17、同じ船に乗る者たち
「ひどい姿になっちまったな、青よ」
赤のプフリアことユーゼイア・プフリアは、同僚のモーニックに笑いかけた。
モーニックの左腕は無い。端正だった顔の左側には、槍のようなもので付けられた傷跡がある。
それが『せんしゃ』と呼ばれる、鉄の魔獣によるものだと聞いていた。
「お互い様、と言いたいところだが、貴殿の方は、いささか日焼けした程度か」
「よく言った! その通り、ちっとばかり焦げた程度で、ぴんぴんしとるわ!」
自慢だった髭は焼けてちぢれたので、さっぱり剃ってしまった。それところか、髪の幾らかは皮膚ごと焼け、禿頭のようになっている。
ついでに言うと、左足が黒焦げになり指も全部焼け潰れていたが、つま先自体は残っているので、特製の義足でごまかしていた。
「だが、こんな傷よりも、あれの方が胸に来るぞ」
「同感だ」
自分たちは、崩壊をまぬかれたジェデイロの東門前に立っていた。すでに門扉は焼け落ちて、その向こうに広がる景色が見える。
ほんの一週間前、ここには壮麗な大都市があった。
市庁舎の高楼、商取引の声が響き渡る市場、魔法の品を扱う術士たちの塔に、日々を営む市民たちの家々が、並んでいたはずだ。
だが、それらはすべて、なくなった。
大小さまざまなすり鉢状の穴は、爆発する砲弾によるもの。そこにあった物も命も、分け隔てなく粉砕していた。
いくつかの太い柱、石壁だけが、寄る辺なく並んでいる。それはさながら墓標、その間を残された財貨や、愛しい者の遺骸を求めてさまよう、幽鬼のような影が見えるばかり。
ジェデイロは、完全に死んでいた。
「そう言えば、ミルザーヌ代理は?」
「代理代理と面倒な! いっそのことあれを団長にすればいいだろうが!」
「そうはいかん。団長という称号に込められた歴史の重み、貴殿もわかっているはず」
「その歴史ごと、騎士領本部が吹き飛んだんだぞ!」
その途端、モーニックは薄い顔を怒りに染めた。
「お、おい、モーニックよ……貴様が、そんな顔をするとは」
「悔しいのだ。こんな時、何も出来ぬ自分が!」
「はは、『千年氷のモーニック』が、沸騰しておるわ! これは珍しい!」
「……貴殿の方はどうした。『ふいごのプフリア』は返上されたか?」
「ふん。貴様も神に言われたのだろう? 『死ぬのは今ではない、生きて部下を導き、勝利の後に死に絶えよ』と」
最初は、名誉のために死にたかった。
降ってくる鉄と炎の雨の中、それでも神は言った。『生きろ』と。
「『英傑とは、決してあきらめず、手を止めず、歩みを止めぬ者』」
「『死にて終わらず、終わりて後に死す者なり』」
互いの口に、笑いが浮かぶ。
そして、盛大に、声高らかに、笑い合った。
「なるほど、あれこそが英傑の神! あらゆる世界にその神ありと言われる者か!」
「勝つまで死ぬな、勝って死ね、とは手厳しい。我らが奉ずるにふさわしい神だ」
そして、互いの胸を拳で小突き、行くべき場所を振り返る。
ジェデイロの南方、打ち捨てられた砦跡に集うべし。それが生き残った者たちに告げられた指示だった。
ただし、兵士は各地に身を潜め、指揮官のみが行くことを許されていた。
「では、そろそろ行くか?」
「いや、ここでもう一人、落ちあう者がいると聞いている」
「味方か? しかし、エルフの長老殿やドワーフの親方は、すでに到着しておるはず」
「それが……」
その姿は、日差しの中からおぼろに歩み出てきたように見えた。
子供ほどの背丈にマント姿、隣には子供を乗せた狼を連れた、一匹のコボルト。
思わず剣に掛けた手を、素早く制された。
「よせ、プフリア卿」
「……ああ、これが例の、変わり種とやらか」
『赤の騎士団、プフリア卿。青の騎士団、モーニック卿ですね』
女性の声、もちろん目の前のコボルトでも、薄汚い少女のものでもない。このコボルトを守護するという、女神の声だ。
『我が名はサリア―シェ。我が勇者の案内を、よろしくお願いいたします』
「狩りには猟犬がつきものだが、こんな雑魚を使役する神と共闘とは」
そんな揶揄など知らぬ風で、隣の子供をあやしながら、コボルトはそっけなく告げた。
「時間、無い。悠里、待ってる。つれてけ」
「この……っ!」
「プフリア卿、この魔物の言う通りだ。我らが神の言葉もある」
「だが、その子供はさすがに連れていけんぞ!」
「やだ! カーヤ、しぇーとといっしょ!」
その発言に、初めてコボルトは、ひどくげんなりした顔をした。なにをどうしたのか、避難民の子供の面倒を見ているらしい。
食うためなら、こんなきかん坊の子供を連れ歩くこともあるまい。
なるほど、変わり種とは本当のようだ。
「道中泣かすなよ。泣き声で魔王軍に嗅ぎつけられてはかなわん」
「カーヤ、泣くな。できるか?」
「うん! カーヤなかない!」
おかしな協力者とお荷物を増やしながら、同僚が引いてきてくれた馬にまたがる。
「その狼、お前と子供を乗せて走れるのか?」
「長いの、無理。途中、俺、走る」
「それでは集合に遅れるだろう! 子供、俺の馬に乗れ!」
「……やだ! おじちゃんこわい!」
さすがに面倒な、そう思っていると、
「カーヤと言ったか。長い旅をしてきたようだが、実に偉いな」
「しぇーとといっしょ、でも、カーヤ、えらいよ」
「カーヤよ、我の馬に乗ってみぬか? そうすれば、狼を疲れさせることもあるまい」
「……ん。わかった」
青の騎士はあっという間に子供の同意を得ていた。
「よし。いい子だ。干した果物があるが、食べるか?」
「食べる!」
どうやら隻腕になろうと、多少顔に傷があろうと、モーニックの女たらしぶりはかわらないらしい。
ああいうところが、実にいけ好かないのだが。
「ありがとな。お前、子供、好きか?」
「……そのような質問に、答える時ではないな。貴様、名前は」
「シェート」
「では行くぞ、シェート。プフリア卿も遅れるな!」
「勝手に仕切るな! だから貴様のそういうところが、ええい、待てと言うに!」
文句を言いながらも、片手で、驚くほどの手綱さばきを見せる同僚に、口元を緩める。
最後になるであろう戦いに、好敵手と轡を並べて進めることを、心ひそかに喜んだ。
その顔を見たとき、シャーナは炎でも吐き掛けてやろうかと思った。
青い仔竜の体に収まった、人間の魂。今はその違和感がくっきり分かるほどで、あれほど自在だった聲など、見る影もなく消えていた。
「吾が背の隠れ屋に来た、最初の客が貴様とは。見ていて吐き気がするわ、おぞましい混ざり者めが」
「まあ、全部バレてるんだもんな。好きに言ってくれよ、アマトシャーナ女王陛下」
「人共の称号などで呼ぶとは、吾を侮辱するか! この」
「シャーナ! やめるんだ!」
ユーリはそれでも、目の前の有象無象に親し気に歩み寄った。こんなおぞましい会談を見る羽目になろうとは。
「来てくれたんだね、その……」
「逸見浩二、元勇者のね。浩二でいいよ。なんの力も無くなったけど、魔王のことなら、この世界で一番目ぐらいに知ってる。力になるぜ」
「はっ、なんとまあ、無力を誇らかに語るとは、聲と共に、ドラゴンの矜持さえも消え失せたか」
例の雌の胸に抱かれた仔竜は、穏やかに笑う。
あれほどの力を振るいながら、それを失ったことになんの痛痒も感じていない。その意味不明さに、無意識に口が罵言を吐き出していた。
「なるほど。借り物の力で、竜の真似事をし続けたことを恥じたか。所詮は自らの愚かしさを糊塗するしかない、無能なニンゲン。今のその姿こそ、分相応な」
「シャーナ」
その時、シャーナの鼻が、異常を嗅ぎつけていた。
これまで何度も、自分のわがままに困惑しながらも、最後には親しみのこもっていたユーリの感情に、こちらに対する強烈な嫌悪と怒りが、煮えたぎっていた。
「わ、吾が、背よ? い、いかがした?」
「猛き大地の基、錬鉄の頂、揺蕩う真紅の鳴動、撃壌せし烈火よ」
奉銘を口にし、言葉を荒げ、目の前の宝石はいまや、こちらを敵視せんばかりに、気勢を解き放っていた。
「我が友への侮辱の言、その一切を許さじ。この約定破りし時、我は汝の背にあらず、汝は我が妹にあらずと知れ」
「あ、あっ、お、おお、おおおおおおおおぉぉおおっ!?」
なぜだ、なぜユーリはここまで怒り狂う。こんな卑小な、混ざり者の命などに、吾らが契りを打ち捨てんとまで言うのだ。
分からない、分からないが、それでも仕方ない。
「わ、吾が背の……お、おお、お、仰せの、まま、に」
「……うん。お願いだから、今後はこういうことは、無しにしてくれ」
「う……っ! ううううううう~っ! 吾が背のいけず! しれもの! もう知らぬ! うわああああああああん!」
こういう時は何もかも忘れてふて寝するしかない。そうすれば、吾が背も折れて、閨に慰めに来る。
それまでは一切、何の頼みも聞いてなどやらぬからな。
シャーナは本能に従って、この砦の寝床へ、走り込んでいった。
「本当にごめん。身内の失礼は、勇者の恥だ」
生真面目に謝る悠里に、浩二は笑って首を振った。
「むしろ悠里はよくやってるよ。俺よりも立派だって」
「今は、そういうのはやめとこう。少なくとも、俺と君は対等だと思ってる」
「期待値上げられっと、やりにくいなあ。せいぜい励むとしますか」
口うるさい赤竜から解放され、ようやく砦の中に入れたが、実際ここは、砦とは名ばかりの残骸だ。
一応、小さいながらも城壁は存在するが、高さも厚みもジェデイロのそれとは比べ物にならない。
居館代わりの石の家はあったが、それも屋根が抜けていて、馬小屋代わりに使われているだけ。シャーナが逃げていったのは、小屋の下にある食糧倉庫らしい。
「ところで、他の連中の姿が見えないけど?」
「コスズは郷に帰って、可能な限りの人員を集めてくれてる。グリフとフランは交代で避難民誘導と騎士団の再集結、イフは……下にいる」
「下って、もっと下があるのか?」
「なるほど『抜け道』ですな」
意外な一言に注目を集め、照れくさそうにアクスルは笑った。
「砦の背後には小高い岩山が連なり、深めの川が、北の壁下に接する形で流れている。おそらくは、砦の地下まで続いた岩盤をくりぬき、石材を砦に使い、空いた空間を抜け道にしたのでは?」
「すごい、よくわかりましたね」
「城とはそういうものだからですよ」
そう言えばアクスルは元々騎士身分だ。城や砦の構造にも詳しいだろう、浩二はここに来るまでに考えていたことを口にした。
「悠里、お願いがあるんだ」
「こっちで聞けることなら」
「アクスルとエルカを、そっちの部隊に入れてほしい」
二人は表情を動かしたが、それでも意見は口にしなかった。自分を抱きかかえるリィルは、少しだけ緊張している。
「俺と一緒にいても、できるのはこの辺りの警戒だけ。今は人手が足りないんだろ、交代要員も、ろくにいないんじゃないか?」
「……ありがとう。お二人は大丈夫ですか?」
「構わないよ。っていうか、急に頭が回るようになったね、何か悪い物でも食った?」
「私も問題ありません。詰め所があれば、そちらに」
そのまま二人が去っていき、こちらを抱くリィルの力が心持ち強くなる。聲は聞こえなくても考えていることぐらいは分かった。
安心させるように手を叩き、それから悠里に問いかける。
「こっちの砦に参謀役は?」
「そういうのは、もっぱらフランにお願いしてる。うちの神様は期待しないでくれ。ほとんどの場合、俺たちに一任だから」
「……その参謀役、俺にやらせてほしい」
さすがに悠里は頷かなかった。当然だろう、こいつは今や、いくつもの部族や騎士団、傭兵や兵士たちをまとめるトップだ。
それがぽっと出の、魔物か何か分からないような仔竜に任せるなんて、周りの反発も含めれば、言い出すことさえバカバカしい。
「ごめん、いくら君の頼みでも、いきなりは難しい」
「そうだよな。命を掛けて戦って、抵抗してるのはお前の仲間だ。何の実績もない、聲も使えない仔竜なんて、お呼びじゃないよな」
「俺だけならいいんだ。でも」
「なら、献策させてくれ」
力がないなら頭を使え、兵家軍師に徹し、冷静にすべてを見渡せ。
ドラゴンの本質は、聲じゃない。
その聲を生み出す源、あらゆるものを貪欲に、見つくし、聞きつくし、嗅いで、味わって、触れて覚え、理を感得することだ。
竜の六識から切り離された今でも、自分には蓄えた知識と、死線を潜り抜けてきた経験がある。
「お前たちの見えないものでも、俺なら見えるかもしれない。損はさせない。勝つために使え、俺の人脈、俺の知識、俺の経験、俺の全てを」
「――奇貨居くべし、か」
「え?」
「分かった。"英傑神"の勇者、岩倉悠里の名において、逸見浩二を勇者連合軍、参謀に命じる」
一瞬、意味が分からなかった。
だって、こいつには対面や面目があって、人との意見調整とか、そういうアレが。
そんな想いを軽々と飛び越えて、悠里は笑顔で片手を差しだした。
「力を貸してくれ、浩二。俺たちに必要なのは、魔王に勝つ知略だ」
浩二は理解した。自分は勇者だったが、こいつには決して及ばないことを。
ともすればワンマンになりそうな採決を、自分の勘と信念に基づいて行い、ためらいなく誰かを信頼できる者。
素直さと傲慢さ、そのないまぜから生まれる心の輝き。
それを持つ者こそが、本当の英傑なのだと。
悔しさと照れくささを乗せて、手を握り返す。
「人たらしって、言われたことないか?」
「……そんなつもりは、ないんだけどな。受けてくれるか?」
「言い出したのは俺だから。うまく使いこなせよ」
軽口を叩いて笑い合い、意見調整の完了を確かめる。
これで一歩進んだ。次になすべきことは。
「勇者ユーリ殿! 赤騎士、青騎士両名がお着きになられました! それと――」
「分かりました。全員、丁重に下の会議室へ案内してください」
兵士が砦の外にいる者を呼びに行っている間、浩二は小声でささやいた。
「リィル」
「はい」
「頼むから、祈っててくれ。俺が最後まで、うまくできるように」
そして、あらゆる感情を胸の奥底に押し込めて、やってたものを見た。
白い狼を引き連れた、コボルトの姿を。