9、望みの潰える日
宛がわれた居館の一室で、仔竜は呆然としていた。
対面に三人が座り、自分がそれを受け止める形で席に沈んでいた。
元の仲間たちを含め、見ておけと言われた"平和の女神"との会談、そこで明かされた竜神の計画と、自分という存在の意味を。
人工的な神の創造を、ドラゴンが計画するなんて。
「ふふ……はは、ははは、なんだ、そりゃ」
萎れていた三つの顔が、気味の悪いものを見つめるように、こちらへ向けられる。笑い顔のまま、仔竜は吐き捨てた。
「そりゃ人工、じゃなくて竜工、じゃんか。バカみてえ」
『適した用語がないのです、そこは大目に見なさい』
「……あの時の言葉は、そういう意味かよ、おっさん」
荒野での再契約を、思い出す。
あれは『逸見浩二』という素材と、『フィアクゥル』という実験データを、安全に保持するための手順だったわけだ。
「つまり、俺は最初から、利用されて騙されてたってわけか」
『判断材料を絞り、意図を隠したという点では、その感想は適切ですね。それが詐欺師というものです』
「つまり、アンタのその考えも、竜神とやらにいじられた結果、ってことかい?」
赤毛の女性の言葉に、仔竜は声を詰まらせた。
仔竜になったのは、確かに竜神の力によるものだ。でも、契約を結んだのも、現地で真実を見極めたいと言ったのも、自分の意志だ。
「やらされた、わけじゃない。俺の意志も、あったと思う」
「詐欺師ってのは、そう思わせるのが上手なんだ。アンタの行動も、考えも、アタシに言わせればメチャクチャのでたらめだ!」
「違う!」
騙されていたというなら、発端はもっと前の話だ。"神々の遊戯"という欺瞞が、すべての元凶だ。
「シ……コボルトたちは、戦いなんて望んでない! 少なくとも、俺が最初に、殺したあいつらは違ったはずだ!」
「それをどうやって、見分けろっていうんだい」
「それは、話し合って……」
「お話し合いをした結果、騙し討ち、なんてのは人間だってやることだ。なら、魔物のコボルトなんて、余計に分からないじゃないか」
それは憐れみと怒りと、苦悩のないまぜだった。
吐き出す息も、しかめた顔も、絞り出す声も、何もわかっていないこっちを、なんとか分からせようとする意志だった。
だが、
「コボルトの方が信じられて、人間が信じられないことだって、あるだろ」
「……そんな理屈が」
「だったら! なんでシェートが、決闘で罠に掛けたお前らを、殺さなかったんだよ!」
言葉が、刃の嵐になって吹き荒れた。
何の力も込めていない、聲ですらない声で、三人の肩に絶望がのしかかるのが、見えるようだった。
「なんでも、なんでも、いっしょくたにするのが、駄目なんだろ。だから、俺は、それが知りたくて、ホントのことが知りたくて、戻ってきたのに」
「それは、私たちの所では、駄目だったのですか」
尋ねてくるリィルの顔は、虚脱しきっていた。すがるように、そこに居るこちらを嫌悪するように、ずさんに扱われた人形のように、椅子に座っていた。
「せめて、私に、そのことを伝えようとは、思わなかったのですか」
「……俺のこの姿は、ズルにズルを重ねた結果だ。それに、俺が消えた後、みんながどうするかなんて、考えてもみなかった」
「ええ、そうでしょうとも! だから、そのようなお姿で、あのコボルトと、親しくなさっておられたのですから!」
突然、命を与えられたかのように、人形のような彼女が立ち上がる。その目からは無造作に涙が流れ、留めようともしなかった。隣で控える二人が身構えたが、結局、座り込んで頭を抱え込んでしまう。
「ねぇ、勇者さま、コウジさま、教えてください」
困惑を絞り出す顔から、目をそむけたくなる。それでも、目を見開いて、何もかもを心に刻んでいく。それが、ドラゴンというものだから。
「何が間違っていたのですか? どこから間違っていたのですか? 神のご意志に従ったことですか? 害を撒く魔物を滅ぼそうとしたことですか? それとも」
顔を上げて、リィルは悲しみをぶちまけた。
「貴方を守れなかった、私が間違っていたのですか!?」
そうじゃない、そうじゃないんだ。
なにも彼女は間違っていない。間違っているのは。
「間違ったのは、俺の方だ。君に、こんなことをさせたのも、俺なんだ!」
俺がもう少し、物を考えていたら。与えられた力に酔っていなかったら。
「責められるのは俺の方なんだよ。みんなのことも、シェートのことも、遊戯のことも、俺が悪いんだ! ごめんっ、みんなを悲しませて、こんなことまでさせちゃって、ごめん……なさ……っ」
そこまで言い切って、涙が止まらなくなっていた。
何かがうまくやれていると思っていた。間違いを正して、良いことを探していられると思っていた。
でも、自分がシェートの大切なものをぶち壊した事実も、神の力に酔って、仲間たちを無視して傷つけた事実も、変わらなかった。
「俺は、バカだ! ドラゴンになったからって、何も変わってない! 考えも無くて、行き当たりばったりで、誰かを傷つけることしかやってない!」
思いをぶちまけたところで、何一つ変わることもなかった。リィルはすすり泣き、エルカは沈黙し、その全てをアクスルが静かに見つめている。
その時、誰かが扉をノックした。
「失礼、ただいま取り込み中にて、入室はご遠慮願いたいのだが」
「申し訳ありません。勇者殿がお見えです、早急にお伺いしたいことがあると」
勇者という言葉にそれぞれが顔をこわばらせる。仔竜は投げやりな気持ちで、外に声を投げた。
「いいよ、入ってもらってくれ」
「感謝します。少々お待ちください」
間を置かず、勇者が入ってきた。その顔が幾らか疲れて見えるのは、昨日の決闘の事とは無縁でもなさそうだ。その後ろには、ローブや布切れで全身を追い隠した、性別不明の人影だ。
「えっと……その、昨日は、大変だったね」
「ご機嫌伺いはいいよ。お前は勇者の仕事で大変だろ」
「あ、ああ。じゃあ、手短に。イフ、頼む」
イフと呼ばれた存在はこちらに近づき、それからおずおずと声を掛けた。
「あ、あの、なんと、お呼びすれば、いい、ですか」
「……俺は……俺のことは、気にするな。アンタの用事を、済ませてくれ」
「は、はい。その、せ、斥候に行かれた、ときのこと、知りたく、て」
『でしたら、こちらにご連絡くだされば、必要な情報をお送りします』
突然の虚空の声に驚きながら、それでもローブ姿は勇者に振り返る。何か微妙な顔をした悠里は、それでも笑顔で頷いた。
「今は、その方がいいか。それじゃ、俺たちはこれで。屋敷の人にお願いして、お昼を用意してもらうよ」
「……気遣い上手だな。それが恵まれた勇者サマの、余裕って奴か」
知らずのうちに、言葉が棘になっていた。単なる当てこすり、のはずだった。
だが、一瞬だけ浮かんだ表情に、後悔が湧いた。
まるで、生傷に爪を立てられたように、悠里の顔は痛みにまみれていた。
「あ――」
「ゆっくり休んでくれ。また来るよ」
それでも笑顔を残して、彼は去っていく。
なんでこんなに、惨めな気分になるんだろう。自分よりも優れたもの、光り輝くものに向き合うのは、こんなにつらいのか。
『ところで、一つ確認したいことがあります』
「……なんだよ」
『勇者に同行していた娘を、貴方はどう思いましたか?』
娘、という指摘に、胸が騒いだ。
どうして娘なんて分かった。いや、どうして俺は、それに気づかなかった。
そういえば、世界が異様に静かだった。朝起きてからここに来るまで、自分は一切、空を飛んでいない。
「え――あ――う――あ――わ――は――あ――」
聲が出ない。あんなにすらすらと紡げたはずの韻が、きれいさっぱり抜けている。
手足をこすって鱗目を逆立てても、何の抵抗もなく、しおれて元に戻ってしまう。
「ま、まさか!」
スマホを手に、"竜樹"を確認する。
映し出されたのは、角や尻尾どころか、鱗の一枚も生えていない、人の姿。
その侵蝕率は。
「侵蝕率――……ゼロ!?」
「正確には0.0001%。それが、貴方の今の魂の姿です」
残酷な断言に、手の中のスマホを取り落とす。
そして、理解した。
今の自分は何の力もない、非力な仔竜に戻ってしまったことを。
豪華な寝床に体を預けながら、シェートは降ってくるサリアの言葉を、聞くとはなしに聞いていた。
噛み砕き、難しい所を省いての説明だったが、分かったことは『自分にはわからない』という事実だけだった。
『私とて、半分も理解しておらぬがな。だが、分かったこともある』
「なにがだ」
『……仔竜は、別に我らを、傷つけるつもりはなかったということだ』
静まっていた嵐が、胸の中で荒れ狂う。
憎い仇、焼け落ちていく村、死んだ恋人と家族の姿、ただ一人で行った弔い。記憶をたどれば、あの少年に感じた憎しみは、生々しく思い出せた。
その前に、青い笑顔がちらつく。
戸惑いながら近づく姿、林の野営地で暮らした日々、共に戦場を駆け抜け、己の命を懸けて、自分を守ると誓ってくれた声。暖かい湯に浸かって見上げた夜空。
そして、自分をかばって凶刃を防いだときの、絶望に満ちた表情。
「……助けて、くれ」
『シェート?』
「俺、苦しい」
息が苦しい。考えがまとまらない。憎い相手、仇、大事な仲間、友達、その言葉の何もかもが意味を反転させて、頭の中で膨れあがる。
思えば思うほど、意味が溶け合い、自分を押しつぶす。
仔竜の笑顔を思うたびに、勇者の嘲笑へと反転する。
勇者を憎もうとすれば、仔竜の必死の覚悟を思い出してしまう。
「俺、分からない! なにも、なにも、わからない!」
『シェート! ダメだ、考えるな!』
「助けて、こんな、無理」
息が上がる、喉が締め付けられる、手足が震えて逃げ出すことさえできない。どうして自分が、こんな。
「シェート!」
誰かが近づき、自分を抱き留める。その声が力強く、こちらを励ました。
「今から十数える。それに従って、ゆっくり息を吐き出すんだ」
「あ、う……」
「いくぞ。いち、に、さん……」
無我夢中で言葉に従い、息を吐いていく。それから、背中がさすられ、力を抜くように言われ、また十回、ゆっくりと吐き出す。
「う、ぐ……は、はぁ……っく……はぁ……」
「うん。もう大丈夫、息は、楽になったか?」
「すまん。ありがと、な」
気が付けば、悠里がそばにいた。少し離れたところに、ローブを着た姿がある。臭いは雌のようだが何かが違う気もした。
「部屋の中から、苦しそうな声がするって聞いて、様子を見に来た」
「お、俺……は」
「それと、グート君が会いたそうにしてたから、連れてきたよ」
鼻を鳴らし、こちらに顔を擦りつけてくる毛皮。その香りを嗅ぐと、混乱していた気持ちが落ち着くようだった。
「グート君は出入り自由になってるから、好きなだけ一緒に居るといいよ」
「……うん」
「さっきみたいに苦しくなったら、何も考えず、ゆっくり、呼吸するのを忘れないで」
『お気遣い、感謝します。まさか医術の心得もあるとは』
悠里は背中を向けたまま、部屋の机に置いた籠を指さした。
「食事、食べられそうだったら食べてくれ。俺は、これから会議があるから。それじゃ」
「ゆ、悠里!」
上ずった声を恥ずかしく思いながら、シェートは去っていく少年に、問いかけた。
「勇者、みんな、お前、同じか?」
「……分からない。ただ、俺は信じてる。勇者をやろうとする人は、善の価値を知ってるものだって」
残された言葉を思い返しながら、静かにグートの毛皮に顔をうずめる。この臭いと暖かさだけが、今の自分に信じられること。
『貴様は、破滅する』
締め出していたはずの記憶が、蘇る。
『戦いの果て、全てものに、叛かれる。信じたもの、願ったもの、仲間、すべてを失いながら』
あいつはどこまで知っていたのだろう。もしかすると、魔王はすべて見透かしていたから、コモスを送り付けてきたのかもしれない。
『最も弱き叛逆者、勇者殺しの魔物、己の毒で最後に破滅するのは――お前だ』
ああ、その通りだ。
疲れ果てて、シェートは狼にもたれかかる。眠気が覆いかぶさり、深い闇の底に突き落とす。二度と立ち上がれないほどの、重い疲労にさいなまれながら。
「サリア」
眠りにつく寸前、シェートはその言葉を告げた。
「俺、勇者、辞める」