2、南への旅
シェートが港街について、二日ほど経った。
最初の一日は休憩、次の日はちょっとした歓迎会、そして今日から南へと出発することになっていた。
「おはよ、そろそろ飯だってさ」
「ああ」
珍しく、フィーは別室を選択したから、ここでの宿泊は個別に寝床を使っていた。
自分は窓のない奥まった部屋、フィーは屋根裏の窓付き、グートは馬小屋、悠里の方は大通りに面した部屋で、それぞれの性格がうかがえる区分けと言えた。
「おはよう、待たせて悪かったけど、今日から南に移動だ」
「ああ」
悠里は飾り気のない平服姿で、こちらに笑いかける。
くつろいだ表情も、今まで相対した勇者とは違っている。
その上、こいつは――。
「フィーに聞いたんだけど、シェートは歌も歌えるんだって?」
「え……あ、うん」
またこれか、内心うんざりしつつ、それでも答えるべき言葉をひねり出す。
「仕事歌、機織り歌、知ってるの、それだけ」
「あとで聞かせてくれないか?」
「し、仕事歌! 仕事の時! 何もない、歌えない!」
「そっか……ごめん」
こいつは何でも知りたがる、着ているものに始まって、食事や狩り、それ以外のことについても。
そういう仕草のことは、良く知っていた。背が伸びて、ちょろちょろと動き出す時期の子供がよくやる奴だ。
でも、こいつはどう考えても弟たちよりも年上に見える。
なにより、何でも聞いてくるこの態度は。
「お前、"魔王"、同じ」
「な、なんでそこで魔王!? そんなに俺と似てたのか?」
「顔とか姿とかのことじゃないよ。その質問癖」
先を飛ぶフィーが、振り返りつつにやにやと笑う。そのまま、頭を両手で支えた姿勢を取って、滑るように階段を下っていく。
「魔王城にいる間に、散々やられたんだってさ。家族構成から日常生活、狩りの仕方に勇者に対する心理調査まで」
「そ……そうだったのか」
「で? "英傑神"の勇者さまも、シェートのプロファイリングやって、攻略法でも編み出すつもりかい?」
きまりが悪そうに黙り込んだ悠里は、頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、頭を下げた。
「その、ただ、知りたかっただけ、なんだ」
「……なんでだ?」
「俺たち同盟関係になったんだし、君のいろんな面を知りたいんだ。それをみんなにも、理解して貰えたらって思ってさ」
「ふぅん?」
最近のフィーは、自分以外と喋る時、こういう顔をする。相手を品定めして、どこか小馬鹿にしたような顔を。
この態度も知っている、一番上の弟が、チビ連中にやっていたからだ。
「フィー、悪い顔、駄目だ。悪い心、なる。怒るぞ」
「……分かったよ。でもさ、こいつの言葉が、気にくわなくて」
降りた先の広間に先回りすると、テーブルの上から、仔竜は匙で悠里を指し示した。
「『異種族を受け入れるということはな、そなたら異世界の者が考える以上に、根深い抵抗を受けるのだ』」
「え……っ、なんだ、その声!?」
「俺の生みの親だよ。もう一年以上まえか、この言葉を聞いたのも」
驚いたことに、フィーは竜神の声を完璧に真似ていた。それどころか、その表情さえも黄金の巨竜を思わせる容になっていた。
「モラニアで、俺たちに協力してくれた勇者がいた。そいつは村を守ってて、シェートと仲間になろうとしてくれた。でも、村の連中は、そうじゃなかった」
「……そうか、君たちは」
「お前の個人的な好意はいいさ。でも、迂闊なことは考えないでくれ」
シェートは食卓に近づき、フィーの肩をそっと叩く。それから抱き上げて、自分の席の隣に座らせた。
「だいじょぶだ、フィー。悠里、悪い奴、違う」
「分かってるよ。でも、お前を傷つけることは、見過ごせない」
「うん。それも、だいじょぶだ」
それから少し考えて、シェートは妥協案を出した。
「俺、聞かれる、苦手だ。話す、むつかしい」
「それじゃ、これからはもう、聞かないことにするよ」
「違う。だめな時、だめ、言う。それでいいか?」
勇士の安堵した了承を受けると、そのまま食事の時間になる。
出された料理はこちらの好みに合わせ、簡単な煮込みや果物、パンが用意されていた。
こういう心遣いひとつとっても、悠里の心情は明らかだ。
「悠里、お前、俺、好きか」
「「……えっ!?」」
食卓に着いた顔が、こちらを驚愕と複雑な感情で見つめてくる。自分の言葉を思い返して、人間にとっての『好き』が、ときどき、妙な含意を持つことを思い出す。
「違う。お前、変な事、考えたか?」
「あ、うん。その、ちょっとびっくりして」
「そ……そうだよ! 唐突過ぎんだよ! マジで、そういう意味かと思ったぜ……」
「人間、ドラゴン、考えすぎ。俺、恋人した、一人だけ」
そこで二人の顔に影が差すのを見て、シェートは笑った。
本当に、みんな考えすぎだ。
「俺、コボルト。好き、コボルト以外、友達。恋人、コボルトだけ」
「その、俺の場合は事情が、ちょっと複雑で……」
「ドラゴンの年増だけじゃないのか。もしかしてエルフやドワーフからも告白された?」
「さすがに、ドワーフの方は『肉と髭が足りない』って、振られたけどさ」
先を促すと、少年は照れくさそうに、自分の仲間のことを語った。
「俺は基本、みんな友達でいたいと思ってる。けど、シャーナとイフは、そうじゃない方で、付き合いたいって」
「マジかよー、異世界の勇者さま、ハーレム作りがちかー」
「そんなことする気ないって! 選ばなきゃいけないとしたら……真剣に考えるつもり、だけど」
「で、具体的には?」
身を乗り出したフィーを引っ張り戻し、軽く頭を小突くと、その話はそこで終わりになった。
それから、幾分まじめな顔に戻り、悠里は今後の予定を話し出した。
「港町を出たら、ちょっと寄り道させてもらう。魔王との戦いのために、いろんな人たちの協力を取り付けてるところなんだ」
「騎士団領があるんだっけ? まずはそいつらからだな」
「最初にいくつか村を回って、その後にヴィルメロザ、最後にジェデイロ市に入る」
「とはいえ、数を揃えたところで、アイツには無意味かもな」
食事を終えたフィーは、首の道具を取り外し、悠里に手渡す。慣れた手つきで内容を確認した悠里は、表情をこわばらせた。
「パソコンにスマホ……それに、この施設は……!」
「悠里はゲームとかやってたか?」
「一応、ソシャゲやコンシュマー系なら」
「あの魔王は、そういうゲームに出てくるタイプ、しかも『メタ』な奴だ」
自分は肌身で知っているが、あの魔王の脅威は、この世界の住人にとって異質すぎる存在だ。想像するどころか、理解さえも拒んでくる。
むしろ、悠里のような異世界出身者の方が、正確に理解できるだろう。
「竜洞からも警告を貰ったんだけど、かなり難しい相手だな」
「ああ……たぶん、俺らが想像するか、想像以上のネタを隠し持ってると見た」
「対抗手段を考えないと。しかも、なるべく早く」
そこで勇者は姿勢を正して、軽く頭を下げた。
「お願いがあるんだ。フィーに力を借りたい」
「偵察か。"魔王"の城は近いのか?」
「北部の海岸線に向かった偵察隊が、洋上で確認したらしい。これまでの巡回空路なら、ジェデイロに到着するのは二週間後くらいって聞いてる」
「あいつのことだ、俺らがお前といるのも、とっくに承知だろうな」
軍師の顔になったフィーは、聲を使ってテーブルの上にケデナの大陸を描き出す。それから悠里の指示で、これから行く街や村を書き入れた。
「そういう事なら、さっき言った見回り旅行なんて、やってる暇じゃないだろ?」
「"英傑神"に言われたんだ。勇者は現場の士気を上げるのも仕事だって。緊急事態だからこそ余裕を見せて、住民の避難誘導や兵士を鼓舞する」
「その辺りはおっさんも言ってたな。ベルガンダも似たようなことやってたっけ」
懐かしいとも言える名前を聞き、シェートは目を細めた。
あの大きな魔将と戦った記憶は、不思議な輝きを持って胸に残っている。
ふと目を上げると、悠里の顔に視線が吸い寄せられる。こいつから感じる気配は、"魔将"や"闘神"の勇者のそれと似ていた。
「悠里、お前、なにかやるか?」
「……なにかって?」
「戦う奴、武術」
「後で、詳しく言うつもりだったんだけど、それも竜洞から?」
「なんとなくだ」
言葉にはしなかったが、少年は目を細めてこちらを称賛していた。当てずっぽうだったが、向こうの心証にもつながる質問になったようだ。
やはり、この勇者は今までの者たちと、違っている。
「状況は理解した。そっちが仕事してんだ。こっちもサボるわけにはいかないな。同盟関係になったんだろ、俺たち」
「そちらの女神様と"英傑神"は、正式に同盟になった。あとは、現場判断に任せるって言われたよ」
「ガナリ、どうする?」
これまでたくさんの関係を結んできた。
薄氷を渡るようなだまし合い、魔を友とし神を敵とする同盟、決闘で育んだ友情。
であれば、これもまた一つの道だろう。
「分かった。悠里、よろしく頼む。フィー?」
「任せろ。竜洞仕込みの索敵術、見せてやるよ」
「ありがとう、二人とも」
喜んだ悠里は、それからとてもとても、微妙な苦笑を浮かべた。
「えっと、それで、フィーには、すごく申し訳ないんだけど」
「なんだよ?」
「君にも、現地協力者をつけるつもりなんだ……飲んでくれないか?」
仔竜はとてもとても察しがよかった。
にっこりと笑い、手元のカップから中身を飲み干すと、言った。
「絶対に、嫌だ」
港町を出て十分ほどたったあたりで、馬車が止まった。
鼻息も荒くフィーが外に出ると、とんでもなく大きな黒い影が見下ろしていた。
「マジで、でけえな」
たぶん全高は十メートルを超えるだろう。竜神は目の前のドラゴンより大きかったが、実在の肉量から来る威圧は、同等くらいに思える。
「話した通りだ、シャーナ。後はフィーと協力」
「い・や・だ」
この前よりも一層ひどくなった嫌悪感が、こっちを容赦なく焙る。
今の姿になったことで理解したが、こいつはソールと同じ火の属性だ。しかも、自分が扱う『天狼の炎』クラスの炎を操れるだろう。
「たとえ吾が背の請願といえども、斯様な気持ち悪い仔竜と、よりにもよって斥候などという賤業に付かされるなど、御免被る!」
「シャーナ、いい加減に」
「いいよ、悠里。俺、一竜で行くから」
ドラゴンは傲慢で自分勝手、であればこちらもその流儀に従おう。そもそも、こんなでかい図体を引き連れていては偵察もクソもない。
腰の小物入れを漁り、道具を確認。特に用意せずこのまま行けるだろう。後は、"闘神"の時に教えられた指示を思い返していく。
「さすがにフィーだけじゃ駄目だ。斥候は可能な限り、複数人で動く必要があるんだよ」
「"英傑神"ってすげーんだな。そんなことまで仕込んでくれんのか」
「あらゆる戦いにおいて中心になる存在、それが『英傑』だから、必要なことはすべて知っておくように、だってさ」
こちらが和やかに会話するほど、赤い雌竜の機嫌が悪くなっていく。
どうやら、話題で置いて行かれたことが気にくわないらしい。硫黄の臭いのする鼻息が蒸気になって、大気に漂っていく。
なるほど。そういう事なら、竜神仕込みの篭絡術の出番だ。
「あんまり無理いうなよ、悠里。斥候ってのは、才能と経験がなきゃ、できない仕事だ」
「そ、そうかもしれないけど、あんまり刺激……」
「高貴なご身分の地竜の女王さまには、絶対にできない仕事だし、俺がこいつの分まで……いや、こいつの百匹分は働いて」
「吾を舐めるのも大概にせよ、仔竜」
さすがに、大人のドラゴンの威圧は腹の奥に響く。不機嫌を全身にみなぎらせて、赤い巨竜が翼を広げる。
「魔王が浮かべた石くれに気づかれず、その秘密を暴けばよいのであろう? 造作もない仕事に決まっておるわ、戯けが!」
その瞬間、フィーはちらりと勇者に視線を送り、うっすらと笑った。
「そうだよな! シャーナなら絶対できるっ! すごいなー、あこがれちゃうな―!」
「うむ! 我が背よ、よう申した! 斯様な仔竜など及びもつかぬ、成果と吉報を待つがよい!」
そして、まるで大気そのものを持ち上げるような、強烈な聲が湧き上がり、赤いドラゴンが軽々と飛び上がる。
本格的な大人の竜の聲を浴びて、腹の底が冷える思いがした。
(なんてバカ出力だよ。まともにぶつかったら、地力の差で負けるな)
「それじゃ、道案内頼む。あと、そのデカイ聲、ちょっと抑えてくれ。星の裏からでも聞き取れそうだ」
「まったく、隠密など、吾の趣味ではないと言うに。だが、致し方ない」
相手の聲に干渉されない小さな圏内で、大気を集める。竜の聲のぶつかり合いなど考えたこともなかったが、現実にはこういう事も起こりうるということだ。
万が一、その時のために、強く心に刻みつける。
「それじゃ、行ってくる」
「気、つけてな」
シェートの激励に頷き、聲を放つ。
大気という流体を操り、自分の前方に小さな真空を生み出す。その圧の変化で体を宙に舞わせると、フィアクゥルはケデナの空へ飛んだ。
馬車の旅は、想像以上にのどかなものだった。
出発の時にあったひと悶着が嘘のように、馬蹄の響きと、車輪が轍を噛む、ごとごとという音だけが流れる。
「それにしても、あんなにうまくいくなんて……」
悠里は手にした指先ほどの小刀を、革と油で手入れをしている。こちらも新しい弓弦ににかわを塗って、仕上げに掛っていた。
「シャーナの説得、毎回苦労するんだよ。かんしゃく持ちで、俺のことが好きっていう割には、こっちの都合なんて全部無視するし」
「ドラゴン、わがまま。フィー、ねぼすけだった。あと、無茶する」
「フィーの場合は、あんまりドラゴンって感じがしないな。なんか雰囲気が、学校の友達みたいで」
手仕事をする勇者、というのはなかなか珍しい。
圭太は畑仕事もしていたようだが、こっちの手は武器を使う者の固さと器用さがある。
しかも、身に着けた鎧や腰に下げた奇妙な形の剣も、神器特有の光沢がない。
地味で厳つく、地に足のついた構造をしていた。
「悠里、お前、神器ないか?」
「あるよ。今も付けてる鎧と、この刀がそうだ」
「そうなのか」
「……ああ。正確には、ちょっと違うんだけど」
彼は狭い車内の中で、手早く長い武器を抜いた。こちらにも触れず、床どころか天井さえ傷つけないまま。
その動きに、こちらの身が引き締まる思いがした。
「銘は【一蓮】、こっちに来て、打ってもらった」
「その剣、名前、あるか」
「日本、俺の出身地だと、有名な刀には銘が付くんだ。それに、うちの流派は代々当主が一の字を名前に入れてて……って、分かりにくいだろうから、この話はいいか」
「いい。話せ、聞く」
悠里は故郷の話や、刀と呼ばれる武器にまつわることを語ってくれた。
彼は剣を使った武術を伝える家に生まれ、その技を習得していると。
そして、彼の神器、正確には『神規』の秘密も。
「願い、力、変える?」
「"英傑神"の勇者が使う『神規』は、【万民の祈り】。その星に生きる人々の信仰と願いを、勇者に集約させるんだ」
そのために、"英傑神"の勇者は人々を救い続け、その先にある勝利を目指す。事前に掛ける加護は無く、神器さえ持たせないという。
その仕組みを思いつつ、シェートはふと、疑問が湧いた。
「それ、だいじょぶか?」
「なにが?」
「救った奴、感謝しない。そしたら、信仰、ない。違うか?」
「それでもだよ。それでもなお、そう言える奴だけが、本当の勇者になれるんだ」
悠里の顔には、真剣な表情が浮かんでいた。手にした刀を鞘に収め、ほんの少し、遠い目をした。
「だから、"英傑神"の勇者は、いつでも絶対に勝てるわけじゃない。裏切られて、死ぬこともある」
「……ひどいな」
「でも、それでいいんだよ。だって、救いたい気持ちは、本当のことだったから」
ごとごとと、車輪が鳴っている。
揺られながら、悠里の顔は身じろぎもしなかった。言葉には強い思いが、決意が感じられた。そうあるのが当然で、そうしたいと思っていると。
「お前、すごいな」
「……そんなことない。俺なんて、未熟だ」
「俺、昔、村人助けた」
思い出す。
ゴブリンに襲われていた村人の顔を。
その顔が、自分に向けてはなった言葉の数々を。
『この化物め! クソッタレの魔物め! 誰がお前のものなんかになるか!』
『力がいらねぇってんなら、俺が貰ってやるよ。お前をこの場でぶち殺してなぁっ!』
涙を流してナイフを突き出す姿。鎧兜に身を固め、こちらに罵声を浴びせる顔。
そして、力を失い、怯えながら魔物の狂気に翻弄されていった。
「俺、魔物、言われた。そいつ、"知見者"、仲間、なった。俺、経験値、する、言った」
「……そんなの、いくら何でも、ひどすぎる」
「コボルト、魔物だ。しかたない」
「仕方なくなんて、ない!」
短く吐き出した悠里は、こちらを食い入るように見つめてきた。
その声から、まるで血を流すような、思いを込めて。
「君がやったことは立派なことだ! それが、そんな風に否定されていいわけがない!」
「ゆ、悠里、落ち付け! そいつ、多分……死んだ」
「え……」
「魔王、部下、命じた。全員、殺せ。"知見者"の軍、勇者、消えた。力、無くなった。あいつ……村人、戻った。だから」
それまでの激昂が嘘のように、少年は席に落ち付いてため息を吐いた。それから、痛みをこらえるように目を細める。
ごとごとと、車輪が回っていく。
外の景色は移り変わり、昼時の陽光を浴びて、まばらな草地が続く荒野になっていた。
「ごめん、シェート。勝手に熱くなって」
「お前、いい奴。ありがとな」
「……違う。俺は、いい奴なんかじゃなくて……」
その時、御者台の方から、背板を叩いて合図が届いた。
「そろそろ昼飯にしたいんですが、いいですかね?」
「あ……はい! 俺も手伝います!」
気まずい雰囲気を払うように悠里は外に飛び出し、シェートも後に続く。二人いる御者は鍋を下ろして、煮焚きの準備を始めるようだった。
馬車に追随していたグートがやってきて、咥えていたウサギを目の前に落とす。
「ありがとな。俺、飯ある。お前、食え」
だが、グートの方は興味なさそうに歩み去っていってしまう。残された獲物は、ほとんど牙の跡がなく、首の骨が綺麗に噛み折られていた。
これでも食って仲直りしろ、そういう事なのだろう。
「悠里、昼飯、肉あるか?」
「次の村まで一日だから、干し肉と野草のスープにするってさ」
「これ、使え」
ウサギを受け取り、喜んで頷くと、少年は御者たちの煮炊きに参加しつつ、貰った獲物を自分でさばき始めた。
本当に、何もかもが違う。
シェートはふと、思い出したくもない声を、思い出した。
『お前は優れた魔物だが、その考えだけは、改めたほうが良いぞ』
皮肉なことに、魔王の助言は本物だった。
勇者には様々な者たちがいる。最初に当たった例が、絶望的に最悪であったと身にしみてわかった。
もし、自分の村に来たのが、忌まわしい青い鎧の少年でなく、悠里だったら。
運命はもう少し、違った形になっていたかもしれない。
そして今頃、自分の大好きな和毛と――。
「シェート、どうかしたのか?」
心配そうにこちらをうかがう悠里に、シェートは笑って首を振った。
「なんでもない、だいじょぶだ」