじゃねぇし、そもそも気付いてすらいなかった。ただ、知ってしまうと一層心が冷めていく。脳みその中で慌てながら小人が手を動かせと指示を出してくる。きっとこのまま心が冷め切ってしまうことを危惧したのだろう。実にいい判断だ。
差し出された手を握って、美少女の手だということにドキドキしないことに驚きつつ、引きずった。思いっきり、床の上を、引きずった。
「あぁぁぁ、髪の毛がぁぁぁ」
喚くくらいなら歩けば良いのに。
そんな風に思ってしまうのは俺だけではないはずだ。同じ光景を見れば誰だって平等に思うはずに違いない。
「うぅ、髪がぁ」
嘆く彼女をリビングまで引きずってきたところで、彼女は俺の手を振り解き、二足歩行を開始した。しかし、机にある程度接近すると、ほぼ倒れこむようにして突っ伏してしまう。
「あのさぁ」
「はぁい?」
「ところで一体あんたは誰なの?」
刹那、彼女の目が夜空に輝く星の如く輝きだすのを見た。それに嫌な予感を感じた俺は、すぐに意識を集中させる。
「わた」
そこまで口にして彼女は言葉を止めた。俺が右手を前に突き出し、制したからである。
「それはいいから。真面目に、真面目にな?」
俺が真面目な顔で言ったのが効いたのか、姿勢を正ししっかりと俺を見てゆっくりと語りだした。
「我輩は神である。名前はまだ無い」
「そういうのは良いから」
「いやいやいや」
身を乗り出した彼女は、少し焦ったように今の語りだしの重要性を口にしていく。
「本当にわたしは神で、本当にわたしの名前はなくて、本当にどこで生まれたのか分からないんだよ!」
「神?」
「そう、神様」
どこで生まれたのか分からない、名前が分からない、ここはまあ置いておこう。世界は広い。そういう人がいてもなんら不思議はないからな。しかしだ、しかし、神というのは腑に落ちない。確かに、本当に両親の海外出張が唐突に起こったし、なんか不思議な力で治癒された感じはあったけども、けれども、それだけで神という現実に存在しないと十五年間思っていたものを信じることは出来ない。
「お前ドSか?」
「はい?」
「神はドSか、人間をおもちゃだと思っていると相場が決まってるんだよ」
訳が分からないといった様子で彼女は俺を見つめている。つまりこいつは偽者だ。
本当に神がいるのならば、もっと住みやすい世界にしたはずだ。こんな嫌なことと辛いことが繰り返し起こるような世界にするはずが無い。
人々が信仰するような素晴らしき神々ならばそうするに違いない。
「うーん、ちょっと言ってることが分からないけど、でも本当にわたしは神なんだよ」
「証拠見せてみろよ」
「えー、もう疲れちゃったんだけど。朝のが証拠ってことで」
心底だるそうに顎を机につけて喋り辛そうに呟いている。両手が頭を撫でているのは髪の毛を気にしているからだろうか。そんなことしてる暇があるなら早く証拠を見せるべきだろうに。
「見せられないなら出て行ってもらう」
強気の一言をここで一度ぶつけていく。こいつがいるとやたらストレスが溜まりそうで嫌なのだ。
「見せられたら住んでいいの?」
「ああ」
「警備員しちゃっていいの?」
「どんどんやってくれ」
「ふはぁ」
嫌々やってやるぜ感が押さえ切れずに溢れ出ていて、おもわずやっぱりいいやと言ってしまいそうになってくる。なんか俺が極悪人にでもなってしまったような気さえしてくる。この圧倒的な気だるさを無理やりに押さえつけてやってやるぜ感は俺の心を折りかけていた。
「えーっと、じゃあ……君の部屋に行こうか」
言われるがままに俺の部屋に移動を開始する。俺の部屋でなにをするつもりなのだろうか。
「はい、とーちゃーく」
「んで、なにすんだ」
にっこりと笑い、自称神様は頭のおかしなことを平坦な口調で言った。
「部屋を作ります」
両手に腰をあて、自慢げにほくそ笑みやがる神様の言葉を俺は疑った。疑わずにはいられなかった。そもそも、部屋のなかに部屋を作るとか意味が分からない。
「はいはい、で、どこに作るんですかぁ」
「ここです」
俺の適当な返事などまるで耳に入っていない風に、けれど大事なところだけはしっかりと聞き取りながら自称神様が指を挿したのは、押入れ。
「わーすごい」
「はいはい、創っちゃいますよ」
俺の適当な返事を一体どんな風に脳内変換されているのだろうか? 不可能なことに挑戦する姿よりも、その脳みその構造のほうが気になってしまう。
「えーっと、適当に――」
自称神様は、ぼそぼそと呟きながら開け放たれた押入れとにらめっこをしている。俺は後姿を眺めながら無駄に綺麗な黒い髪を一本ずつ数えていく。一体何日掛ければ数え終わるのだろう。
というか押入れ、物が散乱していて汚い。
「はい、準備おっけー」
「九十七……、んあ? ああ、終わったのな」
俺が髪の毛の本数なんて数えているうちに、どうやら準備が終わっていたようで、開けられていた押入れは閉められていた。
「いい?」
首をかしげ、少し眠そうな瞼を擦る彼女に、どうぞの意味を込めて一度頷いた。
コンコン、押入れにノックを二度だけしてから引き戸を引く。
ごちゃごちゃと物が散乱していた押入れが、六畳ほどの空間に創りかえられていた。床は畳張りで部屋の中央にこたつが一つあり、さらにはテレビと小さい冷蔵庫までも用意されている。
ありえない。そんなわけが無い。そんな感想の元に俺は目を何度か擦ってみるが、しかし虚しく現実は俺に目の前の光景を見せつけた。家の構造上ありえないサイズの空間に、思わず俺は絶句していた。
「じゃあ、わたしはこれから警備員として働かせてもらいます」
停止していた思考がその一言によって復帰する。
こいつの言う警備員とはきっと『自宅』と警備員の前につくタイプの警備員だろう。なんたって自称ニートだ。間違いない。
キラキラと輝く瞳が俺になにかの光線を放っている。解読してみれば内容は、「自分で言ったよな?」そんなことを言っているようだった。
「……はぁ、わかったよ約束だ。しかたない」
「お世話になります」
にっこりと邪気のない笑顔に、おもわず「無しじゃないな」なんて思ってしまった自分がなんだか少し恥ずかしい。
「ででん!」
突然に大声を上げ、彼女はこたつへと潜り込んだ。夏にこたつとか暑くないのだろうか。
「という訳で今からわたしの名前を決めたいと思います」
楽しさが押さえ切れないのだろう。ただ笑うというよりも、ニヤニヤと気持ち悪い笑い顔になっている。
神(暫定)は確かにさっき名前がないと言っていた。
だからこそ、俺は芋虫、ニート、幻覚、その他の呼び名で呼んできたわけだが、それらの呼び名とお別れしなければいけないのは実に悲しいことだ。しかし、数分後にはきっと小人さんたちの焼却処分が終わっているだろう。悲しみごと放りこんでくださいな。
「はい、案をどうぞ」
そう言って手の平を天井に向け、俺に指先を向ける。俺に案を出せと言っているらしい。
「ニート」
「却下。はい、次」
とりあえず俺も座ろうと座るものを、視線を彷徨わせて探すが、あるのは暑そうなこたつのみ。そして彼女はお前も来い、と手招きをしている。
仕方があるまい。我慢してやろう。そんな気分で足を突っ込んだこたつは思いのほか涼しく快適だった。神の力で夏仕様のこたつになっているのだろうか。決して冷えすぎることのなさそうなこの温度、確実に人間をだめにする。
突如催促するような視線を送られ、適当に言葉を口にした。
「芋虫」
「次」
「幻覚」
額に血管が浮き上がっていた。もちろん、俺では無い。名前の無い少女が、だ。浮き上がった青紫の血管は素直に怒りを表現していて、そう考えるといま強く瞼を閉ざしているのは怒りからなのだろう。
「人様の名前がニート、芋虫、幻覚。ってどういうこと!?」
「今までの自分に問いかけてくれ」
ぐぬぬ、と声にならぬ声で唸り声を上げた名称不明の彼女は、一旦落ち着くためか、首までこたつに埋め真剣な表情になる。さっきまで浮かび上がっていた血管は姿を潜めていた。
「ゆるキャラ系を自称するわたしには、あまりにも悲惨すぎる名前何じゃないかな?」
「あくまでも自称だからなー」
今度は俺が唸る番だった。
基本的にゲームの主人公の名前は、その日の夜ご飯の名前をそのまま使ったりしている俺にとって、名前を真面目につけるというのは難易度の高い話なのだ。それが、こんな自称神様の良く分からん輩となればなおの事。
「アマテラス、とかどうよ?」
「もういるじゃん」
普通に言われてしまった。特に面白いリアクションを取るわけでもなく、大きな動きをとるでも、大きな声を出すでもなく、極々普通に言われてしまった。
「どんな感じの名前がいいとか希望ないの?」
「普通なの」
「花子」
即答だった。しかし、彼女の表情も即座に凍っていた。つまり却下ということらしい。まあ、そうなるよな、花子じゃな。神様っぽいやつがいいよな、それでもって派手でない名前。
果たしてあるのだろうか、そんな名前?
「そう言えば、お前どうしてここでニートするんだよ」
何か名前に繋がる手立てを探ろうと一言放り投げてみる。
「2110をそろえちゃったでしょ?」
例の詐欺じみた診断機のことだろう。時間と、あとはなんだろうか? その日にそれを使った人数とか?
「まあ、揃えたな」
「それ」
「理由は?」
「なし」
あっさりとしていた。もっとめちゃめちゃハードな理由があるでもなく、神として特別な使命を持って、とかじゃないらしい。もしかすると自分がニート生活を送るために必要な手足を選ぶためにあのサイトを作ったんじゃないかとさえ思える。
「あっさり塩ラーメン」
異形の者を見る視線が俺に向けられた。もちろん、名前としての採用は期待していない。しているわけがない。けれど彼女は名前の提案として受け取ったのだろう、その証拠として鋭い視線が向けられているのだろう。
「ちゃんと考えるから」
当の本人はテレビのリモコンを弄って遊んでいる。
ゆるキャラ系神様。
ゆ、き、け、か。
「優香、とかどうよ」
我ながら素晴らしいひらめきである。『ゆ』るキャラ系『か』み様、のゆとかを取るというこの強引さ。そして割とちゃんとした名前。
きっと俺の表情は腹立たしいくらいドヤ顔していたのだろう。名前が付くかもしれない神は少し悔しそうに、けれど嬉しそうな頬の緩みを隠し切れずに、
「ま、いいんじゃない」
と、言うのだった。
そして可愛らしく小さな咳払いを二度ほどして、満面の笑みで非常に迷惑極まりないことをまるで嬉しいことのように宣言した。
「ゆるキャラ系神様の私こと、優香は本日より警備員としてだらけさせていただきます」
丁寧に下げられた頭に、ゲンコツの一つくらいくれてやっても俺は怒られない気がする。警備員としてだらけるとかがばがば警備じゃないですか。
「いえい」
Vサインをこちらへ向けるその表情は非常に満足気だった。神の加護的なものはもらえるのだろうか?
というわけで、3話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。
なにか意見等ございましたらコメントお願いします。
本作に反映できるかどうかは、作者の時間しだいですが、次回作を書く際に参考にさせていただきます。