26、双頭の狼が往く
白い五つの閃光が、戦場を染めた。
それは太陽の欠片でこそなかったが、炸裂し、大地も肉も区別なく引き裂く力だった。
その爆発に巻き込まれた者は生物としての意味を消失し、堅牢であったはずの塹壕を紙の如く粉砕していく。
屹立していたミサイルはなぎ倒され、はるか彼方で爆発した。
くろがねの戦争兵器、戦車の軍団も、その威力から逃れることはできない。
屈強な岩人の体など、抵抗することさえできずに四散。
鎧騎士たちは愛馬と共に、銃を振るうゴブリンの兵士たちも、平等に引き裂けていく。
広大な平原を、洗い流すように吹き荒れた破壊の嵐が収まった時。
その場に立っている者は、いなかった。
暴威の吹き荒れた戦場で、最初に取り戻されたのは、電子の目だった。
城自体にも多大な影響を与えた破壊。その衝撃から"秘書官"が意識を取り戻す。
「……ほ、報告、報告しろ。なにが、どうなった!」
曖昧過ぎるが、これでも精一杯だ。その声に目覚めた誰かが、手元の端末でカメラ機能を回復させる。
「ち、地上の映像、出します……歩兵大隊、戦車中隊、共に応答なし」
「防空部隊より報告。一部飛行魔が暴走したため、殺処分した模様。それ以外は軽傷者のみとのこと」
「敵、塹壕線、後方のミサイル、確認できず。砲台周囲に残骸らしきものを目視。観測班を向かわせます」
それまでの状況を一切無視した、"魔王"の行動。城を傾けて、レールガンの射角を合わせるなど、とんでもない無茶だ。
「城と、レールガンの、被害状況は」
「一号、二号、四号、五号、大破。六号機、砲身が裂壊。交換修理は可能です」
「城基底部分、レールガンの射撃により破損、外殻の二十パーセントを喪失。飛行システムにもダメージが出ています。浮遊は問題ありませんが、移動や先ほどのようなマニューバは、難しいかと」
本来、砲台という者は台座に据え付けるか、砲撃時の反発力を逃がせるような機構が必要だ。なにより、下に向けて撃つ、ことなど、想定されていない。
撃った時の反動、そして砲弾の威力に巻き込まれるほどの至近、それらの無茶が重なった結果、魔王城は機能不全に陥っていた。
そして、"魔王"その人もだ。
『――そんな顔を、するな』
己の魔力を城全体に回し、無茶な機動を可能にしたものの、体への負担は想像以上に大きかったらしい。
呼吸器を宛がわれ、先ほどから注射や魔法の重ね掛けを続けているが、顔色は真っ青を通り越して透き通ってさえ見えた。
『連中の計画を、潰すためだ。仕方ない』
「まさか、あのミサイルが?」
『あれを通せば、残されたのは確実な敗北だった』
その判断をあの一瞬で行い、ためらいなく敵も味方も殺す実行力。"魔王"はそれでも、自嘲の笑みを浮かべて尋ねた。
『地上軍は、どうなっている』
「先ほど、第四歩兵中隊から連絡が。負傷者多数、戦闘続行は難しいとのこと」
「戦車隊、現在稼働可能なものが十一、ただし、砲戦可能なものは五台です」
なけなしの地上軍、そのほとんどが潰れてしまっていた。おそらく歩兵は四百名行けばいい方で、戦車はすでに戦力にならない。
「観測班より入電。敵ミサイル三基と発射機構の破壊を確認。スタッフらしき死傷者を多数発見しています」
「敵騎馬隊、その一部が南方面に撤退を開始、旗印から赤のプフリアと思われます」
「敵塹壕線、観測班の情報と合わせ、機能の六十パーセントを喪失と評価」
両軍ともに兵士の損耗は激しい。だが、こちらの本丸は、まだ健在だ。
『ち、地上軍に』
「地上軍に通達。魔王城後部に集結し、指示を待て。途中、生存者を発見した場合、速やかに回収。戦車隊は負傷者を優先収容しろ」
起き上がろうとする"魔王"を座席に戻し、"秘書官"は傍に立っていた"参謀"に告げる。
「防空指揮所にて『レッドマジェスティ』への警戒をお願いします。もし、勇者が先ほどの砲撃で死んでいた場合、可能性は低いと思いますが」
「了解した。"魔王"様を頼む」
モニターが完全に回復し、撤退を始めた友軍を認めると、"秘書官"はさらに命令を重ねた。
「観測班に通達、勇者軍の残存兵力を確認せよ。特に、勇者、岩倉悠里と軍師の仔竜、そして、コボルトのシェートを」
「か、観測班から入電!」
焦りが伝わる声に、"秘書官"は胸騒ぎを覚えた。
この戦いは、まるで近距離で銃口を向け合うような感覚がしていた。互いが、互いを一撃で殺し得るような隠し玉を、躊躇なくぶつけ合っている。
そして、その不安は、的中した。
崩れかけた塹壕、その一部に合った不自然な盛り上がりが、吹き飛ぶ。
その下から現れたのは、青い稲妻を纏った、仔竜だった。
無我夢中だった。
砲撃が突き進んでくるイメージが、頭の中一杯に広がる。そして理解する。
これは絶対に避けられない。今から動いても間に合わない。
死ぬ。ここで、自分は死ぬんだと、理解した。
それは灼熱と轟音の混載、死の怒涛だ。
白飛びする視界の中で、■■■■■■は、思い出していた。
魔王城の中で感じた、世界の■を。
「――――っぐ!? ぐええええええええええっ!」
強烈な頭痛と吐き気が、自分の中味をかき回す。胃液がぶちまけられ、胸と足もとを濡らす。立っているのか、倒れているのかさえもも分からない。
ただ両手をかざし、あの時ソールとグラウムが見せた■を、使った、だけだ。
『無茶するんじゃねえよ! 助かったからいいもんの、そんな無茶な■の使い方したら、ホントに死ぬかんな、バカぁっ!』
『しかし、無事で、良かった。本当に』
似合わないほどにうろたえた二人に、片手を上げて無事を知らせる。
深呼吸すると、■■は、呆然と後ろを振り返った。
「あ……ああ……っ」
そこには、半分以上土で埋もれた塹壕と、砕けたミサイルの残骸があるだけだった。
人の気配は感じない。いや、誰かが動いている。
「な、なんじゃい、チビ助。魔王の奴、撃ってきよったじゃないか。竜洞の見識も、当てにならんなぁ」
土の中をはい進むように、サンジャージが近づいてくる。瓦礫で右足を傷つけたのか、ズボンを血でびっしょりと濡らしている。
「じ、じいさん、足が」
「構うな。ヘマしただけだ。しかしお前さん、さっきの■、あれはお前か」
「う、あ、その、ごめん、よく、分からない。頭、痛くて」
何かがおかしい。何気なくスマホを取り上げ、自分のステータスを確認する。
そこにあったのは、異変だった。
「な、なんだ、これ」
『ステータスチェッカー』に表示された自分の名前が、文字化けしていた。
それどころか、表示されている身体能力やスキル、■■■まで、意味の分からない表示の塊になっていた。
『メーレ! すぐ来てくれ、■■■が!』
めまいと頭痛がひどくなる。聞こえてくる会話が音飛びして、肝心なところが聞き取れない。
『z――z、t、k、仔竜、はっけん、sまsた』
それどころか、妙な音さえ聞こえてきて。
『敵陣地に仔竜の生存を確認! 繰り返す! 仔竜の生存を確認!』
まるで耳元で怒鳴られたような、バカでかい音声。それでも、その声は■■を覚醒させるのに十分だった。
「サンジャージのおっさん! 今すぐ逃げろ!」
「な、なにをいきなり」
「魔王が、俺を見つけた! 追手が来る、早く逃げるんだよ!」
見上げた空に、何かが飛んでいる。
あれは敵、敵の姿。あの空で見たのと同じ、敵の飛行部隊だ。
「お前さんも一緒に!」
「俺は! 俺は――俺の、勤めを、果たす」
頭が痛い、苦しい、辛い。
でも、自分がするべきことをしないのは、もっと辛い。周囲に広がる焼野原を見ればわかる。俺の策で、みんな死んだ。
でも、作戦はまだ、終わってない。
「儂もこの足じゃ。逃げるのは無理じゃろな」
「俺が、囮になるさ。その間に」
「その死にそうな面でか。儂の方がまだ囮になれるだろうよ」
まったく、とんでもない頑固爺さんだ。でも、ちょっとありがたい。
こんな不安しかない状況に、誰かがいてくれるだけでも。
魔王の城からやってくる黒い影は、ちょっと多すぎる。俺を殺すにしては、大げさじゃないか。
『■■■、お前、まさか死ぬ気じゃねえよな』
「五号機の、発射を進めてくれ。プランBだ。あとは、こっちで何とかするよ」
『飛行魔の接近を確認。あと三十秒ほどで会敵します。準備は、いいですね?』
結局、あいつを頼みにするしかなくなった。
この罪深い命令を口にするのは、本当に嫌だ。それでも。
仔竜は目を閉じ、つぶやくように告げた。
「【オルトロス00】、出撃」
長かった。
待つという、狩人の最も重要な仕事が、これほどまでに苦痛だったことは、無かった。
それでも、号令は来た。
この狩りの『ガナリ』が呼びかける声を、シェートは確かに聞いた。
たとえそれが、自分ではない誰かを呼ぶような、よそよそしい綽名であっても。
「行くぞ、グート」
力を貸してくれる友人の背に乗り、前を睨み据える。
土ぼこりを上げて、城の真下に帰ってくる黒い戦車たち。そして、兵士のゴブリンの姿が見えた。
その一切を無視して上を見れば、黒い穴がぽかりと開いた城の底がある。
あそこまで行く。
「サリア」
左手に神器をとりだし、前かがみになると、コボルトは告げた。
「行ってくる」
『武運を』
そして、走り出した。
狼の両足が力強く大地を蹴り、吹き付ける風と共に視界が狭まっていく。
鼻面の先、疲労し、うなだれた顔のゴブリンたち。その一匹が、何気なくこちらに視線を上げた。
「て、てきしゅぶっ!?」
金の光がそいつの顔を吹き飛ばし、驚いた連中がこちらに目を向けた瞬間。
「"透解"っ!」
自分たちの姿が風に消え、すり抜けざまに放った光がゴブリンたちの命を刈り取る。
それでも振り返らない。まっすぐ前に、ひたすら前に。
「て、敵襲! 司令部! 例のコボルトだ! 我『神狩』と交戦す! 繰り返す、我『神狩』と交戦す!」
わめき騒ぐ連中を置き去りに、どこまでも進む。重要なのはあの城の下に行くこと。
だが、神器の透明化が切れ、全員の視線がこちらに集まる。
「姿が見えたぞ! 各員自由射撃! 撃て!」
咳き込むような音と一緒に、銃の威力が叩きつけられる。その一切が、身に着けたマントとそこに通した加護の力で弾き飛ばされた。
『お前のマントに、飛行以外の細工をしておいた。例の加護とやらをマントに通すことでちょっとばかり、敵の弾を喰らいにくくなるぞ』
力が通った途端、細かに振動し始めたマント。その動きが弾を逸らし、威力を弱めるのだという。
それでもグートを守り切るまでには至らないし、移動をやめればたちまち貫かれる程度の防御でしかない。
「ここで殺せ! 命に代えてもだ!」
自分の目の前に立ちふさがるように、片膝を突いて銃口を向ける兵士。シェートはちらりと上を見て、それから相棒に囁いた。
「ありがとな。うまく逃げろ」
そして、その背中からふわりと、飛び降りた。
脇へ走り去るグートを横目で見て、連中の視線がどちらを討つべきか迷う、その瞬間。
「ハティ――雷喰っ!」
雷が暴れ狂い、銃を持つ連中が吹き飛ぶ。その囲いが切れた瞬間。
シェートは空を見上げて、叫んだ。
「飛べっ!」
ざらり、という音が背中で鳴り、マントの形状が変わる。それはあたかも、ドラゴンの翼のような形になった。
一瞬ためらい、それでも意志の力を空に向けると、体がふわりと空に舞う。
「飛行ユニットか! 撃て、撃ち落せ!」
周囲を弾ける焼け付く金属の塊。この状況になったら心がける事。
『"海鳥"だ! 風に乗れ! 逆らうな!』
サリアの絶叫に従い、シェートは大きく体を滑らす。そのまま蛇行を繰り返しながら、周囲に満ちた敵の射線を縫うように飛んだ。
『ぐ、軍師、さんから、貰ってきました。飛行の、マニュアル、です』
サンジャージとの飛行実験の合間、イフに読んでもらった飛行の手引書。それは絵も交えて書かれた、分かりやすい物だった。
ところどころ、森の動物や鳥たちになぞらえて、自分が、理解できるようにと苦心した跡があった。
『そういえば、巡回の間、お前の能力はなるべく使うなと、軍師に言付かってきた。特に炎と雷は、できる限り秘匿しろと』
それが何を意味するかは分からない。それでも、自分はカーヤやモーニックたちと共に過ごすきっかけを得て、居心地の良さを味わうことができた。
『敵の鍋底に砲塔を確認! 上にあった物が下にないわけがないか! 気を付けてくれ、当たれば、木っ端みじんだぞ!』
ヴィトの言葉に、物思いが覚める。
鍋底から生えてきたそれは、戦車よりも長い鼻を持つ、鉄の攻撃兵器。最前までシェートが飛んでいた空間を、熱の塊が引き裂いていく。
『回避マニューバ―を心掛けて! 絶対に止まらず、射線を縫うように!』
白い小竜の声に従い、上下左右に体を振りながら飛ぶ。急激に頭を揺さぶる感覚は、飛行訓練の時にも味わってきた。
それでも、加速がきつく、意識がもうろうとしてくる。
『目を閉じるな! もう少しで鍋の底だ!』
無数の熱の塊が、すさまじい衝撃と共に背中と腹をすり抜ける。守りの力など微々たる効果、衝撃で手にした弓を取り落しそうになる。
それでも上へ、そう願ったシェートの前で、分厚い壁が底を覆い隠そうとしていた。
「サリア! 鍋底、ふさがるぞ!」
『何とかして上へ!』
『予想以上に隔壁が閉じるのが早い! こんな時――がいれば!』
悔し気な小竜の声に、視線が一瞬、地上にそれる。その遥か彼方、焼け落ちた大地は命の痕跡さえ見えない。
あそこには、あいつが。
『シェート! 回避!』
判断が遅れた。それはこの空で、決してやってはならないこと。
砲塔の弾幕をすり抜けた先に、四角い箱を抱えたグリフォンたちが、立ちはだかった。
回避は間に合わない、ならば。
「雷喰っ、火奔ぃっ!」
解き放たれた炎と雷、敵が撃ち放つ金属の塊。
その二つが両者の間でぶつかり、はじける。
ついで爆圧が、小さなコボルトの体を、虚空へと吹き飛ばした。
『シェートおおおっ!』
衝撃が、体をでたらめに振り回し、空を転がる。
歯を食いしばる。意識を手放すわけにはいかない。
死なない、絶対に生きて、その先へ行く。
『あんまり長い事、使うなよ』
撃ち出す力だけではダメだ。あの鍋底は砕けないだろう。
なら、今自分が出せる最大の力を、ここで使う。
『俺がいなくなっても、お前が生きられるように』
きっと、その願いは本物なのだと、思えた。
なぜなら、今ここにある力は、どれ一つとして、自分を裏切っていない。
だから。
「翼、雷、なれ!」
その命令を、高らかに叫ぶ。
背中の翼が青白く光り、シェートを前へ押し出す。
それは逃げる時に、広がった空でだけ使えと書かれた、超加速の方法。
『双剣、火奔っ!』
突き出した剣に炎が宿る。
炎は赤く燃え、黄色に変わり、白く輝き、そして蒼に染まっていく。
それは空の色。今は見失った、大切なものの色。
「うわあああああああああああああああああああっ!」
彼方の景色がかすみ、立ちふさがる壁が視界いっぱいに広がる。
願いは無い、祈りは無い。
ただ、そうあれと心を奮い、シェートは城の底を、貫いた。
空に浮かんでいるはずの城に、地響きが広がった。
同時に、天井に下がった警告灯が赤く輝き、異常を知らせてくる。
「緊急連絡! 魔王城底部、隔壁が、破壊されました!」
「最大瞬間熱量――六千度!? こんな熱量、どうやって!」
「底部施設、熱により一部融解! 誘爆の危険性あり、各ブロックを隔壁で閉鎖!」
「魔王城飛行ユニットに障害発生! これ以上のダメージは墜落の恐れが!」
部下たちのうろたえ振りを見ながら、魔王は笑った。
彼らがおかしいのではない、自分がおかしいのだ。
この決戦の間に、自分はいくつも間違いを犯した。
冷静に相手を責め殺す、そんな"魔王"としての立場を忘れた。ゆえに、こんな無様に、自分も自分の軍も、ボロボロなのだ。
『……それがどうした』
呼吸器を取り除け、立ち上がる。
驚く周囲を制し、もういちど『操縦席』に座った。
「お前たちの、一撃を、何ができるのかを、見ないなど、ありえない」
覇業より、理想より、契約よりもなお、自分が愛して求めたもの。
何もかもが計画され、自分の死も生も、誰かのために搾取されることが決まっていた、無意味な世界を、ぶち壊してくれた者たちだ。
「これは余禄だ。余技だ」
計画など、とうの昔に完了している。ただ、ここから先を描かない時、少しばかり座りが悪くなるだけの話だ。
「"魔王"様、後は我々が」
「いや、これは俺がやらねばならん。そして、これを乗り越えてこそ。奴らと、一個の存在として向き合える」
こちらを気遣う"秘書官"が、複雑な表情を浮かべた。
それはそうだろう。先ほどの俺の言葉が、何を意味しているのか察せられる、数少ない領袖なのだから。
俺の行動を止めるべきか、それとも黙認するか。苦悶するゴブリンの肩を叩く。
「"秘書官"」
「……はい」
「もうルビコンは越えたのだ。先ほどの砲撃で」
陸戦部隊は消え。再構築する時間もない。
魔王軍は壊滅した。それが事実。
言葉を詰まらせて、ゴブリンは決まり悪そうに視線を逸らし、頷いた。
「後はお任せください」
「シェートは、丁重にもてなしておけ。俺の仕事が片付くまでな」
「はい」
必要な指示を与えると、座席に身を預けて、"魔王"は画面に向き直った。
「――これより、勇者迎撃戦、最後の指令を伝える」




