12、開戦
夜更けに、恐ろしい音が響いた。
寝床で安らいでいた村長は、外からの叫びで目を覚ます。
「村長! 魔王だ、魔王の城が来た!」
跳ね起きると、壁に立てかけていた棍棒を手に、外へ飛びだした。すでに、自警団の若い者や、鎧を着けた騎士たちが、武器を手に身構えていた。
この村は、ケデナにある魔王城の巡回空路の途上にあり、十年もの間、こちらを威圧し続けていた。
時折、冗談のように魔物が投げおろされ、そのたびに家が壊れ、畑が荒らされ、村人が狩られている。それは屈辱であり、屈従の思い出だ。
「さんざん好き放題してくれたのお。だが、今回ばかりは儂らも、ただでは置かんぞ!」
「やめとけって村長! 年寄りにゃ無理だ!」
「抜かせ! 息子夫婦の仇だ、のこのこやってきたら……」
その巨大な岩塊が、唐突に動きを止める。
おそらくはここに魔物を下ろすつもりだろう。だが、そんなことは承知の上、村を救ってくれた勇者にも言ったが、こんなボロ村でも足止めぐらいには――。
そう思った時、
「――んぬああっ!?」
ずんっ、と、腹に響く音が全身を打った。
その音は遥か頭上、岩の塊のさらに上から伝わってきた、気がした。さらには聞いたこともない、尾を引く絶叫のような音が遠ざかっていく。
しばらくは、何も起きなかった。
だが、
「お、おい! 東の方!」
誰かが声をかけ、指を差す。森を隔てた先の、山脈が見えるあたり、轟々と燃える火柱が上がっていた。
「あ……ありゃあ、チャンナ村の方じゃねえか!?」
「う、嘘だろ! あそこには、俺の、子供が……っ!」
その言葉を聞き届けたように、大気が再び震える。続けざまに東の森の向こうで、北の街道の方で、南東の平原の果てで、火柱が上がった。
「クルア、ジーメ、アンバル……み、みんな、家族を逃がした村ばかりだ!」
暗い闇の中で、村を照らすかがり火のように、遼遠にある村々が燃えている。生き延びることを願い、死にゆく定めから逃したはずの家族たち、村人たちが、手の届かない場所で息絶えていく。
「う、うわああああああああああああああ!」
顔を上げ、村長は絶叫する。
枯れかけていた両目から涙があふれ、胸をかきむしる。
「お、降りて来い! 今すぐここに来やがれ! てめえ、魔王、てめえ! てめえ、ぶち殺してやる!」
ある者は叫び、あるものは頭を抱えてうずくまり、届かないと知りながら、手の中の武器を投げつけ、弓を射る。
その全てを無視して、巨大な岩塊が悠々と、南へと飛び去っていく。
「待ちやがれ! 逃げるな! せがれを、嫁を、孫を! てめえが! うああああああああああああ!」
村長であった男は、夜通し駆けた。
何の意味もないと、知りながら。
あくる朝、精魂を使い果たし、怨恨を刻んだ顔で横臥する時まで。
それが、勇者が救った一つの村の、決定的な死だった。
実のところ、悠里が魔王城を見るのは、これが初めてだった。
遠くを行き過ぎるのを見かけたり、その影響で死に瀕した村や町は知っているが、真正面にしたその威容に対しては、とっさに言葉が出なかった。
「ユーリ殿、私の後ろへ。今は貴方が出る時ではない」
「どうせ最初に出てくるのは雑魚どもだ。それに、あそこから魔法が飛んでくるかもしれねえ、まずは俺らが受けるのがスジだ」
普段から前衛を勤める二人が、こちらをかばうように動く。その後ろで、短く防御用の魔法を唱えるイフとコスズ。
「さっき、の市長さんのことも、あります。呪詛や、精神への、影響も、防がないと!」
「その辺りはシャーナの鼻が利くのではないか!? どうじゃ!」
「……」
いつもならまぜっかえすような言葉を告げるシャーナの顔が、渋い。しかも、こちらを一切無視して、周囲ににらみを利かせていた。
「シャーナ、何かあるのか?」
「忌々しい……あの仔竜と、竜洞めが。こんな状況を、『視て』いたというのか!?」
『さて、"英傑神"の勇者、岩倉悠里殿』
名指しの使命に、騒然となっていた人々が息を飲む。周囲の視線が悠里に集中するのを見計らい、魔王は言葉を続けた。
『先ほどの引き出物は、気に入っていただけたかな?』
「……お前が、市長を操ったのか?」
『操ったなどとは人聞きの悪い。奴は己の意志で、我らに協力したのだ』
途端に人々の声が、疑念と不安であふれかえる。その幾らかは、悠里の方に向けられていた。
『奴が明確に口にしただろう? 『魔王万歳、勇者に死を』と』
「それだって、お前が操っていないって証拠は、どこにもない!」
『そうだな。そう言われては、確かにと頷くほかないなあ、だが』
笑い、魔王は指摘した。
『今この瞬間、例えば『青のモーニック卿』が、我らに忠誠を誓い、民草を皆殺しにし始めれば、どうだ?』
「……ば、バカな! 私が、そんなことをするわけが……!」
『我が"繰魔将"の操り人形による讒訴に従い、もう少しでヴィルメロザを陥落させかかった貴様が言っても、説得力は薄かろうよ』
痩躯の騎士団長は首を振り、腰の剣を引き抜くと、絶叫する。
「わ、私は、ユーリ殿に誓って、愚かさと決別をした! そんな私が、魔王の手先に成り果てているというなら、我が命をもって潔白を!」
「やめてくださいモーニック卿! 卿をお止めしろ!」
「そうだ! モーニック卿の潔白は、俺が証明する!」
悠里は叫び、魔王城に引き抜いた刀を突きつける。かがり火の光を受けて輝くそれを、空気を断ち割るように、薙ぎ払った。
「俺はみんなを信じる! ここに集まってくれたみんなの志を! そして、俺たちの意志をくじき、不和を巻き起こす魔王を、必ず倒す!」
『……なるほど、なるほど』
それまで嬉々としていた魔王の声が、急にトーンダウンする。この場にあるすべてが、つまらないとでも言うように。
『この程度の揺さぶりで、勇者の意志はくじけないか。まあ、こういう精神攻撃は、アニメ化したとき、画面映えしないからな。早々に切り上げよう』
なにを言ってるんだ、あいつは。
思わず毒気を抜かれた悠里の目の前で、巨大な岩塊に変化が起こっていく。
分厚い岩盤がスライドし、六つの暗い穴が開く。そこから、何かがせり上がってきた。
遠くて見えないが、おそらく金属製の橋桁のようなもの。
『三分間……いや、十分間待ってやる。陣を展開し、見事俺を迎撃してみせろ』
虚空に浮かんだ巨岩の城から、魔王は悠々と宣言した。
『先行の権利は貴様らにくれてやる。ロックでもワンショットキルでも、好きなデッキで掛かってこい』
その挑発に、真っ先に反応したのは『赤のプフリア卿』だった。
「おのれ卑俗な魔王めが! 我が友、モーニックの名誉を傷つけた罪、必ず贖わせてやろうぞ! 赤の騎士たち! 青のため剣を取れ! そして魔王を地に追い落とし、世に平和をもたらすのだ!」
「……かたじけなし、赤の騎士よ! 聞け青の同胞! 我らが栄光は赤に、勝利は勇者へ捧げよ!」
不信と不安が、直情的なプフリアの言葉で洗い流され、騎士たちを始め、戦闘に加わる者たちが、それぞれが自らの陣地に移動していく。
「やるじゃねえか、プフリアのおっさん! ああいう単純なのも、役に立つもんだな」
「感心しとる場合か! ユーリ、予定はちと早いが、儂らの作戦を進めるべきでは?」
「シアルカ?」
『……そうだね。僕から指揮官たちには通達しておく、君たちは準備に入ってくれ』
その場にいる全員が頷き、一斉に走り出す。目指すは弩砲の並ぶ胸壁だ。そこから自分たちの作戦が始まる。
その中で、一人不機嫌極まりない顔をしているのが、シャーナだった。
「やっぱり、やらねばならんのか? あんなみっともない、忌々しい、おぞましい、うっとおしい作戦とやらを?」
「シャーナが頼りなんだ! この世界を救うために、俺が勇者として戦うために!」
「そう言われては、是非もない。そなたの輝きに魅せられてより、この身は汝ただ一匹の妹よ」
やがて、胸壁近くに建てられた大きな天幕が見えてくる。そこは魔法による通行止めがされており、イフの声で結界が解かれた。
「サンジャージ師匠! 準備、できて、ますか!?」
天幕に飛び込むなりイフが叫び、中で作業を進めていた魔法使いたちの長が振り返る。
削り出し水晶レンズのメガネを持ち上げ、老魔術師が親指を上げた。
「いつでも行けるぞ。あとはコイツを飛ばす『動力』が付けば完成だ」
「だ、そうです、ユーリーさんっ!」
そこにあったのは、細長いカヌーのような乗り物。両脇には革のベルトが垂れ下がり、魔術師たちが最後の点検を行っていた。
仲間たちがカヌーに乗り込み、その先頭に悠里が座る。
「しかし、なんでまた姿消しの呪文はいらんなんて言ってきた? その分、防御は厚くできたが」
「吾の判断に何か不満が? 人の魔術師ごときが」
「いやいや、滅相もない。では、後はよろしくの」
おどけた調子の老魔術師に鼻を鳴らし、それでもシャーナは巨体を顕して、革のベルトを全身に取り付けていく。
地竜の女王、アマトシャーナを動力にした飛行船。
「勇者さま! 弩弓兵位置に着いたそうです! まもなく射撃を開始すると!」
「分かった! シャーナ、『はてみ丸』、出航だ!」
「妙な綽名呼びよりましか! 行くぞ!」
ドラゴンに抱きかかえられるようにして、船が浮き上がる。仲間たちが声を上げ、天幕が聲の力で吹き飛ばされた。
その目の前で、胸壁の弩砲が、魔王の城めがけて打ちだされていく。
「時間を掛ければ負ける! 魔王が動き出す前に、城に突入するぞ!」
悠里の叫びに答え、巨竜の体が空高く舞い上がる。
その視線の先、無数の矢弾を長距離の魔法が、光の華を咲かせていく。
『しっかり捕まっておれ、振り落とされるな!』
大風を巻き起こしながら、悠里たちは闇の空を駆けた。
その時、浩二はベッドに横になっていた。勇者の壮行会に興味はない、というより、何の力もない自分が行っても無駄だ。
その代わり、ずっとリィルに寄り添い、自分のいない間の話を聞いていた。明日には自分たちもここを立ち、東の港から南洋群島回りで帰るつもりだった。
勇者、決闘、戦争、そんなのはもうたくさんだ。
そういえば、自分が初めて戦争に足を踏み入れたのは――。
『ごきげんよう、諸君』
それは空間を選ばない、魔法による音声の投射。角に響く、嫌らしくも透き通ったその口調は、忘れようとしても忘れられない。
「"魔王"!」
眠りについていたはずのエルカとアスクルが飛び起き、寝ぼけ眼をこすったリィルがこちらを抱き締める。
その拘束に苦笑しつつ、それでも流れてくる声に集中した。
『我は"魔王"。今宵、諸君らに絶望を届けに参った者だ』
「さっき魔王って言ったね!? この声がそうなのかい!?」
「ああ……くっそ、相変わらず、人をナメた声しやがって!」
「コ、コウジ、どうするのですか?」
『奴の放送を聞きましたね!? 七分十七秒以内にこの都市を脱出しなさい!』
唐突に降る声。だが、取り残されたのはリィルだけだった。浩二は用意して置いた物入を腰に付け、アクスルとエルカも旅装を整えていく。
それから、寝ぼけ眼をこすりながらリィルが身支度を始め、二分後には館を飛び出すことが出来た。
『そのまま南門まで走りなさい! あと五分しか猶予はありません!』
館の門を出ると、まだ街中に残っていた人々が、北門の方に顔向けて、空に浮かぶ岩塊を指さしている。
混乱はしているが、暴動も暴走も起きていない。だが、人々は魔王の言葉にくぎ付けになっていた。
『今この瞬間、例えば『青のモーニック卿』が、我らに忠誠を誓い、民草を皆殺しにし始めれば、どうだ?』
「出たよあいつの得意技。不確定情報で、他人を操ろうとする手口! みんな、絶対に耳に入れるなよ! 付け込まれたら終わりだ!」
「なるほど、魔王の城に突入してたってのは、本当らしいね」
「す、すごい。勇者でなくても、貴方はやっぱり……」
「そういうの良いから! 悪いけどもっとスピード上げてくれっ!」
人の波をかき分けて、三人と一匹が走る。とはいえ、浩二自身が走ろうとすれば足手まといになり、自分で運びたいと言うリィルの背中にしがみついていた。
『残り時間一分二十一秒、何とか間に合いそうですね』
「ところで、なんだよそのカウントダウンは?」
『貴方たちを安全に、この町から逃がす、タイムリミットです』
南に向かう大通りには、まだ人気は少なかった。寝ぼけ眼をこすりながら魔王の言葉を聞きに出た住民たちや、後方待機を命じられていた傭兵たちが、武器を構えて街路をうろついている。
『何かが始まってからでは遅い。魔王の演説を合図に、南門まで最速でたどり着くタイムを基準点としました』
ソールの言い方は奇妙だった。魔王の演説はさっき始まったばかりで、時々不自然に声が止まるのは、悠里が言い返しているからだろう。
あいつの芝居っけたっぷりの性格は知っている。それを加味すれば、
『三分間……いや、十分間待ってやる。陣を展開し、見事俺を迎撃してみせろ』
「だよな。お前はそういう奴だよ。見ろソール、あいつまた」
『今回ばかりは、あんな戯言に付き合う気はありません』
息を切らしながら、ようやく南門前までたどり着く。門番はすぐに了解して、外に逃げ出すことを許可してくれた。
同じく都市を逃れていく人々の群れに入ろうとしたとき、ソールが鋭く声を掛けた。
『避難民とは別れて行動してください。絶対に同行せず、近づいてくる者は、容赦なく斬り捨てること。これは比喩ではありません、物理的にです』
「な、なんでそこまで……」
『簡単な事ですよ』
赤い仔竜は、厳しい声音で断言した。
『今回の侵攻で、この都市と勇者軍は、跡形もなく地上から姿を消すからです』
その言葉を聞いた三人は絶句し、浩二はそれよりも冷静な態度で、背後の都市に振り返った。堅牢そのものの胸壁、途中で見た兵士、北壁に集められた騎士たち。
なにより、この街には悠里がいる。そう簡単に負けるとは思えない。
だが、その発言者の性格からすれば、嘘でも誇張でもないのは明らかだ。
『"英傑神"に貼りつかせてたヴィトから、映像を貰った。見て驚いたよ、んで、確信したってわけ。ああ、こいつらもうダメだ、ってな』
『想定はしていました。その可能性も。そもそも私たちが、この世界でも実現できると証明していたのです。あの魔王が、たどり着かないわけがなかった』
「な、何の話だ?」
無機質な着信音と共に、メールが送られてくる。添付された映像を開いた浩二は、体が震えるのを感じた。
なんでこんなものが、ここにあるんだ。
『理解しましたか? だから言ったのです。都市の関係者に接近せず、一刻も早くこの場を離れろと。巻き添えになりたくないので』
『あと、お仲間に言っとくわ。命を掛けてそいつを守れ。これは命令だ』
途端に、無言で三人は歩き出す。さっきのグラウムの言葉が『聲』だったのかはわからない。それぞれの表情は深刻で、武器に手を掛けている。
その時、北側の胸壁から、重い投射物を射出する振動が伝わってきた。
『始まりましたね』
『急げ、お前ら。少しでも遠くに逃げろ』
小竜たちの固い声を聞き、自然と体が震えてくる。こんな怖い思いをしたのは、コボルトの群れと一緒に、村人から襲われた時以来だ。
そんな浩二を、リィルは胸側に抱きよせた。
「大丈夫です。命令などなくても、私が、コウジを守りますから」
その暖かさと匂いに安堵しながら、空を仰ぐ。
決して口にはできない、誰かを案じるように。