41、二人の勇者
勇者を讃える祭り『天槌の祝祭』は、祈りの火を掲げる真夜中の儀式に収束する。
魔王の城を模した構築物を前に、人々が篝を焚き、持ち寄った松明を掲げ、祈りを上げるのだ。
吟遊詩人たちは、一番の見せ場を、熱を込めて語る。
かの魔王、天を突く憎悪と炎の巨人と成りて、勇者を打つ。
されど見よ、その手にされし、蒼雷を。
偉大なる神の加護の下、焼灼の天槌は降されん、と。
魔王城を見上げる人の群れは、途切れなかった。疲れ果てて眠り込む者も、酒を持ち込む者もいたが、戦いの場から立ち去る者はいなかった。
そんな集団を眺めつつ、エルカとアクスルは口元を緩めていた。
「ダメだね。逃げろっつっても、どんどん集まってくる。あんだけ魔王にやられたのに、懲りない連中だよ」
「すでに、現実感を喪失しておるのでしょう。私も、正直我がこととさえ思えません」
「おお、軍師殿よ。ようやく見つけたぞ」
見た目が一層悲惨になったプフリアと、元気そうなモーニックの二人がやってきて、誇らしげに空を見上げる。
「もう、我々にできることは、なにもないなぁ」
「まさしく天上の戦い。だが彼らを押し上げたことは、生涯の誇りだ」
呑気なことを、と言いたいが、自分も結局は同じ立場だ。
無数に湧いて出るベルガンダの兵士たち。おそらく、"知見者"との戦の後、『狂乱』の聲を浴びて死んだ連中が、紐づけられて連鎖召喚されている。
見知った顔が、いくつかある。もちろん、いない顔もあったが。
「で、どうなんじゃい、チビ助。ユーリ殿は、勝てるか?」
サンジャージが、一杯ひっかけながら尋ねてくる。
砕け散る泥の兵士を、掻き分けるようにして戦い続けるシェートと悠里。その息が次第に合っていく。
「"魔王"次第だ。アイツがどこまで、我慢できるか」
「我慢?」
「あいつの体は無数の怨念でできてる。それを御しきりながら、力に変えてるんだ。おそらく今は、城の魔力も全部吸いあげて」
だが、それは常に本人をむしばみ、暴走を始めかねない力だ。あとは、それを勇者たちがどこまで凌げるか。
『あー、そういや、折角の情報忘れるとこだった。"魔王"の正体の話。聞くだろ?』
突然のグラウムの言葉に、戦場の出来事が頭から離れる。そのリアクションに満足したのか、黒い小竜は笑って続けた。
『ジョウ・ジョスの爺様から聞いた。あいつ、バラルの残滓な』
「バラルって、元地球のカミサマの?」
『神々との戦に破れた後、あいつの魂魄の一部が魔界に堕ちて、根付いた。そいつを、天に返り咲かせるため創り上げられた、神の器の一体なんだよ』
だが、どういう訳か、あの"魔王"は自分の定めを否定し、魔界の実力者と契約する代わりに、自分の分体とバラルの核を廃棄したらしい。
『ただなー、あの変わり者で数寄者の"万能無益"が力を貸した理由は、分かんなかったんだわ。でも、あいつの発言で納得がいったよ』
『"神々の遊戯"に関わる神と魔を、泥沼の戦争に堕とし、勝利も敗北もない『ガラクタ』に変える……なるほど、確かにそれなら、という訳か』
『ちなみに、あいつの体は『世界喰い』の一族がベースでね。サリアの星の虐殺で死んでいった連中の恨みが、あいつの力の源なんだってさ』
秘密を打ち明けられたサリアは、痛切な溜息をついて、小さな祈りを上げた。
『では、これも私の愚かさが、招いたことなのですね』
『こんなもんまで背負うなよー。俺より重たくなって、潰れちまうぞ?』
『それでもなお、です』
生真面目な返事にグラウムが笑い、■■は城に視線を定め直す。
"魔王"の映像は投影されたまま。つまり、まだ見せつけるべき何かを残している。
それを、どう使ってくるのか。
「グラウム、ソール」
『思わせぶりは止めろって! 段々、お前の声が主様みてーに思えてきたぞ?』
『いざとなったら、頼む』
『ではその前に、やれることをやりなさい』
どういう感情のから来るものか、赤い小竜は、為すべきことを告げた。
『勇者が勝利し、世界が平和になることを、祈るのです』
祈り、それは頼りない言葉、ではなかった。
今この場においては、何よりも強い意味を持つ、戦う者への力添えだ。
かがり火の下に座る人々も、誰もがそうしていた。
勇者が勝ち、魔王を下すことを、祈る。
だから、■■もそうした。
勇者が勝ち、魔王を下す未来を、祈った。
突然、乱戦に放り込まれたような状況になった。
大規模な戦闘は、悠里にとってはこれが初めてだ。そう考えると、いかに自分が甘やかされていたか分かる。
さすがに、師匠や兄弟子も戦働きは教えてくれなかった。
だが、今は一人じゃない。
「悠里! ベルガンダ、任せるぞ!」
群がる雑兵を弾き飛ばし、シェートが叫ぶ。
殲滅力、範囲の広さ、それに、心強さ。それらを背に、目の前の巨大な敵に挑む。
「そうやって誰かのフォローが無きゃ、まともに戦えないって? なっさけねー、お前らの『オリジン』は、たった一人で、お姫様さえ救ったってのに」
巨大な魔物の隣に進み出る、痩躯の魔王。二体一、それでも臆することはない。
『多対一になったら、一体ずつ戦えばいい。机上の空論に近い話だ。でも考え方としちゃ悪くない』
剣を背中に隠す『影の構え』。そのまま突進。
意識を極限までシャープに、シンプルに変えていく。
『相手の意図とか気にするな。『お前を殺したくてしょうがない』って思わせれば、相手の行動は、勝手に単純になる』
全身を晒した、完全な無防備。
目の前の魔人は腰だめに構えるが、魔王の反応が、ほんの僅かに、遅れた。
『で、迷った奴から、バッサリ』
両足を蹴って、ほぼ直角にサイドステップ。雷の切っ先が鋭い弧を描いて、正面を向いたまま、脇に立つ魔王を斜めに斬って落とした。
驚愕し、嗤い、揺らめいて後退する魔王の影。
を、追いかけた悠里の横一文字が薙いで、首を断つ。
「ちょ、ま……っ」
さらに揺らめいた影に、三段の突きを入れ、
「おおおおっ!」
地面を踏み割るような唐竹割りの片手打ちで、頭から股間までを切り裂く。今度こそ塵になって消えた魔王。その影を踏み越えて迫る、魔人の斧。
「シェート、雷頼む!」
背中に迫った斧を転がって避け、飛び退りながら輝きを受け取る。
正面に構えて隙を消し、一歩、互いの間合いを削る。
『まあ、そうなろうな! 我が主は王、戦士ではない故に!』
驚くほど軽いステップイン、しかしその勢いはすさまじい。
自分の流儀では『飛行』と呼ばれる歩法。滑るように飛ぶように、あっという間に間合いが詰まる。
『刀とは、肉体を損なうことを主眼とする武器だ。殺すのは結果でしかない。一刀の下に斬り屠すという、幻想から離れろ』
兄弟だけあって、父と叔父の言葉はどこか似通っていた。
剣術とは、相手のあらゆる要素を殺ぐことであると。
「せぇいっ!」
刀を振る、もちろん肉体には届かない。
だが、斧を握る指と手は、すでに『殺傷圏内』だ。
体に引き寄せるように相手の左の甲を打ち、外へ払うように右の指を斬る。
『ぬぐっ!』
魔物の指が千切れ、手の甲が割かれ、黒い影が散る。斧の保持が一瞬、外れる。
血は流れない、再生する。だが、遅い。
「せぁっ!」
掬いあげるようにして相手のすねを斬りつつ、脇に進んで無防備な背中を打つ。
その一撃を斧頭で受けて、ミノタウロス瞠目した。
『よもや、ここまでとはな。貴様も沸くのが遅い性質か』
「勝負を時化らせたのは、そっちの王様だろ! 文句は」
斧と切っ先の迫り合い。
あえて力を抜き、質量の塊がこちらに向かって押し出すのを、誘う。
「お前のクソ上司に言え!」
槍のように突きだされたそれをひねり落し、肩へ渾身の斬撃を放つ。
血の代わりに黒い影が散り、本来なら腕が千切れ飛ぶ負傷、それでも再生し、こちらをのけぞらせる大振りを放った。
「……くそっ」
戦えている、まったく恐れもなく。ひたすらに、相手を超すことを考えられる。
それでも、遠い。
「ぬあああああっ!」
再度、コボルトの雷が閃き、兵士の影が吹き飛ぶ。
それでも、シェートの背中に疲労の陰りが見える。手助けに行きたいが、目の前の敵には隙が無く、うかつに動けばシェートを危険にさらす。
ここで自分が、足止めを継続するしかない。
『悲しいかな。それが人の限界だ』
思い出したように、魔王が語り出す。再び赤黒い兵士たちが補充され、ベルガンダが構えを取り直す。
『加護で疲労を打ち消そうが、すでに限界は近い。さすがに勇者二人、いや、勇者モドキと狩人が、よくやったと褒めてやろう』
その時、悠里は違和感に気づいた。
なにかが違う。これまでの魔王の語りと。いや、魔王の語りには『癖』がある。
ゆっくりを視線を走らせ、勇者は、笑った。
「ああ、分かったよ」
『そうか。どうやら自分の無力』
「違う。これも、お前の『ペテン』だ」
ないものをあるように見せ、あるものをないように見せる。
それが魔王のやり口だと軍師は言った。では、この場にないものとは。
「なら、もっとお前を出せよ。ベルガンダとお前のコンビ、強いからな」
『今はベルガンダの兵がいる。わざわざ俺が手を下すまでもない』
「違う」
こちらの声を遮るように、魔人の斧が振るわれる。完全に回避といなしに集中し、すれ違いざま、ゴブリンの影を背中側から断ち切っていく。
「シェート、魔王は『小さくなった』か?」
「……分からん。でも、そうだな」
背中を合わせ、立場を入れ替える。今度はシェートがベルガンダを、自分は雑魚を。
走り出し、突き出される槍の穂先を斬り捨て、敵が飛ばしてくる短剣を払い、当たるを幸いに斬って捌く。
「敵、同じ、なった! 知ってる奴、少ない!」
「やっぱりか!」
最初は多彩だった敵が、シェートの奮戦で明らかに数だけの存在になりつつある。つまり敵は無尽蔵でもなければ、魔王も無敵でもない。
「お前の軍隊と同じだ! 見かけは良くても、内容は薄い! お前ひとりの魔力に依存しているから、数と種類を同時に充実はさせられないんだ!」
『そういう台詞は、これを見てからでも言えるか!』
黒い敵の中に混じる、明らかに個性のある者たち。
でも、そうじゃない。
「うおおおおっ!」
取り囲む敵の利き手を飛ばし、顔を斬り裂き、短剣を構えた敵に肉薄。
一呼吸で、袈裟、切り上げ、逆袈裟を叩き込む。
反応できず砕け散る影。ハッタリの見せかけだけの代物だ。
「悠里!」
取り囲んだ雑兵が雷の雨で吹き飛び、開けた空間を抜けて、ベルガンダの肩口目掛けて斬りつけるべく『飛行』する。
一撃は受けられたが、無言で魔人は下がり、こちらから距離を取った。
二体一、それでも魔王は出てこない。
「たぶん、完全に壊すと、もう一度出すのに時間がかかるんだ。さっき、お前の分身を斬った時、なんとなくわかった。斬っても死なないなら、逃げ続ける意味もないからな」
『なるほど』
「何よりその巨人、さっきから動いてないだろ」
そうだ、威勢よく出た割には、火の槍も腕の攻撃もしてきていない。そこに居て、こちらを睨み据えるだけ。
最初に十分力を見せてから、いつでも繰り出せるようにという姿勢を取っていただけ。
「確かに俺は、紛い物で踊らされた存在かもしれない。でも、それはお前も同じだ!」
巨人には顔がない、目がない、ただ口があるだけだった。
言葉で騙し、あやつり、見ただけはいい、虚構の存在。
「俺の世界の力を真似て、魔王を真似て、外に綺羅を纏うだけ!」
表情は分からない、でも、こちらの言葉に反応している。
怒り、憎んでいる気持ちが伝わってくる。
「中身のない空っぽの魔王、それがお前だ!」
当てて来い、そう言わんばかりに悠里は全身を突きだし、巨人へ向けて突進。
その前方を赤黒い牛頭魔人が遮る。
同時に、槍と剣を構える雑兵が林立し、切っ先を突きつけてくる。その一切を、ただかわして走り、力を溜める。
その全ての邪魔を、雷が吹きとばし、刃に炎が宿った。
こちらに合わせるように、魔人が体をねじり、斧を溜める。
『「ぬううわあああああああああっ」』
何度目かの交錯。振りかぶった炎と影、斧と刀が互いを喰いあう。
その拮抗の、刹那。
「俺を越えてけ! シェートぉっ!」
力を張った背中を、力強い足が蹴り、ベルガンダの背さえ越えて高く舞い上がる。
その先にあるのは、巨人の暗い、虚ろな口の空いた顔。
「スコル――ハティ――雷喰、九つ!」
闇夜を、青く輝く流星が駆ける。
それは黒く灼熱する巨人の出足を引き裂き、顔を砕き、胴を貫きえぐる、九重の光。
自分の主が貫かれ、わずかに気がそれたベルガンダの、斧を弾き飛ばし。
「ちぃぇええええええっ!」
紅蓮の抜き胴打ちが、魔人の鎧と仮初の肉体を、上下に両断した。
力を解き放ってから、シェートは少し焦った。
飛び過ぎている、このまま硬い石の上に着地しては、ただでは済まない。
「任せろ! 受け止める!」
「悠里! 頼む!」
走り寄って手を伸ばし、こっちを掴み、そのまま自分の体を滑り込ませるようにして、悠里が衝撃を殺してくれる。
鎧が少し痛かったが、それでも、どうということはなかった。
「ご、ごめん、いきなり、あんなこと言って」
「いい。同じこと、前、やった。背中、ありがとな」
「……ほんと、君はすごいな」
そのまま体をどけると、悠里に手を貸し、立ち上がらせる。
煮えたぎるような音を立てていた、魔王の体は消え去って、無数の敵も消滅していた。
「ベルガンダ、どうした」
「……斬ったら、消えた。頭蓋骨らしいものが、そこらに転がってたと思う」
「そうか」
こんな形で、再会するとは思わなかった。途中で呼び出されていた者たちの中にも、懐かしい顔があった。
それも、これで終わりだ。
「帰ろう、悠里」
「……できれば、みんなの遺品を、探したい」
その切実な願いを、無下には出来なかった。とりあえず、行けそうなら、さっき使った階段を探すぐらいは。
「シェート!」
目の前に魔人が立ちはだかっていた。
顔の半分の影が剥がれ落ち、白い頭蓋骨が見えている。その片手持った巨大な斧を振りかぶり、地面に一撃を入れる。
亀裂が一気に広がり、体が崩落する。
「あ……!?」
下は真っ暗で、何も見えない。
同時に、ベルガンダがこちらにつかみかかり、そのままもみ合いながら、暗い穴を落ちていく。
『このまま、俺と付き合ってもらうぞ!』
「放せ! このっ!」
だが、この空間はどれだけの高さがある。音の広がりから、下の丸い部屋まで続いている気がした。
そして、墜落の途中で、すれ違う人影。
「"魔王"!」
そいつは笑い、昇っていく。
最後の最後で、あいつの手が上を行った。
あそこには悠里しかいない。誰も助けになってやれない。
「ゆううりいいっ!」
その叫びは、シェートの体と一緒に暗い底に飲み込まれていった。