15、惑い人、探し人、狩人
誰もいなかった、味方は誰もいなかった。
俺の味方は、誰も。
『キッショ』
『ヤベー』
『ナイワー』
言葉でさえない、鳴き声のような言葉。
『くんなよ』
『うぜ』
『……』
沈黙と拒絶が、どこまでも続く。
『わかんね』
『知らんし』
『自分で考えたら?』
その理由を問いかけても、誰も答えない。
それから続く、笑いと暴力にほど近い小突き。
『え、やんの?』
『ぼうりょくはんたーい』
『うわこえ、殺されるー』
抵抗しようとすれば、逃げられる。
そんなつもりはないのに、自分ばかりが責められる。
『君の勘違いじゃないの?』
『やられる方にも理由はあるぞ』
『困るんだよ、そんなこと言われても』
大人も、味方じゃなかった。
この世の中は、公正でも平等でもない。
でも、それより辛かったこと。
『次は、モップとかつっこむと、いいんじゃないかな』
自分の善意を、全てを、否定されたことだった。
ああ、なんて世界は、不公平で、不道徳で、どこまでも――。
「ユーリさん!」
のぞき込む猫のような顔に、体がこわばる。それが、イフの素顔だと思い返し、ゆっくりと息を吐いた。
「ここは?」
「ジェ、ジェデイロ、のずっと北の、フディン山の、洞窟です」
「街は? 魔王は?」
途端に、イフは顔を逸らし、ローブを固く巻き付けて立ち去ってしまう。その後を受けて、コスズが水の入った袋を持って入ってきた。
「まずこれを飲め。話はそれからじゃ」
「……被害は?」
「聞けば、後悔するぞ」
水を口にして、ゆっくり飲み降す。体が衰弱したときこそ、水分はゆっくりとる。
呼吸を静かに整え、水を飲み、体の状態を意識していく。
熱があるのは、肩にある治療痕のせいだろう。たしか、シャーナの右手が、魔王城の攻撃で吹き飛んで。
「シャーナは!?」
「……それも含めて、後悔するぞ」
「たとえ後悔したって、聞かなきゃダメだろ。俺は、勇者なんだから」
エルフの娘は肩をすくめ、片手を差しだした。
「外に出れば、様子が見えるじゃろう。そこで、全部話す」
どうやら、一日以上寝たきりだったらしい。足元がふらつくが、コスズの助けを借りて洞窟を出る。"英傑神"の勇者に自動回復の加護はない、仲間たちの看護のおかげで、命を取り留めたわけだ。
そして、悠里は目の前に広がる惨状を把握した。
壮麗な胸壁を誇っていたはずの、城塞都市ジェデイロは、東側にわずかな残骸を留めるばかりの、廃墟と化していた。
「……街が、ジェデイロが……ない」
「儂らが撃ち落された後、魔王は容赦なく『れーるがん』で、市街を焼いた。その後『せんしゃ』とかいう、鉄の車が全てを引きつぶし、爆炎ですべてを砕いた」
戦車、とはつまりあの戦車のことだろう。そんなものまで魔王は創り出し、その力で街を滅ぼしたのか。
「奴めは言った。人間は捕虜にせず、皆殺しにすると。その言葉に嘘はない、事実、ジェデイロから逃げ出した民たちが……発見され次第、狩られておる」
「そ……そんな!」
「保護のために、残った騎士を集めてフランが走り回っておるが、『きかんじゅう』やら『しりゅうだん』やらがあるせいで、思うように動けんらしい」
異世界物のアニメやラノベでも、ときどきそういう話はある。近代兵器を使って戦争を勝ち進む主人公の話が。
だが、この世界では、ファンタジーの首魁とも言える魔王が、近代兵器と戦術を使って人々を蹂躙していた。
「そ、それだったら 今すぐにでも魔王を!」
「……無理じゃ」
「シャーナは?」
「無事、でもあるし、無事でないとも言える。少なくとも今は、無理じゃ」
そう言えば、さっきから仲間の姿が見えない。
イフとコスズは無事、フランは任務中なのはいいが、シャーナとグリフの姿がない。
「コスズ、グリフは?」
「…………」
「う、うそ、だろ。なあ、コスズ!」
「おお、ユーリ、起きたのか!」
のんびりと声を掛けてくる無精ひげの男と、こちらに背を向けて笑いをこらえるコスズを見かわし、悠里は絶叫した。
「そういう冗談は笑えないって!」
「いや~、すまぬすまぬ。せっかくじゃし、このアホ男は死んだことにして、儂らだけでユーリを盛り立ててゆこうかと」
「勇者ユーリ、一の仲間を、つまはじきにしようたぁいい度胸だな。このババア作りのガキエルフが!」
「バ、ババア作りとはなんじゃい! 儂はこれでもまだ十八――いや、それであってるのじゃが!」
あまりにくだらないやり取りに、少しだけ気分が和らぐ。街の惨状は目を覆いたくなるが、それに囚われることには意味がない。
ひと段落付いたところで、悠里は尋ねた。
「それで、シャーナは?」
「ここよりもっと奥にある、谷あいのくぼ地で養生中じゃ。一応正気を保っとるが、一昨日までは……儂らまで殺されるかと思ったわ」
「ユーリの容態を話してやって、何とか持たせたようなもんだ。ま、お前が起きて話しかけてやれば、元に戻るだろ」
妙な会話の成り行きに、悠里は眉をしかめた。
そもそも、命に別条がなければ、シャーナこそ俺の側にいるはず。それが、度を失うほどに感情を爆発させたということは。
「もしかして、ドラゴンたちに何か、あったのか?」
途端に、二人は空元気を消して、沈痛な面持ちになった。
それから、コスズは無言で、はるか南の空を指さした。
空は薄曇りで、妙にぐずついた天候だ。というか、全体的に空が妙な色合いで、穢されているように思えた。
一分、二分、そして気が付く。
「……竜の峰が、ない!?」
「これが一番、ユーリがショックを受けるじゃろうと、例のヴィトが言っておったな。落ち着いて聞いてくれ」
語りたくもない、忌まわしい言葉を口にするように、コスズは事実を語った。
「『せんじゅつかく』とやらによる、長距離の攻撃。それによって、竜の峰は、跡形もなく蒸発したそうじゃ」
めまいがして、片膝を突く。
仲間たちが支えてくれるが、これはとても、すぐには受け止め切れなかった。
熱核兵器による長距離攻撃。
その事実の意味するところを、仲間たちは知らない。そして、悠里はすぐに理解した。
魔王は文字通り、世界を滅ぼし得る存在だということを。
山間を貫く山道を、馬に乗った一行が行く。
その誰もが口を開かない。隊列の中央にいる、青い仔竜と少女でさえも。その全てを眺めるアクスルは、仔竜の沈黙を見つめていた。
自分たちの元勇者で、今は竜たちの力によって姿を変えられた存在。
「昼もだいぶ過ぎました。ここらで休憩にしましょう」
「そうだね。そら、アンタたちも手伝いな」
赤毛の傭兵魔術師に率いられ、三人が河原へ降りていく。
まるであの頃のようだ。
「いいや、ちがうな」
確かに彼は青いが、その青は本来、鎧の青であったはずだ。神の祝福を受け、あらゆる攻撃をはじく鎧を身に着けた少年。
どこか生意気で、それでいて素直で、好奇心が強く、良く笑っていた。
「ごめん、ちょっと待ってくれ。安全か調べるわ」
仔竜は水際に胸の機械を近づけ、それから頷いた。
「いいぞ。この辺りはまだ『きれい』だ」
「……やれやれ、目には見えない毒、か」
三日前の魔王の攻撃を見て以来、彼や天上のドラゴンたちは、神経質になっている。水源だけではない、空模様をひどく気にしていた。
『放射性降下物、あなた方には『目には見えない厄介な毒』とだけ言っておきましょう』
その声はこわばり、愁いを含んでいる気がした、ドラゴンの感情は分からないが、竜たちの峰が跡形もなく消えたことに、関係しているかもしれない。
『ケデナを離れれば、とりあえず忘れていただいて結構です。ここに留まるにしても、竜の峰は百キロ以上離れていますし。風向きと天候さえ気にしていれば問題ないかと』
そんな注釈を入れた竜に、少年は鋭く訂正した。
『あいつが『二発目』を撃たない限りは、だろ』
おそらく、竜となった少年は、正確に魔王の脅威を理解している。
一度は城の深淵にたどり着き、魔王その人と対峙したという彼は、あの悪辣な宣言の全てに、怒りと憤りを覚えていた。
「んじゃ、適当にちゃっちゃっと作るか」
「なんだいアンタ、料理なんてできないだろ?」
「こっちに来て、いろいろ――できるように、なったんだよ」
感情を取りこぼしたように、彼は手にした小刀で、鍋に材料を切り落としていく。それでも見事なもので、火の加減を見ながらパンを温め、山菜で小皿料理さえ作っていた。
「はい、できたぜ。雑で適当なのはかんべんな」
「いや……ほんと驚いたね。こりゃ、ちょっとした料理屋の飯だよ」
「い、いただきます!」
「かたじけない」
味は申し分なし、むしろ旅先でこんなものを食べられるとは思わなかった。煮込みは味も良く、歯触りのいい、草の根のようなものが入っていた。
「す、すごい、おいひい……ありがと、ございまふ。んぐんぐ」
「三人で旅してた時は、もっぱらあたしが炊事でね。リィルに任せたら、食材を焦がすわ鍋を壊すわ、悲惨だったよ」
「い、言わないで! 必ずエルカや、コウジにも負けないぐらいの、料理を作れるようになりますから!」
リィルの顔はすっかりやわらぎ、険が取れていた。手の無骨さも少しずつ消えて、かつての繊手を思い起こさせた。
そうだ、彼女の笑顔を取り戻すことが、本来やるべきことだったのだ。
「なんだい騎士様、にやにやして」
「いや、実にうまい鍋だと思いまして。特にこの根がいいですな。こんなもの、どこで見つけてきたのですか?」
「ああ、それは俺が好きだからって――」
アクスルは失言を悟った。
考えればわかることだ。我々が口にしている、我々が知らない料理。それを教えたのは一人しかいない。
「そういや、グルーの港って、あとどのぐらいなんだ?」
料理から顔を逸らすと、仔竜の少年はわざとらしく話題を変えた。それに気づかないふりをして、エルカは山道に目を向けた。
「この山道を三日ばかり行ったところさ。アタシがモラニア行きの船に乗る頃、ちょうど"海魔将"の封鎖が解けて、行き来が自由になってたんだよ」
「そういえば不思議ですね。"海魔将"は南洋群島を十年近く治めた、強力な存在という話でしたのに、いきなり勢力が失われてしまって」
「あんな【神規】じゃ、しょうがねーよ。日美香の能力には、俺らも――」
今度はエルカが顔をしかめる番だった。
人の心の機微を知る彼女も、さすがに彼の柔らかい部分を避けて、心やすい会話を続けるのは不可能だ。
結局、不自然な沈黙のまま食事は終わり、それぞれが役目を果たすばかりになった。
「ごめんな」
その言葉にリィルは苦痛に顔を歪め、あえて何気ない振りで、エルカは仕事を淡々とこなす。その中で、私だけは何もできていない。
朴訥で朴念仁で、剣の腕前しかない男だ。
であれば、自分は自分のできることをするしかない。
「参りましょう。先導はお任せあれ」
何度言ったかもわからない出発の合図を告げると、アクスルは山道を進んでいく。
空は、穢されたように薄曇りだった。
「いらない!」
何度目かの絶叫に、シェートはげんなりしていた。
ボロボロの服を着た人間の少女。いつもふくれっ面で、こちらのやることなすこと、全部が気にくわないという。
「……飯、食わない。腹、へるぞ?」
「いらない! おっかあのごはんたべたい!」
コボルトの食事は確かに人間の口には合わないだろうが、それでも食べなければ死んでしまう。
『カーヤよ。わがままは止めて』
「いや! さりあきらい! しぇーときらい! おっかあ、おっかああああああああ!」
『ど、どうする!? ここまできかん気な子供は久しぶりだぞ!』
「……俺も。シュレハ、すごかった。カーヤ、もっと、すごい」
焼け落ちた村を出て、山奥に避難したものの、村人らしい姿はどこにもなかった。
結局、ただ一人生き残った、カーヤという少女を連れて、野宿をすることになったのだが、これが思う以上の難物だった。
さすがに腹が減るのか、用意した木の実ぐらいは食べるが、それ以外は口にしようとしなかった。
慣れ親しんだ食事が恋しいのと、コボルトである自分に警戒をしているのだろう。
「なあ、カーヤ、おっかあ、どんな飯、作る?」
「カーヤ、ツチツチ、たべたい」
「……俺、それ、知らない。ツチツチ、どんなだ」
「おいしいの! ツチツチ食べたい!」
ようやく要求が出たと思えば、今度は本人しか知らない料理の名前が出た。村人がいれば話も聞けただろうが、色々な意味で無理な話だった。
だが、サリアの方はもう少し、こういうことに心得があった。
『カーヤ、ツチツチはあったかいか?』
「うん。ツチツチ、あったかい」
『カーヤ、ツチツチはしょっぱいか?』
「んー、ツチツチ、しょっぱくないよ。でも、しょっぱい!」
『ではカーヤ、ツチツチを作る時、おっかあは『ちょっとまってて』と言ったか?』
少女はにっこりと笑い、両手を上げて飛び上がった。
「うん! もうちょっとまってなって、それでカーヤ、ちょっとまってた!」
『なるほど。分かった』
シェートは首を傾げ、目の前でドングリを転がし始めたカーヤを眺める。何事か呟いていたサリアは、耳打ちするように言った。
『おそらくだが、ツチツチは煮物、特にその中に入っている具材だ』
「そ、そうなのか?」
『作るのに時間がかかり、あったかく、しょっぱいがしょっぱくない。なによりツチツチというのは、作る時の音だろう』
「あ……カーヤ、ツチツチ、作る時、離れてろ、言われたか?」
キョトンとした顔をした少女は素直に頷き、両手で何かを持つ真似をした。
それをこねるよう動作を付け加えて。
「ツチツチ、つくるのあぶない、まってなって」
『おそらく小麦、草の根、どんぐり、この辺りだろう。とはいえ、地方独特の植物の場合は、お手上げだが』
「分かった」
小麦はいくらか持たせてもらったし、どんぐりも北の大陸から持ち出してある。木の根に関しては探せばなんとかなるだろう。
後は作るための道具だが。
『シェート、一つ頼みがる』
「どうした」
『……カーヤの母親の墓を、造ってやってくれ。いつか、あの子が会いに行けるように』
頷くと、カーヤの手の上に、青い木の実を十粒置いた。
「なあに、これ」
「おやつだ。カーヤ、サリア、縄目作り、一緒、遊べ」
『これからシェートはツチツチを作る材料を探してくる。その間、私と遊んでいよう』
「……いっちゃ、やだ」
シェートは少女の掌の上の粒を、指さす。それから昔、兄弟たちに留守番を頼む時のことを思いだしながら言った。
「縄目、十、作る。できたら、ほどく、青い実、一粒、食べろ。全部食べる、俺、帰る」
「ほんと? たべたら、かえってくる?」
「十、縄目つくる、そしたら、解いて、一粒な。できるか?」
「……うん」
つたで作った縄をカーヤに渡し、その端っこに結び目を作ってみせる。遊びとご褒美、この二つがあれば、短い間の留守番ぐらいなら、何とかなるものだ。
とはいえ、あまり時間は掛けたくない。カーヤが怖がるのでグートは姿を見せないように言ってあるから、何かあった時は手が遅れてしまう。
身支度を整えると、シェートは駆けだした。
『ところで、シェート。伝えておくことがある』
「なんだ?」
『悠里殿が目を覚ましたそうだ。命に別状はない』
「そうか……よかった」
木立を抜け、斜面を下り、焼け残った村の跡地に出る。すでに腐肉を漁る鳥たちが村のあちこちに舞い降りていて、腐臭がきつくなっていた。
「すまん。カーヤ、おっかあ、それだけだ。いいか?」
『そうだな。お前ひとりでは、すべて弔うなど無理だろう。頼む』
井戸の近くに倒れていた死体に手を掛け、その脇腹がひどく傷ついているのに気づく。
その上、左の顔と肩口が焼けて、おそらく即死に近かっただろう。その背後に当たる地点には、大きく歪なくぼみが出来上がって、そこを中心に炎が広がったのが見て取れた。
『この村は、魔王城からの攻撃によって潰されたそうだ』
「なんで……?」
『試し撃ち、ということらしい。ジェデイロ市を焼き尽くす前の、弓の威力を確認するようなものだと』
なんだそれは。
この光景を生み出した理由が、ただ調子を見るためだというのか。
思い出す、劫火の光景を。自分の村が焼かれた瞬間を。
その中でたった一人、生き残った自分を。
「……サリア、カーヤ、家、わかるか?」
『お前の右手奥、焼け落ちてはいるが、いくらか雑貨も残っているようだな』
素早く駆け寄り、崩れたがれきを押しのけて残されたものを漁る。
壺や小刀に混じって、大きな鉢が見つかる。おそらくこれで、ツチツチを作っていたのだろう。
袋の中に収めると、カーヤの母親だったものに蔓を掛け、燃え残った板の上に乗せて引きずっていく。そうしてしばらくすると、村のはずれに小高くなった場所を見つけた。
人間たちの弔いは分からないから、コボルト式にすることにした。
なるべく掘る穴が小さくて済むように、体を折り曲げて両足を両手で抱く形にまげ、それをひもでくくった。
掘った穴に横たえて、埋めていく。そういえば、こんな風にしてあの時もみんなを、埋めていったっけ。
その時、シェートの喉が小さく、うなるような韻律を上げた。
『……それは?』
「弔い歌」
それ以上説明する気はなかったが、サリアは黙って、終わるまで待っていた。短い、単調な繰り返し、泣きながら、慈しみながら、死者に送る時の歌だ。
そういえばあの時、俺は歌っただろうか。
何もかもがおぼろげで、思い出すことさえできなかった。
「終わった。カーヤは?」
『かんしゃくだ。早くしてくれ、もう押しとどめられぬ』
「分かった」
袋を手に、シェートはカーヤの待つ場所へ駆け戻る。
母親の墓を勝手に作ったことを知ったら、あの子はどう思うだろう。そんなことを考えながら。