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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~最終章~
205/256

5、風雲は急を告げ

 スマホを変形させた観測器を掲げると、フィーは行動を宣言した。


「【サンダーボルト01】よりコマンドポストへ。現在、高度三千メートル、観測座標に到着。当方周囲の雲量は二、観測対象付近は三ないし四、これより敵要塞の観測を開始する」

『了解。コリオリ影響下による観測位置の変化、敵の電探レーダーに注意されたし』


 ソールの口調は極めて冷静で心地がいい。わざと軍隊式の用語を使った応対や、コールサインを使用するのも、状況を客観的に見るための『儀式』であり、心に平静をもたらすための『術式』でもあると聞いていた。


「……要塞周辺、一キロ圏内、飛行魔による哨戒を確認。ワイバーンが一、僚騎と思しきグリフォンが二、スリーマンセル……四部隊、前回と同じく、三時間交代と思われる」

『了解した。前回、前々回の映像と照会する。他に変化は?』

「特に――いや、何か変だ。地上【ファイヤーワークス02】、大気成分の変化、十キロ圏内に土壌の異常振動、および敵斥候の存在は?」


 フィーのはるか下、森の中で草や泥にまみれた赤い姿が、ぶるっと身震いをした。

 そこは自分たちが上陸した港の東側、人の手が付いていない森と、丘陵が続く地帯であり、あの巨体を隠すのにちょうどいいと、選ばれた場所だ。

 ギリギリという歯ぎしりと共に、強烈な不満と罵声交じりの聲が届く。


『すべて異常なし! その不愉快な綽名を付けた罪、このような汚い泥だらけにした罪、きっと贖ってもらおうぞ!』

「作戦行動中だ。感情を殺すぐらいしてくれよ、無能がすぎると勇者に嫌われるぞ」

『……この、この――っ』

「通信以外で、聲の使用禁止! 以上オーバー。ったく、これだからアホ地竜は」


 ともあれ、状況の再確認は済んだ。

 フィーは聲を震わせ、光学的に消える。それからいくつかの偽装を施しつつ、敵に向かって飛翔を開始した。


「【サンダーボルト01】、光学迷彩、並びに探知波吸収効果を展開。敵要塞へ近接行動に移る。【ファイヤーワークス02】周辺空域の、あらゆる変化を逐次報告せよ」

『貴様如き仔竜に、なんで吾が』

「仕事をしろよ、地竜の女王。天下星辰に比類なき、猛き大地の基――」

『りょ・う・か・い・だっ。勝手に"奉銘"を祷ずるな、厭味ったらしい仔竜めが!』


 今回の作戦、実のところ下の地竜は必要ない。上のソールたちにフォローを任せるほうが、はるかに成功の確率が高まる。

 魔王の偵察任務にかこつけた『岩倉悠里の切り札』の検証、それがこの活動の隠された任務だ。


『"英傑神"とて、我々の行動を予想しているでしょう。その上で、切り札を差しだしてきた意味は』

『知られても気にしない、ってとこだろーな。竜種でさえ、アイツにとっては、勇者のおまけなんだよ』


 小竜たちの解釈はともかく、直に接した結果は『規格外』だ。

 自分のような『チート行為』をせずに、恒星クラスの炎を扱える資質、こちらが伝えた聲や概念を、苦も無く操る知性。

 性格に難があることを除けば、自分など足元にも及ばない。

 知られたところで、こちらに勝つ目はないという自信の表れか。


「普通なら、だけどな」


 フィーは嗤い、すぐに任務に集中する。

 実のところ、竜洞の方はこちらの進言に従って『対魔王』と並行し、『対"英傑神"の勇者』への腹案を練っているらしい。


『見て驚くぜ? てか、笑うかもな。期待して待ってろ。最終決戦までには上がるから』


 そんなことを思う間に彼我の距離は詰まり、流れていく雲の向こうに魔王の城が見え始めた。

 以前、自分たちが昇った尖塔が、基部から撤去されたのは確認済みだったが、今回の変化はそれだけではない。

 仮設の建屋がすべて撤去され、きれいさっぱり無くなっている。その上、中央に残った居館の周囲には土嚢が積まれていて、裏庭に当たる部分に、金属で出来たハッチのようなものが設けられていた。


「コマンドポスト、今から映像を送る。そちらの判断を乞う」

『了解した。……おい、グラウム、これは』

『あーらら、こりゃ『嫌な予感』が、完全に当たったな』


 上の二竜が絶句し、回答をためらう。その間に、目の前の要塞が騒がしくなった。

 哨戒中のワイバーンたちが、こちらを目指して飛来してくる。


『おいバカ仔竜! なにやらそちらに無数の『ハジケ』が飛んだ! それと、森の外から何奴かが引いてゆく!』

「チッ、警告が遅ぇんだよ! 【サンダーボルト01】撤退する!」


 すべての偽装を解き、一聲で加速。急行して来た飛行魔が引き離されていくが、装備していた四角い箱のような物から、なにかが射出される。

 それは白煙の尾を引き、こちらの全力を追い抜かすほどの加速で、まっしぐらに飛来してきた。


『【01】、緊急回避ブレイク! 欺瞞分身ダミーシルエット展開!』

「くっそっ! あれ、痛ぇんだぞ!?」


 体を横滑りに回転させながら、鱗の数枚を千切り飛ばす。空に舞った青い欠片がフィーの似姿になり、飛来したそれとぶつかり合った。

 途端に、赤い爆炎が空中に花開き、空気圧がこちらの体をなぶる。


『石弓で魔法弾を射出する『ミサイルランチャー』もどきってか!? やっぱあいつ、やべーこと考えてんぞ、フィー!』


 妙にうれしそうなグラウムの叫び。あの"魔王"が城内で『なにをしていたか』、これではっきりした。

 歯を食いしばると、フィーは司令部に向けてコールを送った。


「【サンダーボルト01】、敵制空圏より離脱。地上部隊と合流後、帰投する」



 気にくわない、だが、侮れない。

 それが竜の峰の長としての、アマトシャーナが抱いた、気味が悪い仔竜への評価だ。

 今も手元の奇妙な板切れに向き合い、何事か訳の分からぬことをしている。

 あれ一枚で、文書の作成、視認した情景の精緻な保存、遠距離の者との意思疎通、そして正確な計測や計算を行うことを可能としている。

 同じものを、吾が背も使っていただろうと聞かされたが、異世界の人間の潜在力も侮れぬものがあるようだ。


「いつまでやっておるのだ。敵は見た、必要な情報も得た、それでよいではないか!」

「黙ってろアホ地竜――っと、結果が出たぞ。やっぱり連中、全方位へ高出力のレーダー波を撒くことで、『不自然に何もない空間』を検出したみたいだな」

『文明未開の蛮族相手だからできる手か。レーダー網がある近現代じゃ、作戦行動を読まれるからって、勘定に入れない暴挙だぜ?』


 何を言っているのかは分からない。だが、連中はこちらの知恵が及ばぬ領域まで見通して、得られる事柄をすべて、盗み取っていくつもりだ。

 ガラクタだと思っていた有用な魔法の道具を、まんまと取り上げられる気分だ。


「貴様ら、それ以上、この地で妙な振る舞いをするでない! その薄汚い盗人の指が」

「お前の大事な勇者さまが、あっさり死んでもいいなら、今すぐやめるけど?」

「な、なに!?」

『詳しい説明は省きますが、今回の接触で、魔王軍には透明化による欺瞞作戦が通用しないと確定しました』


 それは竜洞とかいう異質なドラゴンの聲だ。初めて連中の姿を見たときに、決して知られまいとした感情がこみ上げる。

 未知の存在に対する、畏れ。

 確かに形はドラゴンであり、強力な存在であると分かった。だが、連中にはその奥が、知られざる別の『容』が存在する。

 あの港で、万が一この仔竜を殺していたなら、もしや吾の身は――。


(無用な怯懦きょうだぞ! こんな者ども、何を畏れる必要がある!)


「姿を消す術か。確かに、人共の拙い魔術であればそうもあろう。だが吾が聲ならば」

『無駄です。如何なる欺瞞をしようと、いいえ、欺瞞を重ねるほどに、そこには『なにもない』という『なにかがある状態』が生まれる。連中はそれを検出するのです』


 面倒な物言いだが、含意は分かった。そこにある者を無きが如く見せる、その繕いこそを連中は探すのだと。


「だが、そんなもの、素早く空を行き、術士共の目を搔い潜れば」

「アホ地竜」

「な、なに?」

「忘れたのか。それをやってたんだぞ、俺は」


 腹立ちまぎれに、全身に被っていた泥土をふるい落とし、仔竜に跳ねかけてやる。

 だが、そんなものなどまるで気にしない、いや、歯牙にさえかける暇もないほど、仔竜は真剣な顔で告げた。


「お前の足先ぐらいの大きさで、空の色に紛れる体色で、小鳥より素早く飛ぶ、どこにいるか分からない『一粒おれ』を、正確に探せる目がある。ここまで言えば、そのうすら鈍い頭でも、意味が理解できるか?」

「ぐ……っ」

「俺の聲が、お前より未熟だからって言うなら、それでもいいぜ。大人のドラゴンが狩られるのは、相手を舐めてかかった時だそうだしな」


 これ以上、余計なことは言うまい。

 この仔竜の聲は異常だ。この齢で、鱗どころか腕や尻尾、翼の一挙動まで総動員して聲を操れるなど、聞いたことがない。

 自分でさえ鱗目に聲を通したのは百を超えた辺りであり、峰の成竜でも、まともに使える者は十頭を下回る。

 これでもし、吾と同じ年まで育ったなら。

 このドラゴンを止められる者は、一匹たりともいないだろう。


「吾とて用心は心得ておる。吾が背の命に係わるなら、なおのこと。で、検分とやらは終わったのか?」

「終わるには終わったよ。あんたらにとって、重くてきつい報告になるだろうデータも、たっぷり集まった」

「では疾く戻るぞ。一刻も早く、背と睦み合いたい」


 仔竜は手元の板を眺め、方角を定めている。その内容を見て、シャーナは思いついたことを口にした。


「そう言えば貴様ら、方々で怨恨を撒いておるようだな」

「ご忠告どうも。どんな評判かは直に・・聞いてるよ。それで、うちの勇者だんなさまとは大違いって、いつもの惚気を始める流れか?」

「いやなに、今回は貴様の哀れなコボルトについての話だ」


 ようやく顔色を変えた仔竜に満足すると、シャーナは口元を寛げた。


「吾が背が、忌々しい"魔将"を血祭りにあげ、街へ凱旋した折のこと。みすぼらしい雌がすり寄ってきたのだ。貴様のコボルトを仇と狙い、その始末に助勢せよ、とな」

「……な、なに!?」

「その雌と群れの一党は、ジェデイロに滞在しておる。例のコボルトを待つためにな」

「まさか、俺をシェートから引きはがすために!?」


 その目に怒りを灯し、仔竜がこちらの鼻面まで浮かび上がる。焦げ付く大気の臭いを片手で払い、シャーナは呆れを吐き出した。


「戯け。吾が背を侮るな、仔竜。雌の言い分ばかりでは公正ではないと、助勢を断っておるわ。おそらく、当人同士で話をさせるつもりであろうよ。狼藉を禁じてな」

「そ……そうか。良かった」

「聞けば貴様ら、海を渡った大陸で、数多の勇者を喰ってきたそうだな?」


 勝気で生意気な仔竜が、ここまでうろたえるのは、見ていて胸の空くものがある。

 業腹な仕事を押し付けられたのだ、もう少し弄り回してもよかろう。


「その調子では、貴様らを仇と狙う者に、枚挙の暇もあるまい? 復讐の槍をかき集めたなら、さぞかし立派な居館の柱が出来上がるであろうなぁ」

「……うるせぇ、知った風な口を聞くな」

「例の雌など、はるばる海を越えた、モラニア貴族の娘と名乗っておったか。こんな遠国まで、ご苦労なことだ」


 仔竜の顔から、感情が抜け落ちた。

 こちらの頭蓋の内側まで覗き込むように、目が見開いて。


「――名前は」

「斯様なこと、吾が気にすると――」

「ドラゴンなら嫌でも覚えてんだろ! とっとと言えよ!」

「面倒な。たしか、リィルなにがしとか言う、地方領主の娘」


 横殴りの衝撃が、シャーナの顔を吹き飛ばした。

 攻撃ではない、目の前にいた仔竜が、大気のあらゆる要素を聲で操り、その結果に出来上がった『何もない空間』の反発に、顔が激しく揺さぶられた結果だ。


「っぐ、あぅ、ぶ、無礼な……っ!?」


 文句をつけることさえできなかった。すでに仔竜は地平の彼方に飛び去り、姿を消している。しかも、出発点となった辺りの木がなぎ倒され、火の手を上げて燃えつつあった。

 今から追いかけても、間に合わない。

 そもそも、己を含めた地上に生きるすべての竜種の中で、あの飛翔を自ら発見できる者は、一匹もいないだろう。


「……バケモノめ」


 そう吐き捨てるシャーナの体は、震えていた。

 未知にして異形の、仔竜の底知れなさに。



 宛がわれた天幕の中で、シェートは吐息をついた。

 長椅子の上には水差しとカップ、地面はきれいに均されていて、土の地面がむき出しになっている。

 出入り口の部分には覆いが掛かっていて、外の景色は見えない。左腕の腕輪を見て、狼の彫琢を指で撫でた。


『よし、完成っ! これが、この神器の最終形態だ』


 ヘデギアスにいる間、フィーは"魔狼双牙"に更なる力を与えるためにいろいろやっていた。使い心地はそのままで、こちらの強さを引き上げるために。


『ただ、使い方には注意しろよ? 撃ち出すだけなら百でも二百でも行けるけど、宿す時間は、短い間にしてくれ。同時に使ったら……分かるよな?』


 試しに使った感触は『強すぎる』だった。もちろん、実際の敵に使ったわけではないから、これから評価は変わるかもしれない。

 でも、これはコボルトが持つには、強すぎる力だった。


『……もし、俺がいなくなっても、お前が生き延びられるように。もちろん、約束は覚えてるよ。でも、絶対は、ないからな』


 フィーの懸念は、当たっていた。

 むしろ、この戦いにあいつを巻き込むわけにはいかない。だからこそ、悠里から言われた時、決闘を承諾したのだ。


『彼女の気持ちも、分からなくはないよ。でも、身内を殺されたのはシェートだ! それに、俺たち勇者は厳密には死んでいるわけじゃない!』


 悠里は必死になって、こちらの心配をしていた。本当にあいつは優しい。

 でも、優しいからこそ、分かっていない。


『俺、勇者、怒った。理由、分かるか』

『……仲間や家族を殺されたんだ。当然だと、思う』

『そうだ。でも、それより、一点、された。嫌だった』


 命としてではなく、地面に描いた一本の線として、喜びも悲しみも無視され、結果だけを記されたこと。

 それが自分の、復讐の原点だ。


『だから、戦った。俺、一点、違うから』

『……まさか、君は』

『俺、戦った、勇者だ。経験値、違う。なら、仲間、戦う、逃げない』


 悠里はそれ以上何も言わず、"英傑神"の言葉に促され、決闘の場を整えてくれた。それから今日まで、一言も口をきかなくなっていたが。


『いつか、こんな日が来るのではと、恐れていた』


 サリアはずっと悲しんでいた。

 それでも、こちらを否定するような言葉は、言わなかった。


『そしてこうも思っていた、お前は挑まれれば、逃げぬだろうと。たとえ愚かだと、誹られようとも』

『サリア、俺、バカ、思うか?』

『……誇るに決まっているだろう! そして、それが悲しいのだ』


 もちろん、こちらの悲しみと損失を積み上げ、神の権力を盾として、相手を突っぱねることもできただろう。

 だが、自分を命として見なかった者へ憤った自分が、ルールを押し付けるのは、嫌だ。


『せめてフィーが帰るまで待っても』

『駄目だ。フィー、待たない』


 これは自分の問題で、あいつには何の関わりもない。

 巻き込めないし、巻き込みたくない。


『竜たち、フィー、知らせるな』

『……了解』

『サリア、俺、駄目な時、フィー、ありがとう、言ってくれ』

『まさか、そなた……!』


「だいじょぶだ」


 彼らに言った言葉を、ひとり呟く。

 そして立ち上がり、外へと歩み出た。


「俺、決闘する。死ぬだけ、違う」


 罰を受けて死ねというなら、受け入れる気はなかった。

 だが、互いの意志を掛けて戦えというなら、それは別の話だ。

 コボルトという最弱の種族に生まれて、初めて自分が手にした、他の生き物と並び立つことのできる場だった。

 そして、シェートは小さく笑った。

 いつから自分は、こんな風に考えるようになったのかと。



 目の前に、あの忌まわしいケモノが現れたとき、全身の血が沸騰するかと思えた。

 アイツが嗤った・・・のだ。

 こちらの憎悪を、憤りを、悲しさを、全く意にも解さないかのような、気の抜けた顔をして。


「リィル、落ち付きな!」


 肩を掴まれ、その相手を睨み、恥ずかしさに目を閉じた。

 赤毛の魔法使い、エルカ・モーレッド。こんな無謀な旅に、文句を言いながらもついてきてくれた、力強い助力だ。


「ごめんなさい、エルカ。私は大丈夫です」

「だが、昨日は一睡もなされなかった。やはり今日は――いや、失言でした」

「アクスル殿、これが最後のわがままです。これが終われば、私はどうなってもいい」


 鉄の鎧に身を固めた隻眼の騎士、アクスル・ゴウラスタ。フルグリット家に仕えた家人であり、幼いころから面倒を見てくれた人。

 私の愚かさで左目を失ったのに、そのことは一言も口にせず、無謀な私を諫めつつ、剣を教えてくれた。


「駄目だよ。決死の覚悟ってのは、命を掛け金にして、勝ちを拾う時にするもんだ。こんなことをする人間が、破れかぶれに死を選ぶなんて、許さない」

「かのコボルトを討ち果たし、それでも生き続ける。それを誓えるならば、私もエルカもすべてを捨てて、立ち向かいましょう」

「……はい」


 城塞都市、ジェデイロ。その南門の前に広がる空き地に、決闘場は作られた。

 周囲には観客を遮る柵があり、戦いを一目見ようと人々が群がっている。その喧噪の何もかもがうっとおしく、白々しかった。

 物見高い連中、この戦いの意義も、私の想いも知らぬまま騒ぎ立てる。

 賭け札を売って、一儲けしようとした者もいたようだが、例の勇者が厳しく取り締まったらしく、表だってそのような様子はない。それだけが、唯一の救いだった。


「――介添人を務める、岩倉悠里です。双方、前へ」


 それは、私の勇者と同じ土地から来た者だという。確かに似た雰囲気はあるが、その顔も振る舞いも、何もかも違っていた。

 この決闘が始まる前、彼はくだらないことを言っていた。


『貴方の勇者は、今も俺の世界で生きているんです。だから』

『でも、この世界にはお帰りにならない。つまり、彼は殺されたのです』


 なるほど、この街に滞在する間、彼の名声は聞いていた。

 救世の勇者。魔物を打ち倒して人々の困窮を救い、不和をかこち嘆いていた異種族を和合させ、騎士たちに誇りを取り戻したと。

 彼の忠言とやらも、それを裏付ける徳行の表れなのだろう。

 だがその名声を、偉業を、善性を見せつけられるたび、心が搔き毟られるようだった。


(どうして、私の勇者は)


 彼は、善良だった。

 あのユーリとかいう青年と同じか、それ以上に。


(どうして、あの方は)


 魔物を滅ぼして人々を救い、世を導く資質があったはずだ。

 彼には神の恩寵があり、私には天啓があり、それに従う仲間があり、困難を打破した。

 彼らと、何一つ変わるころは、ない。


(どうして、私たちは)


 あの勇者と、彼のどこが違う。

 いったいどこに、私たちのどこに、間違いがあったのか。


(私たちに、間違いなんて、ない)


 違いはただひとつ。

 目の前のこいつだ。

 こちらの怒りを、憎しみを、意にも介さず、平然と立ちつくす、畜生のコボルトが、すべての間違いだ。

 殺したいほどに憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い、憎い敵。

 違う。殺したいほど、ではない。

 殺すのだ、こいつを。


「決闘に際しての約束を、忘れないでください。あくまで試合であり、殺傷を目的とした攻撃や魔法は、使わないことを」


 ご立派な勇者さま。貴方は何もお分かりではない。

 貴方はただ、この畜生のコボルトに、幸運にも出逢わなかっただけ。貴方もきっと、こいつにあったが最後、無惨に殺されていたはずだ。


「ええ、分かっています。約束は、守ります」


 頼み込んで、この会場には己の武器を持ち込んでいる。聞けば、目の前の魔物もこちらが武器を持ち込み、相対することを承知したらしい。

 その代わり、自分も手持ちの神器のみを使い、秘めた力は使わないと。


「……これより、"平和の女神"の勇者、コボルトのシェートと、"審美の断剣"の勇者、逸見浩二の遺臣、リィル・ユル・フルグリッドとの、決闘を行います」


 ああ、なんと忌まわしい銘だ、よりにもよって"平和の女神"などと。実に皮肉で、実に唾棄すべき銘だ。

 目の前のバケモノの振る舞いを知りながら、未だそんな銘を名乗っていられるなど、恥知らずな邪神め。


「決闘に際し、それぞれ扱う武器は一つ。破壊されるか、決闘場の外に弾き飛ばされた時点で、その者の負けとなります。また、相手が降参した場合、そこで決闘終了です」


 私は負けない、絶対に。

 彼の剣に誓って、剣に込められた、彼の無念に誓って。

 思い出す、あの光景を。

 河原の大岩に突き刺さり、夕日に照らされた彼の剣の輝きを。血まみれになって転がった鎧の残骸を、色あせて魔法の力を失った腕輪を。

 悲しみに暮れた落日の記憶を。


「コウジさま、どうかお喜びください」


 鞘から引き抜いた剣を構え、コボルトに向き直る。

 今こそ、恩讐の一刃を、あの畜生に叩きこむことができるのだ。


「貴方の無念を、今、晴らしてごらんにいれます!」

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