53、最終決戦、その七「剣の舞、獣の狩」
シェートの言葉にいざなわれるように、悠里は刀を抜いた。
宣言をしたものの、シェートは神器を手にしていない。リィルとの決闘もそうだった、まずはこちらの動きと、武器の間合いを計る。
そう、思っていた。
「スコル! ハティ!」
跳ね上がった左腕。弓ではなく、腕輪の状態で、銀と金の光が撃ち出される。
両肩、両つま先、左膝、剣に二発、こめかみへ銀の光。そしてみぞおちに熱の帯。
とっさに構えた中段をものともせず、九発の魔法がこちらを叩きのめし、胴体をがら空きにした。
「がっ、うぐぅっ!?」
「双剣!」
必死に飛び退ったこちらに追いつき、叩きつけるように二刀で胴を薙ぐ。鎧の護り越しに、凄絶な衝撃が伝わって胃袋に鈍痛が走る。
「火奔!」
叩きつけられる右手の炎撃。外に弾くように刀を立てて守るが、
「雷喰!」
隙を突くかたちで雷の逆手が叩きつけられる。
なんとか反転させ、刀で受け止めたところへ、
「ハティ――八つ!」
青い雷の光が悠里の手足と体、そして顔に喰らい付いて、炸裂した。
「うがっ!」
「スコル、ハティ――火奔、九つ!」
引き絞った弓に炎が宿り、燃え上がる赤が、冴え冴えと蒼く染まる。
刀を脇で挟み、悠里は両手を握り固めて合掌する。
「"勇者の魂、其は金剛! 故にその身は不朽不壊"!」
練り上げた防御の術が炎を防ぐ。破裂した衝撃に足が下がり、劫火の帳が消えた先に、雷の竜を纏わせたコボルトが弓を引き絞る。
「雷喰、九つ!」
さらに叩きつけられた力に、構えていた体が吹き飛ぶ。そのまま抵抗せずに転げたまま逃げると、刀を構えつつ、更にバックステップで距離を開けた。
一瞬、シェートは弓を掲げ、何もせずにこちらを睨んだ。
(分かってたつもり、だったな、俺は)
乱れる息を必死に整える。
練習で手合わせし、魔王城で本気を見たと思った。そして、心のどこかで、この戦いにも乗り気じゃないのかと思っていた。
すべて、自分の勘違いだ。今この場になってもなお、シェートは自分の想像の先を行っている。
腕輪のまま魔法を使うことも、一撃でこちらの鎧を砕こうとすることも、連撃と天狼の炎でこちらを焼こうとすることも。
こちらを凌ごうとする意識の表れだ。
「なにやってんだ、俺は!」
正眼に構えた刀を引き上げる。そのまま切っ先を天に向け、右こめかみに鍔を引き付けた。
荒々しく息を吐き、足を踏み鳴らし、構える。
バカだった。バカバカしかった。自分のバカさ加減に、愛想が尽きた。
(バカになれ、悠里)
記憶の彼方で、叔父が笑う。
強くなるためには、どうすればいいのかと言った時の顔だ。
夏の道場で、問いかけた言葉に笑う兄弟子を思い出す。
(刀より銃を持った方が早いこの世界で、わざわざ剣術なんぞをやってるオレらだ。バカなんだよ、そもそもがな)
相手は自分よりも強い。
縮こまって、あれこれ考えて、小さくまとまっても意味はない。
ただひたすらに、自分の全てを、目の前の相手にぶつけるだけだ。
(まず捨て、そして拾う。岩蔵流は捨己から始まると知れ)
心に浮かぶ雑念を捨てろと、父親は言った。
勝ちたいと願う心を捨て、うまく戦おうとする心を捨て、負けるかもしれないという弱気を捨てる。
そして、己の体へのこだわりを捨て、一意を相手に添わせること。
(両の手を空にすれば、自ずから勝ちを拾う手となる。捨てて拾い、開いて結ぶのだ)
膝を使い、ゆるやかに間合いを詰める。
間合いを盗む「しずり」の歩法。それは屋根に積もった雪が、音もなく滑り落ちていくように、使う技だ。
構えた刀は、ほとんどの手指が開いている。
右手の人差し指と親指で作った『輪』で、保持しているだけ。
左手はただ添えただけ、肘から先を切り落としたように。
「……っ」
シェートが素早く、弓から二刀に切り替える。左手を前、右手を後ろの半身構えだ。
一歩進み、二歩、半歩。
「ちええええええええええええええっ!」
喝破の気合が、わずかにシェートの剣線をブレさせる。素早く右足を寄せ、その勢いのまま、左手を離し、右の片手打ち。
シェートの左腕が跳ねあがって、刃が合わさる。
その瞬間、
「うがああああああっ!?」
空に飛ばされる、腕と剣。
シェートの左腕が叩き斬られ、胴体ががら空きになる。
悠里の精妙な操作が、しなる鞭のように剣尖を操作し、跳ね上げの一撃に切り替えていた。
「おおおおおおおおっ!」
左腰に刀を置き、体ごとぶつかっていく。激痛に顔をしかめるコボルトの顔、それでもあきらめず、残った剣をこちらに突き出す。
「撃ち抜け、ハティ!」
刺し貫く左からの突きが、シェートの右わき腹を切り裂き、横殴りの銀の光が、立て続けに悠里の顔へ叩きつけられた。
「ぐはっ!」
「俺に来い、ハティ!」
斬り飛ばした腕と一緒に投げ出されていた剣が、コボルトの口に現れ、
「飛べ、九つ!」
密着した互いの体を吹き飛ばしながら炸裂した。
そのまま、地面を転がるように飛び下がり、自分の腕を掴んで距離を取るシェート。
まるで人形の腕でも継ぐように、無理やり切断面にねじ込んでいく。
「させるかぁっ!」
ふたたびこめかみに構え、悠里が飛んだ。
口伝では三間を飛行せよと伝わっているが、それをはるかに超える、五メートルは離れた間合いが一瞬に詰まり、
「ちぇすとおおおおおおおおっ!」
悠里の刃が深々と、鎖骨から胸に掛けて、コボルトの胸を斬り裂いていた。
刃が、肩口から胸に向かって走る感覚。痛みが頭の裏側に響いて、シェートの胃の中で不快感になってこみ上げる。
だが、悠里の剣は止まっている。それを鈍い動き左手でつかみ、腕輪に戻した神器に、必死で命じた。
「九つ!」
剣の切っ先がはじけ飛び、再び自分の血がぶちまけられる。それでも、さっき斬られた左腕は、何とか動かせるようになっていた。
この戦いの前、万が一のためにと掛けてもらった『結合再生』の加護。
治癒ではない分、普段なら意味はないが、相手が悠里ならこうなるだろうと、フィーが予想していたのだ。
そのまま片手で無理矢理、斬られた胸の部分を掴んで閉じ、必死に下がりながら願う。
(塞がれ、塞がれ、塞がれ塞がれ塞がれっ!)
「ちええええええええええいいっ!」
斬り降ろし、斬り上げ、横ざまの一振り、その全てをかわし切れない。引きそこなった腕の手甲が断ち割られ、鼻面が破れ、肩口に新たな切り口が開く。
「ハティ!」
銀色の光を、悠里の刀はやすやすと弾き飛ばす。避ける動きがそのまま攻撃に繋がり、怯むどころか、こちらが隙を見せる結果になった。
左肩をわずかに動かし、切れた部分がふさがったのを感じる。
血止めに使っていた右手を戻し、
「つぇいっ!」
まるで枝を払うような一薙ぎが、シェートの右手を切り裂く。
骨が砕け、皮膚が破れる。
(強い!)
動きが止まらない。近づいても、遠ざかっても、まるで剣が、そこにあるのが当たり前みたいに吸い付いてくる。
さっき腕を斬られた時と同じだ。
こいつの剣は、こちらから離れない。
「せいっ!」
深くしゃがみ込むような悠里の振り降ろし。下がろうとした左膝が浅く裂かれる。
痛みと衝撃で体がふらつく。
「せぁっ!」
斜め下から振り上げるような一撃が、脇腹を斬り割いて上へ跳ね飛んだ。
痛い、そして悠里の右の蹴りが、こちらのみぞおちに突き刺さる。
「ぐ……っ!」
よろめき、膝を突き、それでもシェートは顔を上げる。
降ってくる、渾身の一撃。
受けも避けも間に合わない。
「火奔――」
両手の剣を、地面に突き刺し、シェートは叫んだ。
「――九つ!」
炸裂する炎で体を前に吹き飛ばし、すり抜けざまに悠里の脛を切り裂く。
鈍く激しい音共に装甲が砕けて、少年の体が姿勢を崩した。
転がりながら体を起こし、
「スコル! ハティ!」
右手の兄剣を突き出す。応じて、素早く剣を盾のように構える姿。
ようやく、掛かってくれた。
「火の雷!」
悠里の足元に残しておいた弟剣が雷を吐き出し、炎が光になって立ち尽くす姿を貫く。
「うぐあああああああっ!」
全身を焼け焦げさせ、よろめく悠里。
その両脚の装甲は砕けて、炎と雷の力が、神規の護りを貫いた。
両手に剣を戻し、息を整えて身構える。自分の力は通用する、悠里の護りを貫ける。
その時、だった。
「負けるんじゃねえ! ユーリ!」
声援が、響き渡った。
ほんのひと時、悠里はすべてを忘れていた。
無我夢中で、目の前の相手に喰らい付こうとしていた。
苦しくて、痛くて、辛くて。それでも、晴れやかだった。
そのはず、だった。
「負けるんじゃねえ! ユーリ!」
まるで、氷水でも背中に注がれたような感覚。景色に現実感が戻り、胃袋が締めあげられるような気持ちがこみ上げる。
「勇者殿! 我らがついております!」
「皆、祈るのだ! 勇者の勝利を!」
「ユーリ! 勇者ユーリ! 我らの祈りで、勝利を!」
両足の傷が癒える。つけられた火傷が消えていく。
疲れが飛び、堅い守りが、目に見える光になって顕れていく。
刃にも力が満ちわたり、振るうだけですべてを斬り割けそうな威力を抱えていた。
そして、こちらを見るシェートの目に、先ほどとは違う色合いの光が宿る。
狩るべき勇者を、いかに狩るべきかという意志に、覆われていく。
「や……」
顔を歪めて、悠里は、叫んでいた。
「やめてくれ!」
言ってから、その言葉の意味の、おぞましさに気づく。
自分は、みんなの声を、祈りを疎んじた。身勝手な気持ちで。
「いや……その、俺は……」
考えてもみなかった。
自分の神規は、【万民の祈り】は、自分を助けてくれるもののはずだ。勇者としての信頼と人々の絆を力に変えるものだと、シアルカは言っていた。
魔王を倒す勇者の力として、これほどふさわしいものはないと、思っていた。
でも、今この瞬間だけは、駄目なんだ。
「ど、どうしたんだ! 早くやっちまえ! オレらがいるんだ、これ以上、コボルトの力なんて、お前には」
「グリフ!」
どうして、シェートが一対一にこだわったのか、今分かった。
たとえフィーがこの場にいて、シャーナを外しても、決して公平にはならない。
最後の勇者の決闘を、極秘に行うなんて不可能だ。
群衆が集まり、勇者悠里を湛える声が降り注ぐだろう。シェートの敵はまさしく『世界そのもの』だったのだ。
「最初から、この決闘は不公平だった! 一対一じゃなかった!」
「ユ、ユーリ!?」
「この神規がある限り、俺は、一人じゃないんだから!」
絶叫し、悠里は思い出していた。
絆という言葉が意味するのが、いいものだけではないことを。
馬や犬を繋ぎ止め、どこにも行けないように『縛り付ける綱』、それが絆。
勇者悠里に一対一は許されない。仲間と守るべき人々との絆に、縛られた存在だから。
「悠里」
先ほどまでの険しい顔を解いて、シェートは静かに告げた。
「だいじょぶだ。俺、分かってる」
「え……」
「それ、いい力。みんな、お前、好き。その気持ち、集めただけ」
言葉は穏やかだった。
それでも、揺るぐことはない決意で、シェートは宣言した。
「でも、戦う、決めた。その神規、破る。必ず」
魔王城の時、シェートは言っていた。
できるかどうかではなく、やるべきことをやったのだと。
そして、その遥か後ろ、群衆の中にぽつんと、取り残されたような小さな姿が、こちらを見つめている。
フィアクゥルの目は、何一つ疑っていなかった。
自分の仲間の勝利を。
「みんな……頼りない、身勝手な勇者で、ごめん。それと、支えてくれて、ありがとう」
もう一度構え直し、相手を見据える。
それから、自らを再確認するために、名乗りを上げた。
「"英傑神"の使徒、岩蔵流当主、岩倉一央が長子、そして……万民の勇者、岩倉悠里」
その言葉を受けて、シェートも己を示す。
「"平和の女神"のガナリ、灰影ハナンの尻尾、薬師メルガとイルシャの初仔、シェート」
そして二つの意地が、静かに向き合った。