40、それでも尚と立つために
蒼い仔竜は、ゆっくりと上昇を続ける魔王城を見つめていた。
魔王の城は立て続けの崩壊で、原型を失いつつあり、ときおりすさまじい破壊音が、外殻を吹き飛ばしていた。
映像は、シャーナがブレスで"魔王"の胸を貫いたところで途絶えていた。
「どう、なっているんでしょう」
「……たぶん、最悪なことが、起こってると思う」
「何か知ってるのかい?」
魔王城での戦闘、あいつと一緒に乗り越えた、恐るべき"魔王"の切り札。
「"魔王"って、火が効かないんだよ。火の攻撃に反応して『煉獄態』って姿になれる。たぶん、あのバカ地竜の火が、トリガーになったんだろ」
「そんな……それでは、あのコボルトの力も」
「そうなっても、困らないように……したんだ、けどな」
分子運動の加速はイメージしやすくても、停止や低減はイメージしにくかった。炎と氷という力の付与は、割と最初からあきらめていた。
だから、火という『プラズマ』を散らすことができる、雷撃を付与したのだが。
「おい、あれ見ろ!」
誰かの声に顔を上げる。はるか高みに昇った城の上に、赤黒く燃える人型が、立ち現れようとしていた。
「ちょっと、待ちなよ。あれが、魔王だってのかい!?」
「いくら何でも大きすぎる! ■■■殿!?」
そのツッコミはもっともだ。前に来たの時はまだ、常識的な大きさだったのに、あれは完全に想定外だ。
「まさかあの野郎、ラスボス第二形態とか、そういう体張ったネタのつもりか!?」
その問いに答えるように、"魔王"の声が、大きく鳴り響いた。
『ファイナルステージへ、ようこそ』
再び、人々の前に映像が浮かび、現地の状況を写しだす。
『ようやく、お前たちだけになったな』
その映像を見た時、胸が締め付けられた。
巨大な敵の前に、小さく取り残されたような、コボルトの姿に。
『正直に言えば、不満はある。例えばその、矮小な勇者ごっこの男とかな』
こちらの言葉に、ひどく萎縮する勇者を見て、"魔王"は満足した。どうやら、こちらの掛けた『呪詛』は効果を保持している。
『願わくば、その端の方からひっそりと身を投げ、神去にお帰りいただ』
立て続けに雷の矢が叩きつけられ、怒りに燃えるシェートが、怒鳴った。
「お前、うるさい! "魔王"、悪口言う、仕事か!?」
『こういうのを『精神攻撃』というのだ。"魔王"にとっては大事な仕事だぞ』
「そうか。ならお前、休め」
彼我のサイズ差などものともしない。口元に挑むような笑いを浮かべ、コボルトはこちらを挑発した。
「お前、仕事、十分だ。もう寝ろ」
『ならば兄弟たちにしたように、子守唄を歌ってくれ! お前たちの悲鳴でな!』
あいさつ代わりに両手を叩きつけ、火の槍を解き放つ。下がりながら銀光で攻撃を迎撃していくコボルトに対し、地面を転がりながら避けていく勇者。
『戦いというものは、弱い所から潰すのがセオリーだ!』
今度は腕を振りかぶり、勇者に向けて突き出す。驚愕した青年の体が横からの一撃で左へ吹き飛び、赤い巨人の左腕が雷で爆発して激突を回避させる。
勇者の鎧を当て込んでのパーティアタック。シェートの柔軟性には驚かされる。
『こと戦に関しては、貴様は天与の才があるなあ! どこぞの雑魚とは大違いだ!』
返事は無数の雷撃。
腕をかざしてダメージを押さえ、今度はシェートに攻撃目標を切り替える。
『てことで、俺、参上』
燃え盛る分身体から進み出た少年に、一瞬シェートの動きが鈍る。分かっている、先ほどの戦いでも、お前はこれを嫌っていた。
何故なら。
『燃える恩讐の矢!』
撃ち出した炎の矢を切り払いつつ、こちらに肉薄してくる姿。思いきりはいいが、それが自分の持ち味を捨てることも、分かっている顔だ。
左斜めからの袈裟掛けを受け止められるが、さらに右下からの追撃。
逆手持ちで受けたシェートが、伝わってくる熱に顔をしかめる。
『さあどうする!? こっちは燃えてるんだぜ!?』
「――双剣、雷喰!」
雷の閃光が火の刃を拒絶し、
「ハティ!」
引き裂く八つの青い輝きが、分身を消し飛ばす。なるほど、電撃の力は明らかに『煉獄態』への対抗策というわけだ。
『やっぱスゲーよ、シェート』
だが、このすべてが目くらましだ。
『で、アイツ死ぬんだけど、いいよな?』
激しい攻防の裏で、蘇っていた牛頭の魔人。燃える斧が、悠里に振りかぶられる。
駆けだすコボルトに立ちふさがり、一切の手出しを封じる。
まずは一人。
無常な斧の振り降ろしが、未練たらしい勇者崩れを、叩き壊した。
目の前に、巨大な姿があった。
赤黒く燃える、悪意の塊だ。
「あ」
避けなきゃ、逃げなきゃ。
でも、体が動かない。
動かす気力が、どこにもなくなっていた。
「……っ」
気が付けば、何もなくなっていた。
取り戻したいと、取り戻せたと思っていた仲間は、いなくなった。
掲げていた理想は、悪意に汚されて腐っていた。
輝かしい冒険の旅は、目くらましの虚飾でしかなかった。
『外に綺羅を纏えば、内側は虚ろになるものだ』
馬鹿みたいだろ、父さん。俺、空っぽだ。
勇者なんて言われて、自分にも何かできると思って、背伸びして、迷惑かけた。
そして、なんにもなくなっちゃった。
『なあ、悠里。本当に、そう思うか』
あの暖かい縁側を思い出す。何もかも壊して、ひたすらに壊した日々の果て。
どこにも行きたくないと、泣いていたことを思い出す。
『私もお前も、色々と失った。誠実さも、実直も、この世界では、笑われるばかりのものなのかもしれん』
いつも厳しかった父さんが、ずっと俺を抱いていた。
俺がどこかへ、落っこちてしまわないように。
『それでも、私がここにいる。私が、お前の歩みを、肯定する。過ちも、苦しみも、迷いも、犯した愚行も、すべてだ』
そして、差し出されたもの。
『人とは生涯、這い進むものだという。倒れるたび赤子に戻り、再び起つを繰り返す』
毎日、振り続けていた木刀。色褪せ、古ぼけていたが、それは確かだった。
『這えば立て、立てば歩めのなんとやら。悠里、倒れた時こそ、赤子になるんだ。私が、見ていてやるから』
目の前に、巨大な姿があった。
赤黒く燃える、悪意の塊だ。
でもそれは、少なくとも人の形をしていた。
「倒れたら、這う」
まず大事なのは、息。
そして、『力み』を捨てる事。
刀を収め、構えを解くと、悠里は静かに、後退した。
「――っく!」
まるで爆発する塊だ。鼻先をかすって行った熱が、足元の敷石と一緒にはじけ飛んで、無数の瓦礫が体を打つ。
牛頭の魔物が嘲笑う。回避を見越しての技なのだと。
そして、巨体が飛ぶ。斧を支えに、槍のような蹴りが、こちらの真正面に襲い掛かる。
『立て掛けろ、悠里。剣線はほんのわずかな遮りで、軌道を変える』
滑らかに抜き放たれた剣が、蹴りの正面よりわずかに外側に『立て掛けられる』。
そして、ほんの、一押し。
弾ける衝撃を右に受け流し、悠里は一撃を凌いで、飛びかわした。
『体なんてのは、しょせん『モノ』だ。戦う時は心掛けろ。目の前のこいつは、ただのベクトルの塊、ガワなんざこけおどしだってな』
叔父の言葉を思い出す。
思い出していく。教わったことを、もう一度、最初から、すべて。
『視界は広く保て。敵ではなく、目線をかすかに、下に向けろ。足元が広く見えれば、それが広い視界だ』
正面に正眼で構え、ゆっくり目を下げる。狭まっていた視界が、少し広がる。ミノタウロスが起き上がり、巨人の腕と足元が見え、シェートに襲い掛かる、小柄な魔王の分身が目の端に留まる。
『手裏剣などの投擲は、腕だけでなく、全身を使う。当流では投げるとは言わず――』
打つ、と言う。
斬るのと同じ軌道と動きで、手にした刀で魔王目掛けて、打ち放つ。
ど、という鈍い音が、少年のような顔を真横から貫き、炎の泥が崩れ去った。
歩み寄り、転がった刀を取り戻すと、悠里は巨人に向けて、獰猛に笑った。
「ビームでなくて悪かったな。うちの流派は、実戦重視なんだ」
巨人の体が身じろぎし、ミノタウロスの気配が変わる。
それでも、嘲る道化の声は、止まらない。
『何とか立て直した感じ? 無駄無駄、実戦剣術って言っても、所詮は平和に寝ぼけてた国の骨董品でしょ。そもそもこの巨体に、どうやって勝つわけ?』
「シェート、あいつに、勝つ方法があるのか?」
迫ってくるミノタウロスに牽制の一瞥をくれつつ、巨人の動向を見守る。背中を預けたコボルトは、苦笑いした。
「たぶん、な。時間、ちょっといる。あいつ、大きすぎ」
「なら、まずは小さくしようか」
振りかぶられたミノタウロスの斧が、二人の間を別つ。
「悠里! 剣、掲げろ!」
飛び退ったシェートが叫び、斧の追撃をかわしながら、悠里は刀を頭上に上げる。
飛来したまばゆい電撃が、刃に宿った。
「武器にエンチャント!? こんなことまで!」
「忘れてた! すまん!」
立て続けに打ち出された光の加護が、悠里の体に重ね掛けられる。
本当に、何ならできないんだと苦笑いがこみ上げた。
だが、今はそれが頼もしい。
『やれやれ、見せつけてくれる』
立ちはだかる魔人は目を細め、どこか寂し気につぶやく。だが、そんな顔も一瞬。
斧を大地に突き立て、咆哮する。
魔人の周りに赤黒い闇が生まれ、そこから何かが湧きだした。
それは、様々な姿を持つ、魔物の軍勢。
『では、俺も全力でお相手しよう。我が聲に奮い立ち、狂気を共にした者どもとな』
飲まれるな、恐れるな、視界を狭めるな。
倒れたら、何度でも、這いながら進め。
「岩蔵流――岩倉悠里、参る!」
そして踏み出した。
絡みつくすべてを、引きはがす一歩を。