鏡の中の天才、現実の赤点
「……まあ、本気出せばこんなもん余裕っしょ」
深夜二時。スマホのブルーライトで充血した目で、俺——佐藤あらたは呟いた。手元にあるのは、進研模試の結果。志望校判定の欄には、無機質な『E』の文字が刻まれている。
俺が志望しているのは、国内でも屈指の難関と言われるT大学だ。偏差値は70オーバー。対する俺の現在の偏差値は、良くて52。普通に見れば「無謀」の一言で片付けられる数字だ。
「今はまだ、エンジンがかかってないだけ。中学の時だって、最後の一ヶ月で追い上げて合格したんだから。俺は地頭はいい方なんだ」
そう自分に言い聞かせながら、俺は机の上に積み上がった参考書に手を伸ばす……ふりをして、再びスマホを手に取った。SNSを開けば、意識の高い受験生たちが「今日の実績:12時間勉強!」なんて投稿を上げている。それを見て「チッ、効率の悪い奴らだな」と鼻で笑い、気づけばお気に入りのゲームアプリを起動していた。
「あと一回。あと一回だけクエスト回したら、マジで数学のチャートやる」
その「あと一回」が十回になり、二十回になる。画面の中で派手なエフェクトが舞うたび、現実の焦燥感が少しずつ塗りつぶされていく。この時間が、俺にとって唯一の救いだった。
翌朝、学校。
「おーいあらた! お前、志望校どこにするか決めた?」
クラスのムードメーカーであり、成績も優秀な直樹が話しかけてきた。周囲の視線が集まる。この時期、進路希望調査票の提出が迫っている。
「……あー、まだ迷ってるわ。国立かなぁ、くらい」
「嘘つけ、お前ならもっと高いとこ狙ってんだろ? どこだよ、言ってみろよ!」
直樹に悪気はない。だが、その言葉は俺の胸に鋭く突き刺さる。
『T大学』。
その三文字が喉まで出かかって、熱く火傷しそうになる。でも、言えない。偏差値50台の人間がT大志望だなんて言えば、鼻で笑われるか、気を遣った同情を向けられるのがオチだ。
「……内緒。受かったら教えるわ」
おどけて見せてその場を凌ぐが、心の中では劣等感がどす黒く渦巻いていた。周りは着実に「現実」を見据えて歩き出している。休み時間に単語帳を開く奴、塾の講習の話で盛り上がる奴。それらすべてが、俺を置いてけぼりにする濁流のように感じられた。
(大丈夫だ。俺はあいつらとは違う。本気を出せば、一気に追い抜ける)
根拠のない自信だけが、薄氷のように俺の足元を支えている。
その夜も、俺は「明日から本気を出す」と自分に誓い、日付が変わるまで画面の中の敵を倒し続けた。
机の上の参考書は、今日も一ページもめくられることはなかった。




