43、蒼き劫火の裁き
暗い城の底には、誰もいなくなった、白い球状の部屋が残されていた。
はるか上では、何かが激しく争っている音。目の前には、頭骨が半分むき出しの、黒い牛頭魔人が立っている。
『結局のところ、貴様と十全の勝負は、叶わんようだ』
「ああ、そうだな」
最初は、"魔王"に強要された戦い。そして、今のベルガンダはすでに、生者ではない。
『だが、俺は嬉しい』
斧を槍のように構える姿勢。なつかしくも、もの悲しかった。
『強くなった貴様ともう一度、戦えることが』
「俺、コモス、戦った」
その一言では、意気も構えも衰えなかった。
ただ、囁くように問いかけた。
『なぜだ』
「俺、仇だ、言った。"魔将"、仇、討つため」
『……そうか』
黒い眼窩に、鮮やかな光が宿る。
むき出しになっていた骨が、黒に塗りつぶされ、周囲に闘気が満ちる。
『であれば、貴様を倒し、泉下に瞑する部下に手向けてやらねばな』
「やってみろ。できるなら」
互いに、手の内は知り尽くしている。
隙を見せれば、そこを喰われる。そして、相手の隙を、見逃す気もない。
そして、魔王城の深奥、全魔力を担う核が取り出された、その時。
『「おおおおおおおおおおお!」』
二匹のケモノが、激突した。
ケンタウロスとドラゴンの折衷、そんな姿の魔物は、片手に弓を生み出して無数の矢を打ち出す。
それは直線ではなく、それぞれを追い駆ける弧を描き、執拗に追いすがってくる。
「しゃらくさいっ!」
シャーナの火焔が虚空にひらめき、すべて焼き落とす。間髪入れず、巨大な矢がドラゴンの体に叩きこまれ、それを受け止めながらわずかにあとずあった。
「うらああっ!」
自分の身長をはるかに超える前足目掛け、グリフの斧が打ち付けられるが、素早く交わされ、踏みつけが襲い掛かる。
「意外と素早いぞこいつ! 足止め……うぉおっ!?」
「まかせよっ!」
黒い足に蔦が絡みつき、青白い光を纏ったイフの体が、黒いケモノの顔を蹴り上げ、その上にあるのっぺらぼうの顔へと突き進む。
「瞬転身・亢っ!」
嵐のような蹴りと拳の連打。その全てを二つの剣でいなし、かわし、その刀身が暗く赤い炎で燃え盛る。
「あうっ!」
「イフ殿っ!」
足の止まった魔王の脇腹にフランの白刃が、前足に大木を斬るようなグリフの斧が、それぞれ叩き斬り、叩き折る。
影が揺らめき、引き下がり、手にした炎の双剣が弓となり、紅蓮の矢を番える。
再び、無数の矢の雨が打ち出される。シャーナの吐き出した炎でも燃え尽きず、仲間の体を痛めつけ、熱で傷つけていく。
「"戦場に居まし猛き者、怯まぬ勇士に祝福を。矢傷を癒し、刃の憂いを祓い給え"!」
全員を癒しながら、悠里が魔王の前に進み出る。
ふたたび番えられた劫火の矢。
弦鳴り、飛来する一矢。
「せいっ!」
切り払い、一歩前へ。
「せやあっ!」
襲い来る次の矢を、叩き斬り、更に前へ。
「はぁっ!」
重ねられる矢の雨を、斬って斬って、敵の眼前へ。
「うおおおおおおっ!」
跳ね上げる切り上げの一撃。嘲るように顔を逸らしたケモノ。
それでも、諦めない。
「イフ、足場!」
叫ぶ声に光が答え、周囲に生み出された足場を駆けあがって、ケモノの鼻先に真っ向から刃を打ち下ろす。
『うぐおっ!』
そのまま勢いを殺さず、光を蹴って上に進む。
のっぺりした、目も鼻もない顔。その口元だけが、嫌にリアルに象られている。
これは仮面、魔王の本性そのもの。
「せいああああああああっ!」
袈裟の一撃が仮面を斜めに斬って捨て、その裂け目から、血のような劫火が吹き上がった。
「うわあああああっ!」
「ユーリっ!」
体勢を崩した悠里をドラゴンが素早く受け止めて飛び去り、同時にあふれ出した炎が魔王の巨体を染め上げていく。
周囲に熱を振りまき、仲間たちがその暴威から後ずさる。
今や炎の中に輪郭さえ解け崩れ、それでも魔王は、吼え猛る。
『この一瞬、この一瞬だけでいい! 貴様らのくだらぬ結束を、信仰束ねし勇者の力を、踏みにじる力を!』
その身体は赤から黄色へ、更に白く染まっていく。
「よ、よもや、この期に及んで、吾が"聲"さえも操るか!?」
「ダメだ! みんな退避しろ!」
仲間たちが可能な限り魔王から離れるが、それでも燃える力の範囲は広がっていく。
「ええい、忌々しい! 背よ、それと有象無象ども! 特に差し許す! 吾が後ろへ!」
すでに、白い炎の燈心になった魔王の体が、重々しく一歩を踏み出す。
シャーナの声がそれを打ち消すが、足場さえも溶かす熱が、次第に逃げる範囲を消し去っていく。
「俺たちを熱で押しつぶす気かよ!」
「竜の女王よ、こうなれば我らを連れて空へ!」
「たわけ! 隙を見せれば、熱の帯で焼かれて終いだ!」
「こう、なったら、私が!」
焦る仲間たち、迫る炎。
その空間に、誰かの声が響き渡った。
『【ファイヤーワークス02】、聞こえるか』
それはシャーナの角に引っかかった、小さな金属の板。
厳かに、冷静に呼び掛ける声は、告げた。
『今から言う言葉を、正確に言ってくれ』
「い、今取り込み中ぞ! 遊びなら」
『ムカつく魔王を、ぶっ飛ばしたくないか?』
シャーナは迷わなかった。鼻息を漏らし、応答を返す。
『02、了解。で、なんと?』
「――――」
それは小声で、よく聞こえなかった。
だが、竜の女王には、それで十分だった。
「全く貴様らは、心底業腹よな! だが、この場においては、実に痛快!」
赤いドラゴンは、狂猛に笑った。
そして、大気をどよもす声で、叫んだ。
シェートのはるか上で、空が白々と燃えた。
その熱が底にいる自分にまで押し寄せ、目の前のベルガンダの輪郭が、くっきりと浮かび上がる。
その身体は、すでに朽ちかけている。
数合の激突で影は剥がれ、立っているのがやっとの状態だ。
『なんだ、その顔は、なさけない』
穏やかに揶揄する魔人の残骸。
今はもう見ることができない、太い笑みを思わせる声だ。
『敵を前に、そんな顔をする奴があるか』
歯を食いしばる、思いを押し殺す。
二刀を構え直して、最後の一撃に備えた。
肩に担ぐようにして斧を構え、ベルガンダが、飛来した。
「双剣――火奔」
振り下ろされる斧を、斬り飛ばす。
そして、がら空きになった胴を、十字に切り裂いた。
散っていく影が、シェートをすり抜け、背後で燃え上がった。
「ベ――」
『見事だ。ガナリよ』
振り返った先に、巨体はなかった。
白い頭骨に残った影が、揺らめいて霧散していく。
『まったく、またその顔か。お前は本当に、戦に向かんな』
「俺……狩人……だからっ。だから!」
『お前と会えて、良かった。――さらばだ』
別れと共に、骨が砕け、微塵も残らずに消えていく。
目元を拭うと、空を睨んだ。
その時に声が、ドラゴンの叫びが地の底へ届いた。
「"シェート、青い炎を天へ飛ばせ!"」
それは懐かしい言葉だった。
自分に向けて、全幅の信頼を寄せる、友達の言葉だった。
だから、一瞬も迷わなかった。
「いけえええええ!」
暗い城の底から、蒼炎の鏑矢が飛び立つ。
長く尾を引くそれは、小さな竜のように、見えた。
ともすれば、芥子粒のような輝きだった。
憎悪を燃料として、白々と燃える魔王。
その力に比べれば取るに足らない、炎の揺らめきだった。
だが、竜の女王は、正しく理解した。
畏るべき、異邦の空に輝く、天狼の炎を。
《異邦の空より来りて、暴威を語れ》
空に舞いあがり、翼に炎を顕す。
《汝、焼尽の太源、天地開闢に灯されし、無謬の劫火》
それは地に生きる者が、決して手を伸ばしてはならない、禁忌の火。
《過たず、焼き尽くせ》
あらゆる存在を諸元に還す、光。
赤き竜の背に架された、蒼き炎。
《天狼の蒼炎》
厳かに、高らかに、聲が、吼えた。
それは、火と呼ぶにはあまりも、眩かった。
力と呼ぶにはあまりにも、御しがたかった。
魔王の操った太陽の雫など、児戯とさえ呼べぬ奔流。
解放が、すべておさまった時。
白い憎悪の炎は、跡形もなく消え去っていた。
大気が急激に冷えていく、風が逆巻き、悠里の体をなぶった。
大きく息を吐く、仲間たちが同じように安堵する。
目の前の敷石は、土台ごと綺麗に消失し、城自体が斜めに焼き落とされていた。
次いで地鳴りが、自分たちの背中で起こった。
「シャーナ!?」
「大丈夫かよ、おい!」
「騒ぐな!」
普段なら決して見せない、疲労困憊の姿が投げだされている。荒く息をつき、シャーナは悲鳴を上げた。
「バカ仔竜! なんだあの聲は! 無茶にもほどがあろう! 天の彼方の火!? 頭が壊れるかと思ったわ!」
『気持ちよかったろ。コードネーム通り、でかい花火を打ち上げたんだから』
「――――!」
あとはドラゴンにしか理解できない、罵倒の嵐。
だが、緩んだ空気は、一瞬で消し飛んだ。
「ああ、参ったな」
白煙を上げて、焼け残った端に立つ、黒い姿。
もう、なんの虚飾も残っていない魔王が、そこに居た。
「貴様らを、ガラクタにする、前に」
その両手には、赤と青の長剣が握られている。
「俺が、消えるところだった!」
仲間たちの囲みをすり抜け、魔王の一撃が襲い掛かる。
その二刀を受けた時、城が大きく揺らぎ始めた。
「折角だ、最後まで味わって行けよ。好きだろう? こういう趣向は」
衰えない悪意を放って、魔王は嗤った。
「砕けていく城ごと、貴様らも藻屑になるがいい!」