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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~最終章~
204/256

4、華々しき道行

 その道行が、ある種の示威行動であるということを、サリアは承知していた。

 彼らにその心算がなくとも、この大陸は悠里と仲間たちが解放したもの。その成果を見せるということは、力を誇示することに等しい。


『勇者さまがお出でになったぞ!』


 馬車が立ち寄ったのは、それほど大きくもない寒村だった。

 畑は新たな季節のために起こされていたが、耕作地であった場所のいくつかにがれきが積まれ、あるいは立ち枯れた雑草や、刈り取りそこねた麦の穂が、まばらに残されたところもある。

 村の家々も、新たに建て直されたものや、焼け残った土塀を支えに幕屋を立てて補修したもの、そんな襲撃の生々しい痕跡が残っていた。


『あちらに席を用意してあります、お忙しいでしょうが』

『ありがとうございます。それじゃ、少しだけ』


 勇者の言葉はそつなく、群れ集まる人々に優しくを声を掛けていく。そのどれもが純粋な好意にあふれ、己の困窮など顧みない献身を顕していた。

 だが、


『……ところで、その』

『彼は、俺の同盟者です。同じ神の勇者として、扱ってください』


 それまで、輝くようだった人々の顔に、見過ごせない陰りが貼りつく。子供達が悲鳴を上げて逃げ去り、女たちの目に敵意の険しさが宿る。

 その視線を感じて、シェートは口を開いだ。


『俺、馬車戻る。用ある時、呼べ』

『――いや、ここに』

『悠里、お前、仕事ある。俺、邪魔だ。分かるな?』


 悔しさと憤りを匂わせながら、それでも勇者は頷き、シェートは馬車へ帰っていく。

 

「悠里殿、今は優先順位を間違われませんよう。私たちはすべて承知しております」

『……はい』

「無用の事とは思いますが、村の民は貴方を慕っている。その尊敬と善意は、少しも損なわれることはありません」


 彼は、答えなかった。

 奇妙な緊張は村から消え、人々は勇者を囲い、宴席へといざなう。その卓上に並べられたのは、粗末な煮込みやしなびた干し果物、上等とは言えない酒。

 それでもなけなしの歓待を、そういう善意が見えるようだ。


『魔王の城が、こっちに向かっています。大きな戦いになる、その前に避難を』

『でしたら、なおのこと、我々は離れたくありません』

『ダメだ! もし魔王がこの村を襲ったら』

『その分、連中の手勢が減りましょう』


 意外な申し出に、悠里の顔がこわばる。村長らしき老いた男は、首を振って勇者の懸念を払おうとした。


『とはいえ、残るのは我々、老いた者や志願した者だけです。女子供や若い連中は、よそにやらせます』

『そ、それでも、そんな犠牲は!』

『貴方は、死にかけたこの村を救ってくれた。とはいえ、次の戦の一息で、ここは荒れ野となりましょう。それでも……意味はあった』


 村長は笑う。笑ってその場にいた者たちを指し示した、その全てが彼に捧げる、感謝だとても言うように。


『村は死んでも、人は生き延びる。なにより、貴方がいればこの世はきっと救われる。その先を見せてくれた貴方のために、儂らもまたともに、戦うのです』

『……はい。必ず、勝ちます』


 悠里は村に留まらず、食事を共にした後、馬車を南に向かわせた。

 車内に戻った彼は青ざめ、拳を握り締めて、食い入るように床を見つめていた。


『シアルカ』

「うん」

『こうなることを、知ってたのか?』

「僕が人であった頃、同じような言葉を、志を、何度も受け取ってきたよ」


 それは実感と、哀切さからくる返事だった。シアルカの星は長く魔物の侵攻に晒され、神の庇護なき人の身でありながら、命がけで守り切ったと聞いていた。


『それならなおさら、同じ苦しみを、味わわせたくないだろ!』

「おそらく、あれが限界なんだ。他の村でも、年老いた者まで面倒を見る余力がない。その結果、出した答えだ」

『それをどうにかするのが、勇者なんじゃないのか!』

「その通りだよ。そして、それを分からない者が群れ集まるのが、"神々の遊戯"だ」


 対面で水鏡を見つめる"英傑神"の顔に、静かな怒気が宿っていた。

 もし、参加した神々が連携し、魔王と魔界の侵攻を喰いとめに当たっていたなら、この村の者たちも救われたかもしれない。

 だが、そんなことは起こらなかった。

 共闘があっても、それは互いを利用するためのものであって、星の民は顧みられない。

 世が平和になれば、民草など『勝手に増える』、その程度の認識だ。


「サリア―シェ殿、僕は貴方の意見に賛同します」

「遊戯の破却、貴方もまたそれを目指すと、"闘神"殿から聞き及んでおります」

「今や、天の神は死肉を漁る、浅ましい屍食鬼グールに成り果てた。その中に、貴方や"闘神"殿のような志を持つ方がいてくれるのは、僥倖でした」


 その目に宿るのは、憤りと信念。その炎がこちらの焙り、身を震わせるような情動が浴びせられた。


「彼らが困窮するのは、間違っている。その困窮を押し付ける仕組みこそ、打倒されなければならない」


 それから、言葉を和らげて、彼は水鏡の向こうを慈しんだ。


「一刻も早く、魔王を倒そう。そして、遊戯を終わらせよう。彼らに報いるためにも」



 最初の村以降、悠里はシェートを誘わなくなった。

 出かける前、フィーにも忠告されていたのに、自分の甘さを思い知らされた。実のところ、御者の二人からも遠回しに嫌悪を表明されていた。


『コボルトは悪い病気を撒く。そんなもんが仕留めてきた獲物、俺らはごめんです』

『おいらたちに神の加護は無い。すまないが、アンタと同じに考えないでくれ』


 話せば、実際に会って貰えば、分かるはずだ。そんな気持ちは簡単に打ち砕かれた。

 それでもシェートは、その非難を背負いながら、歩いている。

 どうすればいいのだろう、どうすれば彼を、本来の彼らを知ってもらえる。


「悠里、着いたぞ」


 言われるまで、馬車が止まったのに気が付かなかった。

 扉が開かれ、御者たちが仰々しく分かれて立っている。慌てて外に飛び出すと、いくつもの鋼がこすれ合い、石畳に軍靴がたてる音が鳴り響いた。


『誉れを讃えよ! 御名みなを讃えよ! "英傑神"シアルカが使徒、神の二つ名に懸けて、我らに栄光と勝利をもたらす、イワクラユーリを讃えよ!』


 これまで見てきた、どんな歓待よりも盛大で、美々しい光景だった。

 両翼に分かれた、赤と青の騎士団が詰める居館をはさんで、そこから伸びる石畳、その先にはひときわ大きな、ヴィルメロザ騎士団の拠点である本館がそびえている。

そして、赤と青の装束を着けた騎士たちが、剣を掲げて列を成していた。

 こちらが姿を見せると同時に、掲げた剣の刃を持ち、柄を捧げるようにしてその場にひざまずく。

 我は汝の御佩刀みはかしなり。

 ヴィルメロザ騎士団の『最敬礼』、これを捧げられるのは二度目だったが、いつ見ても圧倒される光景だ。


「ヴィルメロザ騎士団、総領代行、フランバール・ミルザーヌ卿、出座!」


 栗毛の女騎士が、本館の扉を開けて進み出る。

 その顔に穏やかな笑みを浮かべ、威厳を感じさせる足取りでこちらに歩み寄ると、ひざまずいて最敬礼を取った。


「遠国よりの帰還、お喜び申し上げます。我が君、イワクラユーリ様」

「歓迎、感謝します。ミルザーヌ卿」


 捧げられた彼女の剣を取り、刃に口づけをすると、彼女に返還する。それを納めたところで、歓迎の儀式は完遂された。


「皆のもの、只今は戦時である! 名残は尽きねども、ただちに己が所領へ戻り、支度を開始せよ! 遅参は許さぬ! 三日後、ジェデイロの胸壁の下、きっとはせ参じよ!」

『誓おう! 我らが剣は総領に! そして、勇者がために!』


 騎士たちは素早くきびすを返し、その場を後にする。それでも、その鋭い眼光が、悠里の背後へ、好意以外の感情を浮かべるのを、見逃せなかった。


「では、こちらへ、イワクラユーリ様」

「……もう、堅苦しいのはいいだろ、フラン?」

「駄目です。ここはまだ人目があります故、しばし我慢いただきたい、ユーリ殿」


 それから、他の騎士たちとは少し違った目で、付いてくるコボルトを見つめた。

 

「あれが例の」

「あれじゃなくて、彼だよ。同じ神の勇者だ」

「……失礼しました」


 足を止めて、シェートと向き直ると、彼女は言葉を選びながら問いかけた。


「名前を、伺ってもよろしいか」

「シェートだ。お前は」

「フランバール・ミルザーヌ。ヴィルメロザ騎士団総領、代理を務めている」


 代理、という言葉への強調に、悠里は苦笑した。この生真面目な騎士は、どんな相手でも態度を崩したことがない。見知らぬコボルトにさえ、同じように接していた。


「ありがとう、フラン」

「……ただの挨拶に感謝とは、それもニホンの流儀なのですか?」

「そんなところだよ。それより、状況を聞かせて欲しい」


 はにかんだような彼女の顔が、一気に騎士団長のそれに代わる。少し急かすような歩みで扉に向かいながら、背中越しに緊張を投げた。


「一日前、東の港湾都市、グルーから使者が来ました」

「魔王軍の襲撃?」

「いいえ。奇妙な難破船を発見したという報です」


 扉の向こうのエントランスを抜け、会議場として使われる広間に案内すると、彼女は声を潜めて急報の内容を告げた。


「積み荷を満載した、無人の船が見つかった。それだけではなく、南洋群島からの貨客船が、この一週間、一隻も入港していないらしいのです」

「あそこは確か、"海魔将"ゼルナンテの領域だったはず。それが」

「ある日突然、魔将は海軍ごと消滅。それ以降は平穏だった、はずです」


 テーブルに置かれた地図は、ケデナとその東側に広がる群島の図が描かれている。

 南洋群島というのはこの辺りの言い方ではないが、エファレアが世界地図の中心に書かれることもあり、南洋という言葉が使われている。


「南洋群島は生産地というより、ケデナ、エファレア、モラニア間の寄港地としての意味合いが大きい。それが沈黙したということは」

「魔王による通商破壊、だね。影響は?」

「彼らには申し訳ないが、目下のところ軽微かと。年単位で続くなら話は別ですが」

「救援は?」


 フランバールは言葉を詰まらせ、苦笑しつつ首を振った。


「ユーリ殿、貴方は本当に優しい。ですが、その思いに応えることは、できません」

「魔王との戦いが優先……分かってる」

「途中、いくつかの村に寄ってきたそうですが、村人から不遜な事でも?」

「……そうじゃない。みんな、俺に、期待してくれた」


 村々の様子を聞いた彼女は天を仰ぎ、それからこちらの肩を抱いて、声を上げた。


「諫言をお許しください、ユーリ。それは我らの責任です」

「いや、でも」

「知っての通り、我らが騎士団はケデナに住むものの剣であり、盾であれとされた。しかし、互いの利権と覇を競うあまり、人々をないがしろにした」


 それまで、黙ってやり取りを聞いていた騎士たちも、こちらに向けて頷く。その胸に手を当て、頭を下げた。


「我らは愚かでした。守護のためではなく係争のために剣を抜き、守るためではなく押しのけるために盾を構えた。それを糾してくれたのが、貴方です」

「誹られるべきは我ら騎士。貴方は、何の落ち度もありませぬ」

「……部隊をやりくりし、彼らの下に数騎、送るよう手配しましょう。我らの愚かさは雪がれぬが、せめて、それを慰めにしてほしい」


 戦争という重い事実を前に、個人の思い入れなどは無意味に等しいのだろう。それでも彼女の気遣いに、笑顔で答える。


「みんな、ありがとう。必ず魔王を倒すことを誓うよ」

「それが最良です。長旅でお疲れでしょう、居室を用意させてあります、明日まで休み、それからジェデイロへ向かいましょう。私も同道しますので」

「他のみんなは?」

「その報告も今日中に到着予定です。今はともかく、気を安んじられよ」


 状況の報告が終わると、フランバールは席を辞して、部屋に残っていた騎士たちが案内についた。シェートはそのまま、付かず離れずの位置を保ちながら、黙って続く。


「勇者殿、あれは」

「あれではなく彼です。"平和の女神"サリア―シェの勇者、シェート」

「……"平和の女神"、ですか。それはまた」


 質問した男の苦笑いも、分からないでもない。自分も初めて聞いた時、耳を疑った。 

 だが、もう一人の方はもう少し、耳ざとい者だったらしい、声を潜めて、いぶかしむように問いかける。


「エファレアに展開していた"知見者"の勇者軍を打ち滅ぼしたのも、あのコボルトめだとか聞いています。その上、騎士も兵士も悲惨な状況で鏖殺されたとか」

「俺からは、何も言えません。勇者軍の精鋭と戦い、生き延びたのは事実です」


 ヴィルメロザの騎士団は他の大陸にも情報網を持っているが、それでも実情とはかけ離れていた。商人たちや旅人の口さがない噂が、どんなふうに伝わっているかは、あまり考えたくない。

 見知らぬ者には忌まわしい害獣として、風聞を受けた者には邪悪な怪物として、シェートの実像は、どこまでも歪んでしか伝わらなかった。


「勇者殿?」

「彼の部屋は?」

「……一階の離れに」

「俺と同じ部屋にしてください。寝具が無ければ、手配をお願いします」


 騎士たちは規律と命令に従うことに慣れていたから、こちらのわがままにも忠実に従ってくれた。やってきた寝具は、どこかの倉庫から引っ張ってきた、ほこり臭い敷布と獣の皮だったが。


「悠里、無理するな」

「……無理なんてしてない」

「抱えるな。俺、心配する、持たないぞ」


 シェートは敷布を部屋の隅に敷き、毛皮を確かめて納得したように畳んで置いた。

 それから、身に着けた装具を取って、床に座る。

 悠里は敷布の端に座り、ため息を吐く。


「どうしたら、いいんだろうな」

「なにが?」

「君は勇者なんだ。俺と同じだ」

「違う。お前、みんな救う。俺、狩り、しただけ。別物」


 それは違うんだ、そう言いたかった。

 少なくとも彼は、見知らぬ村人を救おうとした。善行をしなかったのではない、善行を受け入れてもらえなかっただけで。


「お前、魔王、倒す。考える。他の事、後だ」

「……勇者の仕事は、魔王を倒すことじゃない」

「違うのか?」

「世の中を平和にして、幸福を呼ぶことだ。魔王を倒すのは手段であって目的じゃない。もちろん、君のこともだ、シェート」


 シェートは呆然とこちらを見つめ、柔らかく頷いた。

 それから、左腕に付けたリングを掲げる。


「だいじょぶだ。気持ち、わかった。お前、ケイタ、同じ」

「ケイタ……君?」

「これ、くれた奴。勇者、仲よくした。最初の奴。大事な友達」


 それからシェートは、その腕輪を一張りの弓に変えた。ミスリルを基調に造られた、金属製の弓は、双頭の狼をモチーフにしてあり、片方の目には青い石、もう片方の目に赤い石が嵌っている。


「ケイタ、帰る時、創った。ずっと一緒、戦ってる。"魔狼双牙フェンライトゥース"」

「友達に、なったのか」

「ああ」


 それはモラニアの小さな村に住む少年勇者の話。"知見者"の軍に自らの成果も、人々の信用も奪われ、それからシェートに協力し、命を掛けて"知見者"へ一矢報いようとした戦いの記憶を、シェートは目を細めて語った。


「コボルト、信用される。むつかしい、お前たち、違う世界、いた。感じ方、違う。コボルト、嫌われる、分からない」

「……そうですかなんて、認めたくもないんだ」

「そうか。分かった」


 その顔は、達観した落ち着きだった。

 こちらの気持ちも好意も受け取りながら、それが全てを解決しないと、理解しているのが分かった。

 諦観と紙一重の悲しい姿勢だ。

 シェートの態度は正しい、今がその時でないのも分かっている。

 でも、だからこそ。


「あ――あのさ、ちょっとお願いがあるんだけど、いいかい?」



 どうしてこうなった、それがシェートの感想だった。

 騎士たちの館、その裏手には広い草原と、弓や馬上槍で狙う的が並べられており、平服に着替えた悠里が木刀を片手に、土の広場に立っている。


「ずっと、馬車の中で窮屈だったし、体を動かしかったんだ。無理言ってゴメン」

「……ああ」


 野次馬の騎士たちが居並ぶ中、シェートは武器として借りた、二振りの小剣を軽く振り回す。そう言えば、ベルガンダの砦でも、魔王城でも似たようなことがあった。

 荒くれ者は言葉より、腕っぷしで相手を評価する。騎士という存在も、結局は腕力に物を言わせるほうが、通じるというのだろう。

 悠里の気遣い、というよりは、お節介に近いものには、十分気づいていた。

 果たして彼が望むように、コボルトという存在は、人に受け入れられるだろうか。


「それじゃ、お願いします」

「ああ」


 頭を下げた後、悠里は右手にした剣を片手に構え、前方斜めに切っ先を向ける。それに対応して、シェートは左手を前に、右手を後ろに構え、左足を前に出した。


「……コボルトが剣を使うだと? おまけに両手持ちとは」

「見よう見まねにしては、中々堂に入ってるじゃないか」

「ユーリ殿相手に、どこまで持ちこたえられるか」


 焚火の前で、盗み見た構えと違う。

 あの時は、右の肩口に構えた手を引きつけ、こめかみ辺りに鍔が当たるほどに掲げていたはず。

 これはあくまで、試しの構えということだろう。

 シェートは無造作に距離を詰め、悠里の間合いに入る。


「――っ!」


 音のない呼気、前手の剣が弾かれ、するりと突きが差し込まれる。その動きに合わせ、左足を下げつつ体を半回転、二つの剣で挟み込むようにして、攻撃を押さえる。

 驚いたように剣を引き戻し、今度は真正面へ、切っ先を突きつけるように構えてきた。


「……」


 こういう構えは極端な待ちと守りの構えであり、同時に必殺の突きを狙う姿勢だ。

 ベルガンダの砦でしごかれた時、こういう相手とも何度かやり合っている。

 崩す方法は――。


「しっ!」


 シェートはは右の剣を振り上げ、投げつけた。それは悠里に向かって飛び、ほぼ同時にシェートは突き進む。

 交わす、叩き落とす、突き進む、いずれの動きでも即応できるよう、相手の肩と腰の動きに視線を収束させ――。


「う……っ!」


 悠里の動きは予想を超えていた。

 剣をただ、まっすぐ前に立てて、『押し通った』。

 小剣は剣によって遮られ、悠里の頬をかすめたが、それだけだった。そのまま、こちらの眉間にぴたりと、木剣が付きつけられる。

 騎士たちが感嘆と、喜びに沸いた。


「負けだ」

「うん。でも、動きも鋭いし、受けや捌きがうまいな。さすがは歴戦の勇者」

「剣、苦手だ。俺、やりたくない」


 こちらが落ちた小剣を拾い上げると、悠里は木剣を掲げてもう一回、といざなった。


「俺、弱いぞ。練習、ならない」

「そんなことないよ。基本的に一本よりも二本もってる方が強いんだ。さっきは、たまたま、うまく行っただけだし」

「……分かった」


 今度は両手を下げ、構えを解く。それから剣のことを忘れて、悠里との間合いだけに気持ちを集中する。

 悠里の構えは、今度も体の正面に剣を置くもの、こっちの動きを見ている。

 前に進みながら少しずつ、右回りの円を描いて間合いを詰める。


「しっ!」


 前進しながら右手を振り上げ、相手の剣を下から弾きあげる。だが、悠里の剣はぶつかり合いを嫌って、逃げるようにぶれる。

 だが、シェートにとってそれは予想の内だ。


「しぃっ!」


 振り上げた右手と右前足を軸に、背中をぶつけるように反転、左手の剣を相手の背中に向けて振り被る。 

 だが、いつの間にか悠里の背中を守るように、逆手で剣が構えられていた。

 その構えに、こちらの右剣をさらに叩きつけるが、今度は剣をそこに立てたまま、悠里も体を回して素早く引き下がっていく。

 そのまま、構えが変化した。


「おお、あれは!」

「来るぞ、ユーリ殿の必殺の剣!」


 焚火の前で取っていた構え。右のこめかみに引き付ける鍔、空に向けて構えられた姿勢と、左足を前に、後ろになった右足は、斜め方向に。

 呼吸を整え、こちらを睨み据えた彼は、すぐに構えを解いた。


「――ごめん、これ以上やると、間違いが起きかねない。ここまでにさせてくれ」

「そうか」


 間違い、つまり殺し合いになるということだろう。

 悠里の行動はあくまで、こちらの印象を変えるためのもの。血を流すような凄惨な手合いは必要ない、というわけだ。

 だが、結果は悠里にとって、痛ましいものになった。


「さすがは青と赤、両騎士団の長を下した剣! 魔物の攻撃なにするものぞ、ですな」

「二つの剣撃をいなしつつ、不意打ちにも対抗できるとは。イワクラの剣、ご教授いただけないのが残念です」

「見ているだけで、身が疼いてきました。次は我らとも一手!」


 取り囲まれ、口々に賞賛を受ける悠里は、拭いきれない痛みを浮かべて苦笑していた。

 こちらをちらりと見る目には、明らかな後悔。

 そう、これが答だ。

 人とコボルトに、通じ合う術はない。どれほど勇名を馳せ、世の信頼を集めた勇者の言葉であっても、しみついた魔物への恐怖と憎悪は、簡単には落とせない。


『おい、チビ助! 次は俺とやれ! コボルトなんぞに舐められてたまるか!』


 脳裏にひらめいたのは、薄汚い革鎧を着けたゴブリンの群れ。明らかにこちらをバカにしていたが、それでもあいつらは、最後にはこちらを受け入れていた。

 ナイフ使いのゴブリン、蜥蜴男リザードマンの剣士、魔将の腹心、そして大きくたくましい、牛顔の魔将。

 まさか、連中との交流を懐かしく思い出す時が来るとは、思っても見なかった。その記憶に微笑み、剣を地面に置く。


「シェート!? 待ってくれ!」

「剣、ここ置く。部屋、帰るぞ」


 湧き上がる喧騒を背にして、シェートは虚空に呼び掛けた。


「サリア、ちょっと、いいか」



 小さな灯りをともした部屋の中で、シェートと悠里が座っている。敷布の上でくつろぐコボルトに対して、その端を間借りするように座った少年。

 シェートから聞いた内容を反芻すると、サリアは"英傑神"の勇者に、声を掛けた。


「お心遣いは感謝いたします。ですが、現状その行為は、無意味どころか悪影響です」

『…………』

「出立の折、フィアクゥルにも諫言されていたと聞き及んでおります。それでもなお、シェートの扱いを変えるべく、働かれるおつもりですか?」


 この場には"英傑神"も臨席しているが、彼は一言も言葉を発しない。放任しているか、この後、個別で譴責をするつもりなのだろう。


『俺の勝手な思い付きなのは、理解してた、つもりでした。でも、ここまでなんて』

「失礼。私的見解、開陳したい。許可を」


 成り行きを見つめていたメーレが、片手を上げて承認をうかがってくる。頷いて先を促すと、彼女は悠里の見通しと構想に、痛烈な一撃を浴びせた。


「岩倉悠里。貴方の行動、企図した和合、【ヒト】種族のみ、適用可能な『治療方針トリートメント』」

『どういう意味、ですか?』

「貴方、ヒト種族、人間、エルフ、ドワーフ、その不和、解消してきた。その経験、コボルト、適用外」


 その指摘で納得がいった。

 彼は異世界、神去の出身だ。彼の世界には単一のヒト種族しかおらず『地域差』程度しか違いがない。

 だが、汎世界においてはヒト種族は多様であり、場合によっては小人や言語を操る動物種族さえヒトに数え上げられていた。

 つまり彼には、理解できないのだ。『別の区分けに入っている存在』というものが。


「確かに、私も自らの星にコボルトを招き入れたことはあります。古い時代には、明確に魔物とは見なされず、ヒト種族として扱われたことも」

『それなら……』

「差別問題、特効薬、存在しない。対話、教育、あるいは思想誘導プロパガンダ、長期治療計画、必要」

「悠里殿。貴方の心遣いは、ありがたいものです。我が勇者を、そこまで思い致していただけたのですから。しかし」


 本来なら、こんなことを告げたくはない。

 自分だってシェートの善意をみされたことを、悔しく思っていた。それでも今は、時期が悪すぎる。


「戦時、なのです。目の前に、魔王が迫っている。この時だからこそ、貴方の陣営に亀裂をもたらすような行為は、自重していただきたいのです」

『……すみません。今までが、うまく行き過ぎたんだと思います。今度もきっと、何とかなるなんて……ほんと、ゴメン』


 勇者の方は顔色を改めて、シェートに向けて頭を下げた。

 そんな彼の姿に、サリアは苦笑した。

 まるで彼は、以前の自分とそっくりだ。言葉と誠を尽せば、分かり合えると。

 だが、心もつ者の数だけ誠は存在し、ただ一つの結論などはない。

 それでも、彼の心と態度は、正しいもののはずだ。


「悠里殿」

『……はい』

「とはいえ、不干渉や対立をお願いしているのではありません。身勝手な申し出となりますが、今後も、シェートと交誼を結んでいただければ」

「勇者とコボルト、率先交友、日常化。つまり『無意識下の刷込みサブリミナルコントロール』、差別解消、効果大」


 なぜか物騒な響きを感じるメーレの提案に、それでも彼は頷き、そして何かを決意したような顔で、口を開いた。


『……シェート、その、もう一つ、というか今回のことも含めて、謝らなきゃならないことがある』

『どうした?』

『実は、君たちに隠していたことがあるんだ』


 勇者の一言に、"英傑神"は視線をこちらに走らせたが、言葉はなかった。

 沈黙を肯定と見たのか、勇者は秘めていたことを告げてくる。


『……君を仇と狙っている人がいる』

『誰だ?』

『君が最初に倒した勇者の、従者の人たちだ』

 

 さすがに、言葉はシェートから平静さを奪っていた。怒りや憎しみではないが、苦い表情で身じろぎをする。


『そいつら、俺、殺す。言ったか』

『ああ。それで、俺に後見人になって欲しい、って』

『…………』


 しばらく、二人は何も言わなかった。

 悠里はシェートの言葉を待ち、シェートは言うべき言葉を探しあぐねているように。


『お前、迷ったか』


 それが、すべての解答だった。

 頷く勇者を前に、コボルトは自分の手を見て、それから遠い目をした。


『俺、勇者、仇、言われた。別の奴』

『その時は、どうなったんだ?』

『俺、狩る、勇者だけ、言った。そいつら、帰った』

『それなら――』

「申し訳ない、悠里殿。おそらく今回とは状況が違うと、申し添えよう」


 あの荒野で戦った時と、最初の勇者狩りは前提が違いすぎた。サリアは、彼らがシェートを追い詰め、仲間とともに戦っていたことを告げた。

 

「しかし、最初の勇者の時、味方の仲間は結界によって阻まれ、合流することも叶わなかった。死の瞬間さえ、目にしていないのです」

『……そう、ですか』


 おそらく、その無念を抱えたまま、はるばるケデナまで追いかけてきたのだろう。

 介添え人を命じられた悠里にしてみれば、こちらが余計な気苦労を積み増しした形になった訳だ。


「そういう事であれば、もっと早めに打ち明けていただきたかった」

「……すみません。でも、俺も知りたかったんです。あんな強烈な恨みを受けるのが、どんな人たちなのかを。それが……だんだん、思い入れが強くなって」


 これで、ここまでの彼の態度と、行動にある程度の説明がついた。

 勇者としての公正さを重んじる性格が、シェートという難しい存在で、かき乱されていたということも。 


「公正で中立な立場であろうと思ってたけど、もう無理だ。少なくとも、俺は介添人に相応しくない。彼女たちには、魔王との決戦が終わるまで」

「いいぞ」


 シェートは、笑っていた。

 悲しい、自らの定めに対する諦観を抱えながら、告げた。


「勇者の仲間、決闘、受ける」

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― 新着の感想 ―
[一言] 1. はからずもリアル側でも長年の恨みや差別意識が爆発してあちこちで騒乱が起きてるからな……どうしようもない根深いものであることは仕方ないのだろうな。 勇者たちはいろんな創作世界のコボルト…
[一言] リィル達、ついに対面 周囲の状況もなんとも悪い、まあよくなるかというと短期じゃ絶対に無理なのだが、待ち望んだ不安な時である
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