14、きらめくもの、天より堕ち
さいしょ、あつかった。
そのあとで、いたかった。
のどが、きゅってなって、なみだいっぱいでた。
「お、おっかあ、どこ……」
いえ、火でいっぱい。みんなもえた。かべもやねも、ほしたおいもも。
まわりがぜんぶ火。あつい。
「や、やだ、おっがぁ! おっがああああ!」
あつい、あつくてこわい。あし、あつい、おそといきたい。
「カー……ヤ」
「お、おっがあっ!?」
こえがする。おっかあがいる、あついのこわい、でも、おっかあ。
「んううっ、うああああああああああああ!」
すごくあつい。ぎゅっとめをつぶる。はしる。おっかあ、どこ。
「か……ぁや」
「おっかあ!」
おっかあいた、いどのとこ。おっかあ、こわかった、おっかあ。
ぎゅってする。でも。
「おっかあ……おっかあ……ねえ、おっかあ」
おっかあ、べたべたした。まっか、おなか、ちが、いっぱい。
「お、おっか、あ、あ、おっかあ! おきて! おきて、おぎてぇ!」
おっかあ、かお、いたそう。はんぶん、まっくろ。
いたいの、おっかあ。おきて。
「あぅあ、おっが、おっがああ、おっがあああぁぁぁあああああ!」
まわり、ぜんぶ、火になった。
みんな火になる。
おうち、うしごや、はたけ、みんな。
「やだ、おっかあ、おっかあああああああああああ!」
「おい!」
だれか、しらないひと。
ちがう、ひとじゃない。
こいつ――まもの。
「お前、来い!」
「ひ、ぐ……や、やだ……」
しってる。まもの、こわいの。
いぬ、そっくり、コボルト。
「やだ、こわ、あ」
「……っ!」
ぎゅってひっぱられる。
からだ、ぎゅってされた。
こわい、へんなにおい、たべられる。
「やだぁ! やだ、やだやだやだ、おっがああああああああ!」
「黙れ! 息、するな!」
こわい、すごくこわい。だんだん、あついの、なくなる。
でもこわい、火のおと、とおくなる。
「よし……だいじょぶだ」
こわいの、ぎゅっ、しない。
火、なくなった。もりのなか。
「サリア、他、いるか」
コボルト、いってる。だれ?
『見える限りには……どうやら、その子だけ、らしい』
だれ、だれのこえ。
「分かった。お前、名前は?」
どうしよう。まもの、こわいの。にげる、おっかあいってた。
でも、おっかあ。
「おっかあ! おっかあ、おっかああ!」
「ダメだ! 村、焼けた! お前、おっかあ、死んだ!」
「やだあ、おっがあ、おっがあああああ!」
ぎゅって、コボルト、つかまえられる。
やだ、こわい、たすけて、おっかあ。
でもおっかあ、おっかあは。
「ダメだ! 行くな……お前、死ぬ……だから……っ」
「お、おっが、おっがあああああああ」
あついの、こわいの、やだ。
でも、おっかあ。しんだ。もういない。
おっとうと、おなじ。
「やだぁあああああ、おっかあ、おっかあぁああああああ!」
おっかあ、やだ、きて。ぎゅってして。
ねえ……おっかあ。
おっかあ。
まだ、肺の中に、煤の香りが残っている。
それでも歩きだす。逃げなくては。
気が付けば、自分と同じような姿の連中が、足を引きずるようにして移動していた。
ジェデイロから南へ伸びる街道は、ドワーフやエルフの支配域に続くため、舗装もなくて轍ででこぼこしていた。
気が付けば、夜が明け始めている。
ぼんやりと顔を上げた、その時。
「ひいっ!?」
「ま、また! アレが来くるぞおおおおおおっ!」
誰もが振り返り、それを見た。
空が割れる。炎が舞う。そして、耳を潰すような轟音。
それはもう、街ではなくなっていた。
彼方に浮かぶ魔王の城から、無数に投げつけられる『力』。それが胸壁を跡形もなく粉砕し、市場を、兵舎を、市庁舎を、屋敷を、家を、貧民街を、区別なく焼き砕いていた。
魔法としか思えない、魔法を超える力。
壁に仕掛けられていた護りを引き裂き、必死に火消しをしていた魔術師やエルフを砕き散らせ、避難誘導をしていた騎士たちやドワーフが、為す術もなく殺された。
「なんなんだよ、これは」
神の勇者が、"英傑神"の勇者ユーリが、救ってくれるんじゃなかったのか。
『先ほど、諸君らの頼みにしていた勇者殿が、我が航空部隊に撃退され、墜落された』
魔王の宣言が響く。わからない。
騎士たちが叫んでいた、勇者を信じろと。わからない。
もう街は駄目だ。わからない。
だが、俺の家のすぐ前、友達のメイラの家が吹き飛んだ時、全部わかった。
「この世の、終わりだ」
自然と口を突いて出た言葉に、みんなが俺を振り返る。
その視線に耐えかねて、頭を下げて歩き出す。
誰もが顔を上げない。
その理由は、一つだ。
「まだ、消えないのか」
それは、キノコのようにも見える、黒く巨大な雲の柱。もしかすると、煙なのかもしれないが、何もわからない。
あれを目に入れたくない、あの不吉を視界に入れたくなかった。
そんなことよりも、早く逃げなくては。
北はダメだ、東も西も、魔王の力で焼きつぶされた。
残るは南、あの雲のある方向へ、逃げるしかなかった。
そう思い、再び歩きだそうとした時。
『おはよう、勇者とそれに与したジェデイロ市の諸君――いや、焼け出された難民諸君』
誰もが悲鳴を上げ、周囲を見回した。
あの声が降るたびに、世界が悪くなる。世界が壊れていく。
街も、人も、日々も、穏やかさも、すべて消えていく。
『一夜明け、我が教導に付き合った諸君には、そろそろ理解できたことだろう。近代戦とはかくも無慈悲に、諸君らを滅ぼし得ると』
その通りだ。
俺には魔法は分からない、神も信じてないし、勇者だって、居てもいなくてもいいと思っていた。
だが、魔王は違う。
魔王は言葉を力に変える。その力で俺たちを打ち、無惨に殺す。
その事実は、誰にも覆せない。
『だが、まだだ。近代戦の最終段階が、まだ済んでいない』
嫌だ、やめろ、やめてくれ。
『古来より、戦の終局とは、つまるところ『征服』だ。敵の所有物を、土地を、人々を、その掌中に収めてこそ、終わりが迎えられる』
もういいじゃないか。俺たちには何もない。
家は燃えた、家族は死んだ、友達も仕事も、生きるべき場所も何もかも失った。
『ああ、誤解のないように言っておこう。我ら魔族は、貴様らを『必要としない』。捕虜も奴隷も、食料としても不要だ』
わからない。いや、わかりたくない。
俺たちが要らないなんて、言わないでくれ。だって、だってそれじゃあ、お前は。
『降伏は無意味だ、服従は不要だ、隷属など反吐が出る。俺が諸君らに求める、戦の最終的解決、それは』
止めてくれ、言葉にしないでくれ。
お前が言葉にしたら、俺たちは。
『一切鏖殺、貴様らの血も肉も、この地上から消し去る。それが俺の望む『征服』だ』
ああ、すべてわかった、わかってしまった。
あの言葉からほとばしる、俺たちへの強烈な憎悪を。
そしてやってくる、地を揺るがす死の轟音も。
『爆撃、砲撃、戦闘車両による制圧、これらを十全に完遂し、その上で投入されるもの』
黒い金属の塊が、壊れた胸壁の門から吐き出される。
その後ろから、波のように沁み出てきたのは、黒い装束を身に着け、片手に奇妙なものを掲げた『兵士』たち。
『世界最古の兵科たる『歩兵』、その進化の精髄『機械化歩兵』だ。存分に味わえ』
そいつらは手にしたものを構え、こちらに突きつける。
手前の者は片膝を突き、その後ろの者は片腕を支えにして、それを向けた。
わからないが、わかった。
それがお前たちの――。
『大隊、撃ち方、始め!』
魔王が叫ぶ。
みんなが逃げまどい、耳をつんざく音共に、バタバタと倒れていく。
そして無慈悲な実感が、俺のあたまを――
「撃ち方、止め」
一斉に兵士たちが構えを解いた時、処理は終わっていた。逃げ遅れた市民たち、その虐殺の映像が、従軍記録官によって撮影されていく。
「映像は情報部に回せ。魔界へのいいプロパガンダだ。嗜虐心をそそられた小心者のクズどもが、次期魔王を目指して色めき立つだろうよ」
「了解しました。ところで……恐れながら、申し上げたいことが」
「どうした"秘書官"」
生真面目な"秘書官"殿は、こちらの顔を色を伺うように問いかけた。
「先ほどの宣言ですが、やはり問題では」
「魔王は人を資源と見なさない、か?」
「吸血種や魔神種の方々は、快く思わないでしょう。食事の問題ですから」
「ああ、あれはブラフだ。というか、一種の呪詛だな」
差し出されたコーヒーを口にして、魔王はモニターの映像を眺める。
南門、人間が無数の弾丸によって引き裂かれ、兵士たちは意にも介さず、集合と状況確認を行っている。
西門、山岳地に近い狭小のエリアは、今や焼けた木々と、詰め所を与えられていた魔術師の焦げた死体だけが残るだけ。
東門は比較的無事だったが、そちらに詰めていたドワーフの連中は、すでに撤退済みだった。無用な力を使う意味はない。
そして、土台さえ残っていない北門跡地には、敗残の兵が、旗竿を立てて集結しつつあった。
「ああいう風に言っておけば『あれは嘘だ。貴様だけは助けてやろう』という甘言が、絶大な効果を発揮する」
「なるほど。締め付け、緩ませ、また締める。占領統治や拷問の手口ですね」
「とはいえ、半分は本気だ。俺はヒトを殺す、一切の区別なくな」
どうやら、地上の配置は終わったらしい。翻る旗は赤く、一部青が混じっている。
その一部が居残り、土塁や馬房柵、崩れた胸壁のがれきを使って、出入り口を塞いでいった。
くすくすと笑うと、隣の男にテストを行う。
「連中の動きをどう見る」
「残された魔術師、騎士、有志のドワーフやエルフによる、この城への逆侵攻。地上部隊が南門に移動しているこの時を、好機と考えたようですね」
集団の中には、巨大な凧を背負った姿がある。なるほどあれを、風の力で飛ばそうというわけだ。
やはり魔王城を空に浮かべて正解だった。
ああいう、バカみたいな姿を見て、笑えるのだから。
「焼け残った市街にも、騎士たちが伏せているようです。爆撃後の市街における掃討戦、視界不良による部隊損耗が懸念されますが」
「現地抵抗勢力への対処を体系化しておきたい。経験を積むにもいい機会だ。戦車隊は南門の封鎖を行え。歩兵大隊に通達、『安全に留意し、狩りを楽しめ』以上だ」
どうにか、地上の敵部隊も準備は終わったらしい。
騎士が護衛を務め、魔術師たちが姿消しを施し、エルフたちが霧を呼んで視界を閉ざそうとする。
その全てが無意味だというのに。
「レーダー索敵、正常に機能中。侵攻中の部隊、魔王城との距離、約二.二キロ。レールガンの有効射程外に入ります」
赤外線、音響ソナー、電磁気投射、魔術感応、この基地に組み込まれたあまたの探知能力は、汎世界でも指折りのものだ。
これらをすり抜けられるであろう『聲』の使い手もいないのでは、裸同然だ。
満足して頷いた"魔王"は、傍らに置いていた一冊の本を開き、たどり始めた。
『戦争から、きらめきと魔術的な美が、ついに奪い取られてしまった』
赤の騎士団をまとめる男が、前線にて声を枯らし、人々を鼓舞する姿。その背後では、崩れ去った都市の中で、殿を務めた騎士たちが、銃弾に打ち倒されていく。
『アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった』
地上の光景を見つめる、オペレーターたちの顔は冷ややかだ。映像の光景には、もはやゴブリン特有の、旺盛な嗜虐心を呼び起こす力もなかった。
時折、戦況を告げる声だけが、飛び交うのみ。
『これからの英雄は、安全で静かで物憂い事務室にいて、書記官達に取り囲まれて座る。
一方、何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。
これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、一般市民全体を殺すことになるだろう』
都市制圧の兵士たちは素早かった。
銃列を並べ、榴弾投擲によって粗末な土塁を引き裂き、算を乱した連中を、劣化ウラン弾による貫徹で、打ち倒していく。
その片隅で、逃げ遅れた市民らしい影が見えたが、曳光弾の飛びかう射線に飛び出し、倒れていった。
それは無情かつ平等な、死という事実の配布。
『やがて、それぞれの国には、大規模で限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような、破壊のためのシステムを生み出すことになる』
歩兵大隊が、北門残骸周辺の騎士たちを打ち倒し、市街の掃討が完了する。だが、いまから戦車隊と合流しても、逆侵攻部隊の背後を突くのがせいぜいだ。
連中が霧と透明化に紛れてやぐらを組み、残りの者がやってくるであろう敵への守りを固める。
いじましく、なれど力強く、勇者がたとえこの場になくとも、俺という絶対の敵対者へ喰らい付こうとあがいていた。
「航空部隊、出撃せよ。害虫駆除だ、一匹も残すな」
その一切を無意味と断じる、上空に舞う航空騎兵たち。彼らが抱えるのは、無機質な金属の箱だ。だが、その中身は空対空のミサイルポッドでは、ない。
「粘性焼夷弾、投下」
ロックの外れる音共に、悲鳴のような風切り音を響き渡らせ、金属の弾頭が落下していく。地上の連中がいぶかしげに空を見上げ、それが地上に着弾した瞬間。
地獄の火焔が、すべてを飲み込んでいた。
悲鳴さえ上げず、ちぢれ、ゆがみ、奇妙な振り付けで踊りながら、焼け朽ちていく。
『人類ははじめて、自分たちを絶滅させることのできる道具を手に入れた。
これこそが、人類の栄光と苦労のすべてが、最後に到達した運命である』
そして"魔王"は本を閉じ、己が生み出した光景を、改めて眺めた。
作戦の最終フェイズ発動から、約十二時間。
人口十万人弱、開戦前夜はジェデイロ市民と派兵された軍属で十四万余に膨れ上がっていた人民の約八十パーセントが、この地上から姿を消した。
その成果を祝福するように、原子の熱が生み出した雲の柱が、空の果てに立ち昇る。
これこそが、"魔王"たる者の、為すべき仕事だ。
「魔王城に勤務するすべての士官、並びに作戦に従事するすべての将兵に告げる」
それは、地上で蠢く『人』への放送ではなかった。
俺の意を酌み、俺の願いを叶える、大事な手駒へのねぎらいの言葉だった。
「本日、ヒトマルヒトナナを以て、作戦名『ウィンストン・チャーチルの悲嘆』、成功を宣言する!」
平静だったオペレーターたちが一斉に立ち上がり、こちらに敬礼を送る。
そして、歓呼の声を上げて、互いに抱き合い、宙に資料をぶちまけた。
紙吹雪にしてはいささか大きいそれらを眺めつつ、彼は結びの言葉を告げた。
「喜べ諸君、我々魔王軍の、勝利だ」