epilogue2
トントンとノックされる音が聞こえリリアーノは、どうぞ、と応える。
アリアンテが扉を開けてそばに控えた。
「姫様、準備は整いましたか?」
日頃、表情の豊かな彼女は本日も実に読み取りやすい満面の笑みを浮かべていた。
「ええ。……アリアンテ、今更ですけどわたくしについて来てくれますか?」
リリアーノは緊張しながらアリアンテを見つめた。王城に上がる際、侍女は一人連れて行ってよいことになっている。リリアーノには元々侍女は一人しかいない。幼い頃から支えてくれ、姉のようにけれども妹のように、友人のように側にいた彼女だ。
「勿論ですとも」
アリアンテは朗らかに笑う。
リリアーノも笑みを浮かべて、ありがとう、と頷くと読み終えた手紙を大事にしまった。添えられていた花は黄色い薔薇。
初め目にした時は一瞬『青薔薇姫』から『黄薔薇姫』になったのかと思ったけれど。
リリアーノはくすり、と笑う。昔、アルジオに言われた言葉が鮮やかに蘇った。
あれはリリアーノが七つの頃、貴族の子供同士を集めた食事会で帰り際、主催者の貴族の息子に花束をもらったのだ。
小さな花が集まるその可憐な花を花瓶に挿した日、アルジオがやって来た。
久しぶりに会えたというのにアルジオは父や兄と難しい話ばかりして、リリアーノは盛大にヘソを曲げた。
勿論、仕事の話だとわかっている。だから邪魔はしないし、ヘソを曲げているのも悟られないよう終始無邪気に笑顔を貫いた。
満天の星空の夜だった。
両親とアルジオはまだ話をしている。リリアーノは先に休んだと思っているだろうが、リリアーノは美しい夜空を見たくて仕方なくなった。そうすれば気も晴れそうだったのだ。
部屋をこっそり抜け出し、領地の丘の草原で寝転がり、眺めた星空は壮大で美しかった。
自分の住む領地から見えるこの景色がリリアーノには誇らしかった。
アルジオにも見せてあげたい。リリアーノはいつもは見上げればすぐに気分も晴れるこの景色を独り占めすることに僅かに寂しさを感じた。
いつまでそうしていたのか、
「リリー!!」
何時ぞやは聞くことのない焦りを含んだ声が呼ぶ自分の名に飛び起きる。
「アル兄、様?」
幻?吃驚してまさかの存在の名を紡ぐと、段々と実物であるアルジオが近付き、力一杯その体を抱き締めたことで現実だとそこでやっと気付いた。
「心配しました、ほんと、に。貴女は!!」
それから肩を離して強い口調で声を上げる。なんでもリリアーノとあまり話せなかったことを詫びようと部屋へ行けば真っ暗な室内のベッドにはいない上、窓が開いてカーテンだけが揺らめいていた、と。
直感的に暗殺者や誘拐の類ではないと思ったがすぐに窓から飛び降りて探してきたのだという。
息を切らすアルジオをみてリリアーノは申し訳なくなって肩を縮めた。
「……ごめんなさい。星が、とても、綺麗だったから」
小さく謝るとリリアーノはえぐえぐと涙を浮かべた。
アルジオはその様子をみてやれやれと息をついてリリアーノの頭を撫でた。
それから、リリアーノが泣き止むまでその手は止まることなく、涙が止まった後は満天の星空を一緒に見上げた。
「夜空が見たくて館を抜け出すなんて、リリーもやっぱり子供ですね」
クスクスとアルジオは笑う。アルジオの口調は誰に対しても丁寧だ。それは染み付いてしまったらしくもう直らないらしい。
「……子供じゃないわ、わたし、花を貰ったのよ!」
ふふんと胸をそらすとアルジオが、ああ、と思い出したように言う。
「ライラックですね。リリーの部屋に飾ってあった。窓から出る時に視界に入った気がします」
アルジオは生暖かい目でリリアーノに微笑んだ。なんだか馬鹿にされた気分だ。
「ライラックっていうのね、あのお花。とても可愛い」
リリアーノの敷地にはあの可愛らしい花は植えていない。母が好きなのは派手な花ばかりなのだ。
「……リリー、異性から花を貰った時は、意味をよく考えるんですよ。見慣れない花なら特に」
わけ知り顔でアルジオがリリアーノの鼻をちょんと弾いた。
「花言葉ね?面倒ね、そんな駆け引きよりもストレートに言葉で伝えた方がよっぽど素敵だわ」
リリアーノの言葉にアルジオは苦笑する。
「そうですね。けれどただ贈られるだけより、そのものに意味があれば贈り物は更に嬉しいものになるとは思いませんか?」
「うーん。そうね!それはそう!さすがだわアル兄様!そうやって小さいことからこつこつと積み重ねて女性をくどくんですわね!」
納得したリリアーノにアルジオは一瞬止まってそれから口元を押さえて肩を震わせた。
「まっ、なんですの!また子ども扱いしてますわね!もう立派なレディですわよ!」
「あはは、そうですね。リリーは立派なレディです」
ひとしきり笑った後、アルジオとリリアーノは仲良く手を繋いで屋敷へ戻ったのであった。
あれからーーーー早、十四年。
リリアーノは二十一になり、あの頃のアルジオの歳にようやく追いついた。
花の言葉も今では本を開かなくても分かる。
ライラックが《初恋》を意味することを知った翌日はあの貴族の息子に会うのがなんだか恥ずかしかったことを覚えている。
もしかしたら、あの男の子には特別な意味はなかったのかもしれないが。
それでも、リリアーノが贈り物を貰った時少なからず意味を考えるようになったきっかけでもある。
セイル王子から貰ったものは毎回趣向が凝らしていた気がするが、あの頃は国家予算に手をつける程の額ではまず、なく、王子の交游費から出てその手のプロが選んでいたのだろう、と思う。
リリアーノは黄色い薔薇を髪に挿し、部屋を出た。
手紙の内容は、城へ王妃として迎える準備が整ったということ。迎えに行きますと締められている。
添えられていた黄薔薇の花言葉は、
《君のすべてが可愛い》
リリアーノの長い、長い片思いはこうして終わりを迎えた。
fin