アイ・ラブ・カワサキ ラストライブ ー役所を定年退職した六十代の男ー
午後12時59分30秒から自然発生したカウントダウンの掛け声が高鳴ると「ラストライブ」に向かうバックステージの老人は、ここ何年も勝手に漏れてしまう尿のように、同じ勝手さで心が震え涙が止まらなかった。それを見てもらい泣きする人種差別の仲良しは主催者の肩を叩いて励ました。
「代表、泣くのはまだ早いですよ。最後の闘いはこれからなんですからね」仲良しの旭日旗は一際長尺の竿で、今は静かに萎れていた。
「もし私が激戦地の平和通りで打ち倒れたときは、私の屍如き打ち捨てても構わないから、最後まで先頭で掲揚し続けてくれ」
役所を定年退職した六十代の男と老舗お茶屋の三代目の四十代男は日章旗と旭日旗が勇ましく揺れる中心で強く抱き合った。三代目は代表の甘枯れする加齢臭を感じたが「旗手」を任される高揚感により我慢できないほどではなかった・・・・・・少なくともアドレナリンの下がることはなかったのだった。
さて、後に平和通りから見上げた空にあの赤い浮遊体を最初に発見する二十代の、配達員の女は手ぶらで単独参加していた。彼女は在日二世の朝鮮人男性と日本人女性の間に生まれた若者だったが、彼女がまだ小学二年生の時両親は離婚し、母親に引き取られたこともあり国籍は「日本国」であった。またこのようなデモに参加しようとも「彼ら」をこの街から追い出さなければならないほど嫌いでもなんでもなかった。記憶の中にいるだけの父親が大嫌いなだけだ。しかしそれは彼女が二十歳を迎えた年に、ハイヤーの運転手と再婚した母親にも言えることだったし、実は自分自身も嫌いだった。
度々目にしていたが、これまで無視していたネット上で呼びかけられるデモへ、この度参加してみたのは、何かとんでもないバカなことを公衆の場で堂々と叫ばなければ、いよいよ自分が保てなくなると予感していたからだ。特に思春期を迎えてからが絶えずグラグラしていたわけではないのだったが、切っ掛けがあってもなくても、悲しいかな、スイッチの入る晩や何気ない朝から大波小波に見舞われることは少なくない。期間が長いこともあれば短いときもある。薬を飲むときはお酒を控えたし、諦めなければならないくらい眠れない夜はクズグズと明け方を待つことなくさっさと5~10㎞のジョギングをして、そしてやっぱり諦めた。心に吹き止まない冷たい風を抱えながら・・・・・・だから記憶の中に一人だけいる朝鮮人とは無関係な彼の同胞へ向け、見ず知らずの人たちとミソクソ言ったとして、私の人生が解決するわけがないことくらい承知している。それでも彼女は出来ればまともでいられる為に、まともじゃない何かを行うことで均衡がとれるかもしれない、と考えた。いやむしろ直感した。全くもって無茶苦茶な方法が最も合理的だと思い込む、滑稽で謎に満ちた心理状態に陥っただけかもしれないのだが、何としても今の自分を守りたかった。実は、久しく誰にも言えない恋心を抱いていたのだ。よって深夜の町中を裸なんかで走り回りたくはなかったし、まさか首を括りたくはない・・・・・・。
大量の国旗が上下左右に激しく揺れて心を一つにする絶叫と共にカウントダウンが終わると、警察の盾に護衛された大迷惑集団はようやくルフロン前からの移動を始めた。すっかり暖機の終わったカウンター隊も動きはじめたので、差別主義者からも反差別主義者からも罵声を浴び続けた施設関係者は固い泥を胸に抱えたままどっと疲れ果てた。正直な話し毎年面倒臭いと思っていた先月末のラブ&ピースの騒ぎがどれほど愛と平和だったかを思い知り、レインボーな組み合わせに対して心の真ん中で密かに放置していた差別や侮辱を深く悔いた。




