8、残酷な願い
食堂にグリフが入った時、すでに他の仲間たちはテーブルについていた。その顔ぶれの辛気臭さに、大げさにため息をついてやる。
「何だよ朝っぱらから、そんな面並べて。折角のうまい朝飯がまずくなっちまうぜ」
「貴様のようなマズイ雄と同意見などとは癪だが、その通りぞ、吾が背よ」
相変わらず、その巨大な胸をぐいぐいと押し付け、シャーナが手にした匙をユーリの口元に持って行っている。
いつもなら照れ隠しに押しのける相棒も、今日は心ここにあらず、という感じだった。
「あのような茶番、吾らにはなんの関わり合いも無かろう? どこかのバカな勇者が、とち狂って仔竜に身をやつし、自分を殺したコボルトの味方を演じた。どう考えても意味が分からぬ」
「シャーナ……ぁ、様の言う通りだぜ? あの三人組にしたって、勇者の気持ちなんてこれっぽっちも分かってなかった。だからテメエの勇者……いや元勇者か、を刺す羽目になったんだよ」
せっかくの慰めも、ユーリには届かなかったらしい。彼はため息をつき、それからコスズの方に話題を振った。
「エルカさんたちは、どうしてる?」
「町外れにある、町長の別邸に部屋を用意させた。仔竜も一緒じゃ。うちの一族から医術の心得のあるものを送っておいた。体の方は、どうとでもなろうよ」
「心、の方は、難しい、ですよね」
今日もローブですっぽり身を隠しているイフは、ユーリの食欲不振を感じて、料理に一口も手を付けていない。俺のこと、あからさまに毛嫌いしている奴がどうなろうと、どうでもいいっちゃいいんだが。
「おいユーリ! 同情すんのは勝手だが、お前がそんな顔だと、イフまで飯食わなくなるんだぞ。悩むんなら、食った後にしろ!」
「……そうだな。食べようか、イフ」
「は、はい! たべ、ます!」
「おいクソマズ髭、うぬは後で燃え散らす」
「なんっで仲間に気を使って、燃やされなきゃなんねんだよ、クソトカゲ!」
ようやく飯を食い始めた連中に、俺はため息を吐く。うちの勇者さまを筆頭にして、どいつもこいつも線が細くて仕方ねえ。ドラゴン女は別として、ユーリに何かあると途端に気持ちを落としやがる。
「まったく、俺がいねえとてんでダメだな、お前ら」
「抜かせ、アホグリフ。お前に面倒を見てもらうなど、末代までの恥じゃ」
「一番の間抜けがよう言うた。呆れて燃え散らす気にもならぬ」
「今日の軍事教練くらいは、顔を出していただきたい。ユーリ殿の体面に障るので」
女どもの対応のせいで、心なしか口にしたスープが塩辛く感じる。そんな俺に、ユーリは交じりっけなしの笑顔で頷いた。
「ありがとう、グリフ。頼りにしてる」
「……任せろ」
別に、こいつらからどう思われようとかまわない。どいつもこいつもユーリにしか目が行ってないし、色恋なんぞ及びもつかない堅い信頼が、俺たちにはあるんだ。
「そもそも、こいつらに持てなくても、相手はいくらでもいるし」
ふかふかのパンをむしりながら、俺は今日の夜、どの店に行くかを考える。
魔王との決戦の前だ、たっぷり英気を養しなわないとな。
辛気臭い空気を無視して、俺はそんな楽しい夢想をもてあそんだ。
水鏡の向こうを、サリアは無言で見つめていた。
薄暗い部屋の隅で、打ち捨てられたぬいぐるみのように転がる姿。目を見開いだまま、シェートはまんじりともしていなかった。
対話はなくなっていた。
悠里に付き添われ、部屋に帰ってきたあと、一つ質問をされただけだ。
『知ってたか、お前』
答えなかったが、シェートはそれっきり黙ってしまった。
おそらく、その質問自体が馬鹿らしいと思ったのだろう。あんな真実を知っていたら、とても隠しきれず、すぐさま露見していただろう。
皮肉にも、自分とシェートの信頼は、まだ損なわれていないようだった。
水鏡を消し去ると、立ち上がる。
立って、説明の責任を果たすべき者たちの所へ向かう。
「――こちらへ」
扉を抜けると、青と白の竜が待っていた。心強いと思っていたその二匹でさえ、今は強烈な不信と違和感の目を向けざるを得ない。
竜洞へ入るまで、彼女らはこちらを顔を合わせようともしなかった。
「お待ちしておりました、サリア―シェ様」
竜洞には、四竜以外の姿はない。一切の活動が停止され、常に何かを口にしていた黒い小竜さえ、こちらを静かに注視するばかりだ。
赤い竜の目も、凪いだ表情のまま。こちらの行動にいら立ち、なにかと要求や文句を告げてきた口も、挨拶以外を発しない。
「私に、申し開きすることは、ないのですか」
「この場で発言の権利を持つのは、貴方の方です。誰何も、譴責も、罵倒も、貴方の意志に従って、我らに浴びせてください」
きわめて合理的で、腹立たしい冷静さだった。何を言っても陳謝と状況説明が、延々と続くだろう。
だから、言うべきことは一つだ。
「あのような残酷が、運命の綾を結び付けて苦しませることが、竜神エルム・オゥドの望んだ事なのですか!?」
「誤解を二つほど、訂正します。今回の全ては、あの仔竜の願いから始まったこと。そして、主様にとってはすべて、『どうでもいい』ということです」
その言葉だけは、看過できなかった。シェートはもとより、あの勇者の少年とその仲間に対する仕打ちを『どうでもいい』で片づけるなど。
「『どうでもよい』とはどういう意味か! すべては遊戯にあぶれた竜洞が、愚かな私と罪悪感にかられた少年を利用し、遊びすさぶための駒でしかなかったと!?」
「……私に、主様の心は理解できません。ですので、事実に『私たちの見解』を加味したものを開陳しますが、よろしいか」
「……お聞かせ、願おう」
頷くと、赤い仔竜は虚空になにかの絵図を浮かべた。
それは一人の少年の似姿。あの、逸見浩二という名の少年を正確に写し撮ったものだ。
「最初に申し上げておきます。貴方たちは主様が遊戯で楽しむための駒である、という指摘。それは事実です」
「…………っ!」
「ですが、扱う駒に愛着を抱き、それを後生大事にする者も存在する。主様は貴方たちを『掛け替えのない駒』と見ていた、それも事実の別側面です」
だが、それでも駒というからには、自分の好きなように扱える道具と見なしていたということだ。彼の振る舞いも、思慮も、その手で使いやすくするための打算でしかなかった。
「『恋など稚気の産物』、ご自分の発言を、もうお忘れですか?」
「な、いえ、その、どうして今、それを」
「恋、愛、友情といった主観の信頼は、持ち出す者の都合で破られる。しかし、打算に基づく契約であれば、相互の利益が確保可能です。主様が一度でも、己の情念による、不確かな関係で貴方を縛りましたか?」
思い返せば、竜神は契約を重んじ、感情でのやり取りを排していた。こちらの心情をおもんばかることはあっても、財貨や利益を仲立ちにしない助力も行わなかった。
「ですが! これは己の真意を隠し、契約の隙を突くような行為! 明らかな不実ではありませんか!」
「だからこそ『どうでもいい』のですよ」
「なに……?」
「貴方たちへの助力も、少年との契約も、それを履行した時点で『一切関知しない』。つまり、後は好きにしろ、という意味なのです」
ああ、そういう事か。
私は確かに、遊戯を勝ち抜く知恵を借りたいと言った。その願いに対して、竜神は正確に、十全の答えを出した。
遊戯と神の勇者の性質を理解し、その成長の先に、一騎当千となる竜の子供という形で応えてみせた。
「かの少年の、願いは?」
「彼は、理解できなかったと言っていました。なぜ、神の勇者に許された権利を行使した結果、怨恨を受けて殺されたのか。その理由を知りたいと」
こちらからすれば、その疑問の方が理不尽だったが、気持ちも分からなくはない。
だからこそ、力もない生まれたばかりの仔竜に転生させ、自分が殺した存在がどういう者なのかを間近で見せるという、これ以上ない解答を突きつけたのだ。
「願いに対する答えを、疑問に対する答えを、契約に基づき提示した。それをどう扱うかは私たち次第、だからこそ、後は『どうでもいい』と」
「その通りです。全く恣意がなかった、とも思いませんがね」
「だとしても、このやり口はあまりにも……もっと別の、やり方はなかったのですか」
その時、沈黙を守っていた黒い塊が、前に進み出てきた。その口元に、皮肉気な笑いを浮かべ、こちらを見透かすように。
「それを知りたいなら、対価を貰うぜ」
「……我々はこの上なく傷つき、互いを損ないました。これ以上なにを」
「そんな重たいもんじゃねーよ。『真実を知っても文句言わない』って、約束してくれればいい」
真実。竜神が組み立てた、心をもてあそぶ盤上遊戯には、それ以上の何かがある。
サリアは、間を置かずに答えた。
「お教えください。ここまで来た以上、何が出てきても、私は」
「了解。いいよな、ソール」
「ああ。私の権限で情報開示を許可する。"竜樹"と、そこに結実する『覚者』についての全てを」
彼が口にした『覚者』という言葉には、覚えがあった。それは、魔王城で仔竜が竜の聲に目覚めたことを確認した時のはず。
そして、投影されていた少年の幻像が、歪み始めた。
「……少年の体が、ドラゴンに?」
「こいつは魂魄の形質変化を記録したもんだよ。最初のはアンタらの所に来て、間もない頃の奴。で、これが最新版だ」
変化はゆっくりと、次第に激しくなっていく。四肢の形質が人のそれから竜のそれへ。
口吻が突き出、尻尾が伸び、唐突に立派な翼が生えた。
最初はまばらだった鱗が、びっしりと全身を覆い、二本の角が成長していく。
そして、幻像が止まった時、彼はすでに人ではなくなっていた。
その両目に、わずかな人の痕跡を残して。
「こ、これではもう、ドラゴンそのものではありませんか!」
「当たり前だろ。あんだけバカスカ『聲』使ってたんだから。こっちで抑制してたから、変化もゆっくりで済んだんだよ」
だが、ここまで変わり果ててしまえば、彼はもう人間ではない。人の体に戻したところで肉体が耐えきれないし、『神去の毒』によってあっという間に死んでしまうだろう。
「つまり、竜神殿は、少年に生きては戻れぬ片道の旅へ送り出したのですか」
「否定。それ防ぐ、そのための"竜樹"」
青い小竜の声と共に、少年の幻像に新たな枠組みが付け加えられる。複雑な式文と見たこともない世界の、何かの『経路』を示した図が重なり、もう一つの枠組みに少年の似姿が描き出されていく。
「『対竜種・魂魄侵蝕抑制機構・竜樹』、これが、我々が維持し、仔竜を無事に帰還させるために組み上げたシステムです」
「その最終安全装置、輪廻。本人の魂魄、模造転写。人の魂、バックアップ」
「要するにだ、フィーの胸に付けてたスマホ、あれで『逸見浩二の魂魄』を正確に記録して、そっちに意識を写せるようにしてあるんだよ」
人の魂の模造とその転写、神ならばやってやれなくもないが、それをあんな小さなキカイに封じて、それを整えるなどということは、途轍もない労力があったろう。
そういえば、彼らは仔竜が降りてから、必ず一匹は端末に向き合っていた。
「つまり、あなた方も仔竜を、大事に思っていたのですね」
「ええ。大事な『研究成果』ですから」
それは情も思いやりも、剥落した言葉だった。赤い小竜の、金の竜眼が冷たく、無慈悲に輝いていた。
「そもそも、事の起こりは『神々の遊戯』が、他者の手によって乗っ取られたことに端を発します。本来であれば、あの遊戯は主様の実験場となるはずだった」
「実験場、とは?」
「元々は神去、つまり惑星地球を盤面にして、神と悪魔の陣取り合戦をやらせる気だったんだよ」
神去――地球には神と悪魔を侵す毒があり、誰も欲しがらない不毛の土地だ。双方の戦をそこに限定させ、景品となった新たな世界には極力影響を及ぼさない。
それが、竜神の意図した遊戯の全容だ。
「ところが、どっかのアホがそれを盗み聞いて、会場設定を『景品の星』に変えて、神々に提出しちまったのさ」
「後は、貴方が知る通りです」
「……なぜ、竜神殿は、神去にこだわったのですか」
「主様、願った。地球の再生。彼の地、『最も新しき神』、降誕させる」
今度は幻像が地球の形に変わる。そこに映し出されるのは、今後かの星がいかなる結末をたどるかの、予想図だった。
「地球、神の不在、一万六千年強、惑星の精髄、その構造、風化崩壊、急速進行」
「竜洞の計算では、あと三百年ほどで、彼の地の生命は枯れ果てるとされています。その前に地球に神を誕生させる」
「つまり『神々の遊戯』じゃなくて、『神々降誕の遊戯』だったんだよ。元はな」
地球に神はいない。それは、魂無き肉体と同義であり、緩慢に腐って死ぬのが世の理だった。だが、彼の地は忌まわしき邪神の支配地であり、神や魔族たちでさえ、積極的に手を出したがらない毒の星だった。
『少々、探し物があってな。儂の余命では足らぬと見えたゆえ、神籍を頂戴することにしたのだ』
思い出す、初めて出会った時の言葉を。
まさか、彼の探していた物とは。
「神去――地球の再生。竜神殿が、神と成った理由とは、それか」
「その通りです」
「なぜ……そこまでして」
「友情のため、って言ったら、アンタは笑うかい? それとも、怒るかな?」
情を排し、共感を無視し、思いやりを振り捨てた者の志、その出発点が友情。
確かに笑い、怒るべきかもしれない。だが、その友情を向ける先が、彼の者であったなら、話は違ってくる。
「"万軍の主"にして"栄光の王"、そして子を喰らう邪神と恐れられたもの。大神バラル。それが、あの方が友と呼ぶ者か」
「だからこそ、主様は我々以外を頼みとせず、長きにわたって計画を練ってきたのです」
これで合点がいった。なぜあの方が、自分と懇意になったのか。彼はおそらく、私の星とその境遇に、滅びゆく友の星を重ねていたのだろう。
同時に、私の協力要請が、竜神に益するところとなった。
「私の助勢を求める言葉は、竜神殿にとって渡りに船だった。遊戯から排斥されていた竜洞を、積極的に参加させるために」
「おー、そこまで考え付いたなら上出来だ。主様アドリブ大好きだからな。まあ、ドラゴンなんて、機会主義に牙と翼と尻尾を生やしたようなもんだけどよ」
「そしてフィアクゥル、かの仔竜もまた、ある種の僥倖でした」
遊戯という枠組みに疑問を持ち、新たな形で見つめなおしたいと願う少年。その魂を利用して、直接の干渉を可能とした。
だが、竜神の計画はそれ以上を欲していた。
「現状、神去には神と魔を侵す毒がある。それはドラゴンにも有効だ。どれだけ頑強な竜種だろうと、神秘殺しに特化した地球の環境じゃ、持って一年がいい所だろーな」
「その表れが『竜殺しの伝承』。貪欲な竜を、それ以上の旺盛な殺意で殺し尽くすのですから、とんでもない話です」
「主様、試行錯誤した。毒への抗体、その製造法」
神去の毒は、そこで生まれる人間たちの魂は害しない。生命誕生という『神秘』を殺してしまえば、自分たちも死に絶えるからだ。
「神去から魂を抽出し、別世界で加工、神格を贈与。そして神去に戻し、神として降誕させるって流れだな」
「それこそが『人工神格降誕計画』。フィアクゥルとは、神去の環境に適合する、抗体保有者創造の、実験例に過ぎないのです」
言葉もなかった、想像もつかなかった。
竜洞の計画の全容を明かされても、我がことと捉えられなかった。
そして、改めて思い知った。
竜神の『どうでもいい』という言葉の意味を。
私たちは巨大な機械を動かすための歯車の一つに過ぎず、それを丹精込めて作りはしても、機構の中に放り込んでしまえば、正常に稼働する以上を期待しないと。
サリアは必死に頭を働かせて、理解可能な答えを求めて問いかけた。
「そんなことが、可能なのですか?」
「神去の原住民も、似たようなことをしていたようですね。ですが、最も成功したとされる石工の息子でも、数日しか持たなかった。やはり、人間の魂魄では限界があるようです」
「主様、理想、竜種ベース。つまり」
「これで分かったろ、女神様」
黒い小竜の顔には笑いがあった。だがそれは、彼が本来浮かべないはずの、悲し気な表情だった。
「主様にとっちゃ俺ら含め、すべてが利用可能なリソース。計画のための素材なんだよ」
「貴方たち、も?」
「人工神格降誕計画、その前駆として着手したのが、竜ならざるモノを竜へと変える実験です」
四竜の体の輪郭が、見えているものと違う姿をおぼろに映し出す。それは確かに、ドラゴンではない「何か」だった。
「とはいえ、オレらはましな方さ。拒否権はあったからな」
「私は拒否するという自我さえなかったけどね」
「主様、やり口、詐欺師。納得可能な不平等、提示」
「慰めにもならないとは思いますが、我々も似たようなもの、という事です」
なるほど、黒い小竜は優しかった。
こんなことを知って、竜神の意図をたどろうなどとは思えない。この先の行動が、すべて竜神の利己的な計画への加担に繋がると知ったからには
「とはいえ、実験も終わりですね。竜洞代行として、これ以上のデータ採取は不可能と判断します」
「我らの契約は、破棄されると」
「いいえ。それは主様と貴方の間のことであり、裁量権を持つのは貴方です」
赤い小竜は、言葉の結びに頭を下げた。
すべての決定を、こちらへ投げ渡すように。
「お帰りください、"平和の女神"よ。そして貴方の意志が定まった時、お出でください」




