38、集いし者共
その空間に広がるすべてを、シェートは油断なく見回した。
玉座に魔王が座っている。悠里が地面に転がっている。とてつもなく広い天井は、曲線を描いて、伏せた椀のような形。
どこかでこちらを見つめる人々の顔が、壁に写っている。
だが、その中でもっとも目を引いたのは。
『久しいな、シェート』
声は少し響きがおかしい。でも、その口調、その雰囲気は、間違えようもない。
「ベルガンダ、か」
『"魔王"様。よもやこれは、俺に対する褒美、ですかな?』
玉座についた"魔王"は、声を上げて笑った。
「待て待て、早合点するな! あれは俺の獲物だ。俺だけのものだ。いくら一の忠臣たる貴様とて、手を付けることは許さぬぞ」
『やれやれ、ご命令とあらば、致し方ありますまい。ですが』
黒い"魔将"の声に、いつか聞いた冷徹が宿る。親愛の情を示しながら、敵となった者を果断に斬り捨てる残酷が湧きたつ。
『早々にこのゴミを始末し遂げ、俺もご相伴に、預からせただきたく!』
「火奔っ!」
振りかぶる途中でベルガンダが飛び退り、はずれた炎の矢が壁を焼く。映し出された野次馬の顔が、爆炎に打ち消された。
悠里が走り出す。
その先にあるものを目に留め、素早く二の矢を継いだ。
「ハティ、雷喰っ!」
魔王の玉座が砕かれ、雷の矢を弾き飛ばすベルガンダが、それでも場から動けない。
油断なく光の矢を番え、剣を取り戻した悠里に駆け寄る。
「すまん、遅れた」
「……来て、くれたのか」
「俺、道具、言った。でも、道具、遅れた。すまん」
どこか痛むのか、唇を引き結んで、青年は顔を逸らす。
その肩を軽く叩き、シェートは二つの敵に向き直った。
「休んでろ。持たせる」
そのまま走り出す。
魔王がいつかの鎧をまとい、ベルガンダが斧を構える。
いま、自分の隣にあいつはいない。この二人を自分だけでどうにかなんて、とても無理に決まってる。
だから、
「雷喰!」
八発の雷撃を叩きつけ、一気にベルガンダに肉薄。牙を両手に、炎を宿す。
「おおおおっ!」
下から振り上げた剣を、斧の柄が受ける。弾かれた勢いで回り、左手を叩きつける。
打ち払う斧頭で炎が爆ぜ、魔人の体が腰だめに斧を構えた。
『ぬうううんっ!』
「うおあああっ!」
薙ぎ払う黒と炎が重なり、互いを吹き飛ばす。
あの荒野での戦い、その再現。
だが、シェートは油断なく睨み構え、ベルガンダは砕けた斧を再構成して立つ。
『ふ……ははっ、ふははははははははははははは!』
おそらくは死者であるはずの男が、生き生きと笑う。その背後で、手を出しかねていたようにたたずんだ魔王が、苦笑いを浮かべた。
『なるほど。俺が死んでいる間に、いよいよ強さを増したか、いいぞ!』
「ずるいな。主人より先に手を付けるなと、申し付けたはずだぞ」
『失礼。ですが、挑まれば迎え撃つ、それが武人でありますれば』
ああ、こいつらはこういう性格だったな。
シェートは笑い、"魔王"を手で招いた。
「来い、"魔王"。相手、してやる」
おぞましいほどの喜色が、影となって溢れる。その姿が突然縮んで、
「やっぱ最高だシェート! お前は!」
まるで少年のような姿の"魔王"が、両手に剣を構えて目の前に立ちはだかった。
「ミラーマッチだ! さあ、踊ろうぜ!」
悠里は、息を飲むしかなかった。
目の前で繰り広げれる、シェートの戦いに。
小さな体を振り絞り、駆け抜け、力を振るい続ける姿に。
「雷喰っ!」
その矢は八つに砕け、背後を取った魔王の影を灼いて、逃げた影をさらに追い詰めて貫いていく。
「った! あっぶねえ! そういう力があるって聞いてたけど、そこまで使いこなすのかよ! ずっりいぞ!」
「しいっ!」
放たれた炎の矢の追撃を切り伏せ、鎧姿の魔王が目前まで迫る。
「"透解"!」
「小癪!」
叩きつけた大剣が周囲を黒の衝撃で吹き飛ばし、姿消しを破られたコボルトが、中空を吹き飛びながら銀の矢を放つ。
魔王の両手とつま先、顔がえぐり抜かれ、シェートが四つんばいで着地する。
「やれやれ、これではまたぞろ、俺の心が疼いてくるな。勇者よ、俺のものとなれ!」
「嫌だ!」
黒い波が放たれ、炎と雷が全て叩き落とす。
その全てが、悠里には一切見せなかった姿だ。単なる練習の手合いや、日々の生活、あるいは戦車の撃退では、現れない力。
命を掛け、鎬を削る瞬間だけ、垣間見える真の実力。
『いるな。本番にだけ強い奴』
思い出す、叔父の言葉。
『手を抜いてるとかじゃない、『出し入れできる』んだよ。そういう奴は大抵、ポテンシャルがでかい。集中力と目が、桁違いだ。だから普段使いを無意識にセーブするのさ』
シェートの顔に怯えは無い。高揚も、焦りもない。ひたと目の前の敵を見据え、冷静に矢を番え、動きに応じて戦っている。
神器はあくまで添え物で、敵の暴力的な押し付けを払うためのもの。
これまでの旅で培われ、磨かれた力だった。
「くそ……っ」
では、今の俺はなんだ。
ここまで、自分も研鑽を積んだつもりだった。仲間と一緒に、乗り越えてきたと思っていた。
その何もかもが、何の意味もないと、与えられた茶番だと言われた。
『おい、そこの小僧』
目の前に、巨体があった。
黒い顔は物憂げ、というよりも、憐れんでいるように見えた。
『我が主の命でな。貴様を殺す』
「……っ!」
構える、構えるが、震える。
切っ先が震える、急に恐れが実感を伴って、全身を洗う。
俺はこいつに敵うのか、俺の剣は通じるのか、戦えるのか、■■■■■のか?
『やはり"神々の遊戯"など、不快なだけだな。剣を能くするらしいが、性根が駄目だ』
見透かされている、こっちの怯えを、不安を。
『案ずるな。貴様が死んでも、おそらく世界は救われよう。シェートこそ誠の勇者。貴様など、前座の茶番に過ぎん』
その言葉に、視界がかすんだ。
怒りと、憤りと、深い自虐が、脳を満たす。
「ふ、ざけるな、よ」
歯を食いしばる、震えを力で抑え込む。
「なんでも、なんでも勝手に言いやがって! 決めつけて! ふざけるなよ!」
『死に際に血迷い、吠え掛かるか。だから貴様は、足らんのだ!』
まるでこちらの切っ先など意にも介さず、自分の腹に突きこませながら、太くごつい膝が跳ね上がって悠里のみぞおちにめり込んだ。
「ぐええうっ!」
『大きなものに恐れを抱けば、待つのは死だ。貴様は恐れを御せん。つまり死ぬ』
腹に刺さった刀を放り捨て、魔将は悠里に歩み寄る。
『斧の錆になることも許さん。熟れた果物のように、潰れて死ね』
その太い脚が、振り上げられ。
『ユーリ!』
疾風が、何もかもを置き去りにして、体をさらった。
誰かが自分を抱えて、抱き留め、守るように抱き締めている。
「もう、大丈夫、です」
少し硬い、獣の毛皮の感触があった。
目を上げると、素顔のイフは笑っていた。
「私たちが、いますよ。ユーリさん」
とんでもない速度でユーリをさらって行ったイフに、グリフは目を丸くした。
フランと連れ立って降りて来た時、すでにローブも手袋もなくして、今まで見たことのなかった全身を晒していた。
『行きましょう。ユーリさんを、助けないと』
謝る暇もなかった。完全に、置き去りにされた。こっちがより惨めになるほどの、すがすがしい変わりぶりだった。
「何をぼっとしとるんじゃ! 行くぞボケナス!」
「い、いや、俺は」
「もう後悔などしている場面ではないのです、グリフ殿」
そこらで拾ってきた剣を確かめつつ、足早に広い空間へ出ていくフラン。盾も鎧もなしに、残った鎖帷子だけが唯一の防具だ。
「フランの言う通りじゃ、走れ、進め!」
「……ええい、くそおっ!」
魔王の手下らしい奴の脇をすり抜け、イフが戻ってくる。その腕に抱かれたユーリは、見たこともないくらい、憔悴した顔をしていた。
いつもなら、ここでどやしつける、場面のはずだ。
でも、俺にはそんな資格は、もう。
「時間が、ないです。シェートさんが、押されてる」
「え、シェートって……」
そこに居たのは、炎と雷を纏って、黒い魔王と対峙するケモノだった。
自分たちが苦戦し、手もなくひねられた相手と、互角に渡り合っている。
しかも、二人と。
「な、なんだ、あいつは……」
一人の黒い矢の雨を避け、もう一人の巨大な剣をさばきかわし、炎で斬りつけ、雷で敵を追う。
対する魔王は笑い、笑い、快哉を上げて戦っていた。
「バ……バケモ……あ、いや」
「本当に、バケモノさん、です。すごい」
誰もがイフを見ていた。背を伸ばし、透き通った眼で見つめる先にある、抗うコボルトに、微笑む姿を。
「グリフ、さん」
「は、はいっ!」
「私と、いっしょに、戦って、ください」
誰と、そう問いかける必要はなかった。
こちらにめがけて、牛の化け物が突き進んでくる。
「私が、攪乱します。隙を見て、斧で、お願いします」
「あ、おい!」
弾ける音とともに、風になったイフが牛男に迫る。その足を払い、太腿を蹴りつけ、背中を打って、顔を蹴り飛ばす。
「うあああああああっ!」
叩きつけた両腕が輝き、爆炎が魔物を押し返した。
あんなのと、一緒にやれってか。
「いつまでウジウジしとるんじゃ!」
「ってあぁっ!?」
こちらの尻を蹴り飛ばしたコスズは、にっと笑う。
「行ってスッキリして来い! 骨は拾ってやる!」
「……ああ、頼むわ」
ため息をつき、それからユーリに振り返る。
「よく頑張ったな。それと、済まねえ。あとで煮るなり焼くなりしてくれや」
「グ……グリ……」
返事は聞かない。それが俺だ。
柄に唾をひっかけ、握り革の締まりをよくする。デカブツだ、相手は切り倒しがあるでかい木だ。
「おらあぁっ! このクソ牛、俺が相手だぁっ!」
ぶつかり合う牛頭魔人と、仲間二人の動きを見て、フランバールは頷いた。
「噛み合っているようですね。速度と重さ、グリフ殿は思う通り動き、イフ殿が速さと視界の広さで、互いの隙を埋め合っている」
「むしろ、グリフがおんぶにだっこじゃな。帰ってきたら今度こそ、よく鍛えてやらねばならんのう」
「彼に問題があるとすれば、素直さが足りぬところです。それ以外は、決して悪いものではありませんよ」
自分の装具を確かめる。
鎖帷子はほつれ、防具としてはほぼ意味がない。イフから貰った魔法は、いざという時の切り札だ。
「では、我らはシェート殿の加勢に」
「……そう言えば、あのコボルトといつの間に、仲ようなったのじゃ?」
「同僚を通じ、人となりを見たのです。後は肩を並べて戦えば、それで十分」
こちらを不安げに見る青年の姿は、痛ましいほどだ。結局、自分たちは、勇者の仲間にふさわしくなかったのだろう。
それでも、そんなことはどうでもいい。
「もし、本当に辛ければ、お逃げください」
「え……」
「フラン?」
「この世で魔王を倒し得るのは勇者だけ。逃げて機を待ち、再び起つも良し。あるいは……故郷にお帰りになることも」
そうだ、もし自分に、彼の仲間たる資格がなかったのだとすれば。
「思い違いをしていました。私は騎士なのです。弱き者を守るもの、たとえそれが、誰であろうとも」
剣を抜き、歩み出す。その隣に、静かに付き従うコスズ。
「お守りします。貴方を。この世のあらゆるものから」
「なあ、ユーリよ」
背中越しに、エルフの少女は告げた。
「儂のことは気にするな。なんでも言い合うばかりが、仲間ではなかろう。なにより、儂はお前と旅ができて、幸せじゃった」
泣いている、静かに。それでも、彼に涙は見せなかった。
「儂を一人の仲間として、誰でもないコスズと見てくれた。それだけで充分じゃ」
駆けだしていく。振り返りもせずに。その後をフランバールは追いかける。
「借りを返させてもらうぞ! 魔王よ!」
魔王は振り返る。心底嫌悪にまみれた、うっとうしいと言わんばかりの顔で。
その傲慢に、フランバールは一撃を叩き込んだ。
雑味が混じってきた、魔王は苦く笑った。
一応、自分は望み通り、シェートと戦えている。とはいえだ。
「邪魔だ!」
大きく振りかざした剣をかわし、内側に踏み込んでくる女騎士。その背後から、エルフの女が弓で援護する。
盾代わりにした剣に矢が突き刺さり、
「しっ!」
横合いから飛来したシェートの銀光を、何とか払い飛ばした。
あいつの神器が厄介なのは、目付をしたところに必中する攻撃を打てること。分身し、軽量型の自分を貼り付けておいても、そっちを牽制しながらこちらも攻撃するのだ。
「どうやら、調子を取り戻したと見えるな」
分身を戻し、息を整える。
これ以上マルチタスクなどやっていては、致命的な隙ができる。ともあれ、まずはこいつらの足止めだ。
「だが、貴様らのゆう――」
劫火でこちらの鼻面を焼きつつ、果敢にシェートが踏み込んでくる。そうか、もうこいつには俺の言葉は通じない。
「聞くな! 魔王、話すな! 狩れ!」
「本当に怖ろしい奴じゃな、お前は!」
それでも合意を形成したエルフが、手に撒いた蔓を聲で操る。
「"手絡み足絡み、あざなえ縛れ、木々枯らす結び目"!」
エルフとドワーフの仲を裂くために撒いた葛が、今や自分を縛る術具として、反対に利用されている。こんなことならミントでも蒔かせておくべきだった。
腕を蔓が縛るが、所詮は非力なエルフの膂力、すぐに引きちぎって。
「せえっ!」
動きの止まったこちらに、騎士が一太刀浴びせる。腕が千切れ、地面に落ち、影の槍と化して女の喉を狙う。
「フラン!?」
「雷喰!」
驚くほど正確な目付の矢が、影の槍を吹き飛ばす。先ほどまでシェート一人だったが、こうしてフォローが入ってしまえば、明らかに不利を強いられる。
おまけにこちらの話術も、シェートが割り込んで打ち消してしまう。
確かに、あの時殺すべきだったという"参謀"の言葉は、真実だ。
「ベルガンダ! いつまで遊んでいる! さっさと片付けてこちらの下郎を始末せよ!」
こちらの声が届いているはずだが、"魔将"はその場に張り付いたまま、"試作十二号"の猛攻をいなしている。
両手足に加速を始めとする魔法を待機付与し、それを解き放つことで攻撃力を変化させるというコンセプトの人造生命。
手足だけでなく、鼻腔や口元からもうっすら血を流しているが、勢いが止まらない。
「おらぁあっ!」
所詮、三流の傭兵に過ぎないクズの攻撃だ。
だが、その膂力だけは侮れない。釘付けになったベルガンダに重い一撃を浴びせ、それに対処すれば嵐の連打が力を削いでいく。
むしろ、あれだけの攻撃を受けてなお、決定的に崩れないことが脅威だった。
(ああ、まったくもって、この世はままならんな!)
どこで崩れ、どこで間違った。
分かっている。俺が望んでしまったからだ。
定められた"魔王"という役割の、その向こう側へ。
すべてをガラクタに。その契約のために捨てたはずの自己が、破綻を求めてしまった。
愛しい勇者、俺だけの好敵手。
残り少ない命をかき集め、内に眠る憎悪たちを叩き起こす。
こんなところで、終わりはしない。
「まだだ! 貴様らになどに、負けて――」
『燃え散れ、下郎』
胸を、熱が貫いた。
何が起こったのか、魔王は自分の感覚に、答えを求める。
力は上からだ。見上げるその先にあったのは、ぐずぐずと溶け崩れた天井から、睨み据える激怒の竜眼。
空いた胸の穴から、炎が広がる。
焦点温度五千度を収束させた竜の聲。
そして、足元の敷石が、真っ赤に崩れ、自分と一緒に階下へと崩落した。