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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~最終章~

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19、それが、届かぬ願いでも

 作戦司令部に上がると、スタッフたちが一斉に立ち上がり、敬礼する。

 その顔には濃い疲労が浮かび、それそれのデスクには、支給された栄養ドリンクや興奮覚醒用のアンプルが転がっていた。

 すぐに部下を座らせると、"魔王"は傍らの"秘書官"に問いかけた。


「連中、きちんと休んでいないようだな。交替勤を命じていたはずだが」

「申し訳ありません。予想以上に他の大陸における抵抗が激しく、第二作戦指令室で、臨時の指揮所まで稼働させている状態です。そちらの統制は"参謀"殿が」


 やはり、こんなものか。

 かの偉大なる第三帝国は、周辺諸国との多方面作戦の末、損耗崩壊した。いくら文明レベルが違うとはいえ、敵は文字通りの『全世界』、その負担は計り知れない。

 初撃の華やかさ、局地戦の成功を積み上げても、手数の足りなさは補えない。


「昔、忌々しい資料を見た。近代兵器を過去に持ち込み、そこで武将として活躍する、という筋書きの映像作品でな」

「結末を、お伺いしても?」

「どうなったかは、想像が付いているのだろう?」


 近代戦、その強さの根幹をなすのは武器や兵器の強さ、などではない。


兵站輸送ロジスティクスの構築と維持、それこそが近代戦の本質だ。クラウゼヴィッツ、ゼークト、モルトケ。あるいは、さかのぼってナポレオン・ボナパルト。戦略物資の運輸運用という『攻勢限界』こそ、名だたる名将、軍略家が立ち向かってきた、そして、俺たちが立ち向かうべき敵だ」


 戦争において、自軍を増強することは容易だ。

 より多くの兵力を集め、より早く送り続けるよう、ひたすら「膨張拡大インフレーション」を目指せばいい。

 敵に数で勝り、早さで優る。加算と加速を繰り返せば、軍隊は無限大に強くなる。

 だが、風船を大きく膨らませるためには、大量の気体が必要だ。軍隊運用のコストも、扱う規模に比例どころか、指数関数的に増大する。

 数と速さを支え切れる限界、その下支えになるのが、生産と輸送。


「ドクトリンを切り替えよう。予定通り、戦線を再編する。策定通りに現状を報告せよ」

「了解しました。まずは『策源地』、モラニアについて報告します」


 モラニアは、この世界における魔王軍の補給地だ。ベルガンダは策源地防衛の警備隊長役であり、園丁の役目でもあった。


「策源地からの『住民立ち退き』は、目標の九割を完遂。迷宮の転送機構による、食料と生活物資輸送が進行中です」

「展開している部隊への補給は、どのくらい可能だ?」

「食料は三週間、その他の物資も十五日前後であれば」


 自分の手元に映像として浮かび上がるのは、ケデナでは放送しなかった『ディレクターズカット版』だ。

 そこでは防護服に身を包んだ兵士たちが、病気で死に絶えた町や村から、食料品や物資を運び出していく姿があった。

 

「近代戦を標榜しながら、前時代的な『敵地からの略奪』に頼る我が軍か。なかなか無様なものだ」

「この世界は"魔王"様の支配する土地。であれば、これは領内からの『戦時徴発』です」

「お前もだいぶ、諧謔ジョークがうまくなったな」


 この作戦で問題だったのは『魔王軍の物資調達』だった。空を行く城では領土など持てず、そもそも魔物は畑など耕さない。

 そして、敵軍から手に入れる場合、戦闘による損耗が発生する。

 だからこそ、別レイヤーから攻めた。


「目には見えない兵士、俺たちの手を煩わせず、勝手に敵を滅ぼしてくれる者。地域を限定すれば、病菌による攻勢は便利だな」

「ただ、現地の『徴税吏』にも感染者が。投入した人員の二割が機能していません」

「四十八時間をリミットに、モラニア戦線を放棄する。物資移送完了後、迷宮ネットワークの完全破壊を行え。罹患者は感染程度に関わらず廃棄しろ」


 指令室のモニターからモラニア大陸の表示がグレイアウトし、退避完了までのカウントダウンが始まる。

 次の表示は南洋群島がクローズアップされた。


「『実験場』南洋群島で通商破壊を行っていた、現地兵士たちから報告が。三頭ほどのドラゴンが、モラニア方面へ飛翔したと」

「竜の峰破壊後、我が城に侵攻したドラゴンの迎撃戦、戦果は?」

「現在のスコア、撃墜四、撃破八、不確実十一、以上です」

「さすが竜種というべきか。のろまにも電子レンジでローストされた者は、ごく少数だったわけだ」


 今回の侵攻計画で、一番の懸念がドラゴンの存在だった。

 熱核兵器による先制を行ったが、異変に気付いた者たちが脱出。成竜を中心に百頭余りが生き残ったと報告を受けた。

 ジェデイロ陥落後、単騎、もしくは複数騎のドラゴンによる襲撃が起こり、今日に至るまで散発的な迎撃戦が続いている。


「モラニアに行ったのは、状況確認のためだろう。ドラゴンどもの熱狂も冷めたか」

「地竜の女王、アマトシャーナも健在です。今後、竜種による集団侵攻もありえるかと」

「低い可能性だがな。南洋諸島の後方攪乱部隊は解散。施設廃棄後、ケデナ侵攻部隊に再編成しろ」

「"参謀"殿に通達しておきます」


 南洋諸島は魔王の計画の中枢でもあった。

 複雑な海流の支配する海域は、人間の目を欺くのにちょうどいい。この城も、数ある島のひとつを建材としており、ゴブリンの教育実験や各種兵器の研究開発も行っていた。

 あの海が魔王軍の本拠であり、"海魔将"ゼルナンテこそ、真の近衛兵だった。


「『疑似餌』ヘデギアスに展開中の偵察部隊からの報告です。商業流通の中心が、崩壊したウシュクサから、東のモートゥンに移行したと」

「やはり、見栄えの良さで攻撃目標を選ぶのは悪手だな。環境流動性の高い、港湾部への核攻撃では、二次被害も期待はできん」


 実のところ、一番旨味がないのがヘデギアスに対する牽制だった。土地は痩せ、泥炭地と荒野と山岳の複合する、開発に向かない地域。人類側としても、最後の頼みとするには不安材料が多すぎて、援軍を求める気も無かったろう。

 戦略の一つに『すべての人類をヘデギアスに押し込める』案もあったが、戦力をかき集める労力が割に合わず、却下した。

 核攻撃一発で済んだことを思えば、貧乏が連中に幸いした、と言えるかもしれない。


「二十四時間以内に現地部隊を撤収させろ。古びた牛骨などしゃぶっても、うまみはないからな」

「では、エファレア方面軍に配置転換をさせますか?」

「いや、撤収地点Bへ移動、待機だ。その後は追って連絡する」


 エファレア、この星で最も広い耕作地を持つ、平坦な沃野が続く地域。もし、人間どもが世界的な覇権国家を造ることがあれば、真っ先にこの大陸を押さえるべきだろう。


「『殲滅戦』エファレア、そんなお題目を掲げてはみたが、いかんせん兵が足りん。軍団とは言わんが、旅団規模は欲しかったところだ」

「近代兵器による面制圧でも、物理的な面積は、いかんともしがたいですね」

「どこぞの異世界物のように、空飛ぶ魔導大隊でもいれば別だったがな。適切な航空戦力が整えられなかったのが、残念だ」


 航空支援のない陸上部隊は、戦車があっても大きな戦果を上げることは難しい。

『歩兵と砲兵の軍隊』の歴史は古く、発生時点で、進化の行き詰まりは約束されていた。

 砲撃とは固定地点からの物理エネルギーの投射に過ぎず、大砲という金属の塊を動かすのも困難で、地理的な制約を受けるのが常だ。

 それを無視して、妨害のない『空』から、直接敵拠点を攻略できる航空兵器こそが、戦争の転換点パラダイムシフトだった。


「エファレア方面軍に通達。全軍撤退、大陸西部のチェックポイント合流を目指せ。撤退中、環境汚染弾頭を水源や穀倉地帯に投下、物資倉庫にはブービートラップを忘れるな。毒ガスは神経効果タイプを優先使用、出来るだけ連中を傷物にして、長く苦しめてやれ」


 エファレアの表示がグレイアウトし、戦線の再編は済んだ。

 こういう場合、人類側ならどの戦線を維持するかで、自分の利益を守るために百家争鳴しているだろう。

 独り身の気楽さ、"魔王"の特権か。


「"魔王"様、ケデナから、戦況の詳報が」

「なにか動きが?」


 手渡されるのは、数日前までの薄く簡素な資料ではない。ここ二日ばかりの動きをまとめたらしいが、文字通り『重み』が違った。

 内容を確認する"魔王"の顔に、裂けたような笑みが浮かんだ。


「……待っていたぞ」


 その内容は、決して看過していい物ではない。

 現在、ケデナ方面軍、現地勢力の抵抗にあい、被害拡大中。

 報告の備考に刻まれた『要警戒』の文字とともに記された二つの名前が、"魔王"の背中を歓喜となって嬲った。

 勇者連合軍、参謀、逸見浩二。

 

「とうとうそれ・・を名乗ったのか。さぞ痛かった・・・・ろうな」


 青い仔竜の写真をたどり、嗤う。

 そして、もう一枚の写真に、目を細めた。


「そしてお前は、そこにいることを選んだのか、愛しき勇者ガナリ


 ようやく、終わりが見え始めた。

 あと少しで。


「――王、魔王さま!?」


 開いた視界に入った照明が、目に痛い。

 いつのまにか倒れていたらしい。床に寝かされ、点滴を宛がわれた、無様な己に笑う。

 口元には呼吸器。心電図まで取られる念の入れようだ。体が痺れている。意識の奥底でひび割れ壊れていく、なにかが、感じ取れた。

 だが、だめだ。まだ終われない。


「進軍を、侵攻を続けろ」


 かたわらの部下の足を掴み、願うように力を込める。

 そして、願いの言葉を上げた。


「この世界を、すべて、ガラクタにしてやるために」



 昼なお暗い『元』廃砦の地下は、今や大変な賑わいだった。

 ここに造られた作戦本部の中心人物として、報告書や伝令に囲まれながら、浩二は昼飯さえまともに食べられないありさまだった。


「騎士団の巡回報告書、こちらに置きます!」

「鉱山からの物資、次回集配分ですが、西回りか東回りか、ご裁可ください」

「砦地下の拡張に関してですが、どうやら古いドワーフの鉱床と繋がってたらしく、内部調査したいという話が」

「『例のアレ』について、指示待ってまーす。さんぼーが行ってくんないと無理でーす」


 引き受けて分かったことだが、悠里の軍隊には文官と呼べる人間が、ほぼいなかった。

 正確には騎士団組のモーニックとフランバールが実務経験ありだったが、どっちも前線指揮官役で、こっちには引っ張れない。

 ジェデイロの生き残りから市庁舎に詰めていた者を見つけ出し、急遽スタッフに任じたものの、仕事の采配は自分でやるしかなかった。


「し、しごとが、しごとりょうが、グロい……」


 来たるべき決戦に向けて、必要な物資を集積し、同時にこちらを魔王軍に嗅ぎつけられないよう、陽動部隊へ指示も行う。

 幸か不幸か、ドラゴンの脳力自体は使えるようだが、初めての仕事ばかりで、オーバーワーク寸前だった。


「コウジ! ちょっと休憩しましょう!」


 そう言ってバスケットを差しだしてくるリィルに、半開きになった口を向けた。


「はい、それじゃ、あーん」

「ちがう。みず、たのむ」


 口に革袋が宛がわれ、勢いよく飲み干すと、どっと息を吐いた。

 目がちかちかして、考えがまとまらない。とにかく確認する書類を、処理する書類が、書類に、しょるい。


「はい、仕事はいったんやめにして、外に出ますよ。ずっとこんなところにいたら、病気になります!」

「でも、おれ」

「だめです」


 詰めていた人々が笑いながら、浩二を抱き上げたリィルを通してくれる。観念して、彼女の腕に抱き着いたまま、外に出ることにした。


「あぁ、数字がぁ、数字が上から降ってくるぅ、緑の数字が……雨みたいに………」


 暗い地下から出ると、切り出した石を切る威勢のいい声が聞こえてきた。ウングドウッサとドワーフの石工たちが、壁の補修をしている。

 連中に目を付けられるのは分かっていたが、今は戦車へ対抗する手段もあるし、避難場所として、整備しておきたいという悠里の意見でもあった。


「おう小僧、昼間っから逢引きか?」

「ただの休憩だっつの。知ってるか、そういうのセクハラってんだぞ、勇者の世界じゃ」

「知るかよ! ここはお前らの世界じゃねーんだからな! がはは!」


 砦の改修は、八割方終わっている。

 ドワーフは鉄専門というわけでなく、石材加工にも才能を持っていた。あまりに仕事が早いせいで、無駄に凝った彫刻をしている奴がいた。


「あれ……戦車と、ドワーフと、騎士か。戦場の記録ってやつ?」

「苦労の多い戦だ。あのぐらいの遊びは許してやれ」

「分かってるって。……史跡って、こうやってできるんだなぁ。で、実際の戦況は?」


 その問いかけに、親方の隣で石を切っていた一人が、左手を見せてきた。分厚い手には三発ほどの銃創が刻まれている。

 その顔は、笑っていた。


「例の『柔らかい鉄盾』のおかげで、この程度で済んだとよ。『ひだんけーしゃ』だったか、あれもちっと工夫した」

「無理すんなよ。避難民誘導の要なんだからな?」


 ドワーフ鉄鉱山の残渣を使って形成した『防弾盾』は、戦車の機銃掃射に有効に機能していた。足の速い騎士たちで敵をけん制、ドワーフの盾隊列で避難民を守るというルーチンが組まれてからは、兵士と避難民、どちらの被害も激減している。


「そういや小僧よ、うちでも戦車、作ってみんか?」

「ガワは出来ても中身が無理だろ。馬も音を上げる重さだぜ、どうやって動かすんだよ」

「そんときゃ、俺たちが引っ張ってくか! あとは弩砲を載せていっちょ上がりだ!」


 石工たちが笑い、片手を振ってその場を立ち去る。こういう馬鹿っぽい雰囲気が、面倒くさい実務に疲れた脳に心地よかった。

 砦の入り口からは木材をつんだ荷車に混じって、孟宗竹を乾燥させたものが入ってきている。その荷物を受け取っているのは、エルフのミー・ヒーリーだった。


「あれ……森に帰ったんじゃなかったんだ」

「イツミ殿の意見に従って、タケを加工してきたのです。出来を確認してください」

「俺が確認するわけじゃ、ないんだけどね。ちょっと待って」


 久しぶりに起動させたサポートアプリで竹をチェックし、水分量や乾燥状態を確認すると、使用用途や加工法が表示された。


「うん、オッケー。丈夫だから、弓の材料だけじゃなく、建築の足場とかに使えるよ。軽くて木よりも加工しやすいし。ただ、一度植えるとすげー生えるけど」

「存じています。おかげでひどい目にあいましたが、共存できそうで、幸いでした」


 魔王軍はエルフたちへの嫌がらせとして、祖先の森と呼ばれる重要な場所に、大量の孟宗竹と葛を『勝手に植えていた』そうだ。

 話だけ聞くと馬鹿みたいだが、特定外来種が環境に適応したときに発揮する、侵略の力は想像を絶する。

 悠里はドワーフとエルフの仲を取り持つついでに、駆除法だけを伝えていたと聞いた。


「現在、タケを使った弩と個人用の弓を作成中ですが……あれは、恐ろしいものですね。あそこまで真っ直ぐで、しなやかな材は、木ではなかなか取れません」

「聲の聞き取りはどんな感じ?」

「朴訥で素直ですが、性急で頑固です。木々ではなく、草花のしょうに近い」

「……そうなのか。ちなみにその印象は当たってるよ。あれ、木じゃなくて草なんだ」


 今の自分には何の聲も聞こえない。どんな風に謳うのか、今は想像することさえ難しいのが、少し寂しかった。

 

「そう言えば、葛も生やされたんだって? あれ、根っこを乾燥させると風邪薬とか甘いお菓子になるから、あとで資料まとめとくよ」

「感謝します。では、私は勇者殿のところへ」


 上品に挨拶を残して、エルフは去っていく。お高く留まっているというより、世間ずれしていないという感じで、一言足りないところを除けば、案外付き合い相手だ。

 ふと、食糧倉庫のあるあたりから視線を感じ、そちらに顔を向ける。


「――ふん」


 暗がりに引っ込んでいくシャーナに思わず笑いがこみ上げ、暗がりから大き目な鼻息が届いた。悠里に怒られて以来、こっちとは顔を合わせようともしない。自分みたいな歪な存在は、ドラゴンにとっては不快なんだろう。

 そのまま砦の外に出ると、目の前に広がる草原で、騎士たちが槍をしごいていた。


「おーい、プフリア卿! いくら安全が確保してあるからって、ここで軍事教練すんのはやめてくれ! 偵察に見られちゃうぞ!」

「たわけがチビ助! 鍛錬不足で槍先が鈍れば、決戦で後れを取ろうが! それに、例の戦車も討ち取ってみせた俺だ! この調子で、すべて仕留めてやろうぞ!」


 現在、この砦周辺は三人の騎士が率いる部隊で、守備と哨戒を行っていて、戦車の撃破も経験済みだ。

 だが、問題もある。


「そのあと、自爆に巻き込まれて死にかけてたじゃねーか。てか、何で生きてんの?」

「我が神の教えは『勝ってから死ね!』ぞ! すなわち魔王に勝つまで、俺は死なん!」

「うわー、狂信者こわーい、ひくわー」


 本人の信心はともかく、例の戦車には自爆用の爆薬が仕掛けてあるらしい。

 鹵獲ろかくを防ぐためだろうが、擱座かくざした味方車両に砲弾を浴びせてでも機密漏洩を防ぐ姿勢に恐怖を覚えたと、フランバールが言っていたっけ。

 以後、戦車の撃破は禁止され、牽制と撃退が彼らの任務だ。


「そもそも今日は非番だろ。体を休めるのも仕事の内だぜ」

「書類の海で溺れ続ける貴様が言えたことか。しっかり休め、こっちは手が増えたから、いずれ騎士領代理を手伝いにやらせる」

「手って、騎士団からの増員?」

「忘れたか、例のコボルトだ」


 聞いてない。

 あれから、顔も合わせていない。あの指示以外、なにもしていない。

 むしろ、顔を合わせたくない。

 あわせられるわけが、ない。


「暇だから、なにかないかと言われてな。折角だからと、斥候に回したが……なにかまずかったか?」

「い、いいよ。さすがは赤のプフリア、判断が早い」

「俺じゃない、モーニックの奴だ! 文句があるなら奴に言え! まったく、あいつめ、そういうところが……」


 目を閉じる、呼吸が浅くなる、体が震える。

 あいつは、なにも変わってない。その場で、自分ができることをする。

 だから、あの時も、断らなかった。

 それがたとえ、死に直面する行為であってもだ。俺は、それを知ってて、分かってて、利用した。

 今更ためらうな、後悔なんてするな、するぐらいなら――。


「あ、おつかれ、浩二! リィルさんもお疲れ様です」


 出先から帰ってきた悠里が馬から素早く飛び降り、近づいてくる。その背後には騎乗姿の二人の影があった。

 片方はローブ姿のイフ、もう一人は図体のでかい無精ひげの男だ。


「た、だいま、戻り、ました。お疲れ様、ですっ」

「紹介するよ。こっちがグリフ。今後は砦に詰めてもらうことにした」

「お前、コボルトの仲間だった奴だろ。あっちは見限って、ユーリに鞍替えか?」


 さすがの悠里もぎょっとした顔で振り返り、ローブの中でイフの瞳が針のように細まったのが見えた。

 緊張したリィルの腕を優しくなでて、浩二はにっこり笑った。


「歯に衣着せない、って奴か。逸見浩二だよ、よろしく頼む」

「おお、コージか。うちのユーリは魔物の犬コロなんぞ、比べもんにならねえ大勇者だ。鞍替えして正解だったな」

「――ああ、そっちの実力も、期待していいのか?」

「任せとけ。んじゃ、俺は下に行くわ。酒っ気抜きだったから、口寂しくてよ」


 がさつな男が去っていき、後にはこの世の終わりみたいな顔をした悠里と、同じぐらい恐縮したイフが取り残された。

 そんな二人がおかしくて、浩二は笑った。


「なんて顔してんだよ。ほら、行こうぜ勇者さま」

「悪かった、浩二。グリフには俺から」

「いいんだっ!」


 それでも食いしばった口から、怒りが漏れるのが止められなかった。

 兵家軍師は冷静であれ、アイツの前で顔色を崩さなかったのが、せめてもの救いだ。


「本当に、いいんだ」

「浩二……」

「それに――俺には、怒る資格なんて、ないから」


 そうだ、思い出した。

 なんであんなに、必死で仕事をしてたのかを。


「リィル、お昼、さっさと食べちゃおうぜ。仕事、山積みだから」

「は……はいっ……美味しいもの、いっぱい、入ってますから」


 何も考えたくない。何も考えないで、全部数字で片づけてしまいたい。

 グリフの言葉は、全部本当だ。自分はあいつを裏切ったんだ。裏切って、その上、その命まで利用しようとしている。

 そんな俺に、怒る資格なんて、どこにも。


「コウジ!?」


 ぐぶ、という音が、喉からこみ上げた。

 きつい胃酸の臭いが鼻の孔に入りこんで、むせながら吐き散らしてしまう。


「ぐえっ、げおっ、ぐっ、ぅげえええっ!」

「だ、だめっ、コウジっ、どうして、ああっ!?」

「イフ、浩二を!」


 リィルの手から逃れて地面に両手を突き、こみあげる吐き気とにじんだ涙で、視界がぐちゃぐちゃになる。

 繰り返しえづき、さっき飲んだ水を全部吐いてもなお、不快感が収まらない。

 

『ドクターストップ。そこまで』


 冷たい天の声に、胃がひっくり返りそうな感覚が止まる。メーレの労わるような聲が背中からしみてくるのを感じた。


『岩倉悠里、仔竜、一日、面会謝絶。砦に厳命』

「分かりました」

「お、俺はっ、平気」

「コウジっ、だめですっ!」


 自分を抱え上げたリィルから、涙がこぼれている。俺の腕や頬を濡らして、しゃくりあげながら、それでも歩き続け、優しく撫でてくれる。

 でも、その暖かささえ、辛かった。

 ダメだ、こんなんじゃ、俺は。

 俺は軍師で、世界を救うために、自分の全部を投げ出すつもりで。

 

「頼む、俺を、止めないでくれ。進ませてくれ」


 何かに願うように目を閉じ、両手を握る。

 そして浩二は、願いを口にした。


「少しでも早く、苦しみを、終わらせるために」

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[一言] ツラいシーンが続くな。何とかいい終わり方になればいいが……
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