50、最終決戦、その四~現実/Reality~
戦場の全状況を手渡されたメーレは、持ち前の冷静さを発揮して、送られてくる情報のスタック処理を開始した。
秒単位の状況判断は、命を預かる医療に携わる者として必須とも言える能力だ。
まずは、防衛ライン維持組への指示。
「グラウム、フィーの現状は」
『鉄火場だよ、クソッタレ!』
グラウムはすでに輪郭を維持できていない。
フィーの矢継ぎ早な能力行使により、送り付けられる『侵蝕』の現状を、『竜樹』に感知されないよう、データを『喰っている』。
その上、実際の侵蝕率はこちらに送り付けるというという離れ業をやっているため、この場で最も負担の掛かっている部署だ。
『地竜の女王が復活して、後逸を増やさないので精いっぱいだ! ヴィトに貸した二機、とっとと戻せ!』
「了解。ヴィト?」
『聞いている。こっちは後逸されたユニット、残り二十六体を間引き中だ。あと少しで、二機ともそちらに戻せる』
ヴィトの方は順当に、シェートを追う連中を減らしている。ただし『囮』の方が、少々目立ちすぎている。
手足を斬り飛ばし、顔面を貫いて半死半生にするなど、少々容赦がなさすぎだ。
「独立小隊、敵ユニット対応に問題。シェートと明らかな差異。撃破ではなく撃退を」
『【ラビットフット】、敵ユニットは撃破ではなく撃退だ。君たちの手口では敵に、違いを悟られる』
『……了解。ところで、コボルトの準備は?』
シェートは姿消しを使い、敵よりも先行し、潜伏しつつある。
そのまま戦場の全体像を映し出し、敵ユニットと、作戦終了に必要な条件を洗い出す。
「全ユニットに通達。現在、勇者軍歩兵、ジェデイロ方面より侵攻中。総数、八千弱。フィアクゥルによる『最終防衛ライン』に接近」
最終目的地の外周エリア、十キロ園内の南部に集まりつつある勇者軍の光点。その中でも、ひときわ大きな赤い光にマーカーを入れる。
「『阻止臨界線』にて『囮』が騎兵の除外を進行中。規定数に漸減次第、【オルトロス】を再度先行、勇者を誘引させる」
今回の『スーパーボウル作戦』の肝は、『決闘の結界』の展開を最終目的としながら、常に『逃げ続ける』点にある。
岩倉悠里はこちらとの対決を忌避し、彼の仲間たちはシェートを勇者からひきはがす、あるいは集団での撃破を望むだろう。
結界展開エリアを限定しての誘い込みでは、フィアクゥルの防衛迎撃に限界が来る。
岩倉悠里を突出、孤立させ、後続を引きはがして結界に誘い込む、その図式が最後に描ければいい。
『こちら【ラビットフット】。敵ユニット八体、無力化。勇者直掩、残り十八。だが、勇者の中核メンバーが張り付いている。単なるけん制では引きはがせそうもない』
「コマンドポスト、了解した。その連中については問題ない。それ以外の直掩が落とせればいい」
岩倉悠里とパーティメンバーは、未だに健在だ。たとえ他の騎兵を倒しても、勇者だけを引きはがすには、もう一つ手が必要だ。
『メーレ、【ラビットフッド】から入電。味方の状況と、シェートの現在位置の開示を要求する、だそうだ』
「了解。全情報開示、許可する」
短いやりとりの後、『味方ユニット』から作戦が上がってくる。
それは極めてタイトで、万が一『兎』が裏切れば、その瞬間に瓦解するような代物。
ヴィトは『可』と判断した。では、自分は?
意識を広げ、時間を極限まで引き伸ばし、思考を加速させた。
フィアクゥル――六機のエストラゴンによる迎撃行動、限界目前。
勇者軍歩兵八千弱――五分以内に阻止臨界線へ侵入。
勇者の護衛騎兵十八騎――早急の対応が必要。
岩倉悠里――孤立誘因を最優先。
シェート――勇者集団の後方地点に潜伏。
そして、【ラビットフット】の位置と、その動向予想。
「――献策を受理」
メーレは青い竜蛇の見せかけを解き、本性をさらけ出す。竜洞のフロア一杯に水が満ちて、いくつもの結晶が林立する。
それぞれが他の小竜のサポートに付き、ひときわ大きな結晶がそそり立った。
『これより、勇者誘因作戦『Lucky Strike』、開始する』
宣言と同時に、竜洞の虚空に巨大な砂時計のイメージが浮かび上がる。
『制限時間、三分と設定。カウントダウン、開始』
そして、最後の三分が、始まった。
『ってことで、こっちはひたすら耐える役だ! 肚くくれよ!』
グラウムの激励と一緒に、フィーの視界にタイムリミットが投影される。その向こうに側に広がるのは、見渡す限りの敵だ。
「固まるな! 一つ所に留まるな! 進め! 一人でも多く勇者にはせ参じよ!」
叫ぶ赤い姿に見覚えがある。有能な赤の騎士、こちらの狙いを理解して、あらゆる人間に檄を飛ばす。
「一人でも多くたどり着けば、それだけ奴の狙いが崩れる! 駆けろ! 身分も序列も気にするな! 我こそ一番槍と競って駆けろ!」
その声に、どれだけ助けられたか。あの戦場で勝ち抜けたのは、アンタのおかげだ。
でも、だからこそ、ここで落とすしかない。
「『凍月驟雨』――」
「『凍月驟雨』!」
展開した輝きの前に、誰かが立ちふさがる。
それは凄惨な決意で心をよろった、異形の少女。
解き放たれた魔法の光が、互いにぶつかり弾けあう。わずかにこちらの弾数が上回り、イフの体を貫いて、地上に叩き落とす。
だが、
「瞬転身・亢っ!」
駆け上がり、射るような蹴りが顎をかすめる。サンジャージがいない今、ここまで自分に食い下がれるユニットがいるとは。
「私には、わかりません! 師匠の言うことも、貴方たちの願いも!」
「だったらどけよ! 中途半端な気持ちで」
「でも! ユーリさんは! 私の、愛する人です!」
空の上に立ち、血の涙を流しながら、異形の少女は吼えた。
「だから、貴方たちを、倒し、ますっ!」
「ああ、それでいいんだ」
そしてフィアクゥルは、笑って告げた。
いつか勇者の少女を諭したように。
「勇者の仲間は、そうでなきゃ」
「う――うわああああああああっ!」
叫び、両手に炎を宿してイフが突き進んでくる。高速移動と焼灼の魔法を相手に叩き込む、必殺の一撃。
「瞬転身・亢――天昇炎拳!」
相手の心は認める。
でも、勝ちまでは、譲らない。
「瞬転身・亢――雷光幻!」
爆炎が炸裂し、青い仔竜の体が鎧ごと砕けていく。
手ごたえ、伝わる実存感、すべてが本物。
という『可能性』が、彼女の目の前から消滅する。一撃が空を切り、炎が何もない空間を焼き焦がす。
「ごめんな、イフ」
おそらく、イフには理解できないだろう。
ドラゴンの脳力を使い、肉体を量子の領域から観測。『死の可能性』を『回折』する、雷の属性が可能にした絶技。
振り向いた少女の驚愕に、容赦のない雷の刃を振るった。
『蒼き雷霆の咆哮、瞬動雷斬!』
背中を蒼い刃に切り裂かれ、もがき落ちていく姿から、目が逸らせない。
それでも、ドラゴンの脳は冷徹に、危険を感知する。
『済まねえフィー! ラジコンは電池切れだ!』
戻ってくるエストラゴンを追って、巨大な顎が空から降ってくる。
グラウムが操作する六機の魔道兵器をものともせず、その背中に金の灼熱を背負い、銀光を浮かべ、翼に蒼い炎をみなぎらせて。
「バチバチ光りやがって! ゲーミングPCかっての、このハデアホ地竜!」
「死ね!」
優雅さも理性もかなぐり捨てて、破壊そのものになって降ってくるシャーナ。
避ければいい。このまま避ければ、下の連中に無慈悲な魔法が降り注ぐ。厄介な赤の騎士も、落ちていったイフも片付いて、それだけ『敵』が減る。
そして、この場に巻き込んでいい『敵』なんて、一人もいなかった。
「エストラゴン――ブラスターモード!」
両手、腰、肩に六本のエストラゴンが装着され、雷の蒼に輝く。あえてシャーナの真正面に構え、あらん限りの聲を振り絞る。
怒りに駆られた巨竜、その痛いほどの迫力を、目をそらさずに見据える。
「消え去れ! 不快な聲めがあああああっ!」
それは、叫びと共に現れた、みっしりと詰まった魔法の壁。
星辰の炎、魔法の矢、熱線の帯。敵意と殺意をみなぎらせた、百万の光が押し寄せる。
「蒼き雷霆の咆哮、微塵雷撃槍!」
渾身の聲を振るい、叫ぶ。
互いを挟んだ中空で、光が爆ぜて、力が砕け散っていく。
拮抗したのは、ほんの数秒。出力が足らない、力が足らない、それでも、ここから下がるつもりはない。
「ぬああああああああああっ!」
視界の端に灯る残り時間は、二分弱。たった三分が遠い、せめてシェートに付けた二機が、ここに在ったら。
押されていく。エストラゴンの装甲がはがれ、ひびが入っていく。
「く、くっそおおおおおおっ!」
『まったく、なんですか、その様は』
突然、景色が凍り付いていた。意識が引き伸ばされている感覚。ソールの聲が、優しいと言えるほどに和らいで、響き渡る。
『ここからは、お前ひとりでやりなさい。難しい判断があれば、メーレに投げるように』
『ソ、ソール?』
『なるほど。そーいう訳か。ってことでフィー、オレも行くわ。コイツのケツ持ち、やってこねーとだ』
『グラウム、いったい、なにを』
問いかけるよりも先に、意識が加速する。外部からの割り込み、エストラゴンから二竜の聲が満ちて広がる。
『『■■■■!』!』
何が起こったのかは分からない。聞き取れなかったソールたちの聲と同時に、自分の体が一瞬、量子化し、シャーナの攻撃を完全に外す。
強制的な割り込み、こちらの体を使った聲の発動。それだけでは説明のつかない、瞬間的な増強がフィーを後押しする。
もう一度目の前の巨竜を止めるチャンス。
だが雷撃は効果が薄い。火は相手の領分。今更、新しい属性を手に入れる方法なんて。
閃いた思い付きに、フィーは苦笑した。
「これだけは、使いたくなかったけどな!」
手をかざし、そこに生まれるのは漆黒の弓。
弦を引き絞って構える。背中に巨大な闇色の翼が広がる。
間接的な情報だろうと関係がない、一度アイツの聲を直に聞いているんだから。
「貫け『黒馬頭の忌矢』!」
解き放つ、渾身の一撃。
声も上げずに驚愕するシャーナの全身が、百万本の闇の矢で、刺し貫かれた。
心魂を削り、闇の冷気で体を凍えさせる聲。死者の怨恨、魔の側に加担する力。だが、それは確かに地竜の女王の意識を刈り取り、再び大地に叩き落とした。
「ど、どうだ、クソ地竜……うっ?」
意識が狭まる、めまいがする、必死にこらえて、必死にその場に止まる。
フィーは胸元に手を当て、侵蝕率を確認した。
七十八パーセント、まだいける。
「体はキツいけど、魔界の禁忌の力を使った、代償ってことで」
冗談めかした言葉に、答える声は無い。
この戦いが始まってから、ずっとソールの声が聞こえなかったこと。グラウムの言葉の裏にある意味、全ての疑念を無理矢理しまい込む。
フィアクゥルは、そのまま地上へと突き進んだ。
『なんとか、フィーは持ち直した。戦線が押しとどめられている。行くなら今だ』
白い小竜の声に、"参謀"は追ってくる連中を振り返る。
残り十二騎。その中で、ひときわ目立つ三騎に着目する。
「待ちやがれこのクソ犬! とっとと殺されろ!」
斧ではなく扱いやすいメイスに切り替え、追いすがる傭兵。
「ユーリ、前に出過ぎじゃ! お前は儂らの後ろ! そうすれば、奴の思惑を潰せる!」
弓で牽制しつつ、執拗に勇者を引き留めるエルフ。
そして、無言でこちらに寄せつつ、剣を振るう女騎士が後に続く。
「"手絡み足絡み――"」
その声に、護衛に付いた銀の槍先が素早く反応し、魔法弾で詠唱を遮った。この牽制が無ければ、こちらに破術の加護がないことに気づかれていたろう。
『さて、いよいよ最後の交点だ』
「いいだろう。ところで、我々を消すと言ったが、具体的には」
『言葉通りだ。私ならできる。君たちを跡形もなく『消せる』』
それはただの事実だった。
白い小竜は、それでも気遣うように告げた。
『問題があるなら、別の方法を提示するが』
「構わない。影は光とともに消えるものだ。私という残照の影は、ここで途絶える」
『無用かもしれないが、君の主に、感謝を』
小面憎い礼を受け、走る。
この後に待つものを自分は知っている。そのために『最終目的地』へ走る。
「こっちだ! 悠里! 俺、ここだ!」
弓を引き絞り、再び魔法を放つ。敵が一騎落ちる、残り十一騎。
見えてくる、魔王城のひときわ大きな残骸。
降り積もった岩のように見えるのは、自分たちが積み上げてきた成果が、ガラクタになったもの。
『俺は、この世界の一切をガラクタにするつもりだ』
初めて魔王城から下界を見渡した時、"魔王"は告げた。
『意味などない。いや、ガラクタにしたいという、意志があるだけだ』
その願いは、ついに叶った。目の前の瓦礫は彼の墓標、己の意志のままに、誰よりも邪悪であろうとした魔王の、夢の成果物。
だが、それはまだ未完成だ。
走る"執事"と共に、最後の一歩を走り抜ける。ここから先は決闘の結界を張るべき領域、不純物は必要ない。
「スコル――ハティ――雷喰、九つ」
振り返り、引き絞る弓。
正確に再現した雷の矢に、岩倉悠里と取り巻きが驚愕する。
「くそっ、下がれユーリ! こいつは俺らが!」
たたらを踏んで最後の一歩で踏みとどまった敵に、"参謀"は叫んだ。
「来い! 俺の影!」
ちょうど勇者たちを挟むように、背後から現れる、もう一組のシェート。
「スコル――ハティ――雷喰、九つ!」
誰一人まともに反応できず、それでも勇者を囲んで守る。
そして"参謀"は、撃ち放った。
世界の事象が、緩やかに、鮮やかに処理されていく。
飛翔する十八の雷が、騎乗の敵を吹き飛ばす。
守られている勇者が驚愕し、乗り手を失った馬がいななき、電撃の余波を喰らって昏倒していく。
残った敵は、勇者を含めて四騎。可もなく不可もない、想定通りの結果。
『時間だ』
天上からの宣言は、穏やかだった。
仕事は終わった。
岩倉悠里とその仲間たちが、コボルトを必死に追いかけていく。
気が付けば、自分の手足が消えていた。
『では、お先に』
すでに顔だけになっていた狼が、笑いつつ消滅する。
文字通り、痕跡さえ残らない。
見たものに死と消滅をもたらす、異境の現象たる白き竜の力。おそらく、自分たちの存在さえ『なかったことになる』。
だが、それが、いっそすがすがしかった。
『任務、完了いたしました。"魔王"様』
輝き、世界が消えていく。
雷光が収まった時、影はもう、どこにもなかった。
吹き荒れた雷の光弾が晴れた時、その場に立っているのは、悠里と三人の仲間だけだ。
自分の幻影を作り出していた槍先と、自分の隣にあった槍先が合流し、フィアクゥルの下へ帰っていく。
『……エスコートは、ここまでのようだ。そろそろ、私も行かないと』
不思議な宣言とともに、白い小竜は笑う。
『では、最後の献策を伝えよう。額に星の輝きを灯す、賢き狼よ』
指名されたグートは、ぴくり、と耳を動かした。
『友の敵を、その身で押しとどめてくれ』
「そ、そん――」
答えは端的だった。
急な制動が掛かって、シェートの体が放り捨てられる。今まで決してしなかった、荒っぽい動きに、身構える事さえできなかった。
「グート!」
ちらり、と振り返る白い顔に、笑みとしか言いようのない歪みが浮かぶ。
小竜は言っていた、最後の兎の一飛びに、考えがあると。
つまり、これがその答え。
「うわああああああああっ!」
投げ出された姿勢のまま、解き放った八つの光が、取り巻きの馬に叩きこまれる。
悠里が振り返ろうとする意志よりも早く、彼の馬がグートの脇をすり抜ける。
ヴィトの叫びが、シェートの耳朶を打った。
『立ち止まるな! 走れ!』
わき目もふらず、全力で走る。その後ろに追いすがる勇者の気配を感じながら。
「こうまでして、俺と、戦いたいのか!」
牽制の光を浴びせ、こちらに集中させる。少しでも意識を昂らせ、仲間と合流する冷静を思い出させないように。
だが、追ってくる悠里の悲痛さに、シェートの足が縫い留められた。
「一対一なら、俺に勝てるって、そう思ったのか!」
「悠里……?」
その顔は、悲しみや怒りよりも別の感情が、露わになっていた。
悔しさと憤り。
「たった一人じゃ、なにもできないから! あの城でも、結局、俺は……っ!」
「……違うぞ、悠里」
シェートは構えを解く。
そして、本当の気持ちを告げようとした。
ゆらり、ぐらり、地面が揺れた。
そう思えるほどの、途轍もなく大きな聲が、世界を磨していく。
聞けぬ者でさえ、込められた意味を理解できるほどに、明確な聲だった。
それは言っていた。
助けてくれ、と。
戦域略図に現れた光点を、メーレは絶望的な気持ちで見つめた。
はるか南から、殺到する光点を。
『各員に、通達。勇者軍、増援、接近』
青い小竜は、絶望を告げた。
『対象を、竜種成体と、断定。敵数――四体』