EP 9
エリートの理性崩壊と、勇者(全裸)の誕生
「ふ、ふふ……アハハハハハハハッ!!」
深夜のスーパー折原の屋上に、メガ・マーチャント商会の専務ザルドの、完全に狂気を孕んだ笑い声が響き渡った。
空きっ腹に、アルコール度数40の芋酒を沸騰させて作った『イモッカップラーメン』のスープを一気飲みする。
それは、致死量のストレスを抱えたエリートの脳髄にとって、完全にオーバードーズ(過剰摂取)であった。
ザルドの顔は茹でダコのように真っ赤に染まり、全身からはアルコールの熱気とジャンクな醤油の匂いがモワァァッ! と立ち昇っている。
「……おいおい、いきなり笑い出してどうしたんだエリートさん。美味すぎて頭のネジでも飛んだか?」
泥酔している店長のハルヤが、ジョッキを片手にニヤニヤと笑う。
「飛んだ……? アハハハッ! 違う、違うぞ店長! 私は今、かつてないほどに『冴え渡って』いるのだァァッ!!」
ザルドは、木箱の上に立ち上がり、夜空に向かって両手を広げた。
その瞳孔は極限までガン開きになり、完全に『あっち側の世界』へとトリップしている。
「メガ商会? 次期社長候補? コンプライアンス? ……くだらんッ! なぜ私はあんな数字の奴隷になり、毎日毎日胃を痛めながら本部のジジイ(社長)にペコペコしていたのだ!? このラーメンのスープに比べれば、私のエリート人生などただの『塩分の足りない白湯』に過ぎなかったではないかァッ!!」
ザルドの口から、巨大チェーンの幹部としての抑圧されたストレスが、決壊したダムのように溢れ出した。
「そうだ! 私は自由だ! 売上ノルマからも、社長のパワハラからも解放された! 私の体には今、未知の旨味(MSG)と40パーセントのエネルギーが満ち溢れているのだからなァッ!」
「ガッハッハ! 完全に出来上がってやがるぜ! イモッカの原酒一気飲みは、ドワーフでもこうなるからな!」
竜人イグニスが腹を抱えて大笑いする。
「……ちょろいですの」
その時。
完全に理性が崩壊し、謎の万能感に包まれているザルドの足元に、スッと近寄る小さな影があった。
人魚姫の地下アイドル、リーザである。
彼女のサファイアの瞳は、泥酔したザルドを『判断力を完全に喪失した極上のネギ背負いカモ(VIP)』として正確にロックオンしていた。
「おじ様! おじ様、とってもピカピカで素敵ですのーッ!」
リーザは、上目遣いでザルドの漆黒のスーツの袖をギュッと掴んだ。
「なんだ小娘! 今の私は誰の命令も聞かんぞ! 私は自由なる――」
「分かりますの! 今のおじ様は、ただのエリートじゃありませんの! その溢れんばかりのオーラ……まさかおじ様、神に選ばれし『勇者』なんじゃありませんの!?」
「……ゆ、勇者?」
ザルドの動きがピタリと止まった。
「そうですの! 巨大商会っていう魔王の城で、ずっと本当の力を隠して働かされていた、伝説の勇者様ですの!」
リーザは、息をするようにとんでもない設定をザルドの酔っ払った脳に叩き込んだ。
「そんな覚醒した勇者様に、地球の神様から授かった『最強の聖遺物』を特別にお譲りしますの!」
リーザが懐から取り出したのは、小さな巾着袋だった。
中からジャラッと取り出したのは、真ん中に穴の開いた、真鍮色の硬貨……地球の『五円玉』である。
先日、ルルナのガチャで出た不用品を、リーザが徹夜でピカピカに磨き上げ、「金貨だ」と言い張ってボッタクリ商法に使おうとしていた代物だ。
「ジャジャーン! これぞ、勇者の魔力を百倍にする『金ピカのホーリー・コイン』ですの! 本当は金貨千枚の価値がありますけど……今夜、勇者として目覚めたおじ様にだけ、特別に金貨百枚(約百万円)で全部売ってあげますのーッ!!」
「き、金ピカのホーリー・コイン……ッ!」
ザルドは、アルコールの熱気に当てられた目で、月明かりにキラキラと輝く(ただ磨いただけの)五円玉を見つめた。
普段の彼なら「ただの穴の開いた銅メダルではないか」と一秒で見破るだろう。だが、度数40のイモッカとMSGによって知能指数が著しく低下している今のザルドには、それが真の聖遺物にしか見えなかった。
「おおおぉぉッ! 感じる! コインから溢れ出す、神聖なるパワー(※ただの真鍮の匂い)をッ! そうか、私は……私はエリート専務などではない! 神に選ばれし勇者だったのだァァッ!!」
ザルドは、震える手で財布を取り出し、中に詰まっていた本物の金貨の束を、リーザの手に乱暴に押し付けた。
「全部買おう! 釣りはいらん! 私は真の力に目覚めたのだからなァッ!」
「まいどありですのーッ!! さすが勇者様、太っ腹ですのーッ♡」
リーザがホクホク顔で金貨の束を回収し、五円玉の詰まった巾着袋をザルドの首からぶら下げた。
「……おいおい、リーザ。あんまり酔っ払いをむしり取ってやるなよ」
ハルヤが苦笑しながらたしなめるが、時すでに遅し。
「ぬおおおおおぉぉッ!! 暑い! 体が熱いぞォォッ!」
ザルドが、突然、自分の漆黒の高級スーツを両手で掴み、苦しそうに呻き始めた。
「い、イモッカのアルコールが回ってきたみたいね……。魔王の私でも、原酒を飲んだらあんな風に火照るもの」
ラスティアが呆れたようにため息をつく。
「違う! これは酒の熱ではない! 勇者としての私の『聖なるオーラ』が、このメガ商会の支給品という名の『呪いの拘束具』と反発し合っているのだァァッ!」
完全にイマジナリーな世界線に突入したザルドが、わけのわからない理屈を叫び出す。
「この呪いの鎧を……脱ぎ捨てねばァァッ!!」
ビリッ! ブチィィッ!!
ザルドは、何十万もするであろう最高級のオーダーメイドスーツのジャケットを、力任せに引き裂いて屋上の床に投げ捨てた。
「ああっ! もったいない! それ売ったら私の借金が少し減ったのに!」
ルチアナが悲鳴を上げる。
だが、ザルドの暴走は止まらない。
「まだだ! ワイシャツも、ネクタイも、ズボンもだ! 全てが私を縛り付ける、巨大チェーンの呪縛なのだァァッ!!」
バリバリバリッ! バサッ!
靴を蹴り飛ばし、ズボンのベルトを引きちぎり、ザルドはあろうことか、スーパー折原の屋上のど真ん中で、下半身の『ズボンを下ろした』。
「キャアアアッ!?」
ルルナとリーザが、悲鳴を上げて両手で顔を覆う(指の隙間からはバッチリ見ている)。
「うおっ!? おいエリートさん、さすがに酒の席でも脱ぐのはマナー違反だぞ! 露出狂か!」
ハルヤが慌てて制止しようとするが、もはや狂気に支配されたザルドの耳には届かない。
数秒後。
そこに立っていたのは、最高級のシルクで出来た『純白のトランクス一丁(パンツ一丁)』という、完全に変態と化したエリート専務の姿であった。
首からは、金ピカの五円玉が詰まった巾着袋を下げ、右手には『爆炎魔法の杖』を握りしめている。
「フハハハハハッ! 見よ、この身軽さ! これぞ勇者の真の姿(全裸一歩手前)なりッ!」
ザルドは、パンツ一丁で屋上の風を浴びながら、恍惚の表情を浮かべた。
そして、彼の焦点の合わない視線が、真向かいに建つ巨大なプレハブ建築――自分が昨日建てたばかりの『メガ・マーチャント商会 ポポロ出張所』を捉えた。
「……見つけたぞ。あそこから、邪悪な魔力を感じる……」
ザルドは、自分の店を指差して、ギラギラとした目で叫んだ。
「あれこそが、魔王(社長)の城! ポポロ村の平和を脅かす、悪しきチェーン店の要塞だッ! 神に選ばれし勇者ザルドが、今こそ天誅を下してくれるわァァッ!!」
「えっ……? ちょっと待て、お前、あそこ自分の店だろ?」
ハルヤがツッコミを入れるが、ザルドは「問答無用ォォッ!!」と叫び、非常階段の方へと駆け出した。
「待っていろ邪悪なる魔王(メガ商会)よ! この私が、爆炎の杖とホーリー・コインの力で、貴様らを木っ端微塵に粉砕してやるからなァァッ!」
ガンッ! バタンッ!
ザルドは、パンツ一丁という信じられない格好のまま、非常階段を転げ落ちるように駆け下りていった。
そして、深夜のポポロ村の村道へと飛び出すと、リーザから買わされた『金ピカの五円玉』を、謎の魔除けのアイテムのごとく周囲にパラパラとばら撒き始めたのだ。
「悪霊退散ッ! 魔王滅殺ゥゥッ!! くらえ、聖なるコイン(五円玉)の輝きをォォッ!!」
チャリン、チャリン! と、虚しい音を立てて五円玉が村の未舗装の道に転がっていく。
そのまま、パンツ一丁のエリート専務(自称・勇者)は、奇声を上げながら、自分が建てたメガ商会のプレハブ店舗へと突撃していった。
「「「…………」」」
屋上に残されたハルヤたちは、そのあまりにもカオスすぎる一部始終を、ポカンと口を開けて見送っていた。
「……あーあ。行っちまった」
ハルヤは、手元のジョッキに残っていたイモッカを一口飲み、肩をすくめた。
「度数40の酒とジャンクフードの組み合わせは、エリートの脳髄には刺激が強すぎたみたいだな。完全に社会的な尊厳が死んでやがる」
「ガッハッハ! 自分の店を魔王の城だと思い込んで突撃していくなんて、最高のエンターテインメントだぜェッ!」
「……魔王の私から言わせれば、あんなのが勇者を名乗るなんて大迷惑なんだけど」
イグニスとラスティアが、呆れながらも笑い声を上げる。
ドゴォォォォォォォッッ!!!!
直後、真向かいのメガ出張所の方向から、凄まじい爆発音と、プレハブの壁が吹き飛ぶ轟音が鳴り響いた。
どうやら、パンツ一丁の勇者が『爆炎の杖』を自陣に向けて全力でぶっ放したらしい。
「あわわわっ! 火事ですぅ! 燃えてますぅッ!」
ルルナがパニックになって叫ぶ。
「おいおい、ウチに火の粉が飛んでこないように、ラスティア、氷結魔法で防壁張っといてくれ。……キャルルは、村の自警団(ルナミス帝国の騎士団)に『変質者が暴れてる』って通報しとけよ」
「了解よ店長! アタシ村長だから、こういう時の警察への根回しは完璧よ!」
深夜のポポロ村に、サイレンに代わる警鐘の音がカンカンと鳴り響く。
燃え上がるメガ・マーチャント出張所を背景に、スーパー折原の限界労働者たちは、残ったイモッカップラーメンの黄金色のスープを、実に美味そうに飲み干すのであった。
巨大チェーン企業による完全なる敗北。
そして、明日の朝、警官(騎士団)の事情聴取を前に、ハルヤの【完璧なしらばっくれ(トドメのざまぁ)】が炸裂することを、炎の中で踊り狂うパンツ一丁の勇者はまだ知らない。
読んでいただきありがとうございます。
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