22、幼年期に終わりを告げ
砦の門前に、隊列があった。
すでに夜は明け、爽やかな早朝の風は悠里の頬を撫でる。魔王討伐決行の当日、居並ぶ将兵の数は、思いのほか少なかった。
中心となるのは『赤のプフリア』が指揮する騎士の集団。その数は二千五百ほど。
その両脇を固めるのが、エルフとドワーフの面々。それぞれ、千に届くかどうかというところだ。
その後ろ側に、ちゃんと列が作れていないごたまぜの集団がある。冒険者ギルドに所属する傭兵や冒険者だ。ジェデイロ防衛戦には参加せず、こちらとも距離を保っていたが、魔王の暴虐を目の前にして、協力を申し出てきた。数としては五百人よりも下回る。
勇者悠里の、魔王討伐本陣。その数、五千人弱。
実のところ、こういう世界での一万人以上の動員というのは、地球の現代人が思うほど簡単ではない。
食料の調達や部隊の移動を考えると、ゼロが一桁増えるだけで、数を維持したまま行軍できる距離が、大幅に減少するものだ。
『地球ではモータリゼーションの発展で、問題を解決していたね。君の故郷は、軍隊の精強さと輜重の効率において、汎世界のそれを凌ぐほどさ』
要するに、戦争で相手を効率よく殺すために尽力した結果、ということだ。
より早く、より遠く、より多くの兵士と兵器を送るために手を惜しまない。あまり褒められた発展ではない上に、それを魔王に悪用されているのが厄介だ。
『とはいえ戦いは数、だけじゃない。こちらが寡兵なら、相手の数を減らす工夫をする。不利であるほど、事前の準備と、何より士気の高さを保たなくては』
だからこその訓示、出撃前の檄、という事なのだが。
(……シ、シアルカ)
『なんだい』
(だめだ、頭真っ白になってきた、何言うか、忘れた)
『では、プロンプターを務めよう。気にすることはないよ、僕もそういうことが、よくあったからね』
一応、今日のために浩二と二人で演説の内容を練っていた。壇上に立つときに紙を見ながらというのも様にならないので、短くて人々を鼓舞する奴を。
彼に悪いと思いつつ、天から降ってくる言葉を噛みしめ、口を開いた。
「この場に集った、すべての朋輩。遠く海を隔てた、抗い戦うすべての人々に、俺と我がの神の意志を伝えます。俺は岩倉悠里。"英傑神"の勇者です」
その言葉通り、今この瞬間から、全世界に向けて自分の言葉が送信されている。神の奇跡ではなく、生き残った竜の峰のドラゴンたちが中継点になって広めてくれたおかげで、成立したものだ。
言い出した竜洞の『やっぱプロパガンダにはプロパガンダっしょー』、という意見に、シアルカは苦笑していたが。
「この世界は、天空を行く魔王によって、様々なものを奪われてきました」
そこで、一呼吸置く。
言葉が染み込み、誰もが顔を上げる姿を想像する。
「家族、友人、恋人、平穏な日常。掛け替えのないものが、戦禍と悪意の中で、失われました。そのことについて、この地に降臨したすべての勇者に成り代わり、謝罪したい」
そこから先の言葉は、悠里とシアルカの感情は、ぴたりと寄り添った。
「神は魔を侮り、勇者は神威を弄び、あなた方を顧みなかった。神々は権勢を争い、この星をないがしろにした。その恥ずべき行為を生みだした、"神々の遊戯"という仕組みを、止めることができなかったことを、謝罪したい」
正直、大きすぎるとは思う。
これはシアルカだけの問題でも、俺一人で背負えることでもない。
人は時に近視眼的だ。痛みに苦しめば、治療する者に向かって暴言を吐くこともあり、差し伸べた救いの手を『もっと早く来い』と払いのけることもある。
なにより、この謝罪を盾に、こちらを搾取できる弱者と見なす卑劣があることも、知っていた。
それでも、今これを言えるのは、自分たちしかいないのだ。
彼らの痛みと損失に寄り添い、『分かろうとする者』がいると告げるために。
「俺は、ここに誓う。今日、この日を限りに、魔王を滅ぼす。俺が、俺の仲間が、その意志と力でもって、あの城を地に叩き落とすと!」
悠里は刀を抜き、空の彼方を指し示す。
そこには、決して小さくない黒い塊があった。魔王の城、今この時も、仲間たちが足止めしている敵の姿を。
「そして、我が神、"英傑神"シアルカの言葉を、ここに伝えよう。この星を限りに、"神々の遊戯"は破却される。愚かな神の政争はここに終焉し――」
一瞬、言葉が詰まって、素が出そうになった。
シアルカの言葉を、そのまま言ってしまったら、とんでもないことになる。
『いいんだ。続けてくれ』
悠里は腹を決め、そして宣言した。
「"英傑神"は、その勝利によって天を統べ、唯一の王神として君臨する。遊びすさぶ幼子の時代は終わり、シアルカの導きの下、天の神は成熟した存在となる!」
目の前の人々は気づいていない。
これは、ただの魔王討伐宣言なんかじゃない。この言葉を、こんな場面で俺に言わせたいうことは、シアルカはもう、後戻りできない。
それでも、言いきらなくては。
「ここより我が神、シアルカは"英傑神"に非ず。この地の魔を払い、天の乱れを糺す、唯一にして絶対の神。世界を導く"万民の王"! 今こそ、我が神を讃えよ、その声を背に、俺は魔王を、必ず討ち果たす!」
まず、最初に動いたのは、赤の騎士。
「おお、誉むべきかな"万民の王"! 導き給え、照らしたまえ! 我らが勇者の道行を、その武勇を! そして、魔を打ち滅ぼす聖なる戦いに、祝福を!」
恐ろしく達者な号令に、騎士たちが続けて声を上げる。
「神よ! "万民の王"よ! 我らを導き給え! 勇者ユーリに栄光あれ!」
それを真似るようにエルフが、ドワーフが、気のない感じだった傭兵たちさえもが、拳を突き上げて叫ぶ。
それは、恐ろしい光景だった。
喜びと熱狂に輝く顔を、自分一人に向けられるという異常な状況。
騎士団の挨拶など比べ物にならない。村人の悲壮なもてなしが、脳のひだから転げ落ちてしまいそうな、強烈な感情の奔流と、それを捧げられる快感。
信仰を忘れた国と揶揄された日本で育った自分が、想像さえしなかった、物理的な威力さえ感じる人々の『崇拝』。
その威力が、全身全霊を、五感を、魂を焼いていく。
『さあ、進軍の号令を』
目の前の全てが光り輝き、夢の中を泳ぐような気分で、悠里は命令を下した。
「すべての将兵よ、俺に続け! 全軍、魔王に向けて、進発!」
感情のうねりそのままに、悠里率いる勇者連合軍は、魔王の待つ決戦の地へと、進軍していった。
乾いた拍手が、神の庭に響き渡る。
水鏡の一部始終を眺めていた白い小竜が、観劇の終わった客のように、シアルカに向けて喝采を送った。
「なるほど、なるほど。そういう事でしたか。"万民の王"、これは素晴らしい出し物だ」
「"万軍の主"でもなく"栄光の王"でもない。それが貴方の目指す独裁の形というわけか、"英傑神"シアルカ」
白の竜の讃嘆に重ねて、むき出しにした敵意を赤の竜が突きつける。
サリアは、どう言っていいか分からない。
彼の言葉は明らかな、神の世界に対する造反だ。
「シアルカ殿、貴方は分かっているのですか。神々の王を名乗る、その意味を」
「分かっています。おそらく、この天に在る神の、誰よりも」
『――ああ、知ってる知ってる。これってアレだろ? 袈裟の下から鎧が出た、って奴』
いきなり、床からしみ出してきたのは真っ黒な肉の塊。裂けた笑いを百ほど生み出し、いつもの太った小竜に戻ると、魔界の異臭を放ちながら神に対峙する。
「あるいは、鋼鉄の手にベルベットの手袋かな? というか、臭いよグラウム。シャワーぐらい浴びてきたらどうだい?」
「晩飯に間に合いそうもないから、大急ぎで来たんだよ。良かった、一番うまそうなのがテーブルに残ってら」
完全に臨戦の気配を漂わせた三頭の竜と、それを静かに見つめる英傑の神。
その間に、サリアは割って入る。
「お待ちを! 双方、この場での争いは」
「"平和の女神"よ、貴方とで、我ら竜の前を遮ることは――」
「だまらっしゃいっ!」
その一喝にソールは目を丸くし、ヴィトは呆然となり、グラウムは、笑った。
「……ぶっふ……だ、だ、だ、だまらっしゃいぃいいいい!? い、いや、ちょ、ちょっと待っ、いきなり!? いや、ま、マジでちょっと、ま、っくははははははは!」
妙な口調になってしまったが、結果が全てだ。
サリアはシアルカを見て、その顔から険が取れているのを確認すると、二つの勢力を油断なく見まわした。
「双方、しばらく。角を突き合わせるのは、しばしお待ちを」
「……本当に、貴方は分からない方だ。いきなり道化役を演じて、この場を収めて見せたのは、何か考えあっての――ぉおぉ」
そう言いさして、赤竜ソールは、心底嫌そうな顔をした。
「貴方のことだ、何もお考えでない、と。単に我々がけんか腰になっているのを、見ていられなかった、違いますか?」
「はい、仰る通りです」
「開き直らないでいただきたいっ! だいたい貴方は――あ、ああ、あーあ、はいはい、主様が仰っておられてましたね! 『己が心に従い、妥協をするな』とっ!」
ぎりぎりと歯ぎしりする赤竜に、サリアは笑った。こういう破天荒さがとっさに出てしまったのは、あの方との交流があったからだろう。
優しい闘いの神へ感謝すると、サリアは"英傑神"へ問いかけた。
「この構想は、昨日今日のものではないのですね? おそらく、最初の遊戯から」
「ええ。あれは完全な、神の過ちです。あのような真似をするべきではなかった」
「"闘神"殿と共に、我が星の民の弔いを率先して行われたと聞きました。改めて感謝を」
「貴方からのいかなる謝意も、僕に受け取る資格がありません。僕は"遊戯"を終わらせることしか頭になかった。最初の時も、今回もです」
なるほど、話して分かったが、この頑固さは明らかに信念の物だ。
後悔と憤り、そして公正であろうとする意志。その結果が『王として神の世界をまとめる』という目的に繋がったのだろう。
「考えがなかった、と言いましたが、実のところはそうではありません。一時の感情と状況に流され、その裏にある真実を見失う真似は、これ以上したくないのです」
「……だからと言って、話して分かるものでもないでしょう。彼の宣言は、寝込みを襲ったも同然だ。天界の名だたる神々がいない状況で、告げていいことではない」
ソールの言い分はもっともだ。
現在、神の世界には、シアルカに面と向かって異議を唱えられる神が、自分以外に一柱もいない。いずれ天を取るにせよ、今はまだ天界の理は合議に基づいている。
たとえ遊戯に勝利し、自らを王と定めても、目覚めた神々による騒乱は必至だ。
「実のところ、僕にとっても、この結果は予想外だったんですよ」
「予想外、ですか?」
「これまで積み上げてきた遊戯のセオリーと、今回は何もかも違ってしまっている。つまり、僕がこの状況になったのは、ある種の事故です」
「あっは、事故、事故か、確かになー」
グラウムは笑い、肩をすくめてサリアを見る。それから、神々の庭を見回した。
「見ろよ、この光景。普段なら絶対にありえねーんだぜ? 誰が勝つかで賭け屋を立てる小神がいねえ。終幕の様子を眺める小神もいねえ。魔王を倒した勇者を、あわよくばで狙おうとする、しみったれた『小神』さえ、いねえってんだからな!」
「ああ、そうか。彼ら、彼女らはもう、落ちているんだったね」
グラウムの揶揄に、ヴィトはうっすらと笑う。皮肉と嘲りを込めて。
「一発狙いの山師タイプは、"黄金の倉守"イヴーカスの姦計に倒れた。野次馬を成していた、遊戯に参加できない者たちも"愛乱の君"マクマトゥーナのカード大会に釣られた」
「その異変の求心力となった者。それこそが、"平和の女神"サリア―シェとその勇者、シェートというわけだね」
「最弱のコボルトと廃神っていう『疑似餌』に騙された連中か。ごしゅーしょーさまー、ってな」
黒竜の締めの言葉に、サリアはため息をついた。
玄人ばかりの賭博場に、突如現れた素人。通常ならカモになるところが、勝負の綾を喰らって、すべて平らげてしまった。
サリアのあり得ない勝利、それこそがシアルカの今の立場を作ったのだ。
「本来であれば、遊戯に最後まで残る神というのは、意外と多いのです。そういう彼らにも僕の考えを打ち明け、合議をまとめつつ勝利を目指す。それが、当初の計画でした」
「つまりアンタも、この女神様の授けた不運と、踊っちまったわけだ。はっはっは、大変だなぁ」
「だが、不運、とまでは言えないでしょう。違いますか?」
ソールの目には剣呑な輝きが戻ってきている。シアルカの立場を危険視し、いつでも何らかの対抗をするために。
「ここでもう一つ、これまでの遊戯にはない要素が発生している。それは」
「私という『神々の敵』を打ち倒すことで、貴方は名実ともに、天界の王にふさわしい声望を得るということです。そうでしょう? "英傑神"」
彼は笑わなかった。
ただ水鏡に視線を移し、騎馬を押し立てて進んでいく勇者を見た。
「今は僕たちが割れている場合ではありません。この先に和議か、あるいは決裂があるにせよ、まずは目の前の魔王を倒すことを優先しましょう」
「私に依存はありません。竜洞は」
「お忘れですか? この件に関しても、我々は中立です。"英傑神"に力を貸すのは、我らが主の――仔が、望んだからに過ぎない」
サリアは赤い小竜を見た。
相手は無視を決め込み、視線を逸らし、結局あきらめて、こちらを見た。
「言いたいことがあるならお早く。会戦はもう間もなくですので」
「では……これまでの助力に感謝を。そして、かの世界を救うため、私と、私の勇者に再びの助力を願います」
「――了解しました」
彼は憂欝そうに目をつぶり、それから飛び去る小鳥のような声で、付け足した。
「頼まれなくとも、すでにそうしているのですがね」