マーダル星人
「それで、その飛行艇だ」
鋭い視線が、由良の瞳を射る。
「は、はい」
「普段は黒くて人目につかない飛行艇が、光る時がある」
「それを、彼が見たってことですか?」
「そういうことになるね。彼氏が送って来た画像が、まさにそのページの右上の写真と同じだろう?」
タカは椅子から立ち上がり、嘴で右上の写真を指差した。そしてそのまま、上目遣いにニヤリと笑う。
「それってもしかして、彼はそのゴキブリ型宇宙人にさらわれた、ってことなんですか?」
「まぁまぁ、そう急かすな。冷めないうちに、あんたも飲みなさい」
椅子に座り直したタカは、腰を浮かせる勢いの由良に苦笑を浮かべた。それから、大きな嘴で、ミルクティーと一緒に置かれた小さな皿から干しブドウをついばむ。
家を出てからここまで三時間。由良は辿りつくのに必死で、何も飲んでいなかった。キャラメル色のミルクティーの水面に、たくさん歩いてすっかり喉が渇いていることを改めて認識する。
上品な野イチゴ柄のマグカップに唇を触れた。猫舌の由良にちょうどいい温度に下がったミルクティーは、ベルガモットの豊かな香りを含んでいる。由良は、冷静にミルクティーを喉へと流し込みながら、今聞いたばかりの話を必死に理解しようとしていた。
「飛行艇がさっきの写真のようにオレンジ色に光るのは、地球を離れる合図なんだ」
「それって、もしかして」
「その調査船が、マーダル星へ戻る合図だ」
「ってことは彼は、そのゴキブリと一緒に彼らの星に連れていかれたってことなんですか!」
ガチャリ
乱雑にソーサーに戻されたカップが大きな音を立てた。その音に、由良自身がビクリとする。
「まぁ落ち着きなさい」
「お、落ち着いてなんかいられますか! だって、彼が…、彼が…」
誰だって、自分の愛する彼氏がゴキブリ(型宇宙人)にさらわれて、ゴキブリ(型宇宙人)で溢れかえる宇宙船に乗せられ、ゴキブリ(型宇宙人)が暮らす遠い星に連れて行かれたのだと聞かされたら、正気でいられるはずはない。
彼女の端正な顔が、今にも泣き出しそうに歪む。
「まぁ落ち着いて、話を最後まで聞きなさい」
タカは呆れたようにため息をついた。首を回して、羽繕いをする。
「マーダル星人は、大きな船団を組んでほぼ毎年やってくるんだ。そのつど人員の入れ替えが行われる。ひとつの船には数千人の個体が乗れるが、見ての通りの平たい船だ。マーダル星人以外の生物を乗せるスペースはない。そもそも彼らは、調査結果をデータとして持ち帰る。情報を刻んだ記録媒体を持ちかえるのが目的だ」
「つまり、人は乗れない、ってこと?」
「そういうことだ」
「よかった」
まるですべてが解決したような満足げな表情を浮かべて、由良はくたっとソファーの背もたれに沈みこんだ。よかった。彼はゴキブリ(型宇宙人)の船には乗らなくていいんだ。ゴキブリ(型宇宙人)の星に連れて行かれることもないんだ。
「しかし、彼氏を探し出すまであんたの依頼は終わらない」
「は、はい! もちろん」
タカの次の言葉に、由良はバネ仕掛けの人形のように再び身を乗り出して、目を見開いてすがりつく。
タカは、ゴクゴクと喉を鳴らしてミルクティーを飲み干して、皿の中の干しブドウを、インコなのに鷲掴みにして豪快に口に放った。
「よし。出かけるぞ」
「はい」
タカの隣に控えていた高橋が返事をする。
カツカツと革靴を鳴らして、壁面の作り付けの棚に向かう。
バサバサバサ
豪快な羽音を立ててタカが部屋を横切って、サッと高橋の肩の上に舞い降りた。
「D4は要らないだろう。恐らく、まだ間に合う。代わりに、ミラクルキューブとACSスプレーを」
「はい」
肩から引き出しの中を覗き込みながら、高橋に指示を出す。高橋は、手際よく言われた物を銀色のアタッシュケースの中にどんどんと入れていく。
「それから、CNG」
「はい。周波数は……」
「MD46000だな」
彼らがCNGと呼んでいるのは小型のラジオのような装置だった。高橋は、その上部についた目盛りをぐるぐると回し、MD46000にセットする。
「よし。準備はできたな。出かけよう」
首だけを回して、タカがソファーに座ったままの由良に呼び掛ける。
「あの……行くっていったい……どこへ行くんですか?」
「あんたの彼氏を連れ戻しにだ」
タカは再び羽ばたいて、観葉植物の脇に立てられた止まり木に移った。
「え? 彼の居場所、知っているんですか??」
「正確には分からないが、心当たりはある」
「とにかく出かけるぞ」
「参りましょう」
アタッシュケースを下げた高橋が、由良のコートをハンガーから外して彼女に差し出す。
「ありがとうございます。うわっ!」
コートを受け取った左腕に、タカがふわりと舞い降りたのだ。
「な、なにするんですか?」
「車へ行くまでの間だ。少しくらいいいだろう」
ふふ~ん、と、腕の上でタカが鼻を鳴らした。
「所長は留まるのお上手ですから、痛くないでしょう?」
ドアへと歩きながら、高橋は涼しい笑みを浮かべている。そして、笑顔を浮かべたままドアを押し開く。
「さぁ。参りましょう、森口様」
どこまでも有能な伯爵家の執事だ。
左腕に止まったベニコンゴウインコ伯爵と黒髪の執事を交互に見ながら、由良は、どこまでが現実なのかを一生懸命に考えようとしていた。