29、消えない「いたみ」
何で生きている、というのは毎度目覚めて思う事だ。
シェートは暗がりで苦笑し、体を確認する。
最初に気づいたのは、ワイバーンのマントが燃え尽きていること。おそらく、高速飛行と突入の時の無茶を防いだために、力を使い果たしたのだろう。
本来ならあの一撃で、自分の体など消し飛んでいたはずだ。
暗がりに目が慣れると、周囲の状況が分かってくる。壊れた内壁の中に埋もれていたらしい。
気絶して顔だけ出ていたから、下働きのコボルトと勘違いされたようだ。
シェートは少しためらい、小物入れの中から小さな板を取り出した。
「サリア、聞こえるか、サリア」
応答はない。ただ、妙な振動と雑音は入るから、壊れてはいない。
通信用の魔法道具は、神の加護ではないので魔王城でも機能する。外に近い場所で使うように言われたから、機会を見て使うことにしよう。
耳を澄ませてみるが、特に気になる音は無い。というより、城の立てる振動以外、何かががいる気配がない。
『これは、自動放送です。魔王城管理部より、城内に残る作業員に向けて通達』
突然の声に顔を上げる。それは天井近くに付けられた何かから発せられた声だ。
『退避命令が下されました。各部門の作業員はマニュアルにしたがい、退避を行ってください。これは、自動放送です。魔王城管理部より――』
細かいことは分からないが、この城から"魔王"の手下たちが逃げ出しているらしい。
自分が無事なのもそのためだろう。
シェートは物入から水袋と、小さなパンと干し肉を取り出した。
長い狩りになるかもしれない。食える時に食っておくべきだ。
「さてと」
食事を終え、弓を手に立ち上がる。
あいつはどこにいるんだろう。"魔王"のことだ、大げさな仕掛けや奇抜な出迎えて、俺で楽しもうとするのは決まっている。
この辺りは『きかんぶ』という場所のはず、であれば、あの時戦った広間か、形の変わる迷路だろう。
上の階だろうと辺りを付けつけると、シェートは走り出した。
痛みと苦痛が体いっぱいになって、吐き出しても吐き気が止まらない。
頭を押さえながら、青い仔竜は地面をのたうち回った。
『《ペインブロッカー》、一番から七番、連鎖起動! 《トリ・ピタカ》、強制割込、魂魄、肉体の遊離、現実感の喪失によるストレス軽減!』
『全然効いてねえぞ! やっぱ遠隔じゃ無理だ! 今からオレらが行って』
『これ以上は遊戯のルールに抵触する! 手出しさえできなくされるぞ!』
まるで肉と魂が、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられたようだ。
痛みが頭蓋骨にへばりついて、皮膚の全てが裏返って、内臓が自分の消化液で、ドロドロに溶かし尽くされるような。
「あ、あっ、は、はひっ、あ、げ、あ、おっ」
息ができない、目が見えない、何も考えられない。
どうしておれは、こんな、めに。
『お前……いったい、なんなんだ!?』
苦痛の底から湧き上がる、罪。
『俺の名前は■■■■』
ここにいる理由、その原罪。
『世界を滅ぼす魔王を倒すために、この世界に呼ばれた勇者だ』
それは誰にも転嫁できない、自分だけの罪だ。
自分の犯したことを、それを見ないふりをしてきたことを。
なにより『それと向き合ったこと』、それこそが『痛み』となって、今ここにあった。
簡単なことだ、簡単なことだった。
罪を求めなければ罰もない。
こたえといたみは、表裏一体だった。
『イェスタ、彼の魂に安定と安らぎを』
その苦痛に、唐突な終わりが来た。
「あ……っぐ、は、はひっ、はあっ、ぜっ、はふっ、ひっ、ぜぇ……っ」
『どういうつもりですか、"英傑神"』
どこか上の方で、言い争う声が聞こえる。だが、痛みが去った後の、ある種恍惚とした精神には、身に入らない内容だった。
『彼は我が勇者に道を拓いてくれた。その献身に応える、当然のことでは』
『ああ、なるほど。つり橋効果、あるいはストックホルム症候群? いいえ、この際どうでもいい』
ああ、うるさいよ。
何をそんなに怒ってるんだ。俺は、痛いのも苦しいのも、もう嫌だ。
『その憐憫で、どれだけの者を隷下に置いてきた! 俺の前で、我らが仔竜に対して、よくもおぞましい真似をしてくれたな!』
『見解の相違ですね、"誄刀"のソーライア。そも、貴方の志は苛烈にすぎる』
降ってくる声は、優しかった。
痛みに寄り添って、認めて、受け入れてくれる。
『彼はもう充分に苦しんだ。過失という行為を、消せぬ罪業と言いつのる。そんな真似をすれば、ヒトは容易く手折れてしまうものです』
『だが、仔竜は――■■は自ら選んだ! 痛みを抱えながら、過去と向き合う道を! それを、ただ苦しむ姿に耐えられないからと、勝手に取り去るなど、持てる者の傲慢だ!』
『それでも、死ねば終わりです。不老長生の竜種となり、そんなことも忘れたのですか』
あのカミサマは本当に、俺のことを考えてくれているんだ。
俺が悩んで、苦しんで、どうにもならない中であがいたことを、認めてくれている。
そして、死ぬほどの苦しみを、背負う必要はないと、言ってくれた。
『苦痛は救いの対価ではありません、自責は誉でも無い。後悔を以てよりよく生きようとするならば、その生が少しでも穏やかで、幸せであれと、私は願います』
『そうではない生き方も、そうなれない者も、そうではないと言いたい者も、あるかもしれない』
『では、選択肢を示しましょう。もしそれでも、業苦を背負うというなら、それはその者の道です』
ああ、また『それ』かよ。
本当にカミサマは『選択』が好きだよな。
何々しろ、って言ってくるなら、どんなによかったか。
「あれ……?」
本当にそうだろうか。
カミサマは本当に、選択させる存在だったか?
『貴様はこれより俺の勇者だ。戦い、勝ち残れ、そして魔王を倒すのだ』
遠くかすみつつあった記憶。アイツは最後まで、こっちの話を聞かなかった。
『下らぬことを言うな。これが業罰、神に逆らいし者に与える、裁きの鉄槌だ』
ああ、実にカミサマっぽい言い草。最後には俺らに負けたけど。
『子供の遊び場にね、大人はいらないのよ。だから、消えて頂戴』
物分かりのいいふりして、アレだもんな。ああいうタイプが一番厄介だ。
「ソール」
起き上がり、問いかける。
「お前は、俺に、どうなって欲しいんだ」
言葉に詰まり、それでも小竜は真面目に答えた。
『なにも』
「ないのか」
『ありますが、ありません。そういうことです』
■■は理解した。
つまり、カミサマにも、いろいろある。
「ありがとな、"英傑神"。楽になったよ」
『いえ、貴方の献身に報いるには、全く足らないほどです。何かあれば、力になります』
「そっか。律儀なんだな」
気がつくと、遠くから集まってくる人たちの姿が見えた。
見慣れた顔があり、知らない顔がある。
その全てが、疲れた体引きずって、魔王城の近くへと進んできた。
「おおい、チビ助! もう体はいいのか!? 医者を呼んできたんじゃが!」
自分の方が重症なくせに、妙に元気のいい爺さんに手を振る。
その背後から、誰かが駆け寄ってきた。
「■■■!」
「え……リィル!?」
その後に、苦笑したエルカとアクスルが続く。抱き締められ、泣きじゃくる彼女をあやしながら、仔竜は魔王の城を見た。
浮かぶ岩塊と城は、不気味に沈黙していた。
『それほど難しい選択肢だったか?』
答えに詰まった悠里に、魔王は気遣うような表情を見せた。
『別に、QTEというわけでもないので、催促はせんが。ああ、そうか。これからのイベントに向けて、装備の変更や回復をしておきたいと』
魔王の背後から誰かが現れ、ソファーを宛がう。豪華だがどこか見慣れた感じのするそれに座り、相手は気さくに笑った。
『良いだろう、薬草でもおべんとうでも、好きに使え。城内でキャンプをするのも差し許す。こういう時こそエリクサーを使うのも手だぞ? 何しろここはラストダンジョンだ』
「な……なんだテメエ! 妙な余裕こきやがって! 訳のわかんねえこと言ってんじゃねえぞ!?」
「ダメだ、グリフ。落ち付け」
正直、言っている自分も落ち着けているかは分からない。魔王の言葉は本気なのか、それとも嘘なのか。あるいは別の狙いがあるのか。
そんな迷いなど気にすることなく、相手は、コーヒーを飲みだしていた。
「な……っ!?」
『知っているか、岩倉悠里。シェートはコーヒーよりも紅茶派だ』
「そ……そう、なのか?」
『母親の入れてくれた、薬草茶を思い出したとか。ちなみに、ポリッジにハチミツを入れたのを好む。病気の時のご馳走だったそうだ。あれでなかなか、かわいげがあるな』
語る言葉は心底楽しそうで、友達か知り合いの子供を愛でるような表情。その間に、小さな菓子をつまみ、優雅にコーヒーブレイクを楽しんでいた。
『どうした、相も変わらず、彫像のように突っ立って。休みもしない、行動もしない。もしや、コントローラーの充電でも切らしたか?』
「やめろ! 俺たちを、そんな風に言うな!」
そうだ、この違和感の正体。
まるで自分たちとその行動を『ゲームのキャラクター』のように扱ってくる態度だ。
「俺たちはゲームのキャラなんかじゃない! 動きたいときには動く!」
『呆れたな。まだ気が付いていないのか? これが虚構の世界だと』
魔王の顔は、悲しんでいるように見えた。いや、実際に悲しんでいた。
今にも泣きだしそうな、そんな表情で。
『お前が語っている自由意思、それをどうやって証明する?』
「そ、そんなもの」
『今この瞬間の、一言一句が、どこかの三流シナリオライターの手で書かれた、お涙頂戴の安っぽいテキストでないと、証明できるのか?』
絶対にそんなことはない。自分は考えて、行動して、生きている人間だ。
そのはずだ。
『そもそも、なぜ、貴様が勇者なんだ? 勇者とはなんだ? 魔王とはなんだ? お前たちが描いてきた物語の世界が、こんなにも真に迫って存在すること自体、都合がよすぎると思わないか?』
「……でも、俺は、ここにいて、みんなもいる」
『我思うゆえに我あり、デカルトを気取るか。だが、おかしいとは思わないか?』
魔王は、ニタリと笑った。
『どうして俺が、貴様の世界の哲学者を知っている? 異世界の住人だぞ、俺は』
「そ……それは……」
「ユーリ! 聞くな! アイツはおかしいんだ! 俺が、俺らがここにいるなんて、当たり前のことだろ!」
『自己防衛、穏やかな夢を守りたい超越自我が頑張っているなあ。岩倉悠里よ。お前は今、どこにいると思う?』
たまりかねたコスズが、魔王に矢を射かける。だが、それはただの幻像。揺らめき、またそこに幻として存在するだけだ。
『お前が、異世界だと思っているここは、どこだと思う』
「シャーナ、イフ、お前たちの力で奴の居場所が分からんか!?」
「だ、だめ、です。この場所、なにか、変だ」
「聲も虚ろにしか響かぬ! どうなっておる!?」
『当たり前だ。貴様らは岩倉悠里の夢の住人。ありもしない虚像、英雄の夢を飾る、がらんどうのNPCだ』
その瞬間、周囲の壁が消えた。
いや、消えたのではなく、無限に広がる鏡の壁に変化した。
『教えてやろう、岩倉悠里。ここは貴様の夢の世界。貴様は六月のあの時、校舎の窓を壊そうと近づき、転落した』
喉が、ぎゅっと締め付けられた。
必死に支えようとした心が、救いを求めてふらつく。
違う。自分は落ちてなんかいない。でも、校舎の窓のことは、嘘じゃない。
『それから三年間、貴様は植物状態になったのだ。お前は忘我の眠りの中で、つらい現実を拒絶するために、一つの心地いい空間を作り上げた』
「やめろ……」
『それは、貴様が勇者となって活躍する世界。誰にも拒まれず、誰に傷つけられず、誰もお前を裏切らない世界だ!』
「やめろおおおおおおおおおおっ!」
それ以上言うな。
それ以上、言わないでくれ。
「ユーリ!?」
駆けだす、意味もなく。
いや、あの口を、これ以上開かせたくない。怖い、どうしようもなく怖い。
どうしてお前が知っている。そんなことを知っている。
俺が体育会系と呼ばれていたことも、あの校舎での出来事も。
どうして、お前が。
「どうしてお前が、それを知っている!」
「当然だろう?」
実体化した魔王が、耳元でささやいた。
「俺がお前の、『トラウマ』の具現だからだ」
次の瞬間、魔王のマントが大きく翻った。
そして、悠里の体は、かき消すように消滅した。