悪夢(ナイトメア)のママ
「あっら~。久しぶりねぇ。タカさ~ん。和也ちゃんも。いらっしゃい」
ナイトメアという店は、新宿二丁目の中心街に近いビルの地下にあった。
入るとすぐに、キャミソールドレスを着て金髪のかつらを被った小太りの女性がやってきて、高橋と、高橋の肩に乗っているタカに親しげに挨拶をした。
「やぁ、久しぶりだな。キャサリン」
タカも親友に声をかけるような調子で女性に返答する。
「そうよぉ~。タカさんが全然来てくれないんだもん。和也ちゃんにだって全然会えないじゃないのぉ」
キャサリンと呼ばれた彼女が、この店の主人だ。真っ赤なマニキュアを塗った指先で、タカの胸元をツンツンとつついている。
ナイトメアは、名前の通り悪夢のような内装だった。ドラキュラ伯爵の館でもあるかのように、黒い壁に蜘蛛や骸骨の柄が、蛍光塗料で描かれていて怪しく光っていた。物悲しく単調な、人声のような音楽が店内の悪夢感を更に盛り上げていた。
「キャサリンママ、お土産です」
「あら和也ちゃん。いつもありがとね」
高橋の差し出した菓子折を笑顔で受け取って、キャサリンはすぐに真剣な顔になった。
「ってことは」
どうやら、この菓子折を持って現れることが、仕事で来たことを示す合図になっているらしい。
「どうぞ」
キャサリンが道を開けると、高橋は迷うことなく店の奥へと歩いて行く。
「子猫ちゃんもどうぞ」
「こ、子猫?」
「さぁさぁ」
キャサリンは、戸惑っている由良に構わず、彼女の体を押すようにして部屋の奥へと促した。
個室の扉を閉めると、店内のBGMの一切から隔絶され、室内は静寂に包まれた。
「今回の依頼主はそのお嬢さんだ。お嬢さんの彼氏が、マーダルに操られていて、しばらく前から行方不明だ」
すでに、肩からテーブルの上へと舞い降りているタカが、ドア付近に立っている由良をちらっと見ながらキャサリンに説明をしている。
「きみもここへ来て座りなさい」
「は、はい」
「それから、彼氏の写真を、キャサリンに」
薄暗い部屋で良くわからなかったが、明るい個室に移ってみれば、キャサリンと呼ばれる店の主人は、ただごついだけじゃなくて明らかに男性だった。
「キャサリンは、信頼できる情報屋だ。このあたりのことは誰よりもよく知っている」
「やぁね、情報屋だなんて。そんな無粋な言い方しないでよぉ。あたし達、親友じゃないの」
「情報屋が親友でもなんの問題もないぞ」
「あらやだ、うれしいわ」
親しげな会話を聞きながら、由良はスマートフォンを取り出して、待ち受け画面の彼の笑顔をキャサリンに差し出した。
「あっら~。良い男ね」
先ほどよりも一段と艶っぽい声で、彼女は携帯電話の画面を見つめる。
「あたしも、嫌いじゃないわよ」
「お前の好みは聞いてない」
タカはぶっきらぼうにキャサリンの言葉を受け流す。
「あんたのコミュニティーの人間で、最近新しい彼氏を作った人間、いるはずなんだ。聞いてないか?」
質問の形式をとっているが、タカの言葉は妙に確信的だった。携帯電話をじっと見つめていたキャサリンの口角が、きゅっと上がった。
「い・る・わ・よ」
身を乗り出すようにして、「チュッ」とテーブルの上のタカの嘴に口付けした。
「やっぱりな」
タカの目がキラッと光った。
「さすがね。タカさん」
「俺の推理では、恐らく満知子かグレートナオミのとこじゃないかと思うんだが」
「そこまで読んでいるなら、嘘つけないわね。ナオミよ。あの子、先週から、イケメンな彼氏を店で雇ったって。自分のところのマンションに泊めてやってるって言ってたわ」
「ふむ。決まりだな」
タカがまるで腕でも組むかのように羽を重ねた。
「『タンポポ』ですね」
高橋が店の名を口にする。
「助かったぜ、キャサリン。行くぞ」
由良に出発を合図して、タカはバサバサと赤い羽根を広げて、高橋の肩に戻った。
「あらぁ~。もう行っちゃうの。もう少しいいじゃない」
「俺もそうしたいのはやまやまなんだが、依頼主が泣きそうなんでね」
不安と心配で押しつぶされそうな由良の瞳に、タカの赤い羽色が映った。
「そうね。仕方ないわね。また来てよ。ゆっくり。仕事じゃない時に」
残念な気持ちをその大きな体全体で表わしながら、キャサリンが大きな溜息をつく。
「分かった。また来るよ」
「約束よ」
キャサリンに右羽を広げて返事をしながら、タカと高橋は部屋を出た。由良も慌ててそれに続いた。