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最後の星夜祭《下》

背中に人の気配がする。

ぎゅっと目を瞑る。


「よう」


不意に聞きなれた声が後ろからした。


何度も何度も夢にまで聞いた声―

絶対間違えることない。


私は頬を膨らませて振り返った。


「遅いじゃない!」

「悪かったな」


そういうと彼は隣に座った。

あの頃と変わらない姿だ。


「いなくなって困ったんだからね。アルバイトリーダーが抜けて1人じゃ店回せないよ?!」

「マスターは仕事しなさすぎだからな。忙しくなってちょうどいいだろ?」

彼は呑気な声を出すと、ニカっと笑った。


「元気にしてるか?」

「元気にしてるよ」

彼は少し嬉しそうに笑って「そうか」と切なげな声で小さくつぶやいた。


「今は何をしてるんだ?」

「会社員」

「音楽は?」

「・・・やってない」

「なんでだよ?」

「もう今更一人で演奏しても楽しくないんだもの」

私はぎゅっと手を握った。

軽やかに演奏していた指は、いつからか軽やかさを失った。


「俺はお前の演奏好きだったけどな」


「・・・あんたがいなくなるのが悪いでしょ」

「それは・・ごめん」


静かに時が流れる。

後ろから「星が綺麗」「すごーい」祭りに来ている人々の声が聞こえる。


「ねぇ・・・私も一緒にいっちゃダメ?」


彼は少し目を大きく開いたかと思うと、すぐに目を伏せ「ダメだ」と言った。


「・・・なんでよ」

「なんでもだ」


彼はそれ以上何も言わない。

彼が何も言えないことを私はわかっている。


「どこに行っても思い出すのよ、あんたのこと。楽しかった思い出が私をどんどん孤独にするの!」


怒っても仕方ない。

彼は悪くない。

それでも悲しみとともに言葉が溢れて止まらない。


「どうしてよ・・・どうして一人にするのよ」

「・・・ごめん」


「ではそろそろ電気をつけます!」

祭りの係員の声がする。


「来年もここに来る。だから必ず会いに来いよ」

「・・・絶対来てくれる?」


彼は頷いた。

一斉に屋台や提灯に明かりが灯る。


(眩しい・・・)


そう思って思わず目を閉じた。

少し明るさになれて目を開くと、もうそこに彼はいなかった。


また来年彼に会う。

これが私の生きる目的になった。

冬が終わり、夏を迎えたころ、私はいつものように喫茶店に入った。

マスターは「いらっしゃい」と笑顔で迎えてくれた。


彼と一緒にここでアルバイトをした。

私のミスもカバーしてくれて頼もしかったっけ。

涙が溢れそうになる。

慌ててコーヒーを飲もうとしたが、コーヒーをもう飲み干してしまっていた。


「あの・・・これ」


不意に声をかけられて見上げると、穏やかそうな顔をした男の人がハンカチを差し出していた。


「・・・ありがとう」

私は彼の親切を素直に受け取ると、ハンカチで涙をぬぐった。

彼は音楽を聴きながらコーヒーを飲んでいたようで、イヤホンからかすかに音楽が聞こえる。

これは私の好きなバンドの曲だ。


「・・・blacksignalの曲ですか?」

泣きながら質問したので、彼は少し驚いたようだったが「そうです」と言って優しそうな笑顔で応えてくれた。


洗ってハンカチを返すために連絡先を交換した。

彼は健吾と名乗った。

そこから健吾と喫茶店で会うと相席でコーヒーを楽しみ、その内喫茶店以外でも会うようになった。

健吾に「付き合ってください」と言われた時、正直胸はときめいていた。


(でも―)


なかなか答えない私に「今すぐじゃなくて大丈夫。付き合ってもいいと思えたら言ってほしい。僕の気持ちは絶対変わらないから」そう言っていつものように穏やかな笑顔で笑った。

そんな健吾の優しさにどんどんひかれていった。


でも冬が来る度に、彼のことを思い出してしまう。

罪悪感で断り続けていたが、何度目かの告白で付き合うようになり、やがて結婚した。

健吾を愛する気持ちに偽りはない。

それでも彼に会いたい気持ちを抑えることは出来なかった。


星夜祭の日に健吾は私が指輪を外し、誰かに会いに行っていることには気づいている。

でも何も言わず、黙って実家に帰ったり、飲みに行ってくれて、星夜祭に行きやすいようにしてくれた。

私はその優しさに甘え、毎年彼に会いに行っていた。


そんな時、私は新しい命を授かった。

健吾は父親になるからと一層仕事に励み、不器用ながらも家事を手伝ってくれ、私をいたわってくれた。

こんなに素敵な夫はいない。

なのに、どうして毎年星夜祭りに行ってしまうのだろう。


今日もこの日がやってきた。


私はそっとお腹を撫でた。

妊娠後期に入り、どう見ても妊婦に見える。

きっと彼も気づくだろう。

彼にもう会えなくなるかもしれない。


「どうしたらいいの・・・」


ポコっ・・・

私がいるじゃないとでもいうように、ポコポコと揺れる。


私はもう孤独ひとりじゃないのだ。


街に出ると、彼との思い出で書き換えられているのがわかる。

路上ライブをしていた公園もライブの回数よりきっと健吾と散歩した回数の方が多い。

彼とアルバイトしていた頃より、健吾と喫茶店に行った回数の方が多い。

もう私の思い出は、健吾に上書きされている。

そしてきっとこの子が生まれればこの子との思い出が上書きされていくのだろう。

私はお腹を優しく撫でると、星夜祭に出かけた。


「よっこいしょ」


いつものベンチに座った。


「それでは今から消灯しまーす!屋台の皆さんも協力お願いします!」

係員の声がして、辺りは真っ暗になった。


「おー、腹でけぇ」


彼はそう言うと、優しい顔で愛おしそうに私のお腹を見た。


「・・・ごめんね」

「何が?」

「私・・・結婚したの」

「知ってたよ」


彼は、星空を見上げている。

彼と別れてからもう6年は経つのに、横顔はあの時と変わらない。


「もう一人じゃないんだよな。良かった」


私のお腹がぽこっと揺れた。


「・・・幸せか?」

「幸せだよ」


「俺の役割ももう終わりかな」

スタッと彼は立ち上がった。


「もう会えないの?・・・そんなのやだよ」

「子供みたいなこと言うなよ、母親になるんだろ?」

「・・・だけど、私は」

「俺は嬉しいんだよ、お前が幸せになって。これで成仏できるってもんだ」

「成仏したいの?」

「どうだろな」

「生まれ変わったら会える?」

「そんなのわかるわけないだろ」

そう言って彼は笑うと、こちらをじっと見つめた。


「人生もライブも一緒だぞ」

彼はニカっと笑った。


「俺らは、いつだって今できる最高の音楽を演奏するだけ。人生も今できる全てで人生を楽しむだけ」


屋台の電気付き始める。

周りも明るくなっていく。


「待って!」

彼の姿が薄く見えなくなってくる。


「幸せになってくれよ、美由紀」


彼は最後に優しい笑顔を残して消えた。



「おかあさん、ぴあのひいて」

拙い言葉で娘がピアノを弾いてとせがんでくる。

キャラクターのついたおもちゃのピアノだ。

私はそっと鍵盤の上に指をおいた。

(久しぶり、よろしくね)

私の指は久しぶりに軽やかに動き始めた。

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