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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~最終章~
216/256

16、日が沈む、灯が点る

 そこは、モラニアの片隅にある、勇者の村と呼ばれていた場所だ。

 三つの国にまたがる街道に隣接し、行商人たちが荷物を下ろしたり、中途の休憩地として使われる場所でもあった。

 そんなある時、天からの使いという少年がやってきて、リンゴしか売り物のない、貧しい村にささやかな恵みを与えてくれた。

 だが、彼は去り、新たな勇者が村を治めた。

 軍事拠点の場として、畑も果樹園も掘り返され、兵舎が立ち並んだ。

 その勇者もまた、世界から去り、残されたのは益体もない兵舎だけだった。

 だが、それでも村は、しぶとく生きていた。


「兄さん、泊っていきなよ! 安くしとくよ!」


 兵舎を宿に作り替え、商人や傭兵を受け入れることで、稼ぎをひねりだす。そのアイデアを出したのは、村に出入りしていた商人の一人だ。

 しかも、海の向こうのケデナに、酒造りの職人を引っ張っていった。

 向こうで成功したら、その技術と金でもって、また村でリンゴと酒を造ろうと。

 彼の契約で村に支払われた金は、そのまま新たな苗木を育てるための資金になった。


「……まあ、それも、この目にすることはないだろうがな」


 騒がしい大路を抜けながら、村長は自嘲した。

 本当に、どうしてこんなことになったのか。村にやってきた勇者、ケイタを受け入れるのは、中々に難しかった。

 胡散臭かったし、神などを拝むなど、考えもしなかった。

 それでも、良く気の付く、なつっこい性格に、村人も自分も惹かれていた。

 少なくとも、一度も顔を見せなかった、軍隊の将軍をしていた勇者よりは、はるかに。

 

「そういえば……こ……っ、あの勇者の名前は、なんだったんだろうな? く、っふ」


 雑踏の熱に当てられたのだろうか、喉の調子が悪い。そういえば、手足の節々に痛みが走って、動きにくい。

 年は取りたくないもんだ。日ごとに痛む個所は増えるし、頭もかすみが掛ったようで、考えがまとまらない。


「村長!」

「お、おお。どうした?」

「村の周りの罠に、またヤマウニが掛かってたぞ。突き殺して、埋めておいた」

「あ……ああ、ヤマウニ、なぁ。うん」


 槍持ちの若いのが、こちらをのぞき込む。そんな顔をされるほど、こっちはまだ、としより、じゃ、な――。


「おい村長!? 誰か来てくれ! 村長が倒れた! 顔がすげえ真っ赤だ!」


 誰かが叫んでいる。ああ、そんなにうるさくするな。

 ヤマウニなんてよくいたじゃないか。このところ、妙に里に下りてくる数が、増えただけで。

 だが、あんなもの、いつから山にいた?

 子供のころは、そんなことはなかった。裏山を駆けまわって、木の実や芋や、鳥を取って遊べていたはずだ。

 そうだ、あれは十年前、魔王がこの村の空を、通った後だ。


「ヤマ……ウニ」


 これ以上、何も考えられない。

 熱い、喉が痛い、体中が痛い。いったいこれは、なに。



『さて、悲惨にして最愛なる獲物諸君、おはよう』


 水鏡の向こうから届く、忌まわしい声に、"英傑神"シアルカは顔を歪ませた。

 今回の相手は、想像以上だった。いや、これまでの魔王たちが、どれも生ぬるかったとしか思えないほどの悪辣さだった。


『侵略を開始してすでに六日が経った。勇者たちの世界では、神は六日で世界を創り、七日目を休日としたそうだ。だが、俺に言わせれば……そうだな、働きすぎだ』


 魔王の城はジェデイロを焼き払った後、ケデナのあちこちに侵攻しては、散発的に村や町を焼いていた。その攻撃は、明らかに挑発目的であり、悠里たちを抑えるのに、苦心させられている。


『こんな壊れやすいものを、丹精込めて創ることに意味はない。特に最後の御業、あれはいただけないな。どうして十全にして完璧な楽園製作という偉業に、人などという過ちを付け加えたのか、理解に苦しむ』


 すでに人々の意気はくじけている。それを助長させるために行う放送も、それに拍車を掛けていた。

 だが、各地に散った悠里の仲間たちが反抗勢力を集め、再びの決戦に向けて準備に入っている。それさえ成れば。


『ところで、俺は諸君らに問いたい。まだ、絶望し足りないのかね?』


 まるでこちらの意図を見抜いたかのように、魔王は嗤った。


『なるほど、勇者はどこかに生き残っているらしい。残念ながら、小勢の我々では、勇者の探索に手を裂くことが出来なくてな。諸君らを狩り殺すので精いっぱいだ』


 その言葉通りの光景が、空に浮かぶ。

 家や畑は焼かれ、兵士が倒れ、人々が逃げまどう。このところ、魔王はそうやって各地の惨状を空に浮かべては、人々を責めさいなんでいた。


「毎度のことながら、宣伝相としての才覚がありますね。どこぞの独裁者と、その側近でも参考にしたのでしょうが」

「奴の悪辣さは、日増しに強まっています。このままでは反抗勢力をまとめ上げる前に、皆の気力が尽きてしまう」

「なるほど、それで納得がいきました」


 白い小竜は苦笑いし、こちらを指さした。


「これは貴方に対する『メタデッキ』ですよ。"英傑神"」

「どういうことですか?」

「貴方の神規【万民の祈り】は、勇者を求める人の心を集約する。だが、魔王はその民の心を折りに来ている。勇者にすがり、神に祈っても無駄だとね」


 それは理解していた。悠里の体に宿る奇跡は、日ごとに弱まっている。今の状態で魔王と戦うなど、裸で雪山登山をさせるようなものだ。


「であればこそ、民草の安全を考え、保護させるのが最優先となるでしょう。神も勇者も皆を見捨てないと」

『ところで、諸君の苦境を救うであろう勇者は、どこに行ったのかね? そして神は、本当に貴様らを見守っているのか。おお神よ、貴方はどこにおわすか!?』


 もしや、あの魔王は天界にも手を伸ばし、こちらの動静を掌握しているのではないか。

 そんな不吉な考えを打ち消し、水鏡の向こうに声を飛ばす。


「悠里、そちらの状況は?」

『俺なら大丈夫。みんなも、少しづつ集まり出してる』


 彼らはすでに北の山を去り、今はジェデイロの南東、以前魔族から解放した廃砦に陣を構えている。とはいえ、集まっているのは悠里の仲間で、消息不明者も多い。

 見通しは限りなく暗かった。


「どこまで隠し通せるでしょうか」

「半分以上、筒抜けだとお考え下さい。城から距離を取れば、探知精度は激減するでしょうが、上空の観測班の目と、奴の卓越した行動予測は欺きがたい」


 つまり、次の反抗作戦が最後であり、そこで使える手札が集められなければ、生きては戻れぬ絶望に、勇者を単身で放り込まねばならないのだ。


「せめて、両騎士団が健在であれば」

「それでも赤と青の団長が生き残っていたの僥倖でしたよ。命冥加というか、生きぎたないのは、結構なことです」


 その彼らは遠く離れたドワーフたちの岩屋に隠れ、傷を癒している。あの山脈であれば核攻撃にも耐えうる、天然の掩蔽壕えんぺいごうとして使えると。

 ただし『地表貫通弾バンカーバスター』が降るまでの間ですが、そんな皮肉が付け加えられたが。


『とはいえ、だ。俺もそろそろ飽きてきた。勇者らは一向に俺に対する叛意を見せず、ひたすらに隠れ住んでいる。葉の裏や岩の陰に隠れた虫を駆除するために、手作業というのはいかにも効率が悪い』


 恐ろしく勘のいい白い小竜が、顔を歪ませた。同時に、透徹した視線を、地上で映し出される魔王の映像に収束させた。

 この後に投影される、おぞましい現実を見尽くすために。


「なるほど、君はそういう奴なんだね、"魔王"」

「いったい、奴は何を?」

「決まっているではないですか」


 小竜と魔王の声は、同時に発せられた。


「『これより殺虫剤・・・による駆除を、開始する』」


 虚空に映し出された景色が変わった。

 だがそのどれもが、見知らぬものばかりだった。緑に広がる田畑に囲まれるようにして建つ、街の胸壁の光景。

 ジェデイロに似ているが、そこにある建物や壁の様式、使われた石材も違う。


「あれはザルテン! エファレア大陸の都市、そこから手を付けるのか!」

「まさか、魔王が自軍を小勢と言っていたのは――」


 畑を踏みにじり、胸壁に向かって突き進むのは、ジェデイロを焼いた戦車に酷似していた。だが、砲塔の形が違う、水平ではなく上方、もっと言えば『曲射砲撃』に適した形。


『燻蒸消毒開始。シロアリどもを一匹残らず、駆除しろ』


 砲火が、立て続けに吐き出された。

 そして映像が切り替わる。都市の中に着弾した弾は、破裂しなかった。その代わり、原形をとどめたそれから、毒々しい煙が放出される。

 その効果は、覿面てきめんだった。

 映像の市民たち、衛兵たちが、倒れ伏す。血を吐き、肌を爛れさせ、酸鼻を極める情景の中で、誰一人生き残らない。


『エファレアに展開させたのは化学兵器部隊だ。何しろあの土地は広い、故に広域に散布し、効果を発揮する毒ガスを使った。狭小な土地では自軍にも影響が出るが、ここなら使いやすかろう』

「外道め……っ」

『残念なことに、我が軍は国際法に基づく禁止条約を批准していない。そもそも俺は"魔王"だ。道を説こうというなら、お門違いだぞ?』


 突然、映像が映り変わる。

 今度は森閑とした山々に囲まれた、のどかな山村。のように見える。

 だが、異常はすぐに見て取れた。

 道のあちこちに、人が倒れている。生きている者、死んでいる者、混然として見分けがつかない。

 ある者はあえぎ、ある者は空に手を伸ばし、ある者は全身を変色させていた。

 明らかに、何らかの病に罹患していることは明らかだ。

 そんな人々の間を、棘の付いたウニのような生物が練り歩く。伸ばした触手で肉に触れて、腐敗しかけた死肉をついばんでいた。


『"魔王"になった俺が、最初に着手したのが、お前たちがヤマウニと呼ぶ個体の制作だ。正式名称『病的因子媒介用中間宿主 《ペイルライダー》』。あらゆる病菌、寄生虫を保有し感染源となり得る、最悪の媒介者ベクターだ』


 絶句するほかなかった。

 病を撒く魔族はいる、毒を使う魔族もいる。その病毒領域を使い、人々を屈従させる魔界の災厄も知っている。

 だが、この"魔王"は異質だ。

 すべてを焼き滅ぼす火を放ち、毒で人を殺し、病を蔓延させて苦しみを助長する。

 奴は言った、人はすべて滅ぼすと。

 この世界で起こっているすべてが、その信念のもとで積み上げられたものだとすれば。


『《ペイルライダー》の性質は、俺でも制御しきれなくてな。病菌拡散のタイミングや性質は、事前に感染させた一個体を投入するしかない。そのおかげで、今まではちょっとばかり臭い毒を垂れ流す、害獣で終わっていたわけだ』


 映像の中で、厳めしい面とぴっちりとした服に身を包んだゴブリンたちが、檻の中に詰め込まれた病の媒介者を解き放っていく。それはモラニアの山中に広がり、あらゆる生物を殺し尽くす、病を撒いていった。


『というわけで諸君、喜びたまえ。世界で唯一、このケデナの大陸だけが『清浄な地』となった。南洋諸島の通商破壊もしておいたから、モラニアから病菌が持ち込まれる危険もない。感謝してくれていいぞ』


 そんなわけはない。これも奴の戦略、もしモラニアから病気が渡ってきたなら、こちらで何らかの手を打つこともできた。手遅れになるまで、異常に気づかせないための遅滞作戦だ。


『ところで諸君、気づいたかな? 今、諸君らは孤立無援だ、ということに』


 モラニアは病で壊滅を待つしかなく、エファレアは毒を撒く者たちに蹂躙された。

 だが、まだヘデギアスがある。彼の地は国力も少ないが、それでも。


『訂正しよう。たった今、孤立無援となるのだ。"ロンドンブリッジ"大陸間砲撃モードへ移行。『トキジク』装填。目標、ヘデギアスの港湾都市、ウシュクサ』


 魔王城に突き立つ、忌まわしい砲塔が、遥か北に向けられる。それを知る誰もが、阻止せんがために手を伸ばし、何も出来ぬ無力を噛みしめる中で。


『主砲、発射』


 白煙がたなびき、悪意の光が空に昇る。

 暮れかけた群青に白い光がちらつき、禍々しき一番星の輝きが遠ざかっていく。

 その光景を眺めながら、"魔王"は楽し気に歌った。


『London Bridge is broken down Broken down Broken down London Bridge is broken down My Dear brave』


 "英傑神"は、はっきりと認識した。

 あれは決して、生かしておいてはならぬ悪だ。あらゆる万難を排して、きっと打ち勝ち消し去らねばならない存在だ。

 そして、思い出した。

 魔王とは本来、そういう世界の敵アークエネミーを示す言葉なのだと。

 その決意をあざ笑うごとく、映像に映し出された、暗い海に面した北の港湾都市が。

 地上に降りた太陽の輝きに、溶けて消えた。



 焚火の灯りに照らされつつ、浩二は食い入るようにスマホを睨んだ。

 自分の侵蝕率を示す数値は、無を意味する以上の数字を刻んでいない。そのまま両の角を掴んで、絶叫した。


「なんなんだよ! 俺の力は! 聲はどこに行ったんだよっ!」

『やめなさい、そんなことをしても無意味です』

「今なんだ、今、使えなきゃダメだろ! あんなに、あんなに使えてたんだ! "魔王"なんて、俺がぶっ飛ばして――」


 鋭い痛みが、頬を張り飛ばしていた。それは、意外にもリィルの手によるものだった。


「そうやって、また、あなたは一人で、何もかもしょい込むつもりですか!?」

「リ……リィル?」

「なんでもできるからって、一人で先に行ってしまう! もしもあなたに力があったとしても、今度こそ、私が止めます!」

「そうだよ。少し落ち着きな」


 出来上がっていた汁物を手渡しながら、エルカはため息を吐いた。


「アンタ、結局何も変わってないね。コボルトに殺されて、少しはましになったと思えばこれだ」

「……で、でも」

「見ただろ、あの力を! 魔王だよ、あいつはまさしく、魔の王だ」

「ええ。人々を殺すのではなく、殺す力で心を屈服させる。邪悪な暴君です」


 アクスルの言葉に、頭が冷えた。

 魔王城のやり取りで、自分も誤解していたかもしれない。皮肉でありながら軽快なやり取り、遊びを好み、友達のように接したあいつのイメージは、本質を隠す仮面だった。

 なにより、あんな恐ろしいものを無視して、遊戯にうつつを抜かしていた神々に、腹が立っていた。


「ゼーファレスの奴、マジでクソかよ! あんな鎧や剣だけ作って、カミサマ相手にイキってる場合か! アホすぎてなにも言えねえよ!」

「コ、コウジ……その、さすがに言いすぎでは」

「ある意味、当然の結末、って奴なんだろうね」


 暗い空を見上げ、エルカは皮肉で悲しそうな笑顔を浮かべた。


「相手を過小評価して、取るに足らないと馬鹿にして、ルールで押し込めた。そいつがどんな牙を研いでいるかも、気づかないでさ」

「神々の驕り、それこそが、この凋落というわけか」

「それを一番最初に思い知ったのが、俺だ」


 驚いた仲間たちは、それでも思い思いの表情を浮かべた。

 神の力に驕り、自分を見失い、足元を掬われて死んだ。

 どんな戦いも真剣で、地力の違いなどわずかな差でしかない。勝負の綾と相手の必死さを見誤った瞬間に、絶対の強者でさえ死に至る。


「ずっと、言えなかったことがある」

「……なんだい?」

「俺が殺されたのは、俺の責任だ」


 声を上げようとするのを遮って、浩二は目の前の焚火を整え、それから続けた。


「無敵の鎧なんてなかった。空気や、直接害のない虫、自分で飲んだ水、そういうものが俺を責めた。腹が減っても食い物も見つけられず、火を焚く方法だって知らなかった」


 それは自分の無知と驕りの結末。知らないという事、知ろうとしなかった罪。


「なにより、コボルトにも、仲間を大切に思う気持ちがある。だから、それを殺せば、恨まれて、憎まれるんだ。そんな当たり前のことさえ、想像しなかった」

「でもそれは、仕方のないことで……」

「違います、リィル殿。コウジ殿はこう言いたいのです『己に剣を取る手があるなら、相手にもその手がある』と。それを弁えていれば、また別の未来があったと」


 それは残酷な答えだ。

 もしアクスルのいう覚悟があったら、コボルトを『ゲームのキャラ』ではなく、一個の命として見ていたら。

 自分はもう一度、あいつを殺し、冒険を続けていただろう。


「世界に向き合わなかった、敵に向き合わなかった、その覚悟を知らなかった。だから俺は死んだんだ。リィル、エルカ、アクスル、俺はバカだった。迷惑かけて、ごめんな」


 リィルはうつむき、涙をこらえた。

 アクスルは静かに頷いた。

 そしてエルカは、満面の笑みを浮かべた。


「それだよ。アタシらが、アンタに教えたかった事」

「え?」

「アンタはずっと、上の空だったのさ。この世界は遊びなんかじゃない、そう言ってやりたかったんだよ」


 分かってしまえば簡単な、それでも知るまでは全く分からなかった答。

 俺はそんなことを知るために、ここに戻ってきたんだ。

 その時、胸元のスマホが、光を灯した。


「……し、侵蝕率が……?」

『こちらでも確認しました。とはいえたった・・・1%、ですね』


 映っている自分の魂は、未だに人間のままだ。鱗一枚生えていないし、今も聲など一切聞こえてこない。

 習得した竜の聲ドラゴンブレスも、すべてグレイアウトしている。


『貴方のトラウマを検知した『竜樹』は、『保全状態セキュアモード』に入っています。不用意な聲で、魂を損なわないようにと』

『つまり、今のお前は、何もできない非力な仔竜のまま、ってこった』


 たった一の変化、でも、ゼロではない。

 俺は知っている。そのたった一点でも、なにかを変える力になることを。


「戻ろう、みんな」

「戻るって、どこにだい?」

「俺に力はない。でも、できることがあるかもしれない。悠里に力を貸すんだ」

『いい加減にしやがれ! 頭沸いてんのか!?』


 グラウムの怒声が、スマホ越しに大気を震わせる。いら立ちと焦り、いつもの余裕は少しもなかった。


『相手は好き放題、全世界を核攻撃するイカレた暴君だぞ!? 聲も使えないオマエが、機関銃の前で、何秒原型を保ってられると思う!?』

「それでも、この世界を」

『今のお前はドラゴンだ! 勇者じゃねえ! ドラゴンはテメエの貪欲に従って』

「だから、それが俺の貪欲だよ」


 焚火の向こう側に、失いたくない人たちが座っている。

 今や世界は魔王の毒牙に掛り、死に瀕していた。逃げた先にあるのは、病毒が溢れかえる死の大地モラニアだろう。

 逃げ場はない。逃げ場がないなら。


「俺の仲間を、好きな人を守るんだ。それが俺の貪欲だ。俺は間違ってるか、グラウム」

『……その仲間が、お前の安全以外を、守る気がないとしたら?』

「え……?」

『オレは主様の命令に従うだけ。それがこの体と舌の代わりに結んだ、絶対の契約だ!』


 それは大地に根差す、山のような頑固。

 黒い小竜の叫びに反応して三人の表情が消えていく。やはりグラウムの聲はみんなを縛っていた。自分という『最重要データ』を保存するための、操り人形に変えていく。


「や、やめてくれ! こんなの、俺は望んでない!」

『現状維持と情報の保全、それが俺の四竜としての役目。だから、お前が帰りたいって言うまでは、どんなことをしてでも!』

『それが壊れたデータであれば、話は別だな。グラウム』


 涼やかで穏やかな声が、場の空気を薙ぎ払う。

 ソールはただただ冷静に、現状を同僚に告げた。


『セキュアモードを解除しないまま帰還させたところで、それは異常が発生した、壊れたデータだ。死体を持ち帰るよりなお悪いぞ』

『ソール……テメエ、昔のヘキが疼いたか!? なりそこないの英雄オマエの夢を、こいつに背負わせる気かよ!』

『聞かなかったことにしよう。少なくとも、精神的な改善が見られた結果、侵蝕率にも変動があった。この時点で実験を継続し、回復に努めるのも俺たちの役目だと思うが?』


 何かが壊れる音が、向こう側から届いた。

 それから、呻くような声が続いた。


『そいつが死んだら、元も子もねーんだ! 分かってんのか!?』

『だ、そうだが?』

「……"汝の欲するところを成せ"、おっさんの最後の言葉だ。俺は」


 たとえそれが、道端の石ころに掛けた、戯れの一言だったとしても。


「俺は自分の心に従って、ここで生き抜いてやる。だから」


 遥か彼方の天界で、こちらを見つめるグラウムに叫んだ。


「竜洞の四竜、グラウムに命じる! 竜神と俺の契約に基づき、力を貸せ!」

『――ああ、わかったよ。そんな仰々しく言うんじゃねーって』


 その声はもう怒っていなかった。呆れ、やわらぎ、うまいものを食った時と同じ声音に戻っていた。

 それから、お返しのように、仰々しく述べた。


『竜洞四竜が一つ柱、"喪蓋"のグラウマグリュス、我が主との盟と、汝の招請に従い、全霊の助力をここに誓わん――これでいいか? ワガママ坊主』

「みんなに掛けた聲は」

『もう解いたよ。って、なーに笑ってんだソール?』


 不満げな同僚の言葉に、赤い小竜は上機嫌で揶揄を口にした。


『お前の方も、だいぶ入れ込んでいるようなのでな。俺のことを言えた義理か』

『こりゃオレのヘキだよ。喰ったもんは決して忘れない、うまかったもんは、なおさらな』

「えっと、そういうわけだから……みんなは」


 竜の呪縛から抜け出した三人は、むっつりとこちらを睨む。どう言ったらいいか、むしろみんなを巻き込むのは。


「ほら、早く命令しとくれ。時間がないよ」

「で、でも」

「天の竜たちの助勢が得られるなら、貴方はすでに非力な仔竜ではない。"英傑神"の勇者殿も心強く思うはず」

「さっきも言いましたけど、一人でなんて行かせません! 第一、今のコウジは空も飛べないのでしょう? 私がお連れします!」


 本当に自分は、無くしてから気づくことが多すぎる。

 みんなは頼りになる仲間で、最高の勇者パーティだったんだ。


「ソール、グラウム、悠里に繋いでくれ。俺にできることがあるかって」

『すでにヴィトから打診済みです。お前はまず、ジェデイロ市街跡地へ向かいなさい』

「お前、ね。ようやく調子が戻ったか。ついでに契約しとく?」

『調子に乗るな』


 それはいつも通りの、厳しいソールの声だった。


『ここからは総力戦だ。無いなりに知恵を絞りなさい、それが、お前の役目です』


 頷き、仔竜は空を見上げた。

 宵闇の向こうに、あくる朝の曙光を求めるように。



 草の寝床にも慣れたのか、カーヤは火灯りに照らされながら眠っている。

 たった数日の付き合いだが、余りにも振り回されすぎて、ずっと一緒にいたような気さえしていた。

 それでも、状況は悪いままだった。


「サリア、モラニア、コボルトたち、だいじょぶか?」

『なんとも言えぬ。お前たちはことさらヤマウニを避けていた。であれば、少しは違うとは思うが』


 まさか、面倒な害獣程度だったものが、死病を撒く魔獣だとは思っても見なかった。そういえばリンドルが襲われた時、投げ込まれたのもヤマウニだったはず。


「ヤマウニ、病気、撒く。だから、ベルガンダ、村、攻める。ヤマウニ、入れた」

『ああ、あれはこの事態を想定しての、予行演習だったのか、あの"魔王"めが。どこまで狡猾で悪辣で、周到なのだ』


 カーヤは眠っている。今のところ、なんの問題もないが、もしこの山にも、あの魔獣たちがいたら。

 おそらくこの地上に、安堵できる場所は残っていない。


「サリア、悠里、言ってくれ。俺、戦う」

『……良いのか?』

「モラニア、病気、撒かれた。今行く、無理。それに」


 シェートは奥歯を噛みしめ、森の奥を見据えた。

 そこにあるのは焼け落ちた村。皆殺された、魔王の試し、ほんのきまぐれで。


「"魔王"、狩る。俺、忘れてた」

『分かった。では、悠里殿には私から』


 サリアの声が途切れて、暗がりからグートが進み出る。

 その口に、土で汚れた鞍袋を咥えて。


「グート……お前」


 捨てたはずのそれを咥えたまま、星狼は静かに見つめる。

 両手を伸ばし、シェートは鞍袋の中から、銀の腕輪を取り出した。

 それから、問いかけた。


「手伝って、くれるか?」

「くぉん」


 鼻を鳴らし、鞍袋を押し付けてくる。それだけで十分だった。

 頭と頬を撫で、それから左腕に腕輪を着ける。

 そして、夜空を見上げた。

 討つべき者の姿を、探し出すように。



 宵闇に、二つの灯が点っている。

 その輝きの下、消えかけていた二つの意思が、燃え上がろうとしていた。

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