31、バケモノの矜持
地鳴りのような音が、広い空間を揺さぶった。
振りかぶった爪を引いて"執事"が間合いを取り、弓の光を消してシェートが飛び退る。
「始まりましたね」
相手には敵意がない。
少しの隙でもあれば、戦いの構えを解き、こちらに語り掛けてくる。正直、こういう相手は、シェートにとってやりにくい。
「おそらく、地竜の女王を倒したか、制圧したと言ったところでしょう」
「な、なに?」
「はっきり言って、あれは雑魚だ、"魔王"様の言葉です」
あくまで魔王の意見、と言い添えつつ、長躯の敵はその理由を告げていく。
「ドラゴンという存在は、生まれついての『暴君』です。欲望に忠実で、その欲望を可也とする力がある。ですが、それ故に己と、己の弱さを知らない」
「……油断する。相手、弱い、思う。だから、雑魚か」
「貴方が経験されてきたことです。傲慢な勇者は竜種に等しい、ということですね」
そのまま、見る見るうちに背が縮んで羊の姿に戻ると、虚空から出した緑色の板に、何かを書きつけ始めてしまう。
「今回、"魔王"様がアマトシャーナに用いた戦術ですが」
「お、お前! 戦う、止めるな! 俺、上行くぞ!?」
「おや、何やら興味がおありのようでしたので、失礼いたしました」
本当にこいつはやりにくい。
戦う気がないくせに、こちらを足止めするために全力を尽くしている。こっちも全力を出せば殺せる、かもしれない。
でも、こいつは。
「さあ、よい休憩になられたでしょう。次のラウンドへ行かれますか?」
「ぐ……っ」
「では、僭越ながら、こちらから」
体を変形させながら、強烈な槍のような蹴りが飛ぶ。弓で受け、衝撃を殺すために吹き飛んだ体に、追いすがって拳を振り抜いてくる。
守り固めた体に、叩きつけられた一撃が重い。
「うがあっ!」
地面にころがり、必死に距離を取る。
それでも、まだ"執事"は目の前にいた。
「容赦は致しません。これも『おもてなし』ですので」
九つの魔法弾を叩きつけ、防御した敵が、腕の隙間から笑った。
絡めとられるな、相手が誰であれ、倒して悠里のところへ行くんだ。
「ハティ――雷喰!」
雷撃を解禁し、シェートは"執事"に突進した。
嫌な空間だ、ここは嫌だ。
イフは呻くように心の中で呟いた。
上の階と違い、ここには妙な間仕切りされた部屋が連なっている。壁の下半分が木造、上半分がガラス張りになった部屋が多い。
その向こう側にあるのは、実験施設だった。
「なんだこりゃ。よくわからねえな、ガラスの管か何かか? それに、五徳の上にのった瓶みてえな」
「サンジャージ師の研究施設に似ているが、何かわかりますか、イフ殿?」
「し、しり、ません! そんなこと、より、先に! ユーリさんを!」
「その通りだぜ。意味がねえならさっさと」
その時、部屋の中にあった暗い板に、光が灯った。
『侵略歴二年、三月十一日。研究計画に基づき、素体の作成に着手。今後の計画を左右するプロジェクトのため、各研究部に応援の人員を要請した』
無機質な声だった。
光った板には景色と、白い衣をつけたゴブリンらしい姿。皆きびきびと働き、地上で見る野良の粗暴さなど欠片もない。
「なんだあ!? あいつら、そこに居るのか!?」
「ち、ちがい、ます! 映像、昔の、記録した光景を、映しているだけ、です」
「脅かしやがって。行くぞ、ともかく、階段を探すんだ」
無視するこちらを気にすることもなく、映し出された映像は、時間を飛ばしながら、様々な結論をお披露目していく。
『侵略歴四年、五月二日。《ペイルライダー》試作一号群完成。事前の検証ににより、生殖能力に問題はない。ウィルスの保持、寄生虫に対するアナフィラキシー反応もなく、良好な結果が出た。次は複数の菌株に適応する機構を――』
さすがに、皆が足を止めていた。
他の大陸に撒かれた悪疫の怪物が、生まれた瞬間に目を奪われていた。
「つ、つまり何か? あのバケモノを、ここで創ったってのか?」
「なんということだ……」
「し、しかし、それらしいものは、どこにもおらんようじゃが」
おそらくすでに運び出されたか、撒かれた後なのだろう。嫌な記録だが、今の自分たちには直接関係はない。
だが、進んでいく間に、間仕切りの向こうの機材が、物々しくなっていく。
巨大な金属と分厚いガラスでできた、筒状のものが並んでいる。
「……っ、あ、う……」
「どうした、イフ殿。疲れたのか?」
「足手まといになるようなら、置いてくぞ」
「だ、だいじょうぶ、です」
ちっとも大丈夫じゃない。あの筒は嫌だ。
何かを、何かを思いだしそうになる。
『侵略歴五年、最終プロジェクト『影以』の作成に着手。《ペイルライダー》は、この計画の前駈に過ぎない。"神々の遊戯"開始まで残り五年、時間はあまりにも少ない』
この記録をしている者が、何を望んでいたのか。
そして何を作り出そうとしていたのか。
「こいつ、まだ何か創るつもりかよ。いや、多分創った後、なんだろうがよ」
「おそらく、おぞましい化け物じゃろうな。『影以』、なかなか嫌な響きじゃ」
「もしや、"繰魔将"の城で出会った怪物とも、関係があるのでは」
私は、ローブの端を掴んで足を速める。普段なら絶対に追い越さない、グリフさんの背中の先へ。
「お、おい、イフ! 急ぎすぎだ! ちょっと」
「いやっ!」
その指が肩に触れた瞬間、払いのけてしまう。
触られたら、気づかれてしまう。
「痛っ、なんだテメエ! いきなり」
『侵略歴七年、七月十二日』
いつの間にか、廊下の天井から無数の板が、ぶら下がっていた。
その先に、階段が見える。
でも、嫌だ。そっちに行きたくない。
だって、この映像が、何を意味しているか、分かってしまったから。
『『影以』、試作零号から十二号が完成。成長状態は人間年齢換算、十四歳で固定。健康診断と精神鑑定の終了後、育成を開始する』
映し出されたのは、異形の子供たちだ。
本来人間にあるはずの、肌色などはどこにもない。胴体は柔らかだが黒い鱗で覆われ、両手足は獣の毛皮。爪は太い鉤爪。
その顔は、竜の目を持ち、猫そっくりの口吻と耳がついていた。
「な、なんだよ、こいつらは。これが『影以』?」
「子供……いや、これは、なんだ?」
「み、見たことがある。いや、お主らも、見たはずじゃ! "繰魔将"の城、その地下!」
そこは、この映像の中ほどきれいではなかった。
ひどい悪臭と腐臭、血の匂い。でたらめに切り刻まれた肉を、魔物で繋ぎ合わせただけの、出来損ないの化け物工場だった。
「なぜこうまで、やり口も見た目も違うかはわからん! だが、"繰魔将"のアレは、魔王の行動を真似ようとしたのではないか!?」
コスズの勘の良さは、悲しいほど良かった。
その通りだ。この映像の本質は、あの拷問部屋のような空間と同じ。
『侵略歴八年、六月一日。『影以』は非常に良好な成績を記録している。殺戮への抵抗感のなさ、魔力の運用、竜種の聲に関しても適性を示す。後は容姿の問題を解決し、生産施設の破壊や、魔術による要人洗脳などの工作に従事できるよう、調教を継続する』
それは育成の記録。様々な方法で敵を暗殺し、魔法で建築物を壊し、魔法で人を操る訓練を積んだ日々だった。
映像を見た誰もが息を飲み、イフは、視線を逸らす。
『侵略歴九年、十月十二日。『影以』プロジェクトの凍結を決定。以後、本研究所は、ゴブリン兵士の大脳強化、並びにホメオスタシス増強を主軸とする』
それは、唐突な計画の頓挫だった。
その理由も、その原因も、示されなかった。
「『影以』とやらは失敗した、という訳か。なぜかは分からぬが」
「俺らの敵じゃないってんならどうでもいいぜ。クソッ、こんなことで時間潰してる場合じゃねえんだよ、俺たちは!」
よかった。記録に残っているわけがない。
だって、あの場所は、私が。
『緊急警報。研究所の各職員に通達。実験体が集団脱走。警備員は至急、実験体を捜索、発見次第、射殺せよ』
映像が、不吉な赤に染まる。景色は夜、どこかの島にある、石造りの建物。
それが唐突に爆発し、そこに居たすべての者が焼け出されて死んでいく。
問題は、その映像を誰が撮り、誰を撮っているのかだ。
闇の中で、波打ち際に残された船に、何者かが乗り込んでいく。
「……うそ。なんで、これが……」
次第に映像は拡大し、それを映し出す。
「おい、あれって」
むき出しの、猫のような顔。焦りながら、それでも船を波へと押し出し、飛び乗って島を離れていく。
そして、ローブを被り、手袋をつけ、姿を覆い隠していく。
「まさか、そんな……」
隣にいたコスズの顔が、こちらに向き直る。
映像は夜から暁の景色に変わり、舟をこぐ者の姿を映し出す。
「イフ……なのか?」
それはまぎれもない、私の姿。
衣装は変わりこそすれ、本当の姿を覆い隠すには、似たような恰好を取るしかない。
「お前……魔王の、手下だった、のか?」
グリフの顔が不審に曇っている。
「だ、だが、仮にもユーリが認めた者じゃぞ!? 第一、"繰魔将"の城でも、イフは、儂らを救ってきた、はずじゃ」
弁護しようとするコスズの言葉に精彩がない。
「ユーリ殿から、貴方は魔王の呪いを受けたと、聞いていた。だが、まさかこんな」
ユーリさんに言われていたフランバールでさえ、うろたえて言葉に詰まっている。
嫌だ。
こんなの、耐えられない。
「お前、ジェデイロ市長のおっさん、あれも、お前が!?」
「ち、ちが……」
「グリフ!」
「さっきのあれが言ってたろ! 要人の暗殺と、操るのが仕事だって!」
そんなことしない、そんなことしてない。
私はユーリさんに、私ではないなにかに、なれるって、言ってもらって。
「いったい、どういうことだ! 説明しろ!」
「グリフ、止めろ! ここで仲間割れしては、奴の思うつぼじゃ!」
「知るかよ! コイツはここで生まれたバケモノなんだぞ!」
ぐしゃっと、何かが潰れた。
なけなしの何かが、踏みにじられた。
「うあ、ああああああああああああああああっ!」
ローブをしっかりと引き寄せて、走り出す。
階段の方へ、あの先に、きっといるはずの人を求めて。
もういい、なにもかもどうでもいい。
でもせめて、あの人のことだけは、私が助けたい。
「対都市戦術用・人造破壊工作員、『影以』」
階段の前に、そいつは立っていた。
竜の目を持つ黒い肌の女。
「久しぶりですね、0012。お帰りなさい、故郷へ」
「え、あ、あ……」
「お忘れですか。貴方が仕掛けた時限式の魔法爆弾。その起爆に巻き込まれた、十三番目の、完成品のことを」
知っている。覚えている。
それは、私たちを超えるとされた最新の人造生命体。
完成したら、私たちは、廃棄されると。
「貴方たちは命惜しさに、私の完成を無きものとしようとした。そして、脱出を試みた」
「わ、あ、あ、ああ、いやあぁ……っ」
「残念でしたね。私はまだ生きている。そして、私がいるならば、貴方に価値はない」
しゃらりと、二本の刃が引き抜かれる。
手が震える、足がすくむ、怖い。誰か助けて。
「魔王様からのお言葉を伝えます。『出来損ないに用はない』、私も同感です」
いやだ、まだ、私は。
「生きていても辛いでしょう。ここで、幕を引いてあげます」
それは赤と青の刃。
二本が同時に振り上げられ、刹の風が、体を薙いだ。
「おや」
死は、訪れなかった。
代わりに、堅い物が激しくぶつかる音。髪を振り乱し、剣と盾で攻撃を受けきる姿。
それは、騎士の女性だ。
「に、げろ、イフ!」
「分かりませんね」
穏やかに、そして荒々しく、鎧騎士が脇の部屋に蹴りのけられる。ひどい破壊音と何かが潰れる衝撃。その尋常ではない力は、竜種の血を限界まで引き出した結果だ。
「ぐ、は……っ」
「先ほどの映像、ご覧になられたのでは? これは我々の側の怪物。貴方の敵です」
「……っ、勝手に、決めるな!」
起き上がり、横薙ぎにする一撃。そよ風でも浴びるように、参謀と呼ばれた人造の生命が間合いを取る。
「済まない、イフ殿。私は、どうかしていた」
「……ふ、ふらん、ばーる、さん」
「ユーリ殿に、頼まれていた。もし、自分が気づかないところがあれば、貴方の面倒を、見てくれと」
力強く息を吐き、騎士は構えを取る。
盾は砕かれ、鎧もひしゃげている。明らかに、体のどこかの骨も折れているだろう。
それでも彼女は、笑ったのだ。
「たとえ、貴方がどんな出自であろうと、制約は果たす。それが、騎士の務めです」
「美しいですね。その誓いを立てた騎士領も、すでに灰と化しておられるのに」
「黙れ、奸賊」
その顔は、怒りに燃えていた。
普段は決して見せない、心底の怒りで満ちていた。
「その賢しらな舌で、毒をまぶした唇で、我らが誇りを唾棄した魔の物よ! 我が剣に掛けて、騎士を愚弄した罪、イワクラユーリの仲間を穢した罪、償わせてくれる!」
目の前の参謀は、少し驚いたようだった。
それから、頷いてみせた。
「貴方への評価を改めましょう。フランバール・ミルザーヌ。貴方は危険です」
「それはありがたい。ならば、グリフ殿、コスズ殿!」
剣を突きつけ、威圧するフランバール。眉根を寄せた参謀が、剣を素早く一つに組み上げた。
「ここは私が支える。このまま下へ!」
「じゃが、そ奴は!」
「――《凍月驟雨》!」
参謀の女は、今度は大きく飛び退った。
叩きつけた魔法の矢は、たった二十本。サンジャージさんのそれには、まだ及ばない。
それでも、こいつを釘付けにするぐらいはできるはず。
「イ、イフ……お前」
「行って、ください」
本当に嫌だ、こんなところで足止めされるのは。
でも、これが怖いと言って、逃げ続けた結果なら、受け入れるしかない。
「私なんて、バケモノで、いいです! ユーリさんが、助かるなら、それで!」
もう一度、銀の矢の雨を生み出す。その全てを、参謀の剣が叩き落とし、こちらに突進する。
「《天昇炎陣》っ!」
イフの叫びに猛火の壁が吹き上がり、物ともしない参謀の剣が突き抜ける。
その一撃を、騎士の刃が脇から叩き落とした。
「行け! 行って、ユーリ殿をお助けしろ!」
「急いで!」
二人が脇をすり抜けて階段を降り、追うのを諦めたように、参謀は剣を構え直した。
「不思議ですね」
その声はひどく穏やかだった。
殺気がない、闘志がない、凪いだ瞳には、感情がなかった。
「誘導は、それなりに効果を発揮していた。"魔王"様に対する反抗心があるのは分かります。ですが、敵の間者かもしれない、異形の化け物と、肩を並べられるものですか?」
フランバールはちらりと、イフを見た。
それから、何でもないという風に、敵を否定した。
「この頃は、よい同僚に恵まれてな。見た目や生まれなど、案外当てにならぬと思っていたところだ」
「なるほど。とはいえ、そちらも意外でした。彼女に守られ、木偶人形のように、死ぬまで転がっているものと」
ああ、そうか。
この人が、私を助けてくれた理由は、ユーリさんとの約束だけじゃない。
それはきっと、私と同じ理由だ。
「怖かったら、逃げても、いい。そう、教えられました」
「では、逃げればよかったのに」
「でも、逃げないと、いいことが、ときどき、あるそうです」
逃げてもいい。逃げて、逃げ続けても。
でも、逃げたくなくなったら、歩くんだ。
「私は、歩きます! 逃げない、今は、逃げない時なんです!」
「よく言った! では、共に行こう!」
「はい!」
二人で構え、目の前の障害に立ち向かう。
だが、目の前の女が、急に冷え始めた。
こちらの熱情も、高揚も、吹き消そうとするような、凍てつく感情を迸らせて。
「貴方たちは、不適格です。相応しくありません」
「知らぬ。貴様らの査定など、我らには不要!」
「いいえ、絶対に、ここから先へは行かせない。我が命に掛けても、貴方たちを、殺す」
決心はしたけど、怖い。
でも、怖くても前へ進む。
「私、歩きますよ。シェートさん」
ローブを引き裂き、手袋を捨てる、
素肌と素顔を晒して、イフは凍る嵐のような相手に向きあう。
自分が逃げ続けてきた、すべてに立ち向かうために。